優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2005年09月

□◆□…優嵐歳時記(563)…□◆□

   燃え残る情熱の色曼珠沙華  優嵐

稲刈りがすんだ田んぼの畦に曼珠沙華が咲いています。
ヒガンバナといわれるだけあって、秋の彼岸のころを中心に
咲き誇ります。9月末ともなると、真っ赤だった色がしだいに
褪せてきます。花が終わってから葉が出てきますので、花の
時期は茎と花だけという一風かわった形をしています。

明日から10月、月の名前が二桁になると、今年も終盤です。
今日はいいお天気で、外に出ると、まだまだ日差しが強いと
感じました。空にはちらちらと鰯雲が出ています。今年は
春も雨が少なかったですが、秋もどちらかといえば少雨だと
いう印象です。


□◆□…優嵐歳時記(562)…□◆□

   透明な日差しに秋思授けらる  優嵐

秋のころの物思いを「秋思(しゅうし)」といいます。
自然界のすべてのものが、稔りの時期を迎える秋、
日差しは澄んで透明になり、空は高く、大気は快く冷えて
きます。

「食欲の秋」「スポーツの秋」「読書の秋」などと、何か
をするにはぴったりの気候なのですが、その一方で野山の
景色は凋落の彩りを見せ、そこはかとない物悲しさにから
れるのもこの時期です。万物の流転、月日は百代の過客、
そういうことをふとした瞬間に感じるのです。

□◆□…優嵐歳時記(561)…□◆□

   鳴き交わし釣瓶落しを烏行く  優嵐

秋の日は釣瓶を井戸の中に落とすように急速に落ちると
いうことから「秋の日は釣瓶落し」といわれてきました。
そこから「釣瓶落し」だけを取り出して、秋の入日の
季語として用いたものです。

家のすぐ裏の山にカラスの集団ねぐらがあり、繁殖期が
過ぎると、カラスたちはそこでコロニーを作って暮らして
いるようです。夕暮れ時になると、それぞれの場所に
散っていたカラスがあちこちから集まってきて、周囲の
屋根といわず電線といわず、一時的にカラスの群れで
真っ黒になります。そこからおもむろに山に引き上げて
いくのです。

□◆□…優嵐歳時記(560)…□◆□

   しらしらとコンビニ二十三夜かな  優嵐

昨日は旧暦8月23日でした。月は真夜中になってようやく
昇ってきました。山の上で白く光っているその姿は回教国
の国旗を連想させます。

先月末近所に開店したコンビニ、さすがに深夜になります
と駐車場の車もまばらです。蛍光灯の白い光がいっそう
よく目立ちます。それにしても誰があのコンビニの形を
決めたのでしょうか。会社は違っても、ほとんど雰囲気が
同じなのに驚きます。

□◆□…優嵐歳時記(559)…□◆□

   待つこともつとめのひとつ秋の宵  優嵐

日が暮れてまだはっきり夜とはいえない微妙な時間帯を宵と
いいます。待つことがどちらかといえば苦手な私なのですが、
今の仕事はタイミングをはかることが重要な要素になって
います。考えてみれば、自然を相手に仕事をされている方も
待つことが欠かせません。

魚が網にかかるのを待つ、作物が育つのを待つ、その自然の
リズムが与えてくれる恩恵を受けて私たちも生活していると
いえますね。月や星の運行、季節の巡り、それらすべてが
私たちを取り巻く自然のリズムの一部なのだと感じます。

□◆□…優嵐歳時記(558)…□◆□

   軒先をくぐりて届く真夜の月  優嵐

満月からほぼ一週間が過ぎ月の出もすっかり遅くなりました。
深夜、カーテンのかかっていない窓から月の光が差し込んで
いました。お椀のような下弦の月で、もう名月のころのように
その月の出を待っている人もありません。旧暦では8月21日です。

満月の記憶がまだ鮮烈にあるだけに、もうあんなに月が欠けた
のだなぁという感慨をもって眺めました。「真夜(まよ)の月」
または「真夜中の月」と詠みます。旧暦8月23日の月をさす
「二十三夜」という季語もあります。

□◆□…優嵐歳時記(557)…□◆□

   秋草のふれあう音の続きける  優嵐

今日はいいお天気でさわやかな秋晴れでした。まだ全体に
気温は高めで、日中は窓を開けています。風があり、
家の前にある草原に生い茂った草がその風に吹かれて
さわさわと気持ちのいい音をたてていました。

人工的な音というのは耳障りなものですが、自然の音と
いうのは雨だろうと風だろうと不思議に嫌な感じがするもの
はありません。自然の音には人工的な音にはない何か全く
別のものがあるのでしょう。

□◆□…優嵐歳時記(556)…□◆□

   秋分やおはぎに熱き日本茶を  優嵐

「秋分」は二十四節気の一つです。秋彼岸の中日であり、
祝日でもあります。太陽の黄経が180度に達し、真東から
昇って真西に沈み、昼夜の長さがほぼ等しくなります。
この後はしだいに夜が長くなり、”秋の夜長”が実感
されるようになります。

おはぎをいただきました。「ぼた餅」ともいうようですが、
姫路周辺では季節にかかわらず「おはぎ」という呼び名
の方が一般的なように思います。それにしても春は牡丹
だから「牡丹餅」、秋は萩の季節だから「お萩」と呼ぶと
というのも、実に風流でいいですね。

□◆□…優嵐歳時記(555)…□◆□

   たっぷりと茸を入れしシチューかな  優嵐

いつの間にか蝉の声は消えました。明日は秋分の日です。
日中も随分しのぎやすくなってきました。暑さに弱い方は
やれやれと思っていらっしゃるでしょう。長い残暑から
解放されて食欲が湧いてくるころでもあります。

秋の味覚もこれからが本番です。冷たいものが多かった
時期は終わり、これからは温かい煮物や鍋物の季節へと
移っていきます。その季節にはその季節にふさわしい
食材が旬のものとして出回るので、ありがたいですね。

しいたけやほんしめじなど今では年中食べられる茸も
増えましたが、やはり茸の旬は秋です。茸狩りが好きな
方には楽しみなシーズンです。

□◆□…優嵐歳時記(554)…□◆□

   風の音ばかり聞こえて秋彼岸  優嵐

9月20日が彼岸の入りでした。秋分の日を中日とする前後
七日間を秋の彼岸といいます。俳句では、単に「彼岸」と
いえば春の彼岸をさし、秋の彼岸は「秋彼岸」「後の彼岸」
といいます。

「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように、彼岸が過ぎ
ますと、ぐっと秋が進む印象があります。特に朝晩の印象が
変わってきます。秋の風のさわやかな響きのことをさす
「爽籟(そうらい)」という季語があります。「籟」とは
笛のことで、響きや声という意味もあります。

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