優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2005年12月

□◆□…優嵐歳時記(646)…□◆□

   大年の夜の静けさに耳をすます  優嵐

大晦日です。今年もあと3時間を切りました。暦は人間が作り上げた
ものですが、やはりこういうものでものごとの区切りをつけていく
ことが人間という存在にとってとても大事なことなのだということが
よくわかります。

「大年」は大晦日のことです。「おおつごもり」「除日(じょじつ)」
などともいいます。去っていく年とやってくる年が出会う夜、時の流れ
の神聖さを思います。あるいは故郷で、あるいはそれぞれのお宅で
時を過ごされている方が多いのでしょう。まだそれほど遅い時間では
ありませんが、戸外はしんとしています。

私はテレビを持っていませんので、年末の特別番組とも縁がなく、
ゆったりと行く年を送り、来る年を迎えようと思います。


□◆□…優嵐歳時記(645)…□◆□

   行く年や流るる川を見ていたり  優嵐

今年もあと一日になりました。「行く年」と似た季語に「年末」
「年の瀬」などがありますが、「行く年」はそれよりも主観的な
感慨がこもった季語です。一年の歳月を惜しみ振り返るような
気持ちがあります。

今年は仕事を変わり、個人的には大きな変化のあった年でした。
いろいろなことがあり、それでも毎日の時間は流れ、季節は移り、
川は流れていきます。大きな宇宙の円環の中にいるのだ、という
感慨に包まれます。冬至からすでに10日近くたち、夕暮れの時刻は
確実に遅くなっています。

□◆□…優嵐歳時記(644)…□◆□

   灯を映す川に佇む冬の鷺  優嵐

夕方、市川の川べりを散歩していると、川の中央にアオサギがいる
のを目にしました。いつも同じ岩の上でじっと獲物を待っているの
を見かけていましたが、すでに夕闇が迫ろうとしています。アオサギ
はいつも一羽で行動しています。

野鳥を見ているとその種によって群れるものと単独行動するものと、
はっきりわかれています。群れるものの代表としてはアトリ、スズメ、
カモ類などがあげられます。カワセミ、セグロセキレイ、ジョウビタキ
などは単独行動者です。「冬鷺」としては通常コサギが詠まれることが
多いようです。

□◆□…優嵐歳時記(643)…□◆□

   寄鍋に今年の話題持ち寄りぬ  優嵐

今夜は前の職場の同僚の家に集まって、忘年会をしました。
こういうときはやはり鍋物です。中でも寄鍋は魚介類、鶏肉、
野菜など多種類の具を好きなように選んで入れられます。湯気
のたつ鍋をつつきながら、あれこれ話に花が咲きました。

まだ仕事を変わって一年とたっていませんが、いろいろ話をきい
ていても、随分自分とは遠い世界になった気がします。すっかり
今の生活になじんでいたのですが、自分の生活が大きく変わった
のだということをまた、思い起こしました。

□◆□…優嵐歳時記(642)…□◆□

   淀みより連れだちて鴨飛び立ちぬ  優嵐

冬になると市川には鴨類がたくさん渡ってきます。家の近くで最近
見かけたのはマガモ、ヒドリガモ、ホシハジロです。先日はヒドリガモ
の30羽ほどの集団をみましたが、マガモはもっと少数で、大抵は5羽
ほどです。

あまり人がいかない川原のすみまで足を伸ばしたところ、足元から
ばさばさっとマガモのつがいが飛び立っていきました。野鳥はもっとも
身近に見ることのできる野生動物です。先日は20羽ほどのグループの
カワウが4回にわたってねぐらに向かうのを見ました。全部で100羽
近くになるでしょうか。

□◆□…優嵐歳時記(641)…□◆□ 【雪】

   黒々と流るる川に雪の降る  優嵐

冬至の日の雪はほぼ消えましたが、まだところどころ日陰の部分には
残っています。今日も午後から空を雪雲がおおい、ちらほらと雪片が
舞っていました。そろそろ明後日あたりから帰省ラッシュが始まります。
年末年始はできれば平穏なお天気で過ぎてもらいたいものだと思います。

雪が降った日、見慣れた近所の川の風景も新鮮でした。川の色という
のは空の色を反映しているのでしょう。黒い水面に次々と降りしきる
雪が吸い込まれていく様子が何か幻想的でした。

051226

□◆□…優嵐歳時記(640)…□◆□

   厳かに聖樹たつなり修道院  優嵐

クリスマスは今ではすっかり商業化されたイベントになっています。
これは何も日本だけではなく、世界的な傾向だということです。
季語ではクリスマスツリーを「聖樹」といいます。十七字しか使え
ませんので、こうした言い換えや短縮化は他のものにもいろいろ
使われています。

散歩の途中にある修道院の玄関にクリスマスツリーが飾られていま
した。コマーシャリズムにのったクリスマスソングやサンタクロース
とは異なるクリスマス、信仰のクリスマスがそこにありました。

□◆□…優嵐歳時記(639)…□◆□

   夕暮れてちらほら雪の聖夜かな  優嵐

「聖夜」とはクリスマスイヴのことです。クリスマスはもともと
「キリストのミサ」を意味し、キリストの誕生を祝って12月25日
に行われます。キリストの降臨は夜であることから、その前夜を
クリスマスイヴとしてミサを行います。

実際にキリストがいつ生まれたかは記録としては何も残っておらず、
四世紀ごろからローマ教会がこの日に祝うようになりました。
ヨーロッパで冬至を祝う風習と結びつき、現在のクリスマスの習慣
が確立していったようです。

□◆□…優嵐歳時記(638)…□◆□

   スノーチェーン闇の彼方へ遠ざかる  優嵐

昨日の雪は今日の夕方になってもまだあちこちに残っています。
昨夜は、夜に入って気温が下がり、道路は凍っていっそう滑りやすく
なっていました。もともと寒冷地ではありませんから、冬でも
ノーマルタイヤで走っている車がほとんどです。それだけに、雪や
氷となるとスノーチェーンが欠かせません。

深夜になってもガラガラガラと時おり通る車がたてるスノーチェーン
の音が響き渡っていました。今日はいいお天気でしたので、かなり
雪は溶けましたが、それでもまだ日陰にはたっぷり雪が残っており、
明日のクリスマスイヴもスノーチェーンは必携のようです。

□◆□…優嵐歳時記(637)…□◆□

   新雪や一陽来復の町へ   優嵐

雪の朝でした。昨夜の雨がいつの間にか雪に変わり、そのまま降り
続いたのでしょう。風の音だけがして、静かでした。夜の間に雪が
降っても、ほとんどは朝になるとやんで、午前中には溶けてしまう、
というのが姫路ではだいたいのパターンなのですが、今日の雪は
違っていました。

お昼過ぎまで降り続き、青空が見え始めたのは午後3時を過ぎてから。
お昼ごろ、いったん小止みになったので、雪景色を体験するために
近所をひとまわりしてきました。まだ誰も歩いていない雪の上に足跡
を記していくのは気持ちのいいものです。

スズメが裸になった柿の木に数十羽まとめて止まっていました。
カワウは市川の中ほどで十羽ほどがこちらも固まっていました。
アオサギはいつもひとりです。悠然と飛び立っていきました。
いつも見慣れている景色も雪の衣をかぶり、全く異なって見え
ました。

一陽来復とは、冬至の別名です。この日を境にまた日が長くなって
いくことからこう呼ばれます。

051222

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