優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2006年01月

□◆□…優嵐歳時記(657)…□◆□

   漣のたちて背後に笹子鳴く  優嵐

ウグイスは晩春から夏にかけて山中で繁殖します。そのとき
あの美しい囀りをきかせてくれますが、秋から冬にかけて
はチャッチャッという地鳴きになります。餌を求めて人里
近くにやってきて、笹薮で鳴くことが多いことから、
ウグイスの地鳴きを「笹鳴」といい、そのときのウグイス
を「笹子」と呼びます。

春になって繁殖期を迎えると再び囀りはじめます。最初は
まだたどたどしい囀りですが、しだいに美しく整ってきます。
声は美しいですが、姿は地味で、笹薮の中に潜んでいる
ため、あまり姿を見ることはありません。あと一ヶ月も
すると囀りが聞こえ始めるでしょう。

□◆□…優嵐歳時記(656)…□◆□

   納税を済ませて飲みし寒の水  優嵐

所得税の納付を済ませてきました。昨年の三月までは
公務員でしたので、こういうことは全部役所まかせでした。
自分で手続きをするようになると、税金の仕組みが
いろいろわかって、いまさらながらにそういうことだった
のか、と感じています。

会社を起こしましたので、法人としての税はまた別に
納めることになっています。給料生活者として納める
税金と自分でビジネスをおこなっての税金、随分感覚が
異なってくるものです。

寒中の水は薬になるといわれ、お餅をついたりお酒を
造ったりします。衛生設備や保存技術もままならなかった
時代からの先人の知恵でしょうか。冷たい水ののど越しが
さっぱりとしていました。

□◆□…優嵐歳時記(655)…□◆□  
  
   実南天垣より真赤惜しげなく 優嵐

花が乏しく庭の色彩が少なくなるこの季節、晩秋から熟した
南天の実の赤さが目立ちます。白、黄色、紫色の実もあり
ますが、雪景色に映える紅色の実の美しさは格別です。
「難を転ずる」との意味から、お正月の生け花にも欠かせ
ません。咳止めの薬としても利用されます。

今日は南へ飛んでいく一羽のコサギを見ました。足の指が
黄色いのでよくわかります。これで22種になりました。

□◆□…優嵐歳時記(654)…□◆□

   かわせみの羽根鮮やかに寒四郎  優嵐

寒に入って四日目を「寒四郎」、九日目を「寒九」と呼びます。
市川の堰のところでカワセミを見ました。動きが早く、さっと
姿が見えなくなってしまうのですが、今日はじっくり観察でき
ました。身体に比較して頭と嘴が目立って大きく、動作には
どことなく愛嬌があります。

背中の中央が美しいコバルトブルーをしており、よく目立ち
ます。いつも一羽で、おそらく縄張りを持っており、繁殖期
以外は単独で行動するのでしょう。水中にダイビングして
小魚を獲るのですが、まだその姿は見たことがありません。

□◆□…優嵐歳時記(653)…□◆□

   冬耕の土の匂いし夕べかな  優嵐

散歩の途中の田んぼが耕されていました。中央部は耕運機で
耕しますが、周辺部は鍬を使います。鋤き起こされて湿った
土が風を受け、そばを通ると耕された土の匂いが新鮮でした。
こうして寒風にさらすと、次の耕作のためにいいそうです。

今日は七日、七日正月とも呼ばれ七草粥を食べる習慣が
あります。とはいえ、新暦の1月7日では、自然の中に七草を
探すのは無理です。特別に栽培されたパック入りのものを
買うしかないでしょう。

□◆□…優嵐歳時記(652)…□◆□

   白鷺のゆったり飛べる松の内  優嵐

白鷺類の姿が見えないと思っていたら、今日、市川の上を
南へ飛んで行く一羽のダイサギを見ました。これで21種
です。サギの仲間の飛び方はなかなかゆったりとして
います。特に身体の大きなダイサギやアオサギは悠然と
飛んでいきます。

一方、それほど身体の大きさは変わらないのに、カワウの
飛び方は何かバタバタとしています。翼が身体に比べて
短いせいでしょうか。

正月の門松を立てておく期間を「松の内」と呼びます。
地方によってその期間が異なり、関東では六日まで、関西
では十四日までが慣習となっています。松の内の期間は
まだ町の風景にお正月の気分が残っています。その日が
過ぎると「松過ぎ」ということになります。

□◆□…優嵐歳時記(651)…□◆□

   川波に鴨の漂う寒の入り  優嵐

今日は二十四節気の小寒。今日から寒に入ります。年中で最も寒い
時期です。日本海側では記録的な豪雪が続いています。姫路では
昼ごろ一時あられが降りましたが、それ以外はからりと晴れ上がった
青空でした。強い冬型の気圧配置になっているため、北風は終日強く、
散歩から戻ると頬が真っ赤でした。

寒に入ると暦の上では冬ももう終わりが近くなっています。暑さの
盛りに秋に入り、寒さの絶頂で春を迎える、それもまた趣のある
ことだと思います。

□◆□…優嵐歳時記(650)…□◆□

   気持ち良きチャートの伸びや大発会  優嵐

「大発会」とは、その年最初の証券取引日のことです。前場(午前中)
で取引は終わります。私は日経225先物の取引をしていますので、
私自身の仕事始めということにもなります。2005年の最終日に大きく
下げて終わりましたので、今日は反発して始まりました。大発会での
日経平均の上昇は5年連続で、日本経済の順調な回復ぶりがここにも
表れています。

今日が仕事始めというところも多く、三が日を終えて世の中が日常の
リズムを取り戻し始める日といえます。今日は一日中くもりがちでした。
夕方散歩に出て、コガモカシラダカカワラヒワツグミを見ました。
これで20種です。

しかし、最近白鷺類の姿を目にしていません。冬至前にはダイサギ
アオサギの隣に佇んでいたのを見たのですが。今冬は珍しく寒いので、
冬至の雪に驚いてもっと南で越冬すべく越して行ったのかもしれません。

□◆□…優嵐歳時記(649)…□◆□

   屠蘇を酌む窓にちらちら雪が舞う  優嵐

屠蘇は年頭の祝いに飲む薬酒です。九世紀の初めに中国から伝わり、
飲めば邪気を払い長寿がかなうとされています。肉桂、山椒などを
調合して、清酒と味醂をあわせたものに浸しておきます。屠蘇を
祝う風習は宮中から始まり、民間に広まりました。

屠蘇は最初の一杯のみで、酔うほどに飲むものではありません。
今年は、二日の朝に初めて屠蘇を飲みました。元日はよく晴れて
いましたが、二日は朝から曇って、ときおり雪が舞うお天気でした。
三が日の間に降る雨や雪のことを「御降(おさがり)」といいます。
おめでたい新年に天から降ってくるのを敬称したものです。

□◆□…優嵐歳時記(648)…□◆□

   乗初や六甲山の九十九折  優嵐

元日の夜は六甲山の上で過ごしました。窓からは神戸と大阪湾の
夜景が一望の下に見渡せました。遠く泉州方面まで沖合いに連なる
灯りは実に見事でした。中国自動車道から六甲北道路へ入ると、
道路の両側に積雪が残っていました。去年の冬至の雪です。

道路上には雪はありませんし、気温は高めでしたので凍結の心配
もなく、六甲山上のホテルまで曲がりくねった山道を登っていき
ました。夜は、お節料理を前に金箔入りのカクテルで乾杯です。
つきたてのお餅も食べ、2006年が流れ始めました。

「乗初(のりぞめ)」とは、新年になって初めて乗物を用いることです。
「初電車」「初渡船」「初車」など乗物の種類によっていろいろな
いい方をします。

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