優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2006年02月

□◆□…優嵐歳時記(704)…□◆□

   グラタンのマカロニ熱き二月尽  優嵐

二月が終わることを「二月尽(にがつじん)」と詠みます。
28日しかなく、「二月は逃げる」といわれるほど終わるのが
速く感じる月です。今年はオリンピックがあったので、
いっそう過ぎ去るのを速く感じられた方が多かったのでは
ないでしょうか。

三月になればもう春も半ばです。進学、就職、引越しなどで
あわただしく過ごされる方も多く「三月は去る」ともいわれ
ます。それでも日に日に春らしさは増していきます。冬に北
から渡ってきた渡り鳥たちがしだい帰り支度を始めるのも
このころです。


□◆□…優嵐歳時記(703)…□◆□

   轟々と堰落ちる水冴返る  優嵐

北風が冷たい一日でした。「冴返る」は冬の季語「冴ゆ」
を受けたものです。春めいていくぶん暖かい日が続いた
あと、またにわかに寒さがぶり返すことをさし、「寒の
戻り」などともいいます。

冬型の気圧配置になって、冷たい北風が吹き、思いがけず
太平洋側でも雪が降ることがあります。一度暖かさを経験
しているだけに、寒さをひとしお感じます。

このところ雨がまとまって降り、川の水かさが増して
います。いつもは鴨たちがたくさんいる堰のところでも
鴨の姿は見えず、水音ばかりが大きく響いていました。


□◆□…優嵐歳時記(702)…□◆□

   春眠を覚ます窓打つ雨の音  優嵐

二月の後半になって本当に雨が多いです。深夜から降り
始めた雨が朝方はかなりの風をともなって激しくなり、
窓に当たる雨音で目が覚めました。午前中雨が降り続いて
いました。

「春眠」は孟浩然の「春眠暁を覚えず、処々に啼鳥を聞く。
夜来風雨の声、花落つること知んぬ多少ぞ」に由来した季語
です。春の朝の眠りのたゆたう心地をうまく表現したもの
として、一般の表現にもよく用いられるようになりました。


□◆□…優嵐歳時記(701)…□◆□

   母を待つ金物店に春めく日  優嵐

日毎に春らしさが増している姫路です。晴れているような
うす曇のようなぼんやりした日和もいかにも春らしいもの
です。庭の草取り用に鍬を新しく買いたいという母を連れて
車で金物店へ行きました。母が買物をしている間、私は
周囲の田んぼや山を眺めていました。

テレビを持っていませんので、トリノオリンピック女子
フィギュアスケートの金メダルの話を聞いたのはこの車中
でのことでした。ヨーロッパはきっとまだまだ寒いでしょう。
これから何年もたって、この金メダルのことがニュースに
登場したら、きっとこの日のことを思い出すだろう、と
思います。荒川静香選手、おめでとうございます。


□◆□…優嵐歳時記(700)…□◆□

   獺祭の風に輝く川原かな  優嵐

二十四節気をさらに三分した七十二候というものがあり、
それぞれの候に名前がついています。雨水の最初の候は
「獺魚を祭る」といい、略して「獺祭(だっさい)」と
の季語になりました。2月19日から24日ころを指します。

獺(かわうそ)は捕らえた魚をすぐには食べず、岸や岩
の上に並べておく習性があるそうです。それが正月(陰暦)
に先祖を祭る供え物に見立てられ、この語が生まれ
ました。

今日は雨の気配もなく、青空が広がりました。川原の蘆
はまだ枯色ですが、そこに当たる日差しもまぶしいほど
でした。


□◆□…優嵐歳時記(699)…□◆□

   ゆるゆると春の背を押す小雨かな  優嵐

夕方から雨になっています。気温も高めで、菜種梅雨の
ような雰囲気です。「春」は俳句では立春から立夏の
前日まで(今年は2月4日から5月5日)を春として
詠みますが、気象学上では3月、4月、5月にあたる
ようです。人々の感覚もほぼこちらに等しいでしょうか。

俳句の季語としては、「陽春」「芳春」「東帝」「青帝」
「蒼帝」「三春」「九春」などがあります。また春を
つかさどる女神「佐保姫」という季語もあります。



□◆□…優嵐歳時記(698)…□◆□

   山笑う午後となりたる空の青  優嵐

朝方雨があり、午前中は雲が多かった姫路でしたが、午後
からはいいお天気になりました。ここしばらくぐずついた
お天気が続いていましたので、晴れ上がった空と日差しを
心地よく感じました。

「山笑う」とは春の山の様子を表した季語です。こういう
独特の表現が俳句にあるのも面白いですね。午後、近所に
買物に出て、近くの山を見上げると、まさにこういう感じ
でした。空は柔らかいパステルブルーでいかにも春らしく、
前山の落葉樹は芽吹きのときを待ってふっくらと膨らんで
きているようにも思えました。


□◆□…優嵐歳時記(697)…□◆□

   雨あがり春の山より霧たちぬ  優嵐

よく雨が降るようになりました。春が進んでいるのだな
と感じます。夕方前には雨がやんで、浅葱色の空が雲の
合間にのぞくようになっていました。そうなると、もう
山々からは水蒸気がいっせいに立ち昇り、雲に返って
いるのが見えます。

百人一首の
むらさめの露もまだ干ぬまきの葉に
        霧たちのぼる秋の夕暮れ(寂蓮法師)
という歌を思い出す情景です。
水が絶え間なく循環していることを実感する眺めでも
ありました。


□◆□…優嵐歳時記(696)…□◆□

   足跡の田を横切りて雨水かな  優嵐

今日は二十四節気の「雨水(うすい)」です。立春から
15日目にあたります。雪が雨に変わり、雪や氷が解けて
水になる、という意味から雨水と呼ばれました。この頃
から農耕の準備にも力が入り始めます。

姫路は曇りがちのお天気でした。いつの間にか二月は
あと一週間余りになり、毎年のことながら二月の去って
いく速さに驚いています。


□◆□…優嵐歳時記(695)…□◆□

   太きタイヤ細きタイヤと春の泥  優嵐

「春の泥」は「春泥(しゅんでい)」とも詠まれます。
春になると凍てついた土がゆるみ、雪解けや雨も加わって
ぬかるみになります。今ではほとんどの道が舗装され、
都会ではぬかるみにあうことさえ珍しいことでしょう。

しかし、私の住むあたりでは、集落から少し離れると
土のままの道がまだあちこちにあり、散歩の途中でも
水溜りが長く残っている道があります。泥という言葉に
春の訪れやエネルギーも感じる、そんな季語です。


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