優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2006年12月

□◆□…優嵐歳時記(973)…□◆□

  青空へ桜島たつ大晦日  優嵐

新しい年を迎えるために鹿児島県指宿にきています。
初めて九州新幹線に乗りました。姫路は曇って
いましたが、九州は快晴。気温も高く、青空と日差し
の強さに南国を感じました。

大晦日の夜、去り行く年を思いながら、来る年への思いを
新たにする、日本人なら誰もが何がしかの思いを胸に抱く
このひとときです。何か大きなものがこの夜に私たちの
上を通り過ぎていく、そういうことを感じられる貴重な
一瞬です。

□◆□…優嵐歳時記(972)…□◆□

  雪の森美しかりし年の暮  優嵐

今日は小晦日です。年も押し詰まって、それぞれに一年
の最後の仕上げをしていらっしゃることでしょう。
すでに年末年始の休暇が始まっているところも多く、
前の道路はいつもより車の行き来が少なく感じられます。

新春はそれだけでひとつの季節になるほど季語が多いの
ですが、年末にもたくさんの季語があります。「年の暮」
「数え日」「年の内」「行く年」「年惜しむ」などです。

□◆□…優嵐歳時記(971)…□◆□

  きしきしと初雪踏んで境内を  優嵐

朝起きてみると、雪が積もっていました。日中も断続的
に雪が降ったりやんだりしていました。そろそろ帰省
される方もあると思いますが、高速道路への雪の影響は
どうだったのでしょうか。

雪でしたが増位山随願寺へ午後から行ってきました。
本堂の前には門松と注連縄がはられ、すでに迎春気分
です。境内に人影はなく、3cmほど積もった雪の上を
歩いて自然歩道に向かいました。雪化粧した森は静か
で新鮮でした。

□◆□…優嵐歳時記(970)…□◆□

  午後三時陽は寒林に輝きぬ  優嵐

気温が下がりました。空気が澄んで冷たいせいか、日差し
が明るく、葉を落とした広葉樹林に斜めに差し込んで
くると、林全体が輝いています。北風が冷たかったので
すが、その明るい光がうれしくて、しばらく眺めていま
した。

こういうなんでもない光景がなぜか印象に残り、ずっと
時間を経てからも蘇ってくることがよくあります。
冬至から一週間たち、日没の時間が遅くなっていること
がわかります。

□◆□…優嵐歳時記(969)…□◆□

  いずこにも輝きあれとクリスマス  優嵐

キリスト教徒ではありませんが、それでもやっぱり
クリスマスです。この時季になると、ある新聞社に寄せ
られた少女の質問に答えた記者の有名な社説のことを
思い出します。

すでに100年以上昔のことなのですが、今もこの社説は
語り伝えられ、私は新聞で知ったのですが、インター
ネットでもその訳文を見ることができます。
フランシス・ファーセラス・チャーチ
「サンタクロースはいるんだ」(大久保ゆう訳)

□◆□…優嵐歳時記(968)…□◆□

  ほこほこと日に包まれて眠る山  優嵐

十二月も末になり、山の落葉樹はいつの間にかすっかり
葉を落としています。ふもとから稜線にある落葉樹が
見えますが、枝ばかりとなり向こうの空が透けています。
あっけらかんとしたこの時季の落葉樹林の明るさが私は
好きです。落葉樹林はこの姿のまま冬を越します。

今日は少し風が冷たく、気温が下がりました。あと一週間
で今年も終りです。振り返れば短いような一年でしたが、
それでもいろいろなことがあり、感動したり、びっくり
したり、発見があったりと、それなりにいい時間を
過ごしたな、と思います。

□◆□…優嵐歳時記(967)…□◆□

  参道の掃き清められ冬至かな  優嵐

昨日は冬至でした。しかし、昨日も今日も何か春を思わ
せるお天気でした。昨年の冬至は珍しく大雪が降って、
驚きましたが、今年は暖かく穏やかです。年賀状も
そろそろ最後の仕上げに入っています。

昨日増位山へ行ってみたところ、大量に降り積もって
いた落葉がきれいに掃き集められていました。お正月を
迎える準備でしょうか。冬至前からすでに日没時間は
少し遅くなっているようです。今日はもやが出て播磨灘
は霞んでいました。

□◆□…優嵐歳時記(966)…□◆□

  静かなる気迫真冬の四天王  優嵐

東大寺戒壇院の四天王像を見ました。四天王は持国天、
増長天、廣目天、多聞天という仏法の守護神で、天平時代
の塑像です。このうち持国天と増長天はかっと目を見開
いた憤怒相をしており、廣目天と多聞天は目を細めて、
怒りを内に秘めた対照的な相をしています。

国宝に指定されており、”静にして動、動にして静”と
表現されているように、動きのある表現の中に静かな
気迫が感じられます。四天王像を見たのはこれが初めて
ですが、一遍で魅了されました。

□◆□…優嵐歳時記(965)…□◆□

  冬の陽へ阿修羅の瞳まっすぐに  優嵐

興福寺の国宝館で阿修羅像を見ました。奈良時代の乾漆仏
で、私の最も好きな仏像のひとつです。わずかに眉を
ひそめ、まっすぐ前を向いた少年の面差しをしています。
もしかしたら少女かもしれません。両性具有といっていい
清冽な美しさがあふれています。

奈良時代に生きた誰かがあるいはモデルなのか、この
年代特有の涼やかなまなざしで、1200年以上の年月、何を
見つめてきたのだろうか、と思います。

□◆□…優嵐歳時記(964)…□◆□

  流鏑馬の少年凛と冬の朝  優嵐

春日若宮おん祭では、日使(ひのつかい)、御坐(みか
んこ)、細男座(せいのうざ)、田楽座、猿楽座、
大和士(やまとざむらい)、大和国内の大名の各々が
お旅所にお参りのため時代行列を組んでお渡りをします。

お祭りの中に稚児流鏑馬があり、その射手である小学校
高学年くらいの少年も時代装束に身を包んで行列の中に
いました。二年間この日のために練習を積むといいます。
馬上の少年に付き添って、晴れ着のご両親の姿も隣に
ありました。

大名行列の中には子どもだけで構成された一団もあり、
頬を上気させながら懸命に演じ、拍手を浴びていました。
地域全員で守り伝えられてきたお祭り、職業も年齢も
さまざまな人がいっしょになって伝統を支えているの
だなあと思いながら行列を見ていました。

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