優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2006年12月

□◆□…優嵐歳時記(963)…□◆□

  篝火に巫女の舞うなり冬深夜  優嵐

春日若宮おん祭、遷幸の儀に続いて、午前1時からお旅所
に着いた若宮様に朝食をさしあげる暁祭が行われました。
神職によって、お酒、肴、野菜、餅などさまざまな供物
が若宮様に供えられます。

その後、神前に二人の巫女による神楽が奉納されました。
ゆっくりとした動きながら、完全に二人の動作がシンクロ
した舞い、篝火のはぜる音などが混じり合って、幻想的
な祭礼が進んでいきました。

□◆□…優嵐歳時記(962)…□◆□

  暗闇に若宮来たる気配かな  優嵐

奈良春日大社の摂社若宮神社の春日若宮おん祭に行って
きました。お祭は15日から18日まで繰り広げられますが、
その中心は17日午前0時を期して若宮様をお旅所にお遷し
する遷幸の儀からの24時間です。

1136年に始まったこの祭礼は今年で871回目。王朝末期
からの厳格な神事が守り伝えられています。遷幸の儀は
完全な暗闇でおこなわれます。若宮神社で二度、奏楽が
なされたあと、大勢の神職が列をなして若宮様をお迎え
に来られます。その後、大きな松明が二本平行に地を
這って、若宮様のお旅所までの道を清めていきます。

それに続いて「おーん」という神職たちの発する声に
守られるように、若宮様が若宮神社を出立します。この
ときの「何かがそこにいる」という気配、お腹のあたり
がぞくぞくするようなあの感じはなんとも表現しがたい
ものです。やはりこの”気配”こそ日本の神様だ、と
感じました。

□◆□…優嵐歳時記(961)…□◆□

  新生児のにこ毛に触れて冬ぬくし  優嵐

11月に友人に赤ちゃんが生まれました。まだふにゃふにゃ
ですが、やっぱり可愛いですね。膝に抱いて足を見ると
小さな小指の先までちゃんと爪がついていて(当たり前
ですが)ああ、凄いと感動します。

眠っているか、お乳を飲んでいるかで、何をするわけで
もありませんが、そこに赤ちゃんがいるというだけで
周囲が幸せな雰囲気になってしまう、いいものです。

□◆□…優嵐歳時記(960)…□◆□

  街の灯の煌きこぼる師走かな  優嵐

このところ三日続けて雨模様です。年末には珍しい
お天気です。最も日の短いころで、夕方増位山の展望台
に行くと街の灯りが足の下に見えました。昼とはまた
異なる眺めにしばらく見入っていました。

帰りは足元も定かに見えないほど暗くなりましたが、
こういうのも好きです。子どものときは暗闇がとても
怖く、確か小学校卒業あたりまでは自分の家の暗がり
さえ怖くて、ひとりで寝られなかったほどでした。
真剣に物の怪の気配を感じていた、とでもいうべきか。

ところが、中学から高校になるころには暗闇がまったく
平気になっていました。成人後は、ひとりで山の中で
キャンプをして闇の中で寝ることも平気なら、街灯
ひとつない峠道をひとりで歩いても平気、という状態に。

なぜあれほど劇的に変わったのか、よくわかりませんが、
暗闇恐怖がけろりと無くなったのが子ども時代の終わり
だったように今では思えます。もう、あの暗闇へのえも
いわれぬ理屈ぬきの恐怖感は蘇ってこないからです。

□◆□…優嵐歳時記(959)…□◆□

  枝に触れ木の葉時雨を起こしける  優嵐

木の葉がはらはらと散っていくことを雨に見立て、
「木の葉時雨」といいます。それほど寒さが厳しくも
なく、木枯しもわずかしか吹いていないせいか、木々
にはまだたっぷりと木の葉が残っています。

道すがら、そのままでは手が届かない枝にジャンプ
して触れ、わざと落葉を起こして遊んだりします。
それでも、見上げる高さから風もないのに楓の葉が一枚、
また一枚と散ってくるのも見られます。7ヶ月ほど前は
滴るような若葉だったのですが。自然の巡りですね。

□◆□…優嵐歳時記(958)…□◆□

  友来るポインセチアの赤を抱き  優嵐

昨日の忘年会に仲間のひとりが真っ赤なポインセチアを
持ってきました。クリスマスムードたっぷりです。
メキシコ原産のトウダイグサ科の常緑低木で、暑い国
では、露地で2〜3mにもなるといいます。

赤くなるのは葉の部分で、花はその中央に小さくついて
います。近くのカトリック系の病院では待合室のツリー
にポインセチアの鮮紅色の葉がだけが飾ってあり、
シンプルでありながら華やかな美しさです。

□◆□…優嵐歳時記(957)…□◆□

  過ぎし日をおでんの湯気に忘年会  優嵐

前の職場の仲間の家で忘年会をしてきました。おでんを
囲んであれこれ話します。すでに自分が離れてしまった
役所のいろいろな話、人事や昇給やその他もろもろの
ことを聞いていると、枠から外れるというのはいいもの
だと思います。

もし、ずっとその枠の中で働き続けていたら、きっと今
自分が考えているようなことは心に浮かんでこなかった
でしょう。職場の枠がもっと流動的になることは、悪い
ことではないように思います。

□◆□…優嵐歳時記(956)…□◆□

  雨降れば雨の寂しさ冬桜  優嵐

昼ごろから雨になりました。いつも散歩に出かけている
増位山随願寺の境内で冬桜が咲いています。冬桜は四季桜
とも呼ばれ、春と秋に花をつけます。春に見かけたときは
彼岸桜かと思っていたのですが、最近、花を咲かせているの
を見て、冬桜と悟りました。

秋は10月ごろから12月へと続いて咲くようです。桜には数
多くの種類があり、冬桜はマメザクラとエドヒガンの種間
交雑です。最も日が短くなる12月に淡い色の小ぶりな花を
咲かせているのは、なんとも哀れみ深いものを感じます。

□◆□…優嵐歳時記(955)…□◆□

  足音を連れ十二月の森にいる  優嵐

いつの間にか12月も一週間が過ぎ、少しずつ歳末の気配
が漂ってくるようになりました。すでにクリスマスソング
は11月に入ったころから流れていますので、慣れています
が、それでもしだいに歳末のあわただしさが感じられ
始めました。

静かな森を歩いていると、乾いた枯葉を踏む自分の足音が
大きく聞こえます。これも静けさゆえですので好きです。
まだ落葉樹は完全に葉を落としきっていません。すっかり
葉を落とす頃には冬も深まります。

□◆□…優嵐歳時記(954)…□◆□

  大雪や少女の輪唱聴いている  優嵐

今日は二十四節気の大雪です。太陽の黄経が255度に達し、
寒気が増してくるころです。しかし、今日の姫路は昼ごろ
から雨が本格的になり、冷え込みはありません。今日も
雨でしたが、傘をさして展望台に行って来ました。

人のいないところへいくのが私は好きです。誰もいない
ところでひとりぼんやりするのがいい。傘で雨を受け
ながら自然歩道を歩きます。傘にふれた楓から紅葉が傘
にはりつき、「濡れ落葉」という言葉を思い出しました。

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