優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2007年01月

□◆□…優嵐歳時記(994)…□◆□

  テールランプ次々抜きし寒夜かな  優嵐

ハンドルを握ると、かなり飛ばす方です。高速道路では
追い越し車線中心に走ります。運転すると、性格が露わ
になるといいますが、普段からゆっくり穏やかとはとても
いえない性格が、さらにむき出しになっているなあと反省
することがたびたびです。

近くの梅林の梅がいまにもほころびそうです。暖冬異変の
ひとつでしょう。去年は二月にはまだ咲いておらず、
三月になって咲き始めた梅なのですが、このままでは
寒中に咲き始めそうな気配です。

□◆□…優嵐歳時記(993)…□◆□

  大寒やひらめきいずこより来る  優嵐

今日は大寒。しかし、暖かです。少し動くとすぐに
汗ばんできます。”ひらめき”とは瞬間的に心の中に
あらわれるアイデアや考えのことですが、ものが瞬間的
に光ることから派生した言葉ではないか、と思います。

考えることがあって、あれこれ試行錯誤していても、
机やパソコンの前ではひらめくことはなく、不思議にも
入浴中や散歩の途中など、まったく関係のないことを
しているときにぽかっとあるアイデアが浮かんできます。

人間の脳(脳だけではなのかもしれませんが)の仕組み
というのは面白いなと思います。こういうときは、全く
新しいアイデアというよりは、物事を異なる視点から
見ることに思い至り、なぜこんなことに気づかなかった
のかといぶかしく思うことが私自身は多いです。

□◆□…優嵐歳時記(992)…□◆□ 

  カップ麺ふうふう吹いて冬深し  優嵐

普段はほとんどカップ麺を食べませんが、年に一度くらい
無性に食べたくなることがあります。こういうときは
元祖のカップヌードルです。あのルーツといえるカップの
形と手触りが「無性に食べたい」心を満たしてくれます。

インスタント食品の隆盛で、「おふくろの味ならぬ『袋の
味』だ」と言われるようになって久しいですが、確かに
皮肉は抜きにして、これは一理あるな、と思います。

すでに子どもの頃からインスタント食品があり、これらと
ともに育った世代にとっては、こうしたインスタント食品
の味が、ノスタルジックなものとして味覚の記憶の中に
納まっている気がします。おふくろの味と共存しても、
それはそれでいいじゃないか、と思いますね。

□◆□…優嵐歳時記(991)…□◆□

  冬霧の晴れ初めほうじ茶を入れる  優嵐

濃い霧の朝でした。朝霧の日はいいお天気になります
から、洗濯をしました。10時ごろには青空がのぞき始め
ました。仕事はパソコンが相手ですし、ずっと画面を
見ていなければならないというわけでもないので、
のんびりしています。とはいえ、ここぞというときは
集中力が必要ですが。

冬の朝、通勤のために出て行かなくていいというのは
転職して一番良かったと思うことです。今日はやりたく
ないと思えば、パソコンを立ち上げなくてもいいのです。
ちらりと覗くだけであとは何もしない日もあります。
自分で自分の時間を管理できるというのは、お金に換算
できないくらい貴重なことだ、と思います。

□◆□…優嵐歳時記(990)…□◆□

 梅冬芽ほのかに色を持ちてあり 優嵐

冬芽は秋のうちにでき、寒さに耐えられるように固い
鱗片で覆われています。近所の梅林に行ってみると、
梅の花芽が少し膨らんできているように見えました。
紅梅も白梅もそれぞれの色が芽からわかります。
しだいに春が近づいているのだ、と感じました。

今日も一日どんよりとしたお天気でした。この冬は
観測史上最高の暖かい冬だという話を聞きました。
本当に、冬というよりは晩秋のような気温です。
氷が張ったのを見なかったように思います。

□◆□…優嵐歳時記(989)…□◆□

  占いの石がらがらと寒の雨  優嵐

朝からどんよりとしていました。午後三時ごろから細かな
雨が降り始め、今も降り続いています。寒中の雨ですが、
暖かです。コタツも弱にしていますが、それでも暖か
すぎるほどです。この冬は、寒いなあ、と感じた日が
ほとんどありませんでした。

二月になって立春がすぎれば、いかに寒波が戻る日が
あっても、もう寒さはしれています。しのぎやすいと
言えばそうですが、やはり身も心も引き締まるような
厳しい寒さを感じないと、厳冬期の俳句はなかなか詠め
ません。

□◆□…優嵐歳時記(988)…□◆□

  門松取れ神仏もまた平常に  優嵐

門松を取り払うのは、東京では6日の夕、関西では14日
の夕です。地方によって日にちはさまざまで、仙台では
三が日が終わり、四日には松飾をはずしてしまうと歳時記
には書いてあります。

お正月気分はすでにかなり前に街から消え、今は
バレンタインデーの商戦が盛んです。それでも14日を
最後に寺社の前にあった門松が取り払われてしまうと、
ついに完全に日常がもどったなと思います。

□◆□…優嵐歳時記(987)…□◆□

  一月のはっと気づけば半ばかな  優嵐

これは実感です。最初の三日が三が日で、お屠蘇気分に
明け暮れ、その余韻を引きずって一週間は夢のように過ぎ、
ようやく元の調子に戻るのが10日を過ぎたあたりでしょう。

祖母が「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」と
言っていました。それほどこの三ヶ月は常にも増して
素早く過ぎ去ってしまいます。年度末にもあたるから
かもしれません。

□◆□…優嵐歳時記(986)…□◆□

  彼の人の訃報をききし寒の内  優嵐

前の職場で一時いっしょに勤務していたことのある方の
奥様から、お電話をいただきました。昨年の初夏に
亡くなったというのです。そういえば、今年は年賀状が
来ないなと思っていました。

しばらく入院していらしたようですが、そのことも
知らないままに過ぎていました。こういうとき今さら
ながらに諸行無常だな、と感じます。人は生まれた以上
必ずまた死ななければならないということ、です。

□◆□…優嵐歳時記(985)…□◆□

  日脚伸ぶ森に小鳥の声響く  優嵐

新年も間もなく二週間が過ぎます。冬至の頃、正確に
言えば冬至の少し前が最も夕暮れの時間の早い頃です。
あの頃は、三時半ともなると、もうかなり日が傾いて
いましたが、今ではまだかなり高い位置に太陽が
あります。

森を散歩していて一番よく聞こえるのはヒヨドリの声
です。それ以外にもエナガなどの小さな鳥が数羽の群れ
を作って飛び回っているのを見かけます。

このページのトップヘ