優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2007年04月

□◆□…優嵐歳時記(1070)…□◆□ 

  風吹いて花散る里となりにけり  優嵐

山桜の季節がそろそろ終わろうとしています。山から
桜の色が消えつつあり、変わって芽吹き始めた若葉の
柔らかな緑色が主役になろうとしています。このころの
山は日に日に色が変わり、見ていて飽きません。

アパートの前の染井吉野もさかんに花びらを散らして
います。花散里といえば、『源氏物語』です。源氏が
詠んだ歌「橘の香をなつかしみほととぎす花散る里を
たづねてぞとふ」にちなむ巻で、ここに源氏の妻の
ひとり”花散里”が初登場します。

□◆□…優嵐歳時記(1069)…□◆□

  しぐれ去る明るき空へ燕来る  優嵐

例年、三月下旬には燕の姿を見るのですが、今年は四月
に入っても姿を見かけず、遅いなと思っていました。
今日、コンビニの駐車場でひらりと身体をかわして飛ぶ
あの独特の飛翔を見ました。「やっと来たか」とうれしく
なりました。

渡り鳥の飛来時期も花の咲く時期も毎年完全に同じでは
ありません。昨年は彼岸過ぎに初めて燕を見て、山桜の
開花は染井吉野よりも後でした。梅の開花が遅く、山桜
と重なって咲いていた記憶があります。

□◆□…優嵐歳時記(1068)…□◆□

  春林に駆けたる鹿を見送りぬ  優嵐

増位山の自然歩道を歩いていて鹿に会いました。落葉を
踏む音がして、森の方を見たら、鹿が駆け去っていく
ところでした。白い尾が見えました。

人が通る道以外は林床に落葉が厚く積もり、踏み入って
みると、体重で身体が沈みます。森の木は、これをまた
自分の栄養にしているのでしょう。

□◆□…優嵐歳時記(1067)…□◆□

  若草にキャッチボールの父子かな  優嵐

午前中にぱらっと時雨がありました。明日、県会議員選挙
の投票日のため、一日中「最後の最後まで」という声が
響きわたっていました。

若草とは、早春に萌え出る草をさし、古代から日本の詩歌
では初々しい女性の面影が寄り添ってきました。春に
寄せる心浮き立つ思いもそこにはあります。

若草といえば、ルイザ・メイ・オルコットの『若草物語』
を連想します。原題は"Little Women"。四人姉妹の少女
たちの生活を描いた自伝的小説です。これを『若草物語』
としたのは誰なのでしょう。イメージを膨らませるのに
ぴったりで、素晴らしい日本語題名だと感じます。

□◆□…優嵐歳時記(1066)…□◆□

  清明や竹の触れ合う音のする  優嵐

昨日は二十四節気のひとつ清明でした。春分から十五日、
清浄明潔を略したものといわれ、天地がすがすがしく
明るい空気に満ちてくることを指します。今頃の晴天の
日はまさにこういう感じです。

増位山の梅林の隣に竹林があります。風が吹くと竹同士
が互いに触れ合い、時には獅子おどしのような音が
します。竹の葉が触れ合う音も心地よいものです。

□◆□…優嵐歳時記(1065)…□◆□

  春の空麒麟のごとき雲走る  優嵐

雲といえばまず印象的なのは、真夏の入道雲です。それ
から秋の澄んだ空に出る筋雲。子どものころは、よく空
を見て雲の形からいろいろ想像したものでした。入道雲
は、特に空高く輝き、そこに別の国があるように思え
ました。

雲はさまざまな形をとり、それがどんどん変わっていく
のが面白く、飽きずに眺めていました。さっきドーナツだ
と思っていたものが、天狗になり、白鳥になり…。
雲は細かな水滴の集まり、と理科で習っても、想像は
また別のものです。

□◆□…優嵐歳時記(1064)…□◆□

  ひとときの風雨去りたる花すがし  優嵐

花冷えが続いています。午前と午後に風をともなった
時雨があり、めまぐるしくお天気が変わりました。
桜が咲くころのお天気らしいともいえます。季語で「花」
といえば桜のことです。

滝廉太郎の「花」も桜が爛漫と咲きそろった春の隅田川
の情景を歌っていますね。彼は明治の西洋音楽黎明期を
代表する作曲家です。留学先のドイツで肺結核を発病、
帰国して療養しましたが、23歳で亡くなっています。

□◆□…優嵐歳時記(1063)…□◆□

  望月の輝きさやか花の冷え  優嵐

ナイターでテニスをしていたら、隣の小学校の体育館の
上に満月が昇ってきました。今日は黄砂もおさまり、少し
気温が下がっていたせいか、月は春の朧月ではなく、秋か
冬のような冴えた色で昇ってきました。

桜が咲き始めると、少し気温が下がる日があります。
一直線に暖かくなってしまうと、あっという間に開花が
進み、すぐに桜は散ってしまいます。花を長持ちさせ、
お花見の期間を長くしてくれるという意味で、花冷えは
歓迎です。

□◆□…優嵐歳時記(1062)…□◆□

  蒙古風山河すっぽり包みしを  優嵐

黄砂が一日中激しく、太陽が白く見えました。季語では
これを「霾(つちふる)」といいます。他にも黄沙、
黄塵万丈(こうじんばんじょう)、霾天(ばいてん)など
ともいい、蒙古風もそうした季語のひとつです。

モンゴルや中国東北部の黄土地帯で吹き荒れる春の季節風
が細かな砂塵を大量にまきあげ、日本まで運んでくる
現象です。「蒙古風」、なんだか、新しいモンゴル力士の
四股名にしてもよさそうです。

□◆□…優嵐歳時記(1061)…□◆□

  自転車を立ち漕ぎ少女の春休み  優嵐

学校に行っている人なら、今は「春休み」です。学年や
学校の間になる春休みは、宿題もなくのんびりした休み
でした。次の学校や学年、クラスに対する漠然とした
憧れや不安や期待はあり、それはそれで楽しいものでした。

自転車の立ち漕ぎは、坂道を登るときにパワーを得るため
によくやりました。それ以外では、かなり速度を落とし、
なおかつバランスを崩さずに走るためにもやりました。
立ち漕ぎをすると、重心がペダルの位置まで降りてくる
のでバランスが取りやすいのです。

自転車競技の選手は、自転車を止め、乗ったままで
バランスを保っていることができます。そんなことは
競技者としては当たり前のことなのでしょう。

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