優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2007年11月

□◆□…優嵐歳時記(1295)…□◆□ 

  冬麗や花に包まれし人送る  優嵐

快晴の暖かい日でした。お葬式に行き最後のお別れをして
きました。「まるで眠っているよう」と言われるように、
呼びかけたら、今すぐ起き上がってこられるのではないか、
と思うくらいでした。

葬儀場からの出棺のときに、霊柩車がクラクションを長く
一度だけ鳴らします。永訣の挨拶ということでしょう。
誰かが亡くなるということは、その人と自分とを結んで
いた絆がこの世のものではなくなるということなのだな、
と感じました。だから哀しいのです。

魂や死後の世界を信じている人であっても、やはり
物質世界での関係はこれが最後ということになります。
この世でつかの間ご縁があってお世話になった、そのこと
に感謝して、ご冥福をお祈りしたいと思います。

□◆□…優嵐歳時記(1294)…□◆□

  冬夕焼け通夜の客みな寡黙にて  優嵐

お通夜に行ってきました。末期がんと診断されてわずか
四ヶ月の闘病生活だったということです。人はみな死ぬ
とは思いながら、やはり泣けてきます。

あれが最後にお目にかかったときだったな、とお元気
だったころの面影を思い浮かべます。パワフルで人の倍
以上働かれる方だっただけに、どこかで無理が重なって
いたのかもしれない、と思いました。


071129

□◆□…優嵐歳時記(1293)…□◆□

  もの思う北風吹くひとりの頂で  優嵐

「北風」と書いて単に「きた」と読んでください。
風があり、どんより曇った一日でした。前の職場で
お世話になった方が亡くなりました。入院されている
らしい、ということはつい先日聞いていたのですが、
亡くなられるとは思っていませんでした。

とはいえ、人の命は誰も明日のことすらわからないもの
です。ずっと生きている、ずっと変わらない、と思って
いるのがむしろおかしな思考なのです。生まれたものは
必ず死に、それだけが唯一確実なこと、と思い定めて
いることは大事かもしれません。

071128

□◆□…優嵐歳時記(1292)…□◆□

  軒先の南天かすめ江ノ電行く  優嵐

鎌倉では江ノ電にも乗りました。住宅街を縫うように
走り、路面電車の部分も残っています。高浜虚子が
かつて由比ガ浜の近くに住んでいました。旧居は
すでになく、踏切のすぐそばにそれを示すプレートと
「波音の由比ヶ浜より初電車」の句碑が残されています。

大仏さまのいらっしゃる高徳院には虚子の娘・星野立子
の句碑「大佛の冬日は山に移りけり」があります。
さらに、与謝野晶子の「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は
美男におはす夏木立かな」の歌碑もあります。

ただし、大仏さまは、正確に言うと釈迦牟尼仏ではなく、
阿弥陀如来だということです。大仏さまの胎内に入る
ことができます。もちろん、入ってきました。

□◆□…優嵐歳時記(1291)…□◆□

  江ノ島も七里ガ浜も小春凪  優嵐

鎌倉吟行の日は雲ひとつ無い晴天に恵まれました。鎌倉
文学館へも行き、ゆかりのある文士の自筆原稿などを
見ました。『吾妻鏡』も展示されていました。

義経の子を身ごもったまま、頼朝に捕らえられた静御前
は男子を出産。その子は由比ガ浜に沈められました。
その段が記されており、義経の悲劇は源平の戦の中でも
平家滅亡と同様、運命の転変を人に教えずにはいません。

この日は由比ガ浜も穏やかで、ウェットスーツ姿の
サーファーが何人も海に出ていましたが、ほとんど乗る
ほどの波はない状態でした。

□◆□…優嵐歳時記(1290)…□◆□

  万両や日の昇りくる帰源院  優嵐

鎌倉吟行を楽しんできました。観光客が詰め掛ける時間帯
を避けるため、午前6時半には横浜の宿泊先を出て、
北鎌倉に向かいました。昨夜の満月がまだ西の空に白く
大きく残っていました。

最初に東慶寺へ向かい、その後、円覚寺へ。ここは、
臨済宗円覚寺派の総本山であり、夏目漱石や島崎藤村が
参禅したことでも知られています。

開門とほぼ同時に参拝することができたため、掃き
清められた箒の跡も清々しく、境内の清澄な雰囲気を
存分に味わうことができました。帰源院は塔頭寺院の
ひとつで、漱石と藤村はここで参禅しました。

□◆□…優嵐歳時記(1289)…□◆□

  霜の田の輝く近江の空広し  優嵐

所属する俳句結社・水煙の俳句フェスティバルに参加
するため横浜に来ています。今朝は早く起きて新幹線
に乗りました。家を出るときはまだ真っ暗で、電車を
待っているうちに夜が明けてきました。

京阪神の区間は住宅やオフィスが立ち並んでいますが、
近江平野に入ると、耕地整理された広々とした田が
一面に広がります。霜が朝日に輝いてきらきら光って
いるのがきれいでした。明日は鎌倉を吟行の予定です。

□◆□…優嵐歳時記(1288)…□◆□

  山道の落葉を踏めば落葉の音  優嵐

落葉樹の根元には落葉が降り積もっています。春に芽を
出した葉は半年あまりの役割を終え、土に帰るべく地面
に戻りました。木々は冬の間に次の年の花と葉の芽を
蓄えて春を待ちます。

地に落ちた葉はやがて枯れ、朽ちてずっと先の木を養う
養分に変っていきます。こうして循環する生命の営みが
繰り返されてきました。何ものも失われてしまうものは
なく、そのままの形で留まり続けるものもない、そんな
ことを思う落葉の季節です。

071123

□◆□…優嵐歳時記(1287)…□◆□ 

  奥山にしぐれ走りし真昼かな  優嵐

毎日のように増位山のことを書いていたら、よほどそこが
好きなんですね、と言われてしまいました。真夏は
暑くてとても来る気になれませんでしたが、晩秋から
春までは、歩くのにもってこいです。

なぜここへ来るかというと、森、鳥や蝶、花、木々を
通して差し込む日差し、雲、青空、田畑や街、播磨灘の
眺めなどを一番手軽に楽しめる場所だからです。自然の
場所なら海でも川でもいいのですが、人通りが最も
少ないのがここです。

人と会ったり話したりするのが嫌いなわけではもちろん
ありません。しかし、ひとりで自然の中を歩くというのは
とても贅沢なひとときです。それに、俳句を詠むには、
自然の中へ行くことが私にとっては大事ですね。

071122

□◆□…優嵐歳時記(1286)…□◆□

  冬菊やごうごうと吹く風の音  優嵐

お昼に増位山へ行ってきました。いいお天気でしたが、
空の上の方で風が舞っている音が聞こえました。
山頂でしばしゆっくりし、それから自然歩道で森の中を
散策しました。

ひとりで誰にも会わずのんびりゆったりと自分のリズム
で歩きます。紅葉もそろそろ終わりで、落葉がかさこそ
音をたてて風に転がっていきます。

071121

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