優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2007年12月

□◆□…優嵐歳時記(1326)…□◆□

  年越の天に星あり地にわれらあり  優嵐

年を越して新年に入ること、大晦日から元日にかけての
時間とその間におこなわれる風習をさして「年越」と
いいます。旧年から新年へと移り行く時の緊張感、厳かさ
を感じさせる季語です。

今日も明日も同じ一日、といいながらそれでもこの夜は
やはり何がしかの感慨を覚えずにはいられません。
年越しの食べ物として「年越蕎麦」がありますし、除夜の
鐘を聞くまで起きている風習や、大晦日の夜に神社へ
詣でる「年越詣」の習慣もあります。

それぞれの場所でそれぞれの年越し。どうぞ、よいお年を
お迎えください。

□◆□…優嵐歳時記(1325)…□◆□

  西高東低小晦日の風荒れる  優嵐

明日が大晦日。その前日を「小晦日(こつごもり)」と
呼びます。冬型の気圧配置が強まり、日本海側では吹雪
になっているようです。これから元日にかけて大荒れの
天気が心配されます。帰省の足に影響がでなければ
いいのですが。

姫路でも昼ごろは風が強く、戸外でごうごうと音がして
いました。クリスマスから新年にかけての時期は、
お天気が荒れることも珍しくありません。なぜこの時期
をわざわざ新年に決めたのでしょうか。

北半球では真冬、南半球では真夏にあたります。春分
あたりを新年にしたら、気候的には一番よかったような
気がするのですが。

071230

□◆□…優嵐歳時記(1324)…□◆□

  数え日や時流れまた降り積もる  優嵐

今年も残り少なくなってきました。押し迫って、あと
数日で新年というころを「数え日」と表現します。
時間は四次元のうち人間にとって、唯一前に向かって
しか進めない次元です。

時間は流れていく感覚ですが、よく考えてみると何が
どこへ流れているのだろう、と思ってしまいます。
未来は刻々と現在になり、すぐに過去になります。

過去といっても、それは降り積もっていく枯葉のような
もので、後から新たな時間が積み重なっていくために、
それが「現在」であったときとはどんどん変っていき
ます。

何であれ、それを体験したその時の自分と今の自分は
異なります。時の中で自分という存在そのものが姿を
変えているからです。思い出は「今」の自分が語る
「あの時」のことで、実際の「その時」とは異なって
います。とどまるものは何もない、そういうことです。

□◆□…優嵐歳時記(1323)…□◆□

  雨つづく亥年の終相場かな  優嵐

朝から雨です。日本の株式市場は今日が2007年の最終日
でした。年末最後の相場立てを「終(しまい)相場」
といいます。昨年の日経平均の終値が17,225円、今年は
15,307円と一年間で1,918円の下落です。

この終値は一昨年の終値16,111円をも下回っており、
二年前に逆戻りということになります。今日は特に、
パキスタンのブット元首相暗殺事件の影響もあって、
最後の駄目押しのようにさらに下落しました。

長期的に見ると、日本の株式相場はバブル崩壊後の長期
低落傾向からまだ抜けていないといえます。来年がどの
ようなものになるのか誰にもわかりません。わからない
から相場が動く、ともいえるのですが。

□◆□…優嵐歳時記(1322)…□◆□

  あの人やこの人のこと年惜しむ  優嵐

一年が早い、といいながらそれでもいろいろな出来事や
新しい出会い、別れがあり、やはり365日分の重みはある
ものです。振り返って、感慨を新たにするのもこの時期
ならではです。

その気持ちを表したのが「年惜しむ」という季語です。
師も走るという師走のあわただしい空気のなか、残された
年末の日々を大切に過ごそうという気持ちもこめられて
います。

071227

□◆□…優嵐歳時記(1321)…□◆□

  山寺に門松立つや日本晴れ  優嵐

快晴の随願寺の前に真新しい門松が立てられていました。
今年もあと一週間を切りました。早かったなあ、と毎年
思うようになったのはいつごろからでしょう。すでに
高校生のころには時間の流れ方が小学生のころとは違って
いる、と感じました。

相対性理論はアインシュタインの唱えた高度な物理理論
ですが、同じ人間で同じ場所にいても、年齢によって
体感時間というのは大きく違うものだと思います。

子どものとき祖母が「盆が来て、祭りがきて、また正月や」
と一年をあっけなく表現したのを耳にし「そんなものか?」
と不思議に思いましたが、だんだんその祖母の言っていた
時間感覚が理解できるようになってきました。

071226

□◆□…優嵐歳時記(1320)…□◆□

  枯木なる楓の枝のなお紅く  優嵐

枯木は、葉を落とした木を意味します。楓は枝が赤く、
遠くからでもその色がわかります。紅葉の面影を冬の
姿の中にとどめているようにもみえます。

年賀状を出してきました。さまざまな支払いも済ませ、
年内にしておくべき仕事はほぼ終わりました。
クリスマスが過ぎると、街は新年を迎える雰囲気に
変わります。

「節季」という季語があります。陰暦で各季節の終わり
をさし、特に盆は「盆節季」、暮れは「大節季」といい、
転じて、商売の勘定期を指すようになりました。
現代ではあてはまらないのでしょうが、数々の支払いを
すませた感じはまさにこれです。

071225

□◆□…優嵐歳時記(1319)…□◆□ 

  頂でクリスマスイブの虹に会う  優嵐

クリスマスイブですが、変らず森へ行きました。冬型が
強まっているのか風があり、森がざわめいていました。
鳥の声、枝が鳴る音、落葉を踏んで歩く感触などが
好きです。

頂に出ると、すぐ北をしぐれ雲が通過しており、そこに
虹が出ていました。最近よく虹を見ます。つい三週間ほど
前にもここで虹を見ました。虹は吉兆とされています
から、いくら見てもいいものです。

広場のアベマキ、すっかり葉を落としているのに、一枝
だけまだ落葉せず枯れた葉が残っています。なぜだろう、
としばらく考えているうちに、あの枝は折れるか何かで
生命を失っているのだ、と気づきました。

葉が死ぬから落葉するのではなく、生きているから落葉
するのです。古くなったものを手放し、木が新たな生命
の次の段階に入る、それが落葉ということなのです。

071224

□◆□…優嵐歳時記(1318)…□◆□

  クリスマスカードネットで届きけり  優嵐

昨日は午後からかなり本格的な雨になりました。友人から
インターネット経由でクリスマスカードが届きました。
年賀状もこうしたインターネット経由のものに変わって
いくのかもしれません。

元日に一斉に送受信することは今のところ無理ですが、
Web上に私書箱のようなものを置いて、友人・知人から
あらかじめ年賀状のようにメッセージを受けとり、お正月
に開く、といった形式も考えられますね。近況を映した
動画などを元日に楽しむということもできるようになる
かもしれません。

インターネットが一般に使われるようになったのは
Windows95発売後でしょうから、ほぼ12年。その間の
発展ぶりは、その年に生まれた子どもと同じくらいの
急成長でした。まだまだ人々の生活を大きく変えて
いきそうです。

A Windham Hill Christmas: The Night Before Christmas

□◆□…優嵐歳時記(1317)…□◆□

  よみがえるものみな冬至の雨の下  優嵐

やはり雨になりました。静かな、この時期としては暖かな
雨の日です。春分、夏至、秋分、冬至は暦の中の重要な
日です。いつごろから人間が暦を使い始めたのか、古代
の巨石建築物のほとんどがこの四つの点に関係して
構築されているといいます。

冬至と夏至の漢字の使われ方を見ると、冬に至る、夏に
至ると解釈できます。春と秋が「分」という字を使って
いることとの対照が面白いなと思います。冬と夏は極に
至るところと考えられたのでしょう。

この日から太陽は復活し、また夏の極へと向かいます。
原始信仰のほとんどは太陽やその分身としての火を
神聖なものとしてあがめるものが多いようです。


071222

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