優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2008年02月

□◆□…優嵐歳時記(1386)…□◆□

  梅林に風も夕陽もやわらかき  優嵐

明日から三月です。さすがに春らしくなり、夕暮れ時も
すっかり遅くなり、ゆったりと散歩を楽しみました。
増位山の山頂から見える景色は春霞の中で、播磨灘の
小島はほとんど見えませんでした。

境内の梅林は麓より開花がかなりゆっくりしていて、
まだちらほら程度です。それでも近づくと梅の香りが
して、いいものです。ここはほとんど人影がないと
いうのもいい点です。

080229

□◆□…優嵐歳時記(1385)…□◆□

  残雪の遠嶺に光あふれおり  優嵐

今年は春先になってから雪が多かったようです。窓から
見える北の山に雪が残っています。標高が1000mほどの
山ですから、通常は雪が降ってもすぐに消えてしまう
のですが、今年は少し異なり、何日か雪が残っています。

高い山のある地方では春遅くまで、あるいは夏まで雪が
残り、白馬岳、爺ヶ岳などのように、雪形がそのまま山の
名前になっているところもあります。昔はこの雪の形で
豊凶を占ったり、田植えや種まきの時期を知る目安として
いたということです。

□◆□…優嵐歳時記(1384)…□◆□

  ランドセル少女の帰る春しぐれ  優嵐

雨は昨夜のうちにあがり、朝はいいお天気にでした。
お昼ごろから少し雲が出て、午後3時ごろに時雨が
ありました。晩秋や冬のころの時雨と異なり、春の
時雨は降っているときもやんだあとも明るい雰囲気が
あります。

アスファルトがようやく濡れたかなという程度で、
その中を下校していく少女の姿が見えました。二月は
逃げるというとおり、もうすぐに二月は終わります。
今年は一日多いですが、それでもあっという間でした。

□◆□…優嵐歳時記(1383)…□◆□

  元気です声かけあいて余寒かな  優嵐

天気予報どおりに朝から雨になりました。ひと雨ごとに
少しずつ春が本格的になっていく感じでしょうか。
図書館で、前の職場の同僚にばったり出会いました。
「どうしてるの?」「元気?」とお互いに声をかけあい、
知り合いというのはいいものだと思います。

人と人のつながりについて、家族や親友といった濃い
知り合いも大事ですが、人間関係というのはそれ以外の
部分でも大きな役割を果たしています。

極端な話、全く初めて会い、この先また会うとも思えない
旅先での店員さんのふとした言葉や動作でほっとしたり
暖かな気持ちになったりすることもあります。誰もが
どこかでつながっている、そんなことを実感するのは
そういうときです。

□◆□…優嵐歳時記(1382)…□◆□

  春泥をはらい運転席に乗る  優嵐

雪の積もった朝でした。冷え込むはずです。それでも、
もう黄砂の時季か、フロントガラスには雪が残して
いった細かな砂が一面についていました。

キャッシュカードをお忘れですという連絡をいただき、
郵便局へ行きました。クレジットカードもいっしょに
なっているのに、うっかりしていました。幸い何事も
なく手元に戻り、やれやれです。

午後から自然歩道へ行きました。麓ではもう梅が五分咲
ですが、山頂付近では今朝降った雪が残っていました。

080225

□◆□…優嵐歳時記(1381)…□◆□

  春寒の空へクレーンの伸びゆけり  優嵐

朝、大阪では雪が舞っていました。気温が下がり、寒中
以上に寒さを感じました。クレーン車には昨夜の間に
積もったと思われる雪が残っていました。雪がやむと
日差しは明るく、それがいっそう風の冷たさ強調して
います。

お昼ごろにも一時雪が舞っていました。帰りの電車の
ホームでも北風に身を切られるようで、自動販売機の
かげで風を除け、電車を待っていました。

□◆□…優嵐歳時記(1380)…□◆□

  日中の風やみ寒の戻りけり  優嵐

今日も大阪にいます。お昼ごろまでは暖かでしたが、
お昼過ぎから風が強くなり、ときおり霰も舞い散る
荒れ模様の天気になりました。

その後、夜に入ってビルを出るとがっくり冷え込んで
いるのに驚きました。10℃ほど気温が下がると天気予報
ではいっていたそうです。そのとおりの寒さです。
春先はこうした急激な寒暖の変化がありますから、油断
できません。

□◆□…優嵐歳時記(1379)…□◆□

  城とビルあいだに浪花の朧月  優嵐

大阪城の近くに来ています。中には入りませんでしたが、
お堀のすぐそばまでいって大阪城を見ました。
尼崎から初めてJR東西線にも乗りました。梅林は見ごろ
でしょう。以前、一度行ったことがあります。

大阪城の石垣の石の巨大さには驚きます。太閤秀吉の
威信をかけた城、天守閣が現存していればどれほど
見事なものだったろう、と思います。その点は安土城、
名古屋城などもそうですが。

080222


□◆□…優嵐歳時記(1378)…□◆□

  春きざす木の間を漏れる光にも  優嵐

今日もよく晴れて暖かな一日でした。雨水を境にぐんと
春らしくなりました。光はいちだんと明るく、うきうき
して、どこかへ出かけたくなります。

考古学によると、すべての現生人類は何万年も前に
東アフリカを出た一握りのグループの子孫だそうです。
私の遺伝上の祖先は、おそらく何世代にもわたる
何度かの定住と旅をくり返し、ここまでたどりついたに
違いありません。

旅に出ようと思い立ったのは春だったのではないか、と
想像します。ここではないどこかへ、地平線のあるいは
水平線の彼方を目指した彼らの気持ちは、日が短くなる
秋や冬では芽生えなかったような、そんな気がします。

080221

□◆□…優嵐歳時記(1377)…□◆□

  梅東風のさわさわ森を渡りけり  優嵐

暖かでした。真昼の気温は十度前後まであがり、遠くの
景色はやや霞がかったような春らしい雰囲気でした。

梅東風(うめごち)とは、梅が咲く頃、冬型の気圧配置が
ゆるんで、太平洋上から大陸に向かって吹く東風のこと
です。どことなく春を感じさせるやわらかな風で、心を
浮きたたせるものがあります。

080220

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