優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2008年07月

□◆□…優嵐歳時記(1528)…□◆□

  青鷺の翼大きく夕陽受け  優嵐

窓際のリクライニングチェアで本を読んでいると、青鷺が
上空を飛んでいくのが見えました。西日を浴びて翼が
夕陽色に染まっています。青鷺はサギの仲間の中では
最も大きく、なかなか迫力がありました。

三連休の行楽地は晴天に恵まれて大変な人出だったと
思います。渋滞と人ごみを思うと、風がよくとおる部屋
の中でこうして読書をしているのが一番リラックスでき
るのじゃないかと思います。自宅が避暑地です。

□◆□…優嵐歳時記(1527)…□◆□

  田も暮れて彼方にともる灯の涼し  優嵐

猛暑が続きます。しかし、今が一年中で一番暑いとき
ですから、思いきり暑くなってもらわないと困ります。
それでも夕方には少し日が短くなってきたことがわかり
ます。夏至からはや一ヶ月です。

この時期の暑さが稲の生育を左右します。稲は青々と
背丈を伸ばし、その上を渡っていく風の姿が見えます。
涼しさを感じさせ好きな情景です。

□◆□…優嵐歳時記(1526)…□◆□

  炎昼のボンネットみな陽炎たつ  優嵐

梅雨が明けると予想通り猛烈な暑さがやってきました。
日中の日向の外気温は三十八度をさしていました。
酷暑は消耗しますが、この暑さのエネルギーをいただいて
自己の糧にしたいものです。

海の日へと続く三連休、さらに夏休みです。夏休みの
自由研究がなつかしく思い出されます。大人もこれを
機会に何か自由研究をしてみるものいいかもしれない、
と思います。

□◆□…優嵐歳時記(1525)…□◆□

  寝返りの数を数える熱帯夜  優嵐

昨夜は寝苦しい夜でした。めったに夜中に目を覚ます
ことなどないのに、昨夜は目が覚めてしまいました。
気温そのものより、蒸し暑さが目覚めさせたようです。

今日も少し夕立がありました。雨はほとんど降りません
でしたから、それほど涼しくはなりません。今夜は
満月です。なんだか湿った空の一角にぼんやりとした
満月を見つけました。

□◆□…優嵐歳時記(1524)…□◆□

  梅雨明けの空に燕と飛行機と  優嵐

近畿地方の梅雨が明けました。これで名実ともに真夏
です。間もなく小中学校は夏休みに入り、海水浴場は
書き入れ時を迎えます。去年は梅雨が長引いて厳しい
残暑になりました。今年はどうなるでしょう?

空にはさっそく入道雲が立ち上がっています。見上げた
視線の上を燕が横切り、さらにそのずっと上空を飛行機が
横切っていきました。

□◆□…優嵐歳時記(1523)…□◆□

  旧街道風鈴の音どこからか  優嵐

図書館まで行く道筋に旧野里街道があります。どことなく
家並みに昔の雰囲気が残っており、城下町らしさが感じ
られます。

姫路は第二次世界大戦時、二度の空襲を受け、市街地の
多くが焼けてしまいましたが、この一画は奇跡的に焼失を
免れたのです。最近ここを通ると、涼しげな風鈴の音が
聞こえてくるのに気づきました。軒先にお城を象った
風鈴が吊り下げられています。

よく考えてみれば、風鈴の音をなぜ「涼しい」と感じる
のか不思議ですね。これは万国共通なのでしょうか?

□◆□…優嵐歳時記(1522)…□◆□

  目を閉じて遠雷を聞く昼下がり  優嵐

少し曇ってゴロゴロという音が聞こえましたが、雨は
降りませんでした。どこかで雨は確かに降っている
らしく、雨の匂いがしました。夕立は馬の背を分ける
といいますから、こちらまでは来なかったのです。

風通しのいい部屋の中は扇風機も不要なほどですが、
外気温の高さは、蛇口をひねって出てくる水の手触りで
わかります。

□◆□…優嵐歳時記(1521)…□◆□

  向日葵のうつむき加減に咲きにけり  優嵐

太陽の花ひまわり、敢然と頭をもたげて咲き誇っている
ものもありますが、中には頭が重くややうなだれて
見えるものもあります。それもひとつの個性ですね。

こうでなくちゃならない、ということはほんとんどない、
そう思うと楽になります。思い込みで自らを縛り上げる
のではなく、なんでもありだと開き直ればまた違う視点
から新しいものが見えてくる、そんな気がします。

080714

□◆□…優嵐歳時記(1520)…□◆□

  涼風の誘う眠りに抗わず  優嵐

梅雨明けだろうか、と気象庁のHPを見ますが、まだその
発表はありません。空はもう真夏だよと思いつつ、気分
のもので、お墨付きが欲しいのです。

昨夜はYouTubeのはしごをしているうちに思いがけず
時間がたってしまいました。原節子の「青い山脈」から
浜崎あゆみのデビュー当時の映像まで。

すべて数分以内に終わりますから、逆に次々見てしまう
のかもしれません。映像アーカイブは時代の缶詰ですね。

□◆□…優嵐歳時記(1519)…□◆□

  夏薊かえらぬものこそ美しき  優嵐

「美しい十代」という三田明の歌があります。
♪白い野ばらをささげる僕に君の瞳が明るく笑う
 いつも心にふたりの胸に花を咲かそう…♪ と
続きます。昭和38年の歌でした。YouTubeで見られる
のには驚きました。

以前BSで昭和30年代あたりの日活映画を特集していた
のを見たことがあります。そのとき、昭和30年代は、
戦後日本の青春時代だったのかもなあ、と感じました。

悲惨な戦争が終り、自由、民主主義、平和、といった
きらきら輝くような概念が、ようやく生活の身近に
なった時代。貧しくても、明日はきっと素晴らしい、
という希望に満ちた時代だったような気がします。

遠くなったから、その時代の姿が美しいオーラを纏うの
かもしれません。今の時代も、半世紀、いえ、20年も
たてば、なつかしく思い返されるようになっている
でしょう。

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