優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2008年08月

□◆□…優嵐歳時記(1569)…□◆□

  早々と燕去りにしこの秋は  優嵐

今年は燕が去っていくのが早かったように思います。
いつも八月中は姿を見るのですが、今年はお盆のころ
にはもういなかったような気がします。秋の訪れが
早いことを彼らは敏感に察知していたのでしょうか。

このところぐずついたお天気が続いています。関東や
東海地方では突発的な雨で災害になっているところも
あるようですね。

毎年季節のめぐり方は少しずつ違うことがわかります。
四年前は記録的な台風の襲来、昨年は遅い梅雨明けと
厳しく長い残暑、今年は早い梅雨明けと暑い夏に
早い秋、この微妙なゆらぎがまたいいのかもしれません。

□◆□…優嵐歳時記(1568)…□◆□

  鳥取より来て二十世紀梨を売る  優嵐

毎年この時期になると、鳥取県の梨農家の方が直接販売
に来られます。近所の公民館を借りての販売のため、
町内放送のマイクで案内があります。この口上が独特で
一度聞くと覚えてしまいました。

今年の梨は豊作だったらしく、「あんまり甘いので
びっくりしないでください」とのこと。この放送を
聞くたびに、見事なもんだなあと思ってしまいます。
多分、もう二度ほど来られるはずです。

□◆□…優嵐歳時記(1567)…□◆□

  稗ひょろり高く稲穂の上にあり  優嵐

今や水田の雑草にすぎなくなっている稗。しかし、
稲作が普及する以前は、粟とともに栽培されていた
日本最古の作物の一つです。

寒冷地でも栽培できる重要な穀物でしたが、稗田が稲田
になるにつれ雑草になりました。生長すると稲よりも
背が高くなり、稲田の中にひょろひょろと頭をもたげて
います。

□◆□…優嵐歳時記(1566)…□◆□

  雨の日の増えて白帝進みける  優嵐

昨日は朝に雨が降ったあと、曇りがちの一日でした。
今朝も起きてみると雨が降っていました。涼しく、
はっきりと秋です。

「白帝」とは、秋を意味する季語のひとつです。陰陽道
から来たものでしょう。陰陽道では天の四方を司る四神
(青龍・朱雀・白虎・玄武)がいるとされ、それぞれに
司る方位、季節、象徴する色があります。

青龍(東・春・青)、朱雀(南・夏・赤)、白虎(西・秋・白)、
玄武(北・冬・黒)となっており、そこから生まれた季語
と思われます。春は青帝・東帝、夏は炎帝、冬は黒帝・玄帝
とも呼ばれます。

人生を四期に分けて青春、朱夏、白秋、玄冬とする語も
あったりしますね。会津藩の白虎隊や詩人の北原白秋の
名前もここに由来しています。

□◆□…優嵐歳時記(1565)…□◆□

  今生の仕事終えたり秋の蝉  優嵐

蝉の鳴声の主役は初秋のころから法師蝉や蜩になり、
しだいに衰えていきます。蝉の幼虫時代は長く、
種類によって3年から17年と差はあるものの、その間
地中で生活しています。

成虫として地上に出てきて鳴くのは長くても一ヶ月ほど
しかありません。アブラゼミの幼虫時代は6年とのこと。
72ヶ月の地下生活後の成虫の姿は彼らの一生の仕上げを
するひとときなのですね。

□◆□…優嵐歳時記(1564)…□◆□

  風の色早くおうちに帰りましょう  優嵐

東京都などでは学校五日制による授業時間の減少を補う
ために、すでに新学期が始まっているそうですね。
そろそろ残暑も和らぎ、秋が本格化しています。

夏休みの期間中五時半になると、帰宅をうながす放送が
流れていましたが、それも間もなく終了だなと思いつつ
聞いています。夕暮れはかなり早くなってきました。

「風の色」は秋の風のことです。「色無き風」「素風」
などともいいます。秋風の透明な雰囲気、そこに忍び
寄るそこはかとない寂しさを感じる季語です。

□◆□…優嵐歳時記(1563)…□◆□ 【赤とんぼ】

  つと進みつつと曲がりて赤とんぼ  優嵐

アパートの前を赤とんぼの群が飛んでいました。三十匹
くらいの集団が三階から四階くらいの高さをあっちへ
行き、こっちへ行きしていました。飛び方がシンクロ
して、お互いに何らかの意思疎通をしているように見え
るほどです。

海中で素早く集団で向きを変える鰯などの群、渡り鳥の
翼をきれいにそろえた群など、ああした集団には個体の
意思とはまた違う集団の中に流れる何かがあるように
見えます。それをこの赤とんぼの群からも感じました。

彼らは人間のような高度な大脳の機能は持っていない
はずです。それならば何によってその動きがシンクロ
しているのか。集団知とでもいうようなものがそこには
感じられます。

ところで、燕を見なくなりました。まだ八月ですが、
もう南へ渡ってしまったのでしょうか?

□◆□…優嵐歳時記(1562)…□◆□

  朝顔の隣家に咲くを見下ろしぬ  優嵐

ベランダに洗濯物を干してふと下を見ると、お隣の庭に
濃紫の朝顔が咲いています。朝顔は奈良時代の末に薬用
として中国から渡来しました。

今、身近にある植物や食べ物には薬用として日本に
やって来たものがたくさんあります。朝顔はやがて薬用
から観賞用の花になり、江戸時代に改良が進みました。

文化文政時代の江戸文化爛熟のころには、「変化朝顔」
と呼ばれる変わった朝顔を栽培するブームが江戸庶民の
間におき、品評会がさかんに開かれました。

□◆□…優嵐歳時記(1561)…□◆□

  処暑の朝エスプレッソを入れて飲む  優嵐

処暑は雨の一日になりそうです。立秋から十五日、この
頃から朝夕涼気が感じられるようになり、秋らしく
なってきます。昨年は激烈な残暑でしたが、今年は順調に
秋が進んでいます。昨日、北海道の沼川では1.5度という
八月の最低気温の記録を更新して、すでに冬の気配です。

北京五輪も間もなく終ります。昨日は男子400mリレーで
史上初の銅メダル。その背景にバトンパスの工夫があった
との記事を読み、日本人らしいなあと感じました。

陸上の短距離では圧倒的に黒人選手が有利です。しかし、
リレーとなると、バトンの受け渡しという個人種目には
ないボトルネックが生じます。個人のスプリント力では
とうてい敵わないはずのところを、一瞬のチャンスを
生かして勝った、見事な銅メダルだと思います。

□◆□…優嵐歳時記(1560)…□◆□

  夕ひぐらしかなかなかなと静めゆく  優嵐

蜩の声を聞くと暑さがすーっとひいていくような気持ち
になります。

北京五輪でソフトボールが金メダルとか。おめでとう
ございます。ただ、次のロンドン五輪では開催種目から
除外されることが決まっているそうですね。

オリンピックの採用競技・種目は膨れ上がって、これ以上
増えると運営が難しくなるのは素人目にも明らかです。
いっそいくつかに分割して毎年オリンピックをやれば
どうだろうと思います。

現在でも冬と夏に分けているように、あと春と秋を加え
毎年開催すれば、開催国の負担は減り、みんなも楽しめ、
参加競技は増えて八方うまくいくのでは、と思いますが。

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