優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2008年08月

□◆□…優嵐歳時記(1559)…□◆□

  瞑想の耳へと秋の驟雨かな  優嵐

最近、お昼前に瞑想をしています。目を閉じて呼吸に
集中していると自分自身の中でゆっくりくつろいでいる
感覚が生まれてきます。この感覚は他では味わい難く、
瞑想の魅力のひとつです。

ストレス対策にもいいのじゃないかと思います。
ひとりになれるところならどこでもできますし、特別な
技術も費用も用具もいりません。

いろんな流派もあるようですが、特に誰かに教えて
もらわなくてもできます。効果を味わうには続ける
のが肝心でしょうから。雑念が湧いてくるのは確か
ですが、それをただ心の中で見て、思考が浮かび流れて
いくにまかせます。

そして一定数呼吸を数えれば、それでその日の瞑想は
終わります。何をするわけでもない、逆に何もしない
状態にあえてなるから、自分の中へ沈静していく時間を
持つことができるのでしょう。

□◆□…優嵐歳時記(1558)…□◆□

  秋暑し分厚き戦史を読みふける  優嵐

「いい国つくろう鎌倉幕府」というのが今では必ずしも
通用しないことを知りました。鎌倉幕府の成立年代に
ついては諸説あり、平家滅亡の1185年から段階的に
武家政権が出来上がっていったというのが現代の歴史
教科書での記述になっているとか。

歴史研究によって新たな事実があきらかになり、教科書の
記述も変わるのが当然なのでしょう。ということは、今の
日本史のテストには「鎌倉幕府成立はいつか」を単純に
数字で答えさせる設問はなくなっている、ということ
なのでしょうね。

年号を丸暗記しても歴史を学ぶことにならないのは確か
です。その時代のことを描いた本を読んで、立体的にその
時代の姿を想像してみるのが一番いいように思います。

□◆□…優嵐歳時記(1557)…□◆□

  陽を受ける草木の揺れも秋めける  優嵐

今日は俳句の日なのだそうです。819で俳句。日本人が
大好きな語呂合わせです。「いい国つくろう鎌倉幕府」
とか「鳴くよ鶯平安遷都」とか学生の頃は年号を覚える
のによく使いました。

最近では長い暗証番号を覚えるのにこれを使っています。
「富士山麓鸚鵡鳴く」の類です。記憶術の一種でしょう。

八月も後半になり、窓から見える草木もどことなく夏の
「万緑」といった勢いのある緑とは違ってきています。
少しずつ秋の色合がそこここに見えているといえば
いいでしょうか。

□◆□…優嵐歳時記(1556)…□◆□

  葡萄つまむ房くるくると回しつつ  優嵐

お盆のお供えもののお下がりとしていただいてきた
葡萄を食べました。葡萄の粒はしっかりくっついていて、
つまみとるのに指先に力がいりました。その作業に
熱中し、しばらく食べることに没頭していました。

何にせよ、そのことに集中している瞬間というのはいい
ものです。オリンピックたけなわですが、一流の選手の
集中した表情を見られるのが、スポーツ観戦のひとつの
醍醐味だろう、と感じます。

本当に集中しきったときというのは、神がかりのような
状態になるそうです。ボールが止まって見えたり、対戦
相手の動きがスローモーションのように見えたり。
そんな意識の状態は「ゾーン」と呼ばれています。
ある種の至福の状態でしょうね。

□◆□…優嵐歳時記(1555)…□◆□

  熟れ初めし田へ一閃の稲光  優嵐

おそらくコシヒカリだと思いますが早稲の田ではもう
稲穂が頭を垂れ始めています。中稲は今が花の時期
です。田のそばを通ると小さな白い花が見えます。

昔は晩稲まで植え、文化の日が稲刈りの最後のシーズン
だったそうです。今では体育の日前後には稲刈りが
終わっています。

昨日は激しい雷雨がありました。白雨という言葉がある
ように、景色を白い雨足が覆ってしまうほど一時は
強い降り方でした。雷鳴も轟き、稲妻が走ります。
盂蘭盆会を送る雨、そんな気がしました。

□◆□…優嵐歳時記(1554)…□◆□

  たっぷりと水を注ぎし墓参り  優嵐

お盆は残暑が厳しい中でのお墓参りになります。お花、
ろうそく、線香をたて、墓石に水を注いでいきます。
日差しに熱くなった墓石が水を浴びてご先祖様も気持ち
よさそうです。

子どものころからこうしてきたので、特に不思議にも
思いませんでしたが、墓石に水をかけるというのは何か
意味があるのでしょうか。

□◆□…優嵐歳時記(1553)…□◆□

  みな集い叔父丹精の大西瓜  優嵐

午前中に父や祖母、その他ご先祖様のお墓参りを済ませ、
午後から母方の実家へ行きました。ここ数年はこうして
母方の実家に集うのが習いになっています。

いとこたちも六人集まり、いっしょに祖父母のお墓参りに
行きました。遠くにいるいとこもおり、こういう機会
でもなければ顔をあわせることもありません。

お墓参りのあとはみんなでテーブルを囲んで食事をし、
叔父夫婦がつくった巨大な西瓜をたいらげつつ、あれや
これやの四方山話に花が咲きました。

□◆□…優嵐歳時記(1552)…□◆□

  あのころは仏具磨いて盆用意  優嵐

小学生の頃、お盆の前になると、祖母といっしょに仏具を
磨きました。磨き粉をつけて布でこすると仏具の光沢が
蘇ります。祖母が健在だった頃は、お盆やお正月の準備を
きっちり丁寧にしていたものでした。

そればかりではなく、季節の変わり目には部屋の調度品や
建具も衣替えし、衝立や襖、障子にも夏用と冬用があり、
入れ替えていました。部屋の様子ががらりと変わって
子ども心にも新鮮でした。

いつのころからか生活様式が変り、行事の迎え方も徐々に
変化しました。それはそれでまたいいのですが、幼い時の
あのお盆の情景というのは、心のどこかに懐かしく残って
います。

□◆□…優嵐歳時記(1551)…□◆□

  テールライト故郷を目指す盆休み  優嵐

ふだんそれほど車の往来が無い丁字路、ところが昨夜は
そこに長い車の列ができていました。何事かと思って
いたら、近所にある陸上自衛隊の駐屯地から自家用車が
大量に出てきています。自衛隊員のみなさんもお盆休みに
入り、それぞれのふるさとに戻られるのでしょう。

姫路には、かつて陸軍の第10師団がお城のそばに駐屯
していました。戦後、建物の一部は姫路市役所として
利用されていました。駅南に新庁舎が完成したあとは、
改装されて姫路市立美術館になっています。

戦時中は一万人を越える将兵が駐屯しており、軍都
でした。終戦間際の六月と七月に空襲を受け、市街地は
ほとんど焼失しました。姫路城が焼けずに残ったのは
奇跡的な幸運といえます。

□◆□…優嵐歳時記(1550)…□◆□

  法師蝉鳴き初む日差しの傾きに  優嵐

朝は涼しくなりました。風が少しずつさわやかさを加え、
夏がしだいに去っていることがわかります。暑いですが、
七月下旬ごろの真夏の暑さとは違います。この微妙な
移り変わりの妙が日本の四季の醍醐味です。

法師蝉の声がちらほら聞こえるようになりました。
北京オリンピックの熱戦、北島選手が世界新で金メダル
とか。テレビを持っていないので観戦していませんが、
おめでとうございます。期待されて、その期待通りに
勝つのは並大抵のことではないだろうと思います。

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