優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2008年10月

□◆□…優嵐歳時記(1614)…□◆□

  藁の香に包まれ刈田を走りけり  優嵐

今日も近所をMTBで散策してきました。こういうのを
ポタリングといいます。自転車でののんびりとした
散歩です。私のMTBはブロックパターンのタイヤでは
なく、街乗り用に変えています。

最近は自転車ブームのようです。エコロジーの影響か、
ガソリンの値上がりが引き金か、それともメタボリック
症候群が注目を集めているからでしょうか。

確かに自転車は手軽な運動用具です。生身の身体で
味わうスピード感が魅力ですが、それを真に味わうには、
変速機のついた本格的なものに乗ることをお勧めします。
ママチャリとは別種の乗り物だと感じられるはず。

081020

□◆□…優嵐歳時記(1613)…□◆□ 

  風をきるペダル軽やか菊日和  優嵐

秋晴れの日が続いています。久しぶりにMTBで少し
走ってきました。早稲の田では、もうひつじが伸びて
いたり、すでに秋耕が入っているところもあります。

中稲の田はこの週末で稲刈りというところがあり、
刈り取られたばかりの田の横を走ると新藁の香りが
しました。

冬になると鴨がいつも集まっている場所があります。
川沿いに走って、その横を通りましたが、まだ鴨の
姿はありませんでした。

菊日和とは、菊の香りがしみとおるような澄んだ秋の
日をいいます。日本の秋を代表する花である菊は、
もともと野生にありましたが、園芸種ととして栽培され、
数多くの種類、系統が生まれています。

081019

□◆□…優嵐歳時記(1612)…□◆□

   秋天をわがものとして鳶一羽   優嵐

今日も秋晴れの気持ちのいいお天気でした。十月も
半ばを過ぎて夕暮れが早くなってきたのを実感します。
午後があっという間に過ぎる、そういう感じです。

夕方、薄紫色に変りつつある空の一角で一羽の鳶が
輪を描きながら飛んでいました。雲ひとつない空にその
シルエットがくっきりと浮き出て印象に残りました。

もし人間以外の生物になるなら、あの鳶のように空の
高みで悠然と飛ぶ経験を一度してみたい、と思います。
鳥になりたい、というのは古くからの人間の憧れですが、
鷲か鷹(鳶もいちおう彼らの仲間です)かあるいは燕
というのが私の希望です。

081018

□◆□…優嵐歳時記(1611)…□◆□

  秋刀魚焼く匂い漂う夕暮れに  優嵐

昼間も窓を閉めていることが多くなりました。夕暮れ時に
窓をあけると、夕映えの残る空が見え、同時にどこからか
秋刀魚を焼く香りが漂ってきました。

思わず空腹を覚えました。秋刀魚が大好物というわけ
ではありませんが、あの香りは食欲をそそります。
味そのもの以上に香りにひきつけられる食べ物という
のは確かにありますね。

「秋刀魚」というのは全くの当て字でしょうが、季節感に
あふれ、見た目にも納得できる素晴らしい発想だと
思います。

081017

□◆□…優嵐歳時記(1610)…□◆□

  ふっくらと新米白く炊きあがる  優嵐

新米は晩秋の季語ですが、昨今では早稲の作付面積が
増え、仲秋に入るころにはスーパーの店頭に並ぶように
なっています。

米作りの苦労も収穫の喜びと安堵感も現代とは桁違い
だったかつての時代、輝かしい思いを抱かせた季語
だったでしょう。

しかし、新米という語にある晴れやかな響き、炊き
あげた釜の蓋を開けたときの香りと初々しい白さは
今もなお健在です。

081016

□◆□…優嵐歳時記(1609)…□◆□

  照る夕日紅葉かつ散る桜かな  優嵐

河川敷で保育園の運動会が行われていました。秋が進み
堤防沿いの桜並木はかなり葉を落としています。桜の
紅葉は楓や銀杏のような赤、黄色といった一色に染め
あげられるものではなく、一枚の葉の中に複雑な色合を
見せています。

ところどころ虫に食われた穴があいているものも多く、
じっと眺めてみるとなかなか味わい深いものがあります。
家の前の銀杏は木の上の部分からわずかに黄色く変り
始めたところで、黄葉はまだこれからです。

「紅葉かつ散る」とは、木々の葉が紅葉しつつ早くも
散っていくさまをさします。「色葉散る」「木の葉散る」
ともいいます。

081015

□◆□…優嵐歳時記(1608)…□◆□

  美しきことは善きこと秋の薔薇  優嵐

雨の朝でしたが、お昼過ぎにはあがって夜にはテニスが
できました。コートから、雲がなくなった空に昇っていく
くっきりとした月の姿が見えました。

近くのお宅の庭に薔薇が咲いています。初夏の薔薇と
美しさには変りありませんが、趣がやや異なります。
初夏の薔薇を若い娘だとしたら、秋の薔薇は成熟した
女性という印象を受けます。

日差しや風の具合が異なることが大きいのかもしれません。
それぞれの季節にそれぞれの美しさがあるのは人も花も
同じですね。

081014

□◆□…優嵐歳時記(1607)…□◆□

  快晴や泡立草も華やかに  優嵐

雲ひとつ無い真っ青な空が広がった体育の日でした。
秋晴れという言葉がぴったりで、何もかもが透明感を
増した空気の中で輝いています。

近所の空地にセイタカアワダチソウが咲いています。
外来種ですがすっかり日本の秋の風景に溶け込んで
しまいました。鮮やかな黄色の花がよく目だちます。


081013

□◆□…優嵐歳時記(1606)…□◆□

  うろこ雲空を包みて吾も包む  優嵐

地区の秋祭りでした。遠くで鳴っている太鼓の音が続いて
いました。お彼岸すぎあたりから、夜になると公民館で
練習している太鼓の音が聞こえていました。これもこの
季節ならではのものです。

秋祭りのシーズンが終わると晩秋です。早くに稲刈りが
終わった早稲の田では”ひつじ”がひょろひょろと伸びて
います。冬に入ればこれもすっかり枯れて一面狐色の田に
なります。

081012

□◆□…優嵐歳時記(1605)…□◆□

  よく晴れて風少しある十三夜  優嵐

今日は旧暦長月十三日、十三夜です。名月の十五夜から
一ヶ月後になり、「後の月」といわれます。枝豆や栗を
供えることから、「豆名月」「栗名月」とも呼ばれます。
農耕との関係を示す季語だなと感じます。

姫路はよく晴れて、澄んだ空に十三夜の月がこうこうと
輝いています。戸外は少し風があり、空気がひんやりと
肌に感じられます。虫の音がまだ聞こえていますが、
いつのまにか細々とした感じになってきました。

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