優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2008年12月

□◆□…優嵐歳時記(1685)…□◆□

  中空は雲の住処よ大晦日  優嵐

今年もあと3時間と少しになってきました。今日は
いいお天気で、一日中日差しが溢れていました。
冬至から10日たち、夕暮れ時が遅くなったのをはっきり
感じるようになりました。

日差しも少し明るさを増しているように思います。
季節は着実に進んでいます。大晦日の夜、さすがに外は
静かです。去っていく年の背中を見送りつつ、気がつくと
もう新しい年が、肩を並べて立っているんですね。

081231

□◆□…優嵐歳時記(1684)…□◆□

  夢希望すでに兆して年惜しむ  優嵐

小晦日(こつごもり)です。今年ももう残り何時間と数え
られる時期になってきました。今年は世界全体で見ても、
金融危機に始まる大幅な景気の後退で、大変な年、多分
のちの歴史の上で何度も触れられることになる一年だった
のではないでしょうか。

今日は終相場でもあり、日経平均株価は8,859円で今年を
終えました。昨年の終値が15,307円でしたから、6,448円
下落です。率にして42%マイナスというのは、指数算出
始まって以来の下げだそうです。いかに酷い相場だったか、
景気の冷え込みもむべなるかな、と感じます。

しかし、「冬きたりなば春遠からじ」とも言えます。
易経では「陰陽は常に変化しており、陰の極は陽をはらみ、
陽の極は陰をはらむ」としています。立春が寒さの極まる
時期にあり、立秋が暑さの極まる時期にある、というのも
ものごとの流転を象徴しています。すべては変って行く、
それだけが真実です。

081230

□◆□…優嵐歳時記(1683)…□◆□

  一升瓶歳暮に提げて訪ねたり  優嵐

お歳暮を贈る習慣は江戸時代にはすでに広く行われて
いたようです。あらためてお歳暮をお贈りするような
おつきあいのある方はありませんが、気のおけない
間柄の人を訪ねていくのに「お歳暮」と称してお酒を
持っていきました。

日本人の贈答儀礼好き、それをあてこんでの商戦は
さかんです。お中元とお歳暮という伝統的なものだけで
なく、誕生日、クリスマス、バレンタイン、こどもの日
母の日、父の日、敬老の日、その他数えたらきりがない
くらいありますね。

081229

□◆□…優嵐歳時記(1682)…□◆□  

  餅搗の始まる山の古刹かな  優嵐

随願寺の庫裏の前を通ると、お餅搗きの準備が始まって
いました。仏様にもお餅を供えられるのか、それとも
除夜詣や初詣でお寺に来られる方に配られるのでしょうか。

すでに仕事納めは一昨日の金曜日に終え、帰省客になって
おられる方も多いことでしょう。年末年始お天気が
荒れないことを願いたいですね。

081228

□◆□…優嵐歳時記(1681)…□◆□ 

  境内に静かな日差し実南天  優嵐

華やかな色が乏しくなる冬の庭で南天の実の赤さはよく
目だちます。南天は「難を転ずる」に通じるとのことから
縁起のよい植物として、慶事の飾りに用いられます。
随願寺の門松にも南天が使われていました。

南天の花は白く、夏の季語です。しかし、南天といえば
まずあの真っ赤な実を連想される方が多いでしょう。
雪を被っていたりする姿もいいものです。

081227

□◆□…優嵐歳時記(1680)…□◆□

  初雪や開山堂の屋根の反り  優嵐

冷えると思っていたら雪になりました。夜のうちには
降らず朝になって降りだしたのか、ほとんど積もっては
いませんでした。

雪がちらちらする中、人影のない随願寺の境内を歩いて
きました。晴天の日とはまた違った風情があります。
本堂の前に門松が立てられていました。

増位山の山頂までいってみると、笠形山など北の山は
すべて雪雲に覆われて姿が見えません。しかし、ここは
日が当たっており、南へ目を転ずると播磨灘は冬陽を
浴びていました。

081226

□◆□…優嵐歳時記(1679)…□◆□

  ヘルメット脱げば冷たき耳のあり  優嵐

クリスマス寒波というのでしょうか。昨夜は雨が降り、
朝方ふたたびにわか雨があった後、北風が強くなって
冷え込んできました。

年賀状を書き上げて郵便局に出してきました。これで
年末の仕事の最大のものはひとつ終了です。新しい年の
カレンダーも壁にかけ、徐々に迎春準備を整えていきます。

081225

□◆□…優嵐歳時記(1678)…□◆□ 

  土手の草皆枯れ川は海に向く  優嵐

今日はクリスマスイブです。クリスマスツリーの起源には
いろいろ説があるようですが、ツリーには常緑樹が用い
られます。

おそらく、すべてのものが枯れつくした山野でなお緑を
保ち続ける常緑樹に生命力のシンボル、永遠の命、
よみがえり、といったものを見ているからでしょう。

まあ、枯れたように見えている草木もその下で春への
準備を着々と整えています。休むことなく続く生命の
大きな流れ、ですね。

081224

□◆□…優嵐歳時記(1677)…□◆□

  かろやかに陽を浴び枯木道をゆく  優嵐

この時期の低山のなだらかな道を歩くのはいいものです。
かつて武蔵野と呼ばれた東京近郊の森も、こうした
あまり高低差のない森が広がっていたのでしょう。
今はほとんど消えてしまっているのでしょうけれど。

健康のためにウォーキングをされている方も多いようです。
しかし、アスファルト舗装の道を歩くよりできれば自然の
道を歩いた方が足腰には優しいでしょう。

自然の道であれば車に用心する必要もありませんし、
なだらかな起伏は逆にいろんな筋肉の使い方をして足腰
にはいいでしょう。自然の移り変わりも楽しめます。

081223

□◆□…優嵐歳時記(1676)…□◆□

  植木積み師走の町を走りけり  優嵐

昨夜の雨があがったあと、冬型の気圧配置が強まったのか
気温が下がっています。「冬至冬なか冬はじめ」という
言葉があるように、冬至は冬の極ではありますが、寒さが
本格化するのはこれからです。

冬至が過ぎると年も押し詰まり、師走というあわただしい
雰囲気が実感されるようになります。新年と旧年の間に
ある落差は少なくなり、年末年始ほとんど休まず営業して
いる店舗も珍しくありません。しかし、やはり師走は
師走です。

081222

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