優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2009年01月

□◆□…優嵐歳時記(1706)…□◆□   

  久女忌や皸わが手になかりけり  優嵐

今日は女流俳人の先駆者杉田久女の忌日です。久女は
兄の手ほどきで俳句を始め、「ホトトギス」に所属して
数多くの名句を発表しました。私がなんといっても好き
なのはこの句です。

  谺して山ほととぎすほしいまま

久女の生涯は栄光と悲惨が隣り合わせであり、長く誤解
を受けてきました。ようやくそれが解けたのは田辺聖子の
花衣ぬぐやまつわる…―わが愛の杉田久女』によって
だといえるでしょう。

夫との不和、師である高浜虚子との確執、よりどころと
した「ホトトギス」からの除名、晩年は精神のバランスを
崩し、終戦直後に精神病院で57歳の生涯を閉じています。

彼女の句には

  正月やヒビの手洗ふもねもごろに
   (注:ヒビは「併」の人偏を月偏にした字。)

というものもあります。その時代の女性のおかれていた
立場、それを思うと、今の自分のつるんとした手を改めて
しげしげと見てしまいます。「ほしいまま」が胸に
応えるのは、決して「ほしいまま」には生きられなかった
彼女の痛みを重ねて見るからです。

注:皸(あかぎれ)


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□◆□…優嵐歳時記(1705)…□◆□

  大寒や熱き甘酒もらいけり  優嵐

暖かな大寒です。風も無く、山道を歩いていても、薄い
ジャケットを羽織っているだけで十分です。

随願寺の庫裏の前で甘酒をご馳走になりました。酒粕
から作られたものとかで、コクがあり美味しくいただき
ました。

歳時記では甘酒は夏の季語になっています。かつては
真夏に熱くしたものを飲んで暑気払いにしたそうですが、
冷蔵庫が普及した今となってはそれも昔話でしょう。
今では、夏よりも冬に飲まれることの方が多いように
思います。

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□◆□…優嵐歳時記(1704)…□◆□

  うつむいて咲く水仙を揺らす風  優嵐

明日は大寒です。最も寒い時期とはいいながら、すでに
あらゆるものの上に春の気配を感じ取ることができます。
日没は随分遅くなりました。

お天気が回復し、増位山へ行ってきました。三角点からの
眺望は霞がかかってほとんどありませんでした。静かな
山道を、誰とも会わずにのんびり歩くのが好きです。
落葉樹も常緑樹もなんとなく、冬の眠りから目覚めようと
している気配がします。

梅林の梅は日に日に膨らんで、間もなく本格的な開花が
始まるでしょう。随願寺の境内で水仙が咲きだして
いました。うつむき加減の花びらを風が揺らしていきます。


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□◆□…優嵐歳時記(1703)…□◆□

  書を読みぬ朝より静か寒の雨  優嵐

久しぶりに雨になりました。静かな週末の雨です。
本を読んだりネットで遊んだりとのんびり過ごしました。
インターネットというのは、本当にいろいろなことが
できるサービスが揃うようになりました。

読書も音楽鑑賞も、映画鑑賞もテレビ視聴もすべて
ネットだけでできるようになるでしょう。銀行も買物も、
そのうち簡単な病院や学校の機能も果たすようになるに
違いありません。

クラウドコンピューティングが進み、好きな場所へ
それらすべてを持ち出して、楽しみ学び、働くことさえ
できるようになる時もそう遠くないと思います。

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□◆□…優嵐歳時記(1702)…□◆□

  震災忌祈るだけしかなき時も  優嵐

阪神・淡路大震災から丸14年になりました。
ついこの間のような気がしますが、今年成人を
迎える人がようやく物心ついたころだったのだと
思うと、時間が流れたのだと感じます。

とんでもない災害や不幸にあったとき、人はなすすべも
なく、ままならないこの世、無力な自分というのを痛感
せざるをえません。

死んでしまった方がいっそ楽だったか、と思うような
悲劇に耐えてなお、やはり生きているということは、
生かされているということなのだ、と感じられたらと
願います。何のために生きているのか、なぜ生きて
いかなければならないのか、わからなくても。

ユーモアというのは、「〜にもかかわらず笑う」という
ことなのだそうです。「〜にもかかわらず生き抜く」と
いうのが本当は生きる勇気なのかもしれません。

090117

□◆□…優嵐歳時記(1701)…□◆□

  大霜へ光の波の寄せて来る  優嵐

今朝も強い霜でした。出勤の車、通学の自転車の高校生
などが一面の霜の中を走っていきます。視線をあげると、
増位山の山頂に当たった朝日がしだいに麓へ降りてくる
のが見えます。

新聞はとっておらず、ニュースはもっぱらネットで知るの
ですが、今朝は、ニューヨークのハドソン川で起きたUS
エアウェイズ機の緊急着水事故の記事が目を引きました。

一人の犠牲者もない奇跡的な着水と救出劇の一部を読み、
とても暖かな気持ちになりました。よかったな、と素直に。
乗員、乗客、救出にあたった周りの人びと、知り合いが
いるわけじゃありませんが、暗いニュースばかりが多い中、
こういう緊急事態での快挙に拍手をおくりたいです。


090116

□◆□…優嵐歳時記(1700)…□◆□

  冷え深く光明るし今朝の晴れ  優嵐

今頃の晴天の朝は放射冷却現象のため強く冷え込みます。
あらゆるものの上に霜が降り、真っ白になっています。
しかし、ひとたび日が昇ると驚くほどの明るさです。
もし四季のほとんどない国に生まれていたら、随分自分の
感覚は違ったものになっただろうと思います。

このところ、YouTubeでいろいろなコンテンツを見て
なかなか離れられません。テレビとはまた違ってこれは
依存症になりかねないなあ、と苦笑しながらも見て
しまいます。

アマチュアの作品はよほど変ったものでなければそうそう
見られるものではありませんが、プロの作品、特に
コマーシャルフィルムやプロモーションビデオの映像には
思わず引き込まれてしまうものがあります。

一番気に入ったのは80年代のコカコーラのCM映像でした。
とにかく全員がこれ以上ないくらいの笑顔で楽しそうで、
見ている方も笑顔になってしまう、そういう映像です。

コカコーラCM 80年代

□◆□…優嵐歳時記(1699)…□◆□ 

  冴え冴えと月昇りくるわが前に  優嵐

ここ数日冷え込みが続いています。寒中ですから、これ
くらいで丁度いいのでしょう。

「冴ゆ」とは、寒さが極まったときの、透明感のある
冷たさをあらわしています。11日が満月でした。
ナイターでテニスをしていると、夏に比べかなり東に
よった位置から月が昇ってきました。昇るというのは
体感であって、実際は地球が回っているのですけれど。

それを如実に表す映像を見ました。月周回衛星「かぐや」
が撮影した月から見た”満地球の出”です。将来、月の
表面で長期間働く人も出てくるかもしれません。その人は
こういう映像を見ながら日々を送るのでしょうか。


□◆□…優嵐歳時記(1698)…□◆□

  陽の熱を手袋越しに感じ取る  優嵐

手袋は冬の季語です。しかし、私はアウトドアで活動
するときは季節を問わず手袋をつけています。何かを
握ったり、とっさに手をついたときの防護にもなり、
手の甲の日焼けを予防する効果もあります。

本格的なウインタースポーツ時以外に重宝するのは、
サイクリング用のグローブです。夏用のものは指先が
切れており、指先の細かな作業に不自由しません。

最近、冬にもサイクリンググローブがなかなかいいと
いうことを発見しました。サイクリングでは、指先で
ギアチェンジやブレーキ操作をする必要があるため、
冬用のものでも指先の感覚を大事にした作りに
なっています。

アウトドアで何かしているときに俳句が浮かぶことが
多いので、これまでは小さなメモ帳を持ち歩いて
いましたが、携帯電話でメモできると気づき、近頃は
そうしています。手袋をしたままでボタン操作が容易に
できて、サイクリング用グローブはいいのです。

掌が滑らないため、ドライビンググローブとしてもいい
ことにも気づきました。

090113

□◆□…優嵐歳時記(1697)…□◆□【寒】

  青空に梢光らせ寒の風  優嵐

強い風が北の窓をうつ音がします。しかし、快晴で、
外へ出てみると光の明るさにはっとします。寒いけど
真冬だけれど、春はすぐそこだ、そういう気分になり、
どこか心が浮き立つ感覚があります。

風が強い快晴ならば、と期待して増位山の三角点へ
行きました。こういう日は大鳴門橋が見えるのです。
直線距離にしてほぼ72km…、見えました。期待しても
海上の天候によっては見えない日もありますが、
今日は期待通りでした。

090112

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