優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2009年01月

□◆□…優嵐歳時記(1696)…□◆□ 

  冬の雲きれて大地に陽をこぼす  優嵐

寒波がやってきました。昨夜は部屋にいても寒いなあと
感じましたから、かなり気温が下がっていたのでしょう。
今朝起きてみると、北の山が雪化粧をしていました。

時々ふと歌の一節が頭の中に浮かんでくることがあります。
昨夜は「涙の数だけ強くなれるよ アスファルトに咲く
花のように」という歌詞でした。検索してみると、
すぐにわかるんですね。便利な時代です。

岡本真夜の「TOMORROW」(95)でした。YouTubeを一度
開くとついつい見てしまいます。ZARDの「負けないで」、
岡村孝子の「夢をあきらめないで」、KANの「愛は勝つ」
などなつかしい映像が続きました。みんないい歌です。

歌詞がいずれも誰かを励ます内容になっていて、勇気
づけられたという人は多いのではないでしょうか。

岡本真夜「TOMORROW」

□◆□…優嵐歳時記(1695)…□◆□

  早梅の一輪光ある如く  優嵐

増位山梅林の白梅が一輪花を開いていました。梅林は
それなりの広さがあるのですが、全体を見渡したとき、
何かふっとその枝にひきつけられました。もしやと
思ってそばへ行ってみると、ほんとうにたった一輪
だけですが、花を開いていました。

今日は冷え込み、山頂から見る播磨灘は明るく光って
いましたが、北の山は雪雲に隠れていました。午後からは
こちらでも雪になっています。夜に降らなければ積もる
ことはまずありませんが、寒中らしいお天気です。

090110

□◆□…優嵐歳時記(1694)…□◆□

  紅白を見せて膨らむ梅冬芽  優嵐

今日も穏かで風も無く日中は暖かな一日でした。早朝は
それなりに寒いのかもしれませんが、出勤しないので、
その寒さも昔のことになりました。ペットボトルに入れた
ぬるま湯をフロントガラスにかけて、霜を溶かしたのも
なつかしい思い出です。

増位山の梅林の梅が膨らんでいます。紅梅と白梅、
それぞれに花の色がはっきりわかり、もう間もなく綻ぶ
というところまてきています。春の接近を告げてくれる
花ですね。楽しみです。

090109

□◆□…優嵐歳時記(1693)…□◆□

  詰襟の少年駆ける寒四郎  優嵐

寒に入って四日目を寒四郎といい、九日目を寒九と
呼びます。他の日には名前はついていません。寒とは
いえ日中は暖かで少し動くと汗ばんできます。
今日は小中学校の三学期の始業式のようでした。
すぐに卒業・進級・進学・就職のシーズンですね。

キーボードが壊れてしまいました。以前から時々キーへの
反応が鈍いことがあったのですが、電池を入れ替えたり
すると復帰していました。ところが、今回はいろいろ
やってもダメです。

持ち出すことを前提にノートパソコンを使っています。
家ではそれにディスプレイとキーボードをつなぎ、
大きな画面で作業をしています。今は緊急でノートの
キーボードを使ってディスプレイを見ています。

キーボードは買い換えることにしました。消耗品です。
明日には届くようですので楽しみです。

090108

□◆□…優嵐歳時記(1692)…□◆□

  寒禽へ七草粥を供えけり  優嵐

正月七日の粥に七種の菜を入れる風習は、十世紀末の
平安時代の歌人、赤染衛門の『家集』に書かれているほど
古くからありました。

とはいえ、これは旧暦での正月七日であり、新暦では
七草菜は食べられるほど育っていません。ですから現在の
七草粥は温室育ちのものを買い求めるしかないでしょう。
パック入りの七草粥を私も朝食にいただきました。

増位山随願寺の庫裏の前を通ると、柵の杭の上に器に
入った七草粥が置かれていました。お寺の周囲にいる
野鳥のためのものと思われます。寒禽とは、寒中に
見かける小鳥の総称です。

090107

□◆□…優嵐歳時記(1691)…□◆□

  地の水は皆初春の空映し  優嵐

山の頂から平地を見下ろしていると、それぞれの場所に
ある水が見えます。静かな播磨灘、蛇行して流れる市川、
あちこちの小さな池や沼、それらがみんな新春の明るい
日の光の中で輝いているのはいいものです。

今は日常の生活に戻るのが早くなりましたが、その昔、
他に娯楽がほとんどなかった時代には盆正月、冠婚葬祭
というのは生活の大きな節目であっただけでなく、
貴重な娯楽の機会でもあったでしょう。

祖母が健在だったころ、新年を迎える家の行事の手順が
厳密に決まっていたことを思い出します。元旦は暗い
うちに起きて神棚だけでなく、さまざまな場所に灯明を
あげ、一家揃って奥の間で新年の挨拶を交わし、それから
氏神様に初詣でした。

三が日の朝に食べる食事の内容も決まっており、元日は
お節と雑煮、二日はとろろご飯、三日は善哉でした。
なぜそうなのかは知りませんが、そうだったという記憶が
残っています。

090106

□◆□…優嵐歳時記(1690)…□◆□

  遠山の雪あたたかや寒に入る  優嵐

小寒です。今日が仕事始めという方が多かったのでは、
と思います。街の音も新春気分が薄れ、通常のものに
戻ってきました。

寒の入りとはいえ、今日の姫路はとても暖かく、明るさを
増した日の光とやわらかい風に早い春を感じました。
春遠からじ、春を探そうという感覚がどこかで芽生えて
いるのでしょう。

090105

□◆□…優嵐歳時記(1689)…□◆□

  御降りは雪へ峠の近づけば  優嵐

元日、姫路から京都へは国道372号線を走りました。
姫路と洛西を結ぶ穴場的道路です。家を出たころは
晴れていたのですが、しだいに時雨れてきました。

丹波路に入るとみぞれまじりになり、100kmほど走った
だけでのこの変化には驚きます。篠山市を走って県境の
天引峠をトンネルで越えるころには、かなりしっかりと
した降雪になりました。

気温が高かったため、路面は凍てていませんでしたが、
夜に入ったら冬用タイヤでなければ通行できなくなって
いたでしょう。

御降り(おさがり)とは、三が日の間に降る雨及び雪を
さします。おめでたい新年に天から降ってくる、寿ぎの
気持ちをこめてこう呼び変えているのです。

090104

□◆□…優嵐歳時記(1688)…□◆□

  大方丈祖師にそなえし鏡餅  優嵐

初詣には嵐山の天龍寺へ行きました。臨済宗天龍寺派の
総本山です。ここは後醍醐天皇が幼少期を過ごした場所で
あり、吉野で亡くなった天皇の菩提を弔うため足利尊氏が
夢窓国師を開山として創建しました。

春の花、秋の紅葉といった華やかな時期とは異なり、
時雨がちで、嵐山、小倉山といった周囲の山が上部のみ
うっすらと雪化粧しているのに幽玄を感じました。

090103

□◆□…優嵐歳時記(1687)…□◆□

  白味噌の雑煮の甘き嵐山  優嵐

お正月は京都・嵐山で過ごしました。お雑煮は本家本元の
京風、丸餅の白味噌仕立てでした。実にこくがあり、
上品な甘さが口中に広がりました。

お雑煮にはいくつかの地域性があり、西日本は丸餅を煮る
ところが多く、東日本は角餅を焼くところが多いよう
です。

味付けについて、畿内は京都の影響を受けて味噌仕立ての
ところが多く、東日本と畿内・山陰を除く西日本は
すまし汁、山陰では小豆汁というところもあるようです。


090102

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