優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2009年02月

□◆□…優嵐歳時記(1724)…□◆□

  島影の寄り添う沖の春霞  優嵐

今日は午前中にちょっとしたトラブルがあり焦りました。
しかし結果的にはまずまず丸く収まり、ほっとしました。
「起きていることはすべて正しい」とは、勝間和代さんの
最近の著書の題名です。この題名を見たとき、そういう
考え方で生きる方がよいな、と思いました。

人生の苦悩の大半は「変化」です。「生老病死」みんな
変化が引き起こすものです。変化して苦悩するだけでなく、
変化しなければ苦悩するということも起こります。人間は
自分の思惑と違っていると苦悩するものです。これが
煩悩でしょう。

しかし、宇宙はもっと大きな法則で動いており、宇宙が
送ってよこすことをすべてまずは”正しい”と受け止めた
方が、その先へ進むことがずっと容易になるように思い
ます。ようやく、それに少し気づいてきた、末端に触れて
そうか…と感じられるようになった、そんな気がします。


090208

□◆□…優嵐歳時記(1723)…□◆□

  境内に青竹立てて二月早や  優嵐

増位山随願寺の境内では、2月11日に行われる追儺式
(ついなえ)の準備が進められていました。地元
自治体をあげての行事のようです。

頂からの景色は今日も春霞の中で、気持ちがのびのびと
してきます。ベンチに腰かけて梢や空を眺めながら
最近よく聴いているZARDの曲を口ずさんでみたりします。
彼女の歌は実に素晴らしく、久しぶりにハマるものに
出会ったかもしれん…。

今のところもっぱらYouTubeで聴いているのですが、CDを
手に入れようと思っています。

090207

□◆□…優嵐歳時記(1722)…□◆□ 

  早春の風と光を存分に  優嵐

このところやけに朝早く目が覚めます。なんだろうこれは。
頭脳のどこかが妙に興奮しているような感じです。
コーヒーは以前から好きでよく飲みますし、日本茶も
飲みます。それで覚醒するとも思えないのですが。
寝つきは問題ないですし。

不眠症の経験は今まで無く、きちんと眠らないと調子が
悪くなるタイプです。ですから、徹夜など論外。
10代のころでさえ、徹夜は不可能に近く、完徹で夜遊び
などという友だちの話を聞くと、信じられませんでした。

ちゃんと食べてちゃんと寝る、そうする限りは元気です。
体力抜群だが、睡眠不足にはからきし弱い人間でした。
それなのに…。どうも、肉離れ以来ちょっとおかしいです。
脳も肉離れ?

090206

□◆□…優嵐歳時記(1721)…□◆□

  蝋梅の匂うや今朝の空真青  優嵐

蝋梅は晩冬の季語になります。今日、随願寺の境内を
散歩していて、ちょっと奥まったところに咲いているのを
見つけました。水仙や葉牡丹は目だっていたのですが。
小さな木でしたので、側へ寄って腰をかがめて香りを
楽しみました。

快晴でした。それでも三角点の山頂へ行くとあたりの
景色は霞がかかっていて、春だなあと感じました。
森を歩いていても日差しが明るいですし、「光の春」
です。心が浮き立ってきますね。

090205

□◆□…優嵐歳時記(1720)…□◆□

  猪に会いけり森に春立つ日  優嵐

増位山で猪に会いました。尾根を歩いていたら、谷の
途中をどどど、と走っていく一頭の猪。黒褐色の剛毛に
おおわれた身体が木々の間を突き抜けて行きました。
さすがにカメラを構える余裕はなく、去っていく背中を
見送っていました。

頂からの景色は霞んでいました。沖の島は見えず、海岸
沿いにある火力発電所の煙突から立ち昇る水蒸気が
まっすぐ薄い雲に吸い込まれていきます。

090204

□◆□…優嵐歳時記(1719)…□◆□

  本堂の開け放たれて冬終わる  優嵐

節分です。午後から雨になりました。手元に出していた
冬の歳時記をしまい、春のものに変えました。明日は
立春です。2004年の立春からこのblogを書き始め、
なんだかんだでもう5歳になりました。

その間に転職という思いがけないこともあり、いろいろな
方との出会いや別れがあり、短いようでもあり長いよう
でもある五年間だったなあと驚いています。

五年といえば生まれた子が走り回り、いっぱしの理屈を
言い、少しは文字も読めるようになっているころです。
自分はどれだけ成長したでしょうか。少しは何かで
成長していると思いたいものです。

090203

□◆□…優嵐歳時記(1718)…□◆□

  み冬尽く森に響きし鳥の声  優嵐

森を歩いていても、もうはっきりと春の気配です。
なんとなく周りが明るく、風もやわらかく、何がどうと
具体的には言えないのですが、春としかいえないものが
自分を取り囲んでいます。

こういう気配を感じながらひとりで森の中を歩くのが
大好きです。誰かといっしょだと、感じ取れないものは
この世にいくつもあり、だからこそひとりの時間を
大事にしたいと思います。

090202

□◆□…優嵐歳時記(1717)…□◆□

  遠ざかる列車の音の霜夜かな  優嵐

二月になりました。今日も散歩に行き、昨日よりさらに
右脚は平常に戻っていることを確認しました。もうほぼ
通常どおり走れます。

こうした治癒の過程を経験していると、人の身体も自然の
一部であり、「生かされている」というのはこういう感じ
だな、と思います。こういうことをしみじみ感じたのは
成人してから水痘を患ったときでした。

40度を越える熱が出て天井が回るくらいだったんですが、
解熱剤をもらって横になっているしかありません。薬は
なく、結局自分が与えられている免疫組織がウイルスの
抗体を作ってくれることを待つしかないわけです。

もし、それがうまくいかなければすぐにでも自分の生命は
失われます。それに気づいたとき、命は凄いし、同時に
儚いものでもあるなあと思いました。

090201

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