優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2009年03月

□◆□…優嵐歳時記(1765)…□◆□

  春望や友とシャンパン傾ける  優嵐

東京へ行っていました。今日は友だちと丸ビルの35階にあるレストラン「AUXAMIS TOKYO」でランチを取りました。いいお天気で、千葉方面のビルまで一望のもとに見渡せ、大都会ならではの展望を楽しませてもらいました。

ウェイトレスの方が、千葉のビル群まで見えるのは珍しいですよ、と教えてくださいました。抜群の展望に加えサービスも最高でお料理はとてもおいしく、素晴らしいひとときを満喫しました。

ふと今日、自分はとても友人に恵まれているということに気がつきました。あ、別にランチを友人にごちそうしてもらったからそう思うというわけではありません。それはそれで大変うれしかったのですが。「ごちそうさま!」

友人に恵まれる、というのも人によっていろいろなパターンがあると思うのですが、私の場合は「そのときそのときで、本当に自分に必要な人が現れ、いろいろな意味で支えていただける」ということです。よく考えてみるとこれは高校生くらいのころからそうでした。

高校時代の友人たちとは今でも年賀状のやりとりがあったり、ときにはメールがきたりもしますが、それほど頻繁に連絡を取り合っているというわけではありません。いい友人であるというのはもちろん今も変わりませんが。

友人関係において、特定の人とずっと濃厚で強いものが続くという方もあるでしょうが、私の場合は時代によって波動があります。そして、間違いなくそのとき自分にとって一番必要な人が目の前に現れ、新しい交友関係を得ていろいろな助けをいただくことができました。

考えてみると非常に人間関係に恵まれている、といえないでしょうか。人との出会いというのは「ご縁」です。自分の力だけでなんとかできるものではありません。だから、今日また思いました。導きを信頼していいんだな、と。「あなた、今までそんなことにも気がつかなかったの」と私の守護霊は苦笑しているかもしれませんが。


090321

□◆□…優嵐歳時記(1764)…□◆□

  希望なお地にありいぬふぐり咲けば  優嵐

山桜が咲き始めました。部屋から見える前山の途中の木の
枝が華やいでいます。年によってソメイヨシノの方が先
だったりすることもあるのですが、今年は山桜です。

とはいえ、山桜はソメイヨシノとは違い木によって個性が
あり、花はそれっと一斉に咲く感じではありません。
いぬふぐりは小さな青い花ですが、群がって咲いていると
あの明るい青さに微笑ましい味わいがあります。

普通いぬふぐりとして詠まれるのはオオイヌノフグリ
であり、ヨーロッパ原産です。1884年に東京で初めて
見つかったそうですから、現代人にはすっかり土着の花
としておなじみでしょう。私も子どもの頃の春の野辺の花
というと、この花が浮かんできます。

090320

□◆□…優嵐歳時記(1763)…□◆□ 

  地に落ちて花馬酔木さらに輝けり  優嵐

馬酔木(あせび)は山野に自生するツツジ科の落葉低木で、庭木として植えられています。自然歩道沿いにも自生しており、うつむき加減に歩いていて、純白の壺状をした小さな花がいくつか落ちているのに気がつきました。

お彼岸に入り、さすがに暖かくなってきました。日中の気温は20度を越え、この調子で暖かい日が続いたら、三月中にこの辺でもソメイヨシノの開花が始まりそうです。

昨日、『前世を覚えている子どもたち』という本を読みました。輪廻転生を扱った本ですが、裏表紙の見返しに印刷されている編者のお名前を見てぎょっとしました。「坂井泉」というのです。ZARD(坂井泉水)と読みが同姓同名。漢字ですら一字違うだけ。果たして日本に「さかいいずみ」という編集者が何人いらっしゃるものなのか…。

単なる偶然、確かに単なる偶然です。しかし、ユングの定義によれば、シンクロニシティとは、「体験者あるいは目撃者にとって重要な意味を持つ偶然の出来事であり、それによって何かに気づき、時には覚醒、悟りといった感覚に近いものまで得られる現象」のことです。今の私だからこそ、この編者のお名前にぎょっとするのです。もし3ヶ月前なら何の驚きもなかったでしょう。

随---易経はついてくるように言います。生まれて初めての肉離れ、そしてZARDとの出会い、梅林での亡き父のこと、さらに霊的存在としての気づき、そしてさらに…。観音さまか守護霊か何かはわからないけど、行けるところまで行きます。そういえば今はお彼岸でした。そしていつも散歩に行っている増位山のお寺の名は<随願寺>というのです。


090319

□◆□…優嵐歳時記(1762)…□◆□ 

  播磨灘播州平野とつちぐもり  優嵐

つちぐもりとは黄砂のことです。昨日は激しい黄砂で晴天にもかかわらず、増位山からの景色はぼーっとかすんでいました。気温は高く上着を脱いでシャツ一枚で歩きましたが、それでも汗をかきました。真夏になったら真昼間は避けて歩く方がいいと想像できます。

夜はテニスをしました。先週もそうでしたが、テニスをして帰る途中は涙もろくなるようです。しかし、なぜ泣けるのかはよくわかりません。なんとも大変な年になりました。十年分ぐらいをこの一ヶ月程で泣いてしまったような気がします。それとも、これまであまりにも泣かなかった私がおかしかったのか。

昨夜は、しいていえば自分がいかに大勢の人に支えられているのかが実感されて泣けた、とでも言うべきでしょうか。先日来の気づきについて、簡単に顔や名前を上げられる人だけでも十指に余る方たちのお世話になっています。さらに、それらの方たちに家族や友人、仕事仲間、師、などその人を支えているいろいろな人があり、そういう方たちにも間接的に支えられているわけですから、どれほど多くの人に自分という人間が支えられているのか、ということに気がつきました。

支えられている、と言っても、何か大きな金銭的な援助をもらっているとかそういう意味ではありません。ほんのささいなこと、ちょっとした言葉、あるタイミングでの何らかの出来事、相手の方は気づいていないかもしれない何か、そんなことが意外に大きな気づきをもたらしたり、支えになったりするものなのではないでしょうか。だから、日常の生活がとても大事なのでは、と思い始めました。

「おかげさまで」というのは、こういうことなんだな、と漠然とですがわかったような気がします。今までにもそういうことを口にはしてきましたが、口先だけでほとんど理解していなかった、と痛感しています。人生のこの時点までそういうことにすら気づかずにきたとは、お恥ずかしいというか、傲慢だったというか。


090318

□◆□…優嵐歳時記(1761)…□◆□

  春灯や万年筆の書き心地  優嵐

大阪で万年筆を買いました。ふと万年筆売り場でペンだこのことを相談すると、何本か試し書き用のペンを出してくださいました。万年筆とボールペンの持ち方というのは基本的に違うのですね。ボールペンになじんでいると、どうしてもペンを立てて持つのですが、万年筆は寝かせて持つのが基本らしく、そうすれば筆圧が和らいでタコができる可能性は少なくなるとのこと。

試し書きの結果、パーカーの中字のものが最もしっくりきました。ペンの重さ、握りの太さも関係があり、これも微妙で、やはり実際にその人の手にあうかどうか書いてみることが不可欠らしいです。もし、万年筆をこれから買おうという方があれば、ふだん最もよく使う紙を持って試し書きに行かれることをお勧めします。用紙によって全く書き味が違うのだそうです。

私はふだんツバメノートの中性フルース紙を使った大学ノートに書いています。これに最も近そうなルーズリーフノートで試し書きをさせてもらいました。軸の部分がサファイアブルーの美しい万年筆を買いました。「思い立ったが吉日」、これも一種のご縁(考えてみるとシンクロニシティを日本語にすると、”ご縁”かもしれません)です。

090317

□◆□…優嵐歳時記(1760)…□◆□

  春場所や碧眼が受く勝ち名乗り  優嵐

昨日は、大阪府立体育会館で始まった大相撲三月場所の
観戦に行ってきました。例年、初日に出かけることにして
おり、会場の近くにくると下位力士たちの姿を見かける
ようになります。すれ違うときに香る鬢つけ油の匂いが
本場所を感じさせてくれます。

モンゴル出身力士はもちろん、最近はロシア、グルジア、
ブルガリアなど東欧圏の力士が多く見られます。観客にも
外国人の姿が目立ち、3割くらいははっきり外国人と
わかる白人でした。

遠目では日本人と見分けのつかない東アジア圏の人たちも
数多いと考えられるところから、半分くらいは外国人の
お客さんではないか、と思いました。

私たちの隣の桝席も英語を話す外国人のグループで、
そのうちのひとりの男性はご贔屓の力士に大声で声援を
送っていました。「はるまふじ」の発音は難しそうでした。


090316

□◆□…優嵐歳時記(1759)…□◆□

  春嵐明けし山路の静けさを  優嵐

嵐の夜が明けて、昨日は少し気温が低くなりました。
福岡ではソメイヨシノが観測史上最も早く咲き始めた
ということですが、少し寒くなると開花が抑えられる
かもしれません。

一昨日は嵐になる前に山道を歩きました。まだ風は
ありませんでしたが、雨はかなり降っており、傘を
さしていたものの、一時間近く歩いていると背中も肩も
足元もびしょ濡れになりました。木々の間を通るときに
どうしても傘を斜めにしないといけないからでしょう。

次に雨の中を歩くときは、レインウェアを着て傘をさす
かな、と思っています。車の座席には防水のシート
カバーをかけて。これはウォータースポーツ用のもの
なのですが、真夏にテニスをして汗だくになったときも
重宝しています。

おそらく今年は夏になっても歩くことは続けるでしょう。
水を持って歩かないと、脱水を起こしそうです。

090315

□◆□…優嵐歳時記(1758)…□◆□ 

  初蝶の影わが影を飛び立ちぬ  優嵐

昨夜は思いがけない春の嵐でした。激しい風雨に驚きました。

なぜこれまで日本語のポピュラーソングをほとんど聴かなかったのかといえば、内容がほぼすべてラブソングだからです。他国の歌だってそうですが、母国語ではないので聞き流せます。しかし、日本語で歌われるとどうしても即座にそのイメージや情景が脳裏に立ち上がって歌の世界に引き込まれてしまいます。

それがBGMとしてはやっかいな部分だったのです。頭の中で映画が自動再生されてしまうようなものだからです。また、よくこれだけ惚れた晴れたと年がら年中飽きもせずに歌えるものだと呆れてもいました。

だからしだいに外国語の歌、インストゥルメンタル、さらにクラシックの器楽曲へとシフトしていきました。しかし、「恋愛」というのは、ポピュラーソングにとっての「型」なんだな、と気がつきました。それによって歌の世界の枠組みを成り立たせているのです。

俳句にとっての有季定型五七五みたいなものです。俳句には季語の無い無季俳句や定型を逸脱した自由律俳句もあります。しかし、基本形は季語+五七五。その中で詩の世界が完結します。非常に切り詰められた短い言葉にさらにシバリを加えることで、逆に詩の世界に広がりを与えているのです。

ポピュラーソングの歌詞というのは、「恋愛」のありとあらゆる心理を歌い、そこに仮託して人間のひとつの姿を見せています。楽曲は恋愛を扱っていても、サビの一節などがもっと広い世界観へとつながっていく部分を保持していれば、聴く側はそこに独自の解釈を乗せて自分のものにできます。作品はつまるところ鑑賞者のものですから。

090314

□◆□…優嵐歳時記(1757)…□◆□ 

  生きていく限りは別離鳥雲に  優嵐

自分は少し変ってきたのか、と昨日思いました。11日にドイツの学校で、17歳の少年が銃を乱射して15人が亡くなったという事件がありました。昨夜の入浴後、不意に犠牲になられた被害者、自殺した加害者の少年、さらにその周りで衝撃を受けている双方の家族や関係者の方たちみんなのためにお祈りをしようと思いました。

立ったままでしたが、手を組んで目を閉じて、しばらくこれらのみなさんのために祈りました。祈る作法なんて知りませんし、だいいちそんなことをやろうという気持ちになったことが驚きでした。

昨日、エリザベス・キューブラー・ロスの最後の著作、死別後の遺族の悲嘆と十分な悲嘆こそが癒しをもたらすことについて書いた『永遠の別れ―悲しみを癒す智恵の書』を読んでいたからかもしれません。しかし、昨今のことがなければこういうことはしなかっただろう、と思います。

祈ったから、どうなんだ、何か変るのか、という方もあるかもしれません。しかし、そういう自分の気持ちをその人たちに届けたかった、のですね。自分の願いをかなえてもらうために祈るのもひとつの祈りの形だろうけれど、誰かのために、ただその魂の平安を願って祈るのも、またひとつの祈りの形ではあるまいか、と感じました。

「鳥雲に」とは、北へ帰る渡り鳥が旅立っていくことを意味する季語です。鳥は象徴的には人の魂の運び手という面を持っています。「会うは別れの始まりなり」、よき出会いと別れを願います。

090313

□◆□…優嵐歳時記(1756)…□◆□

  鶯の日ごと囀り整いぬ  優嵐

毎日出かけている自然歩道では、鶯の囀りがよく聞こえる
ようになってきました。初音のころは、たどたどしく
「ん?今啼いた?」という感じだったのですが、今日は
かなり長く啼いてくれて、「おー、うまくなってきたね」
と感心しながら聞きました。

浅草の寺院で行われている『暗闇ごはん』という体験会が
人気なのだそうです。視覚を全く閉ざした状態で食事を
とるとか。さっそくお昼ごはんで目隠しをしてレトルト
カレーを食べてみました。

まず、食器を使うのにかなり視覚に頼っていたことに気が
つきました。スプーンを口に運ぶだけですが、スプーンの
長さを視覚で測っていたのですね。口でスプーンの位置を
探りながら食べることになりました。

さらに、味覚はもちろん、触覚が鋭敏になりました。お皿に
どの程度カレーが残っているかは触覚に頼らなければ判断
できません。視覚は感覚器の中で最も目立つ働きをして
いますが、遮断すると他の感覚器の働きがただちに表面化
してくるのでしょう。


090312

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