優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2009年04月

□◆□…優嵐歳時記(1805)…□◆□ 

  旅人になりたき心地春惜しむ   優嵐

ゴールデンウイークに入り、いつもは静かな自然歩道で大勢のハイカーに出会いました。前の仕事のときは、この時期を待ちかねてあちこちに出かけたものでしたが、今は静かにゆったり過ごしています。

ZARDの三回忌コンサート「What a beautiful memory 2009」のチケットをセブンイレブンで発券してもらいました。コンビニエンスストアというのは、実に便利なものですね。感心してしまいます。

2007年9月14日の日本武道館での追悼コンサートの模様がYouTubeにアップされていました。ステージ中央に縦5,76m、横7,68mの巨大スクリーンとサブスクリーンが何枚か設置され、総勢25名という出演者が登場し、坂井泉水さんの未公開映像を中心に3時間、35曲のライブが展開されました。

ステージ中央には彼女が愛用したAKG The TUBE(通称アカゲのチューブ)というマイクが立てられ、そのすぐ後ろに彼女の声だけを出力するスピーカーが設けられました。そして本番では、ある一瞬、”向こう側への扉”が開かれ、そこからこちら側へ彼女の歌声が届けられるように思えたことがあったといいます。

出演者のひとり、初期ZARDのドラムスを担当した黒瀬蛙一氏は、「彼女はステージに居ました。本当です。居たんですステージ上に」と語っています。今年も彼女はきっと会場に来てくれるでしょう。


□◆□…優嵐歳時記(1804)…□◆□ 

  華やいで杯を干したり春の夜   優嵐

昨夜は前の職場の同僚の送別会でした。同じ職種の人なので、今でも何かと交流があり、こうした機会には呼んでいただけます。内輪の集まりだったのですが、中には数年ぶりに出会う方もあり、「なつかしい」と話が弾みました。

転職は大正解だった、と前に書きましたが、職場そのものが嫌だったわけではありません。人間関係に悩んだことなんてありませんし、まわりの人は善意のある親切ないい方ばかりだったな、と今でも思います。仕事を変えたのはあくまで自分の都合です。何が自分に向いているのか、最初の仕事を選んだときはよくわかっていなかったのです。

大変なスピードで世の中は変り、ほんの数年前までは存在しなかった仕事が次々生まれています。私の今の仕事もインターネットが登場しなければありえないものでした。あと10年、20年先になったら、どんな仕事が世界中で生まれているのか、想像もできませんね。

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□◆□…優嵐歳時記(1803)…□◆□

  藤咲くや渓流の音下に見て   優嵐

増位山随願寺へ向かうドライブウェイのかたわらの藤が今満開です。そばに寄ると甘い香りがします。庭先のつつじや小手毬も咲き始めています。春の花から夏の花へと移り変わっていく時期ですね。

アートセラピーの影響で、押入れにしばらくしまったままになっていたジェンベを取り出して叩いてみました。こういう手で直接叩くドラムというのは、素朴ですが、それだけに原始的な本能に訴えかける何かがあって、叩き始めるとなかなか止まらなくなります。

楽器を弾くのは基本的に好きです。ただ、ギターは何度か挑戦しましたが、指の痛みに耐えかねて挫折。ウクレレはその点指に優しい楽器です。高校時代サックスを吹いていたので、今でも吹けるとは思いますが、ソロで楽しむのはちょっと難しそうですね。

一人でそっと弾くなら電子ピアノでしょうか。ヘッドフォンをつければ周囲に音は漏れません。ピアノはほんの少しなら弾けます。パソコンのキーボードを両手で最初から全く苦労せずに打てたのは、ピアノの鍵盤になれていたおかげかも、と思います。

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□◆□…優嵐歳時記(1802)…□◆□

   春深し雨に明るき山の色   優嵐

週末はお天気が不安定でした。土曜日は冷たい雨が降り続き、日曜は風が強く、青空が見えているのに雨が降って来るという時雨っぽい空模様が続きました。一時のびっくりするような暑さはなりを潜め、ひざ掛けが欲しいような気温でした。

それでも山の緑は日に日に萌え出し、雨のカーテンを通して見てもその明るさにはっとするほどです。今年の気温は振幅の差が大きいようですから、今度気温があがったらはっきり初夏になるでしょう。

風にあおられて八重桜が花吹雪になって散っているのがきれいでした。花が咲いている間は通常の桜とはかなり趣が違いますが、散るときの花びらの流れ方はやはり桜だなあと感じます。花びらの一枚一枚がソメイヨシノよりはかなり大きく、花吹雪は豪華です。


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□◆□…優嵐歳時記(1801)…□◆□

  新しき長靴うれし木の芽雨   優嵐

昨日は一日雨が降り、気温も低めでした。それでも山へは出かけました。台風にでもならない限りは森へ行くと決めています。濡れないようにサイクリング用のレインウェアを着て、足元は長靴をはいていきました。この長靴、最近購入したばかりで雨の日を待っていたのです。

「軽量フィットらくらく長靴」という製品名どおり、普通の長靴とはかなり趣が違います。地下足袋と長靴の長所をミックスさせたような製品といえるでしょう。足首から上の部分は柔らかく、ふくらはぎにフィットします。履いたところは、ちょっと見ると乗馬用のブーツみたいです。

普通の長靴のようにガボガボしないので、歩きやすいですし、何より軽い。足首から上の部分は簡単に折りたためるので、携帯にも便利です。本来は農作業用に作られているそうですが、カヌーに乗るときなどにも使えそうです。

森では藤が咲いています。桐の花も咲き始めています。雨に濡れた新緑の森はみずみずしく、まさに滴るような緑を堪能できます。


軽量フィットらくらく長靴 大地 (先丸 26.0cm)

□◆□…優嵐歳時記(1800)…□◆□ 

  とどまれる陽のうるわしき葱坊主   優嵐

ゴールデンウイーク間近で、夕暮れ時が遅くなったのを感じます。足の裏の状態は相変わらず、というか、こうしてパソコンに向かっているときは特にじわんじわん(としか表現のしようがない)とした感覚があります。身体を動かしているときは全く気にならないのですが。

以前、からくりさまにご紹介いただいた『気功への道』を読みました。気功の入門動作が紹介されており、そのうちのいくつかをやってみました。簡単な動作ですが、合掌呼吸や開合呼吸では、掌で気感がわかり面白かったですね。温感や何か真ん中に柔らかいボールがあるような感覚が感じられます。

身体を適当にゆする運動と叩く動作はYouTubeのZARDにあわせてやってみました。これ、いいですよ。一曲がだいたい4〜5分なので、長さとして最適です。リズムにのって身体を揺らせば、それもいいですし。身体全体が暖かい感じになります。気血の通りがよくなるのだとか。

気功の基本はまずリラックスすることなのだそうです。スワイショウという腕をぶらぶら前後に振る運動もなかなかよかったですね。ぽかんとするのがポイントです。

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□◆□…優嵐歳時記(1799)…□◆□

  山路ゆく春の落葉に陽の躍る  優嵐

いいお天気でしたが、気温はそれほど上がらず、風は爽やかで、気持ちよく山を歩きました。ずっとこれくらいの気温だと快適なのでしょうが、そういうわけにはいきません。これは梅雨までの幸せなひとときです。樫や楠の落葉に初夏も近い木漏れ日が降り注いでいます。

コバノミツバツツジがそろそろ花期の終りを迎え、代わってヤマツツジとおもわれる朱色のツツジが咲き始めています。ガマズミも白い花を咲かせ、頂では毎日蝶の群れ飛ぶ姿が見られます。今日は頂のベンチで寝転んでいたら、すぐそばまで鶯が来て囀りを聞かせてくれました。春の日差しと春風とホーホケキョ、まるで極楽ではありませんか。

090424

□◆□…優嵐歳時記(1798)…□◆□

  板の間へ素足で降りる春暑し   優嵐

森を歩いていると、もう初夏の雰囲気がそこここに漂っています。木々の若々しい緑が美しく、それだけで幸せな気分です。生命がそこに宿っているということの輝くような美しさ、これはやはり人工物では出せない、内側から光が発せられているような美しさです。

これは、動物でも人でも同じで、生きている人の目や肌の美しさは人工物では表現できません。だからこそいいんだろう、と思います。おそらくどんなに技術が進んでも生花の美を超える造花や、生の人間の声を超えるボーカルソフトなどは生まれないでしょう。「生きている」ということの有り難さ、生命というものの不思議さを感じます。

090423

□◆□…優嵐歳時記(1797)…□◆□ 

  春雨のあがり沖より晴れてくる   優嵐

前の職場で同僚だった人とお昼ご飯を食べました。先日久しぶりにばったり出会って、一度ご飯を食べようよ、ということになったのです。同じ職種であったため、離れてしまってからもこうしてつながりが続いていますが、そうでなければなかなか難しいかもしれない、と思いました。事務系のかつての同僚は随分遠くなったな、という印象だからです。

転職そのものは自分にとっては大正解でした。生涯の素晴らしい決断ベストスリーというものがあるなら、転職は間違いなくそれに入ります。仕事を選ぶということ、何が自分に適しているかということを選択するのは、それほど簡単なことではありません。20歳前後でほぼすべての人がそれを決めるわけですが、自分の強みをそのときまでに把握できている人はそれほど多くないだろうと思うからです。

親や世間一般が「いい」という仕事が果たしてその人にとって本当にいいかどうか、それはまったく別の問題です。親子兄弟姉妹といえど好みも得意技も全く違うことが珍しくありません。ある人にとって素晴らしい天職であってもそれが別の人にとっては信じられない苦行になる可能性もあるわけです。

それをするために生まれてきた、といえるほどの才能に恵まれている人はうらやましいですが、それは人類の中では選ばれたごく一部でしょう。実際はそれがなかなか見つからないから迷い悩みするわけです。でも確かなのは自分の心の声に忠実であれば、間違いなくそこへ連れていってくれる力はあるということだと思います。

09422

□◆□…優嵐歳時記(1796)…□◆□

  海峡に小舟の数多春の朝   優嵐

大阪へ行くときはJRを使います。進行方向に向かって右側に座れば、明石海峡大橋をすぐそばに眺められます。日曜日は快晴で、明石駅を出たときから目の前に主塔が見えてきました。淡路島も海峡を通る船も春の朝日の中でくっきりと見えました。見慣れている景色ですが、やっぱり風光明媚だなあとあらためて思いました。

アートセラピーで日曜日に描いた絵に関する夢を見ました。立体を輪切りにしたものを描いたのですが、巨大なビルほどもあるその立体の周りをちょうど宇宙ロケットの打ち上げ基地のような建物が覆っていて、そこを私と私のガイド(Self?)らしい少女が漂いながら見ている、というものです。

その立体は白銀に輝く紡錘形をしていて、とても美しいのです。アートセラピーではこれを自分自身の象徴として描いたので、それを自分自身とガイドがいっしょに見ている、ということですね。絵を描いてみたくなりました。写実的な絵じゃなくこういう象徴的な絵を。

090421

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