優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2009年05月

□◆□…優嵐歳時記(1836)…□◆□

  天清和手書きの文字に残る熱   優嵐

「清和」とは今頃の過ごし易い気候を指します。「清和の天」とも言います。『ZARD 坂井泉水展』でほとんどの来場者が最も長い時間見入っていたのは、手書きの自筆原稿だったように思います。文字を読んでいた、というのもあるのですが、もし印刷物だったら、あれほど食い入るように見ていたかどうか。

あらためて手書きされたものの魅力を知らされました。筆跡というのは声や表情と同じようにその人の内面の何かを伝えてくれるものです。文字の大きさ、筆圧、字の形、全体のバランスなど、そこからは人間にしか読み取れないものが見えてきます。

筆跡は変っていきます。自分自身でも、すでに数年前のものとはかなり変っており、昔と全く同じような字を書こうとしても書けません。基本的なところは続いていくのですが、知らず知らずのうちに微妙に変っていくようです。


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□◆□…優嵐歳時記(1835)…□◆□

  立葵千鳥ヶ淵の水光る   優嵐

日本武道館へ向かう途中で真っ白なタチアオイを見かけました。皇居は旧の江戸城です。現存する天守閣では姫路城がどこよりも素晴らしいと思っていますが、さすがに石垣は大阪城や江戸城の石の大きさに驚きます。

四日ぶりに増位山を歩くと、ホトトギスの鳴声が聞こえてきました。今シーズン初。そういえば、お昼に窓を開けたときも空気の感じが変っているのに気づきました。暑いというのではないですが、初夏が去っていこうとしていると感じました。

二十四節気をさらに細かく分けた七十二候というものがあります。日本の季節は二週間単位で移り変わっていくと片岡義男が書いていましたが、さらに気をつけていればこの七十二候の単位(五日程度)の中にある微妙な変化も感じ取れるかもしれません。

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□◆□…優嵐歳時記(1834)…□◆□

  夏きざすゆっくり回る風速計   優嵐

新宿高島屋で開かれている『ZARD 坂井泉水展〜坂井泉水の永遠の今〜』に行ってきました。平日でしたが、大勢の人であふれており、通路に沿って掲げられた巨大なメッセージボードにはファンの方たちの感謝の言葉が綴られていました。15分ごとに上映される映像コーナーは100人ずつ整理券が配られていて、昨夜を思い出しながら楽しんできました。

会場にはレコーディングスタジオが再現され、愛用のマイク、ヘッドフォン、トイピアノ、マグカップ、歌詞を置く台などが並べられていました。写真や映像とともに詞が掲げられ、その中には手書き原稿の『負けないで』『マイフレンド』『かけがえのないもの』などがあり、特に、何度も何度も推敲を繰り返し、赤鉛筆で強調箇所が示されている『負けないで』は印象に残りました。

また、音楽雑誌からの取材に応えた鉛筆書きの生の自筆原稿は、何度も消しては書き直し、余白をはみ出すほどびっしりと書き込まれていて、「言葉を大切にしてきました」という坂井泉水さんの誠実な人柄が伝わってきました。

趣味で描いていたという油絵が五点展示されており、そのサインが「Izumi.S」ではなく、本名の「Sachiko.K」であるのに気づきました。静物画の色使いが鮮やかです。衣装やレコーディングスタジオがZARDとしての彼女なら、この本名で描かれた油絵の作品は強く彼女のプライベートを感じさせるものでした。

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□◆□…優嵐歳時記(1833)…□◆□ 

<ZARD・坂井泉水三回忌コンサート@日本武道館>
 薔薇供えカラーも供え合掌す   優嵐

ZARDの三回忌コンサート、坂井泉水さんはやはり会場にきてくれました。最初はおとなしくステージのトイピアノのところに立っていました。この赤いトイピアノは"My Baby Grand"と彼女が呼んだオモチャのピアノのことで、『My Baby Grand〜ぬくもりが欲しくて』という曲にもなっています。レコーディングのときもそばに置いて大のお気に入りだったようです。

しかし、会場の雰囲気が盛り上がってくるにつれ、だんだん会場のあちこちに出没するようになり、ラストの三曲、『揺れる想い』、『こんなにそばに居るのに』、『負けないで』となると、もう会場いっぱい飛びまわっていましたね。体育会系、陸上競技短距離の神奈川県中学記録を持っていたという彼女の真骨頂です。重い肉体がない分、さらに自由にみんなの間を駆け回っていました。会場一杯に彼女自身が広がっていた、と言っていいかもしれません。

会場入口付近には献花台が設けられ、「ライブに来ていただいてありがとうございます」という泉水さんの自筆のメッセージとうつむき加減のお馴染みの写真が飾られていました。多くの花束が捧げられている前で、私も合掌してお礼を言ってきました。今回未公開映像もいくつか見ることができました。可愛いらしいものや微笑ましいものもあり、また、本当にこの仕事が好きで心から楽しんでいたんだなあと感じられるものもありました。

彼女の公開写真はカメラ目線でないものがほとんどを占めていますが、今回いくつか写真を見比べるうちに、彼女の視線には恐ろしいほどの意志の強さがにじみ出ているために、公式写真からははずされたのではないか、と感じました。妥協を知らない作品への強い意志がその瞳に宿っていて、うつむき加減の写真とはまた違う一面をみせています。そういう面を持っていなければ、とてもあのような作品は残せないでしょう。

□◆□…優嵐歳時記(1832)…□◆□

  かきつばた水に映りし空の色   優嵐

「いずれがアヤメかカキツバタ」というようにこれらの花はよく似ています。カキツバタは湿地に、アヤメは乾燥したところに生えていると覚えておくのが一番わかりやすいようです。

ZARDの三回忌コンサートのために東京へ来ています。記録によれば、直接の死因となった転落事故は5月26日の早朝に起きました。意識不明で倒れているところを発見されたのが午前5時40分ごろ、集中治療室へ運ばれ、脳挫傷のために亡くなったのは翌27日の午後3時10分です。ご家族や関係者の方がどれほどつらい思いをされたか、と思うと胸が痛みます。

俳句では、なぜか忌日が季語になります。近くでは、堀辰雄が5月28日、与謝野晶子、橋本多佳子がどちらも5月29日で、それぞれ「辰雄忌」「晶子忌」「多佳子忌」として歳時記に載っています。坂井泉水さんも作詞家ですから、もし詠むなら「泉水忌」ということになるのでしよう。まさか「ZARD忌」では…。

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□◆□…優嵐歳時記(1831)…□◆□

  蛇苺幼き日々は胸底に   優嵐

アートセラピーではあるテーマで絵を描き、それについてそれぞれが自分のことを掘り下げ、参加者全員でその内容をシェアします。ここに参加したきっかけは、早春の日の気づきからでした。どうしてあのようなことが起こったのかは今でもよくわかりませんが、とにかく起こったことは事実であり、それが自分にとっては人生を変えてしまうくらいの出来事だったことだけは確かです。

誰に感謝すればいいのかわからない、と以前書きました。そしてまたひとつ気がつきました。今生で出会った方々に感謝するのはもちろんですが、もうひとり感謝すべき存在があります。ただ、正確に言うと「ひとり」ではありません。それは過去世の自分自身だからです。

自分がこの世へ何度生まれ変り死に変わりしたのかはわかりません。しかし、私の過去世を生きてきた人々が、人生でそのときそのときの学びを果たしてきてくれたから、今私がここの地点に立っているのだと思います。歴史の上では全く別の人生。性別、貧富、人種、国籍みんな違うでしょう。でも、それは私の「たましい」の上では繋がっているのです。

それはこの世からは見えません。でも間違いなく繋がっていて、ひとつのチームのようなものです。それならば、今生で私がすべきことは、さらに一歩前に進むことです。そうすれば来世の私の「たましい」はもう少し進んだ地点から登り始めることができます。それは物質的に「ラクな」人生がやってくる、というわけではありません。もっと違う何かがもたらされるのであり、その方がずっと重要です。


090526

□◆□…優嵐歳時記(1830)…□◆□ 

  大橋の彼方は夏の霞かな   優嵐

アートセラピーの二回目に参加してきました。日曜日なのに行きも帰りも電車はよく空いていて、立っている人の姿がほとんどありませんでした。半分以上の人はマスクをつけていて、やはり新型インフルエンザの影響は大きいようです。こうも人出が少ないと娯楽施設や観光関連産業などは痛手でしょう。

朝、尼崎の手前の駅で人身事故があり、電車が30分ほど遅れました。電車の中でこのニュースを聞いたとき、今までならうんざりしたものでしたが、今回は、もし亡くなられた方があるのなら、どうか安らかに、そしてそれによって衝撃を受け、つらい思いをされる関係者の方にも、支えとなってくれる「何ものか」が救いの手を差し伸べてくれますように、と祈りました。

ニュースで悲劇的な事件を聞いたとき、このごろは犠牲になられた方、関係者の方、そしてその悲劇を引き起こしてしまった加害者にも「どうか安らぎのときが訪れますように」と心の中で祈るようにしています。当事者すべてが何らかの縁によってこの世のつらさを体現していらっしゃるのだ、と思うからです。

090525

□◆□…優嵐歳時記(1829)…□◆□

  青羊歯の色深まりし静けさに   優嵐

増位山国有林の谷に羊歯の新葉が青々と美しい季節になりました。今は檜の植林が広がっていますが、かつては落葉樹林だったはずです。青羊歯の若々しい緑色、しかし、羊歯という植物の持つ雰囲気のせいでしょうか、躍動感あふれるというよりは、静寂を感じます。

今年もリクライニングチェアが活躍するシーズンになりました。これで4年目くらいになるのですが、ラフマのこの製品がとても気に入っています。非常に寝心地がよく、昼食後に窓からの風に吹かれながらうたたねをするのが最高です。

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□◆□…優嵐歳時記(1828)…□◆□ 

  いきいきと若葉の峰に風寄せる    優嵐

俳句の師から「最近、句がよくなっている」とうれしい言葉をいただきました。自分自身では特に何か変ったとも思えないのですが、変ったことがわからないというあたりがまだまだ未熟者だという証拠です。

何かあったのですか? と聞かれ、思い当たることと言えばこの早春以来の出来事です。自分自身の内面は確かに変ったと思いますから。生まれ変わったとまではいかなくても、それに近いくらいの変化はありました。

毎日ZARDの楽曲をYouTubeで聴いていますが、自分の俳句に坂井泉水さんの詞が影響を与えている、と感じることがあります。彼女の詞の中には、文法的に「?」と思える部分や、詞全体で結局二人はどうなってるの? というような歌詞もあるのですが、音楽と組み合わせて提示されると、「ああ、この人はやはり凄い」と思います。

あの懐かしい故郷へ、いつか帰りたいと雨の日はそう願う…(『pray』より)。彼女はきっとその懐かしい故郷へ今は戻って、ゆっくり休んでいることでしょう。


□◆□…優嵐歳時記(1827)…□◆□ 

  木下闇蛙の卵ひっそりと   優嵐

随願寺の梅林内の池でモリアオガエルの卵をみつけました。アマガエルに似た日本の固有種で本州と佐渡島に分布しています。このカエルの特徴は、水面上にせり出した木の枝などに粘液を泡立てて作る泡で包まれた卵塊を産みつけることです。よく目だち一度見るとすぐにそれとわかります。

近くでモリアオガエルの鳴声が聞こえる中、写真を撮りました。木下闇(こしたやみ)とは、樹木がよく茂って、昼間でも暗い感じを受ける木の下のことを指しています。まさにそういう印象を受ける場所にシェービングクリームのような卵が…。

090521

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