優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2009年06月

□◆□…優嵐歳時記(1856)…□◆□

  さっきから田をひとめぐり夏帽子  優嵐

梅雨入りしてから梅雨らしい雨が降っていません。梅雨が本格化するのはむしろ七月に入ってからでしょうか。六月も後半に入り、さすがに気温があがってきました。湿度も高く、蒸し暑い日本の夏らしくなってきました。もうすぐ今年も前半が終わります。前半の集大成をしておかねば。

今年はもう凄い年でした。人生でもこれほどの大きな変化(内面的にという意味ですが)があった年はそれほどない、と感じています。乳幼児期は別にして(このころは記憶にない)その後のもっとも大きな変化が起きる思春期と比べても、今年は遜色ありません。こういうのはやっぱりありがたいことだと思います。

<夏草>
きたいこと
らいこと
るしいことばかり…
ればこそ それがこの世


090620

□◆□…優嵐歳時記(1855)…□◆□

  夏草を横切っていく鳶の影   優嵐

俳句はおそらく世界でもっとも短い定型詩です。外国にもソネット、律詩といった定型詩があり、頭韻・脚韻を踏むこと、音節の数に規則を持たせること、文字数をそろえることなどが具体的な制限として挙げられます。定型詩に対して、そうした制限を持たない詩を自由詩といいます。

自由詩の方が作るのは楽なように思えますが、わたしは定型詩の方がむしろすらっと詠む事ができます。なんでもいいとなったら、かえって戸惑ってしまうようです。ただ、俳句以外の形でも言葉で遊んでみたいので、和歌の折句歌を参考にして詩を作ってみました。

折句歌とは、決められた言葉を和歌の中に織り込んで詠まれた歌のことで、有名なものに、在原業平の「かきつばた」の歌があります。

からころも きつつなれにし つましあれば
          はるばるきぬる たびをしぞおもう

五七五七七のそれぞれの言葉の頭が「かきつばた」になっています。こういうシバリがあると、かえってそこから連想が広がります。詩だけでなく何事もそうかもしれません。季語を折句にしてみました。クロスワードパズルのような趣です。

<額の花>
んばりすぎるから
るしい
んびりと
なをながめて
つのかぜにふかれてごらん

090619

□◆□…優嵐歳時記(1854)…□◆□

  にわか雨宿してすがし額の花   優嵐

ここ数日夕方に雷雨が続いています。盛夏のように激しい降りではなく、控えめに何度かゴロゴロいって、道をようやく濡らす程度の雨が通り過ぎていきます。それでもその後は気温が下がり、さっぱりします。昼間の気温はかなりあがってきました。扇風機をそろそろ出すかな、と考えています。

わたしは眺めるもの 
宇宙空間のただなかに座る
白いスクリーンに映し出される影 
矢継ぎ早のスライドショウ
過ぎ去っていく影を見送る

星はわたしを取り巻いている
広い世界の真ん中でわたしは眺める
影はただ来ては去る
巻き込まれさえしなければ
座って穏かに影を見送る

それはスライドショウ
ただひとつリアルなのは
ここに座って眺めているわたし

090618

□◆□…優嵐歳時記(1853)…□◆□

  陽の高き午後ほととぎす鳴き続け   優嵐

梅雨の中休みの状態が続いています。百日紅、紫陽花、立葵といった仲夏を彩る花が日差しに鮮やかです。昼間は窓を開けて過ごし、風と眺めを楽しみます。風景を楽しむというより、そこの空気感を楽しむといったらいいでしょうか。意外に静かで穏かな時間が流れていきます。幸せとはこういう感じだよな、と思います。

窓から川の流れが見えるのがひとつの魅力です。子どものときの家も近くに川があり、水のさまざまな表情は眺めていて飽きないものでした。波打ち際で波を見るのもいいものです。水の動きや音は人間に心地のいい何かを与えてくれるのでしょう。

都会の地下道などにさえ、人工的に水の流れを作っています。もし宇宙ステーションができて、人間が何年も長期滞在するようになったら、宇宙でも水の景観は必要になるような気がします。


090617

□◆□…優嵐歳時記(1852)…□◆□

  夏の蝶しばしとどまり風に消え   優嵐

六月も半ばを過ぎましたが、自然歩道歩きは続けています。想像していたよりも森の中はまだ暑くありません。今日のお昼時は水道水が温く感じましたから、日光の強さはかなりのものと思われますが、森に入ってしまうと、茂った緑が日差しをさえぎってくれ、そこを吹き抜けていく風は心地よく、夏ならではの森歩きを満喫しています。

日本アルプスやヨーロッパアルプスまで出かけて山を歩いたことがありますが、この300mにも満たない低い山の自然歩道にはそれとはまた全く違う魅力があります。静けさと柔らかな緑の感触、包み込まれてほっとするような。ほぼ毎日同じところを歩けるため、季節の細やかな移り変わりがよくわかります。

ドウダンツツジがそろそろ花の時期を終わろうとしています。頂のベンチで寝転んでいると、空高く岩燕が何羽も縦横に飛びまわっているのが見えました。午後の日差しは周囲の木でさえぎられ、風が爽快です。

090616

□◆□…優嵐歳時記(1851)…□◆□ 

  梅雨の夜の稜線静かに横たわる   優嵐

YouTubeがなければZARDの音楽に出会うことはなかったでしょう。大量の動画がアップされていて、残されている音源・映像のうち公開されているものは、ラジオ番組のコメントまで含めてほとんどアップされているのでは、とさえ思います。もともとメディアへの露出が極端に少ない人ですから。

いろいろ見ていると、へえ〜、と思うような動画もあり、これはそのうちのひとつです。坂井泉水さんは作詞家として何人かのアーティストに詞を提供しています。自分でもセルフカバーで歌っており、これはテレサ・テンさんに提供した『あなたと共に生きてゆく』です。テレサさんの最後の録音曲となり、ZARDでは最後のオリジナルアルバム『君とのDistance』に収録されています。

台湾の方が動画を作られたようで、二人の映像と声をうまく組み合わせてバーチャルでデュエットしているようにさえ聴こえます。音源や映像が残っていれば、それをもとにさまざまなことが可能なのだなあと驚きます。



□◆□…優嵐歳時記(1850)…□◆□

  熱々のピザに喉越し生ビール   優嵐

インターネットで人物紹介の記事を読んでいて「高校生のときにロリータクラブの交換留学生としてアメリカに留学」との文に出会いました。「え? ロリータクラブ?」驚いてもう一度よく読んでみると「ロータリークラブ」でした。ひとり部屋でげらげらと笑ってしまいました。読み間違いもそうですが、「ロリータクラブ」と思った瞬間に自分の頭の中を駆け巡った妄想の素早さ。

外来語で日本語と馴染みにくいためか、よく知られている言葉でも間違いやすいものがあります。私は「シミュレーション」を「シュミレーション」と間違えてしまう傾向があり、今でもこの言葉を口から出すときは一瞬慎重になります。また、漢字も曲者で、「申し訳ない」というのはお詫びの言葉ですが、「申し分ない」となると、全く意味が違います。訳と分の訓読みが同じため、余計混乱しやすいようです。

日本語は同音異義語が多いため、わざわざ間違った語をあてはめてその雰囲気を出そうとすることがあります。「ふれ愛」なんてその一例でしょう。ネーミングにもこうした発想が使われ、これは傑作だと思ったのは、ガス風呂釜の湯垢清掃用具の「バス・コ・ザ釜」という名前でした。そんなものに自分の名前がもじって使われているとは、バスコ・ダ・ガマはあの世で驚いているでしょう。

090614

□◆□…優嵐歳時記(1849)…□◆□ 

  梅雨晴れの光を縫いしオートバイ   優嵐

梅雨の晴間、オートバイで走るのは爽快です。この時期は最も日が長く、日の光の輝きが増す時期です。ヨーロッパなどではその日中の長さと日差しを楽しみます。梅雨があるために今ひとつそういう雰囲気とは遠い日本ですが、梅雨は梅雨ならではの趣もあります。それを楽しみたいと思います。

オートバイの何が好きかといえば、あの加速感です。原付に乗っていたこともありますし、スーパーカブで長期ツーリングしたこともあるので、それはまたそれで好きなのですが、スロットルを廻して一気に加速するときのあのパワーはオートバイならではのものです。


090612

□◆□…優嵐歳時記(1848)…□◆□

  人ふたり待つバス停に枇杷熟れる   優嵐

最近、法然に惹かれてたて続けに関連書籍を読んでいます。昨日、からくりさまからいただいたコメントに「中世に生れていたらお目にかかりたかった」と書きましたが、もしかしたら何代か前の前世で法然と同じ時代(12世紀から13世紀初頭)を生きて彼の帰依者か弟子だった可能性もあるなあ、と思いました。

『平家物語』で有名な熊谷次郎直実も法然の弟子になっています。直実は一の谷の合戦で平敦盛を泣く泣く討ち取ったことで世の無常を感じ、出家します。法然に面会を求め、いきなり刀を研ぎ始めたため、驚いた弟子が法然に取り次ぐと、直実は後生について、真剣にたずねました。

法然は「罪の軽重をいはず、ただ、念仏だにも申せば往生するなり、別の様なし」と応えます。その言葉を聞いて直実は、さめざめと泣いたといいます。なぜ泣かれるのかと問う法然に「私のような罪深いものは、切腹するか手足の一本も切り落とさねばならぬと言われると思っておりました」と直実は言います。私もこの時代に生きていたらこういう荒っぽい武者だったような気がします…。

身近な肉親や友人として接する人は多生のご縁が深い方だそうですが、実際にはお目にかかったことのない人でも、不思議に惹かれたり影響を与えられたりする方というのは、きっと何度も生まれ変わりするうちのどこかでご縁があった方に違いないと思います。

法然は聖人というにふさわしい人でしたし、実際身の回りで不思議なことが起こったそうです。ですから亡くなった後は現世に戻ってくることなどはなく、今は仏となって西方極楽浄土から輪廻の中で苦しむ衆生を救っておられるのだろうなあと思います。


090612

□◆□…優嵐歳時記(1847)…□◆□ 

  梅雨茸のひかりそのまま無上仏   優嵐

梅雨の時期の茸を総称して「梅雨茸」といいます。先日、倒木の檜に生えている茸を見つけました。こうして倒れたものは菌類などによって分解され、地球の生物循環の鎖の中へ再び組み入れられていくのです。

一般に知られている如来や菩薩とは異なる仏のあり方が、大乗仏教にはあります。如来や菩薩にはそれぞれ個性があり、人間側の宗教的要求に応じる手がかりを持っています。身近な仏像はそれを仮にかたどったものです。

一方、そうした手がかりがいっさいなく人間の認識を超越した真理としての仏もあり、それを「無上仏」と呼びます。無上仏は如来や菩薩のさらなる根拠であり、こうした固有名詞で呼ばれる仏になって初めて人間と接触することができます。

この考え方、なんとなくイスラムの唯一神アッラーを思い起こさせるものがあります。イスラムは神の姿を偶像にすることを厳しく禁じています。真の根源的な創造の源というのは、人間存在からは認識できないものなのでしょう。

生きている身体を見ることはできますが、命そのものを見ることはできない、そういう感じに似ています。

090611

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