優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2009年06月

□◆□…優嵐歳時記(1846)…□◆□

  忍耐と言うは易しき梅雨に入る   優嵐

九州南部から東海地方までが9日に梅雨入りした模様、と気象庁が発表しました。走り梅雨があって、二三日晴れて梅雨入り、今年は梅雨らしい梅雨になりそうな気配です。

私はせっかち(関西風に言えばイラチ)です。気が短くて決断が早い。何をするときもほとんど迷いません。ぱっぱと決めてしまい、それで後悔したこともまずありません。後悔という文字が辞書にない、という雰囲気。

だから、忍耐というのが苦手です。少しましになってきたかと思いますが、忍耐するくらいならやめてしまう、というタイプでした。しかし、それでは肝心な最後の詰までもっていくことができません。粘り強くやる、それが課題ですね。

090610

□◆□…優嵐歳時記(1845)…□◆□

  満月の青葉透かして昇りくる   優嵐

月は単独で詠めば秋の季語です。しかし、どの季節の月もそれなりに味わいがありいいものです。曹洞宗の開祖道元に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪冴えて すずしかりけり

という歌があります。日本の自然を三十一文字の中に凝縮して歌った素晴らしい歌です。”夏ほととぎす”と歌われているホトトギスですが、托卵という性質を持っています。ウグイスの巣に卵を産み、その卵はウグイスより先に孵って他の卵を抹殺し、ウグイスの親から餌をもらって成長します。

一種の乗っ取りなのですが、なぜこんな奇妙な性質を持つにいたったかと思うと不思議です。客観的にみれば詐欺とも強盗とも思えるような所業ですが、それが自然界では認められている…。

最近読んでいる浄土仏教の「宿縁」ということを思います。何が悪で何が善か、善悪正邪と声高に言うのは、人間の浅い了見ではないか、と。もっともっと深いものがこの宇宙には満ちているのではないか、と。

090609

□◆□…優嵐歳時記(1844)…□◆□ 

  空映す水に早苗の並びおり   優嵐

姫路ではこの週末が田植というところが多かったようです。水が入っているなと思っていたら、翌朝にはもう早苗田になっています。増位山の頂から眺めると、さすがに姫路城のあたりは市街地で田んぼは全くありませんが、北へ目を移すと水の入った田が広がっています。

早稲の作付けが多い地方では、もう青田に近い姿になっているでしょうが、このあたりではまだまだ六月が田植のシーズンです。夕暮れ時がもっとも遅いころでもあり、この時期の水田に映る夕空の景色は実にゆったりとした気分にさせてくれます。


090608

□◆□…優嵐歳時記(1843)…□◆□

  河骨のいくつか高く抜きん出て   優嵐

河骨(コウホネ)が随願寺の池で咲き始めています。スイレン科で黄色い五弁の花をつけます。水底の根茎が白く硬い海綿質をしているところから、これを骨にたとえて河骨との名がつきました。これを乾かしたものは川骨(センコツ)と呼ばれ止血剤や強壮剤に用いられます。葉柄は矛形の分厚いつやのある葉身を水に浮かべます。

かたわらではモリアオガエルの卵がさらに増えています。卵からかえるとおたまじゃくしは水面に落下するのでしょう。なぜ水中ではなくわざわざ木に産み付けるのか不思議です。雨模様になるかと思っていましたが、お天気は回復し、午後から森を歩きました。頭上をホトトギスが大声で鳴きながら飛んでいきました。

090607

□◆□…優嵐歳時記(1842)…□◆□

  雨落とす気配の雲にゆきのした   優嵐

雨が降ったりやんだりでした。天気予報によれば週末もこういう梅雨空っぽいお天気が続くようです。いつのまにかゆきのしたが咲き始めています。地味な花ですが、よくみるとなかなか可愛らしい造形です。

今、倉田百三の『法然と親鸞の信仰』を読んでいます。私はこれまでこうした浄土系の仏教にはあまり惹かれることがなかったのですが、この早春以来の出来事で、「弥陀の本願」という浄土仏教のあり方に興味を持ち、読み始めました。

法然は比叡山で智慧一番といわれたほどの学識の持主でした。彼は武士の子として生まれますが、9歳のとき、実父を殺されます。亡くなるとき、父は彼に「復讐をしてはならない」と言い残します。法然が仏道を学んだ目的は「生死を離れる」、つまり悟ることでした。しかし、いくら勉強しても、叡山の書庫を漁り、議論しつくし、相手を驚嘆させてもその道に達したという実感が得られません。

法然は焦り、絶望感にとらわれます。そして、悩みぬいて20年以上たった43歳のとき、恵心僧都の『往生要集』に暗示されて卒然と専修念仏の道に目覚めます。自力で救いに至るために懸命の努力をしてきたけれど、人の力だけでは限界がある。そうではなく、仏の願力によって救われる、そのことにとっさに思い当たったのです。

この部分を読んだとき、泣けてきました。私は法然のように悟りを求めて仏道修行をしたわけではありません。しかし、それでも物心ついてからずっと家庭環境で悩んできました。妬ましく恨みがましく思う自分の心をうとましく思いながらそれをどうすることもできない。また、18歳のときに友人の自殺に遭遇して、いったい何のために生きているのか、との疑問に突き当たり、ずっとわからないままでした。

唯物論的科学原理主義の中で生まれ育ったために拠り所となるものが全くありません。必死で手がかりを探したけれど、何もない。確信できない。もし自分が単なる遺伝子の偶然の結合の結果の産物で、死んでゴミになるなら、なぜ今自殺してはいけないのか。勉強していい仕事について、社会的に成功したからといって行き着く先がゴミなら生きていくことの意味や目的は何なのか…。

この早春、梅林で私の心に語りかけてくれたのは阿弥陀さまなのか、その名前がなんと呼ばれているのかは知りません。でも、その存在は私の心に呼びかけてくれた。法然が専修念仏に目覚めたそのときの心境を、倉田百三は「これは心情の事実であって合理的には解釈できるものではない」と書いています。そして、法然でさえそこに至るには長い年月の懐疑と煩悶が必要でした。

この早春の出来事をうまく他の方に説明することはできませんが、このときの法然の喜びを少し理解できるような気がするのです。そのとき彼がどれほど歓喜し、涙を流したかを。


090606

□◆□…優嵐歳時記(1841)…□◆□

  雨上がる青葉若葉の森歩く   優嵐

雨は落ちませんでしたが、曇り空でした。このままずるずると梅雨になっていくのかもしれません。近所では田植の準備が進んでいます。雨があがったあとの森を歩くのが好きです。

毎月送られてくるJAFの会員用冊子に「やっぱり乗り物がおもしろい」というコーナーがあります。今月号にはホンダのレジャーバイク、モンキーが取り上げられています。販売休止になっていましたが、モデルチェンジして再発売されたのです。

車重68kg、49ccと小さなバイクで、車に搭載することも考えてハンドルを折りたためるようになっています。乗ってみたくなりました。どうも、こういう二輪、三輪ものに弱いのです。

090605

□◆□…優嵐歳時記(1840)…□◆□ 

  走り梅雨お昼は熱き玄米茶   優嵐

朝から雨。梅雨の走りのようです。『楽しい万年筆画入門』という本に刺激されて、大学ノートに万年筆で落書きをしています。ブルーブラックのインクで罫線のあるノートに描いているわけですから、絵を描くぞ、という気負いと無縁なのがいいです。

参考にしているのは『草木花歳時記 夏』に載っている植物の写真です。外へスケッチに行くなんてなんだかまだ大層ですし、かといって湯呑みや置時計では描く気になれない。絵は好きなのですが、準備や後片付けに手間がかかる画法はどうも長続きしません。

すぐ飽きてしまう私が俳句を続けられている訳は、いつでもどこでもでき、特別な用具がいらないからかもしれない、と思います。歳時記とメモがあればそれで大丈夫ですし、ある程度続けていれば、いくつかの季語は頭に定着してきます。絵に関して、あまり構えずに描けるかも、と今思っているのは、クレパス、色鉛筆、万年筆、サインペンあたりでしょうか。

090604

□◆□…優嵐歳時記(1839)…□◆□

  登校す夏服朝日に輝かせ   優嵐

六月になって登校する最初の日、教室が一気に明るく輝くような気がしたものでした。逆に十月の最初の日はがらりと落ち着いた雰囲気に包まれます。今もきっとああいう雰囲気なのでしょうね。勉強したことの内容なんてすっかり忘れているのに、こういうどうでもいいことをよく覚えているものです。

学校という空間は最も変っていない場所だと言われます。変ってはいるのでしょうが、社会全体の変化に比べれば微々たるものでしょう。現在の学校制度の基本ができたのは明治維新から数年たったころですから140年近くたち、戦後の六三制になってからでさえ、すでに60年以上たっています。

しかし、同時に現在のような学校ができて一世紀ちょっとしかたっていないのかと驚きます。五代ほど前の先祖は学校なんて見たこともなかったのです。制度とか組織というのはこういうものかもしれませんね。

090603

□◆□…優嵐歳時記(1838)…□◆□ 

  六月や葉陰の濃さの増したるを   優嵐

朝、窓を開けると夏の白いセーラー服に替えた高校生が自転車を走らせている姿が見えました。朝日が彼女にあたって夏服がまぶしく輝いていました。赤いランドセルの子も駆けていきます。衣替えですね。私も半袖のポロシャツで過ごしています。

家の前のソメイヨシノがいつの間にか葉の色を濃くして青々と茂っています。夏本番ももうすぐだなあとそれを見上げました。散歩にも半袖で出かけました。自然歩道は森の中を通っていますから、そこに入ってしまえばほとんど日差しは遮られます。アスファルトの上でのウォーキングなら日差しと照り返しがたまらないでしょうが、森の中は適度に風も通り、快適です。

途中の切り株できのこを見つけました。「きのこ」は秋の季語ですが、梅雨近い時期でも立派なものが生えています。名前はわからず、食べられるものなのかどうかもわかりません。姿は地味ですが、あまり詳しくない人間がうっかりとって中毒なんてことになるとお騒がせですから、写真のみ。

090602

□◆□…優嵐歳時記(1837)…□◆□

  東京は窓の連なり五月の夜   優嵐

今日から六月ですが、東京に行ったときのことを思い出して「五月の夜」です。新幹線で東京に向かいました。午後四時ごろに家を出れば、夜には東京ですから、昔の人からすれば信じられないスピードでしょう。人間はこうした便利さにはすぐに慣れて、それがあたりまえになってしまいます。

子どものころ、携帯電話なんてSFの世界でしたが、今や生活必需品です。しかし、電車に乗ると誰も彼もがあの四角い画面を覗き込んでいるのは不思議な光景です。本を読んでいる人は、マンガですら少なくなり、紙の出版物媒体の消滅は近いなと考えざるをえません。10年後の紙の出版物は、今の公衆電話のような存在になっている気がします。

書物は残りますが、それは電子媒体という形ででしょう。紙は重いし嵩張るのが難点です。すべてデジタルで呼び出せる形になれば、その方が資源は節約できますし、検索にも便利です。ただ、アイデアを手書きするという方法は、人間にとってデジタルでは代えがたい面を持っていますから、メモや手帳、ノートは残るでしょうね。

090601

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