優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2009年07月

□◆□…優嵐歳時記(1897)…□◆□

  緑蔭に風の渡るを聞いている   優嵐

久しぶりに一日中青空が広がりました。梅雨明けとの宣言はまだありませんが、空にはすでに秋の気配が感じられます。風が爽快に吹いて、いいお天気で日差しが強かったのに蒸し暑さはなく、気持ちのいい一日でした。

増位山の山頂へ行くと、風の影響で塵と水蒸気が一掃され、播磨灘が広々と見渡せました。大鳴門橋も久しぶりに見えました。海の青さが手に取るようにわかり、こういう景色にあえるからいいよなあと、山頂からの眺めを楽しみました。山頂の西行の歌碑の上に緑色の繊細なカマキリがいました。

自然歩道の途中、檜の植林がされているところではひぐらしが盛んに鳴いています。ひぐらしは季語では「初秋」に分類されます。かなかなかな…という透き通った声が涼しさを感じさせてくれます。

<永遠>
吹き抜ける風が
木漏れ日を揺らす
ひぐらしの声に包まれて
森を歩こう
梢の向こうの空は
もう高く澄み始めている
頂からは青い海が見えるだろう
双眼鏡を持ってきたかい?
こんな日は永遠が見えるよ

090731

□◆□…優嵐歳時記(1896)…□◆□

  からからと梅酒グラスの氷かな   優嵐

先日、不思議な夢を見ました。坂井泉水さんが、四書五経を読むように勧めるのです。四書五経とは、儒教の聖典で、「書経」「易経」「礼記」「詩経」「春秋」「論語」「孟子」「大学」「中庸」 を指します。なんでZARDが四書五経なの?と思いますが、この支離滅裂なところが夢のお告げでしょうか。

それにしても、なぜかなんてよくわかりませんが、彼女は一種のメッセンジャーとして現れてくれます。「誰かが待ってる」で法然さまですしね。彼女のお告げはこんな感じ。さっそく図書館へ行って『論語 (ワイド版岩波文庫)』を借りてきました。四書五経関連だけで棚が何段か埋まっているくらいでしたから、これで意味がよくわからなければもっと別の参考書も読んでみようと思っています。

四書五経は仏教と並んで古くから日本人の精神的なバックボーンになってきました。儒教というもの、何か男尊女卑の匂いがして食わず嫌いだっだのですが、これを機会にひととおり読んでみようと思っています。すでに『易経』には何年も前から親しんでおり、助けられています。

先日もあることで易をたて、ひとつの答えを得たあと、図書館で易の本を開いたら偶然同じ卦のところが最初に開きました。シンクロニシティだ、と感じました。こういうことは大事にしたい。論理的に説明できるものではありませんが、そもそも今自分がここにこうして生きていること自体、理論的必然性があるわけではないですから。すべては何らかの宿縁、シンクロニシティの結果と考えれば、宇宙が告げることに耳を傾けた方がいいか、と。

090730

□◆□…優嵐歳時記(1895)…□◆□

  Tシャツをたためば夏の陽の匂う   優嵐

日に干した洗濯物や蒲団を取り入れると太陽の匂いがします。あれは、何がどうなって香るものなのでしょうか。今週は雲と傘のマークが連なっていて、どうやらまだ梅雨明けには時間がかかりそうです。立秋は8月7日なので、夏の終りまではすでにカウントダウンに入っています。

長引く梅雨の中でも蝉は懸命に鳴いています。雨があがると即座に鳴き始めるのは、短い地上生活で素早く相手を見つけなければならないからでしょう。蝉の姿となり、私たちの目に触れているのは最晩年の姿です。地中で何年も暮らし子孫を残すためだけに地上に出て、わずか数日で生涯を終えるのですから。

<つゆ>
らいときこそ
うきがほしい

090729

□◆□…優嵐歳時記(1894)…□◆□

  詩の流れ出したる梅雨の万年筆   優嵐

午前中は目の前が白くなるほどの激しい雨でした。梅雨末期の豪雨です。今度晴れたら気象庁は梅雨明けを宣言したい、と考えているのではないでしょうか。八月になってしまいます。何年か前、東北地方が梅雨明けしないまま夏が終わったことがありました。今年もその気配が濃厚です。

ここで詩もどきのものを記し始めて一ヶ月くらいになるでしょうか。俳句も詩ですが、まあ、ちょっと形式が違いますので…。最初は詩なんか書けないと思っていたのですが、書いているうちに「なんでもありかな」と思い始め、浮かぶままのよしなしごとを詩にしています。

俳句を詠み始めたときも何度か挫折してなかなか続かなかったのですが、あるときふっと続くようになりました。詩もそうなるといいな。表現形式が変ると、浮かんでくることも全く違ってくるものですね。


<太陽よ>
雨があがった窓辺に立って
乾いてくる風に吹かれている
空梅雨だったのに
梅雨はまだ居座っている
もったいぶるのはやめようよ
真夏の太陽が欲しいんだ

090728

□◆□…優嵐歳時記(1893)…□◆□

  日焼けせる脚のすらりと浜辺ゆく   優嵐

最後にこれでもかというほど日に焼けたのは学生時代のことでした。沖縄の離島へ行って、スキンダイビングを楽しみました。本土とは紫外線の強烈さが段違いで、恐ろしいほど日に焼けました。ひりひりしてお風呂に入れずずっとシャワーだったことを記憶しています。

あのころはまだ無頓着だったというか。しかし、それ以後はアウトドアへ出かけるときはこまめにサンスクリーンを塗るようになり、海で泳ぐこともなくなって激烈な日焼けとはおさらばしてしまいました。サンスクリーンは度数の強いものを使うより、こまめに塗りなおすことがポイントですね。


サングラスに白い帆を映して
きみは空を見上げる
沖からの風が吹き続けている
水平線から目をそらして
そんなきみの横顔を見ていた



090727

□◆□…優嵐歳時記(1892)…□◆□

  手さぐりでスイッチ入れる蚊遣かな   優嵐

空梅雨だったのに、なかなか梅雨が明けません。子どもの頃はもっと早く梅雨が明けていたように思います。夏休みに入るまで梅雨が明けないなんてことはなかった。さらに週末ごとにお天気が崩れ、これでは海水浴場にとっては痛手でしょう。立秋を過ぎれば秋風がたち、お盆を過ぎるともう海水浴という雰囲気ではなくなります。

蚊はめったに入ってきませんが、それでも電子蚊取は枕元においています。時々あのプーンという羽音が聞こえることがあるからです。あの音が人間の耳に聞こえるのは、進化の賜物でしょうか? 

<新しい朝>
目覚めると
遠くからかすかに聞こえる
ラジオ体操の歌
「新しい朝が来た希望の朝だ」
ずーっと新しい朝がくる

まるで永遠に明けないような夜
じっと待つ
あけぼのの色
闇の底が割れてくる
朝はやがて夜になるけれど
それでもまた
ずーっと新しい朝がくる

090726

□◆□…優嵐歳時記(1891)…□◆□

  開山堂茂りの中に静まれり   優嵐

茂りとは、夏の樹木の枝葉が鬱蒼と重なったさまを指します。増位山の自然歩道歩きは少し距離を短くし、時間帯も夕方近くにして続けています。23日にここの駐車場で事故が起こり、中学三年生の少女が亡くなりました。この駐車場は以前からドリフト走行するグループが集まっており、ハンドル操作を誤った車にはねられたのです。

はねたのは16歳の無免許の少年で、車を貸したのは18歳の少年です。加害者も被害者も全員未成年で、双方のご両親、家族、関係者の方々のつらい気持ち、これからの賠償等も含めたさまざまなことを思うと、胸が塞がる思いがします。

事故現場には花束とお菓子、飲み物がお供えしてあり、手をあわせてきました。軽い気持ちで遊び仲間が集まって騒いでいたのだと思います。確かにいけないことはいけないことです。しかし、若いときはハメを外して、随分やんちゃなことをやった人も珍しくないでしょう。それが彼らの場合は思いもかけない悲劇につながってしまった…。

私自身、高校生で原付の免許をとったばかりのときに友人のバイクを借りて二人乗りをし、あわや車にぶつかりそうになったことがあります。あのときほんの数十センチずれていたら、その後の人生はなかったかもしれません。



090725

□◆□…優嵐歳時記(1890)…□◆□

  土砂降りのあがればたちまち蝉しぐれ   優嵐

梅雨明けを思わせる青空が広がりました。一日ずれていれば、見事な日食を楽しめたのにとちょっと残念ですが、それが自然というものなのだと思います。ままならないからこそ素晴らしい。

先日、大雪山系で夏山には珍しい大量遭難事故がありました。ツアー会社の責任が問われることになるのでしょうが、自然の中へ入っていくときは、不測の事態が発生することを常に頭においておかないと、とあらためて思いました。

私も山へよく行きますが、日本の山の場合、単独行がほとんどです。山歩きの本には単独行は危ない、と書いてあるのですが、今回の事故を見ていると、集団行動だから逆に危険を回避できなかった部分があるのでは、と感じます。単独行の場合、責任はすべて自分にありますから、慎重になります。

以前、南アルプスの農鳥岳(3,026m)で天候の急変に遭遇したことがあります。予定の山小屋まで行くのを断念し、引き返して途中の山小屋に入った直後、土砂降りの雷雨になりました。グループ行動だったら、素早い決断ができたかどうか。

山はひとたび天候が崩れると下界とは全く違う世界になります。それでもアウトドアでの単独行には、ただひとりで静かに自然の中へ入っていくという他では味わえない魅力があります。


<視線>
ふと誰かに
見られてる気がして
ふりむくと
ひまわりの
黄色い視線に
ぶつかった


090724

□◆□…優嵐歳時記(1889)…□◆□

  ボールペン使い切ったり日食の夏   優嵐

昨日は日食でした。雲が出てあまり見えませんでしたが、日食中はさすがに暗くなりました。からっと晴れた日であればその劇的な変化を実感できたと思いますが、雷雲が近づいているのか?という程度の暗さでしたので、日食といわれなければそれと気づかない人があったかもしれません。次に日本で見られる日食は26年後とか。

ボールペンをこれまで何本も使ってきましたが、インクが完全になくなるまで使ったというものはほとんどありません。なくしてしまったり、途中で書けなくなったり。特に今回使い切ったものは赤のボールペンなので、おそらく生れて初めてかも、と妙な感激を覚えています。


<幸福>
幸福とは
没入
ひらめき
落差


090723

□◆□…優嵐歳時記(1888)…□◆□

  梅雨深し少女の頃の歌流る   優嵐

午前中は土砂降りの雨でした。梅雨末期の豪雨です。それでも夕方には晴れてきました。車の窓を開けて走っていると、信号待ちで停まったときに角の店から歌が聞こえてきました。題名が思い出せないのですが、確か小学校高学年の頃に流行っていた歌だったはず、と記憶が甦ってきました。

大ヒットした歌ではないので、あのころ以来初めて耳にしたくらいでした。それなのに、瞬時にさまざまな記憶が浮かんできて、懐かしかったと同時に人間の記憶というのは不思議だなと思いました。

デジタルで情報を扱うとき、文字、画像、動画の順に情報容量が大きくなります。音楽は文字と画像の間くらいの位置でしょうか。デジタルでは文字が一番軽くて記憶させやすく、その情報に意味があろうがなかろうがメモリーに差は出ません。しかし、人間の記憶はこういう形をとりません。「機械的な暗記」という言葉がそれを象徴していて、人間の脳はそういう作業が苦手です。

文字よりも画像の方がはるかに残りやすく、文字であればそこに音楽をつけて歌にしたり、あるいは物語にして意味を持たせたりした方がずっと記憶の定着率が高くなります。歴史の年号をおぼえるのに語呂合わせを使ったりするのはおなじみです。流行歌の歌詞だけを思い出せなくても、メロディが流れてくれば歌えますし、それと同時にその当時の思い出まで甦ってきます。

デジタルなら、余計な情報が附属しない方がいいのに、人間はわざわざそういうことをした方が記憶を保持できるというのは、考えてみれば不思議です。さらに、興味があれば記憶力が倍増するのも特徴です。人工知能の研究ではこういうところはどのように考えられているのでしょうか。

脳は生体ですから、それ自身が新陳代謝をして他の身体の組織と同様に瞬時も留まらず細胞が入れ替わっているはずです。にもかかわらず、記憶が、それもとても利用価値があるとは思えないようなささいな記憶が保持され続けているのはなぜなのでしょう。新陳代謝の際に物理化学的な信号の形で記憶の受け渡しがされているのでしょうが、この膨大な記憶をいったいどうやって保持しているのでしょう。

認知症になった場合、最近のことから忘れていき、若いときの記憶ほど保持され続けます。あれも不思議です。記憶の容量が少なくなっているのなら、不用な昔のことを削除して最近のことを覚えられるようにすればいいのに、と思うのですがそうはなりません。


090722

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