優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2009年08月

□◆□…優嵐歳時記(1928)…□◆□

  秋風に雲の流れの速さかな   優嵐

アートセラピーの第五回目に参加してきました。この日は「意識と無意識」をテーマにコラージュを作りました。ルドルフ・シュタイナーによれば、人間は14歳までは無意識状態で生きており、その後28歳までは無意識と意識が混在した状態であり、28歳以後からは意識化して生きていく必要があるとのことです。28歳までは持って生れたものでなんとか生き抜いていけますが、そこから「個性化」の過程を辿り自分を確立していかねばならないのです。

人としての自分の人生を思うとき、「何も考えないですめばよかったのに」と思うことがあります。動物のように本能のままに生まれ餌を食べ交尾し子育てして死んでいく…。決められたままに決められた生をただ生きられたら何も考えなくてすみ、どんなに楽でしょうか。しかし、人はそのようには生きられません。完全に本能のみで生きることはできないのが人間です。

無意識状態とは本能に近い状態で種のもともと持っているものに従って生きている状態といえるでしょうか。そのほうが動物としての本能は強く発揮され、困難は少ないと思うのに、なぜあえてそうではない道を選んでしまわざるをえない存在に人間はなったのでしょうか。

幼い子どもを見て、ずっとあんな何も知らない状態、無邪気な状態だったらよかったのにと思ってもそういう状態ではいられない。その背後にはそれなりの理由があると考えるべきでしょう。

無意識で無邪気な状態をアートセラピーの講師の方は聖書のエデンの園のアダムとイブに例えられました。何も知らないままなら人間は楽園にいられたのです。ところがあえて知恵の実を食べてしまい、楽園追放となります。なぜそのような道を辿らなければならなかったか、これが人間存在が背負った大きな課題と考えられます。

神はその問いに答えません。答えないことが神が人間に与えた試練とも思います。あえて答えのわかっているような質問なら人間が真に問う価値はないでしょう。それぞれがそれぞれの内側で個性化の過程を通じてこの質問への答えを探すしかありません。



090831

□◆□…優嵐歳時記(1927)…□◆□

  穏かにオクラ食みたる三世代   優嵐

朝方雨が降りました。このところ空模様がはっきりしない日が続いています。秋らしくなっているといえるのかもしれません。

オクラはアメリカ北東部原産のアオイ科の一年草です。日本でも栽培され、花は黄色で夏から秋にかけて咲きます。開花した次の日にはしぼみ、小さな莢ができて一週間から十日ほどで収穫します。独特のねばりがあり、生でもゆでても食べられます。


<出会いそして>
自然歩道ですれ違う人と
あいさつを交わす

こんにちは

お互い名前も知らないけれど
全世界60億人のうち
たったいま一番近くにいる人

ふとすれ違うこの瞬間
言葉を交わし別れていく
袖振り合うも多生の縁

すべての人はそうして
出会いまた別れていく

090830

□◆□…優嵐歳時記(1926)…□◆□

  鳥威しいつしか揺れる田となりぬ   優嵐

早稲の田がそろそろ稔ってきました。稲穂が頭を垂れています。テレビを置いていないので、普段見ることはないのですが、久しぶりに最近のデジタル映像のテレビを見てその画像のあまりの鮮明さに驚きました。あそこまで鮮明な映像だと逆に見苦しいような気がします。風景などはいいですが、人の顔などは、どうも…。

昔の映画では女優さんの映像はソフトフォーカスで淡く夢見るような雰囲気を出していたものです。「カサブランカ」のイングリッド・バーグマンの美しさなど今のデジタル映像だと望めないような気がします。生々しく映せばいいというものでもないと思うのですが。

<孤独>
お互いそばにいて
話をしているのに
心はどこか遠くにいる
身体はすぐそこにあるのに
心は数万光年も離れている

手を伸ばせば触れられる
声も聞こえる
それなのに
近くに居てもこんなに遠い

ひとりでいることが孤独じゃない
ひとりじゃないように見えて
本当はひとりだということ
それを痛いほど感じる
それこそが孤独

090829

□◆□…優嵐歳時記(1925)…□◆□

  ひっそりと始まる桜紅葉かな   優嵐

家の周りのソメイヨシノがちらほらと紅葉し始めています。日ごとに色が変る葉が増えており、八月中から紅葉が始まっていたんだなあと今更のように気がつきました。しだいに残暑がおさまり、真夏からずっと着ていたタンクトップを半袖のTシャツに変えました。

おそらく北日本ではもう秋の色が濃くなっていることでしょう。初夏のころと初秋のころは地域によって季節の訪れ方に差があり、以前ゴールデンウィークに東北に行って、寒いのに驚きました。多分、もう今頃は秋たけなわという雰囲気なんでしょう。

<喜び>
じわっとほくそ笑んでいる
うまくいきそう
こういうときの喜びを
どう表現したらいいだろう

へっへっへ
ふっふっふ
にやり

なんだか悪代官みたいだけど
ほんとにそういう感じ

喜びにはいろいろある
万歳!と叫ぶ
やった!と拳を突き上げる
それも喜び

だけどそういうのじゃない
喜びもある

いろんな喜びを知っていたほうが
いいじゃない?


090828

□◆□…優嵐歳時記(1924)…□◆□

  ヘッドフォン外せば虫の夜となり   優嵐

音楽はもっぱらヘッドフォンで聴きます。昼間は外部の騒音を避けるためにインナーヘッドフォンを使います。近所の改築工事の音さえほぼ遮断してくれますから、凄いものだなと思います。夜はこちらの音を部屋の外に漏らさないようにオーバーヘッドフォンを使っています。どちらも付け心地がいいので重宝しています。

夜、ヘッドフォンを外した瞬間、虫の声が聞こえてきました。こういう瞬間が好きです。季節の微妙な進み加減を瞬時に教えてくれる何か。大げさですが、こういうのが生きている喜びじゃなかろうか、と思ったりするのです。

部屋から見える山の緑の感じがどことなく変ってきたのにも気がつきました。もう夏の「万緑」といった強く輝くような緑ではありません。ゆっくりと帰り支度を始めた、そんな趣があります。


<単純に>
かんじんなことは 
とても単純な姿をしているのかもしれない
誰もが難しく考えすぎて
罠におちこんでいる

近くで見すぎると何がなんだか
わからなくなってしまう
少し離れてみよう

転びたくない落ちたくないと
身体をかたくすると
しなやかさが無くなってしまう

だけど
素直に単純にものごとを見るのは
実は一番難しい

おさなごころを
人がいつか失ってしまうように
もしかしたら
失ったことさえ忘れている
思い出してごらんよ


090827

□◆□…優嵐歳時記(1923)…□◆□

  燕はや去りにし空の広さかな   優嵐

燕が旅立ったようです。近所の軒先を飛びまわっていた今年生れの燕たちは今頃どこを飛んでいるのでしょうか。やってくるときは姿を見るのを楽しみに、今か今かと待ち構えているのですが、去ってしまったときは、「あ、姿が見えないな」と何日かたってから初めて気づきます。

小中学校はすでに二学期が始まっているようです。兵庫県は新型インフルエンザの影響で一学期に一週間臨時休校しましたから、それを補うためでしょう。夏休みの作品を抱えた小学生が登校しているらしい姿を見かけました。


<何もかも>
ハイヒール
マニキュア
イアリング
パンティストッキング
みんな苦手だった
脱ぎ捨てた
何もかも

090826

□◆□…優嵐歳時記(1922)…□◆□

  秋天を映して青し播磨灘   優嵐

季節の移り変わりは的確です。梅雨が長く盛夏が短かったのですが、秋の歩みは例年どおりのようです。日本の季節を最も確実にあらわしているのが二十四節気だと言われています。処暑をすぎ、昨日は風が爽やかに吹き渡り、森を歩いていてもあまり蒸し暑さを感じませんでした。

風があったせいで雲も空気中の靄も吹き払われて真っ青な空が広がり、頂上からは播磨灘全体がくっきりと見渡せました。こんな日にはつくづく日本は美しい国だと思います。人が住む場所でこれほど美しく変化に富んだ環境に恵まれた国はそんなにないのではないでしょうか。緑に覆われた山々、清流、海、細やかな四季の移り変わり…。

ヨーロッパへ飛行機で行くとき、新潟あたりから日本海を飛び越しユーラシア大陸に入ります。ここからヨーロッパのどこの国へ降り立つかで飛行経路は多少異なりますが、大半はユーラシア大陸の人影もまばらな山脈の上を飛んでいきます。

ときおり村か町が見える時がありますが、ここに暮らしている人たちは一生海をみることは無いのかもと思ったりします。狭くなったとはいえ、地球は生身の人間にとっては広大です。日本列島がどれほど恵まれた位置にあるか、地図を開いてみると驚きます。


<風が変った>
風が変った
それをわたしは何で感じるのだろう
風の音?
風の色?
風の匂い?
風の感触?
風の味?
そのいずれでもあるようなないような
曰く言いがたく
それでも確実に風は変った

090825

□◆□…優嵐歳時記(1921)…□◆□

  空さらに透きとおりたり処暑の朝  優嵐

昨日は二十四節気の処暑でした。日中の残暑もまだ少しはありますが、さすがにもう秋の姿をそこここに感じることができます。今年は遅い梅雨明け、冷夏で夏の商品は軒並み売りあげが落ちたそうです。エアコン、ビールなどすべて二桁台の売れ行きダウンとか。

93年の夏に似ているという話を聞きました。冷夏で米が不作になった年です。今年も水害や冷夏でお米の作柄はあまりよくないようです。地震も多いですし…。


<ひっそりと>
遠くで花火があがっている
夏休みももう終り
桜の葉が色を変え始めた

最初に散るのは桜紅葉
花と違ってひっそりと
誰にも内緒で散りたいみたい

いつも注目されていたんじゃ
疲れちゃうわと桜は言った
秋は楓さんや銀杏さんに譲るのよ
いい心がけだね

090824

□◆□…優嵐歳時記(1920)…□◆□

  秋茄子の不ぞろいなるも強靭に   優嵐

お盆にもらった茄子は形も大きさもばらばらでした。表皮がかなり頑丈でなまくらな包丁ではすぱっと切れず、研ぎなおしました。刃の当て方がポントだったのでしょう。しかし、味は上等でした。新鮮なのが何より。

「秋茄子は嫁に食わすな」ということわざがあります。意味は「茄子は身体を冷やすから」というのと「秋茄子はおいしすぎて嫁に食べさせるのはもったいない」という二つの説があるそうです。さて、どちらが真実でしょう? おいしいから食べさせたくないというのは、なんか悲しいですよね。

「四書五経」シリーズの続きを読んでいます。いずれも目的としているところは、いわゆる修身です。戦前の軍国主義みたいな響きですが、実際は「自分の身を修める」ということです。自分の身をどのように処すべきか、そのヒントを示しています。


<鏡>
自分の顔を鏡に映す
自分の全身を姿見で見る
三面鏡なら自分の横顔さえ見られる

自分の心は何で見よう
傲慢ではないか
卑屈になっていないか

自分の心を映す鏡は
自分で見つけてくるしかない

090823

□◆□…優嵐歳時記(1919)…□◆□

  飛べ蝗天地に広く風の吹く   優嵐

蝗(いなご)はバッタ科に属する黄緑色の昆虫です。バッタよりやや小さく、稲の害虫です。かつては食用にもなり、戦中戦後の食糧難の時代には炒ってつけ焼きにしたり佃煮にして食べられたといいます。現在でも郷土料理として食べられているところもあります。味はエビに似ているそうですから、機会があれば一度食べてみたいものです。

初めてセルフサービスのガソリンスタンドで自分で給油しました。いつもオートバイに給油していたスタンドが先日セルフ化したのです。給油ノズルを台座から外すときにレバーを握ってしまい、ガソリンが漏れ出して驚きました。大事にはならず、これからは大丈夫。


<ぽつぽつ>
何かがうまくいった時って
うれしいよね
ほんのささいなことでいい

成功体験はどでかいものが
たまにあるより
ちょっとしたものが
ぽつぽつある方がいい

だってひとつの出来事の
うれしさはそんなに変らない

090822

このページのトップヘ