優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2009年08月

□◆□…優嵐歳時記(1918)…□◆□

  秋暑し森を満たせる蝉の声   優嵐

森に散歩に行くと、まだまだ蒸し暑く汗びっしょりになります。蝉が森を包み込むように鳴声を響かせています。森全体にはいったいどれほどの蝉がいるものなのでしょう。すでに命を終えて道に落ちている蝉もよく見かけます。遺骸はさらに小さな動物によって食べられ、微生物によっても分解されていきます。これらすべてが食物連鎖でつながっているのです。

お盆で田舎へ行ったときにいろいろ野菜をもらって帰ってきました。とれたての野菜はやはり味が違います。家庭菜園で野菜作りに精を出されるというのも理解できます。丹精込めて育てれば野菜もいとおしいものでしょう。もらってきた野菜の中の茄子がおもしろい形をしていたので、写真をとりました。まるで横顔のようです。


<さあもう一回>
失敗は成功の母
エジソンは電球を発明するまでに
千回失敗したという

千回も失敗する忍耐はないけれど
一度や二度であきらめていてはだめ
もう少しで手が届きそうなんだから

090821









□◆□…優嵐歳時記(1917)…□◆□

  新涼に墨痕あざやか荷の届く   優嵐

目が覚めたとき、人に頼まれてすっかり忘れていたことを突然思い出しました。明け方の夢の中で、翡翠でできたような回廊を歩いていたのですが、それとは全く関係のない頼まれごとです。人の記憶のメカニズムには自分のことながら不思議だと思うことがよくあります。何がどこでどうつながってそういうことになるのか、論理的には説明できません。

起きぬけに思い出したおかげで迷惑をかけずにすみましました。無意識領域には私の知らない別の個性が何人もいるのでしょう。本人はそれを意識できない。通常の生活を送っている場合、それは表面に現れないのでしょうが、多重人格という症例になると、それが表面化してくるのかもしれません。


<深淵>
ほんとうのわたしは
バウムクーヘンのようなもの
モザイクのようなもの
万華鏡のようなもの

何層にも重なり
いくつものピースが組み合わされ
瞬間瞬間に色形が変っていく

誰もがそうだとしたら
わたしはあなたのことを
どれだけ知っているだろう

深淵を覗き込めば
知らなかった幾人ものわたしが
そこにいる


090820

□◆□…優嵐歳時記(1916)…□◆□

  秋めきて穏かにあり朝の川   優嵐

夜、あたりが静かになると虫の音が聞こえてくるようになりました。昼間はまだ蝉がにぎやかですが、夜はすっかり秋です。窓を開けて眠っていると朝方は風が涼しすぎて目が覚めることがあります。空の一画にはまだ入道雲の姿が見えますが、空の高いところは秋の雲が出ていて、空でも夏から秋へと季節が移り変わっています。


<お母さんの味>
友だちから絵本が届いた
信州小布施にあるチェルシーバンズという
パン屋さんのお話

昭和の初め、結核療養所を作るために
カナダからきたひとりのナースがいた
彼女から伝えられた味

結核で苦しむ人を救いたいとの熱い思いを胸に
貧しい東洋の異国へやってきたミス・パウル

ここにもひとりのナイチンゲールがいた
義を見てせざるは勇なきなり
言葉や肌の色が違っても
愛情、熱意、まごころは伝わる

そして多くの結核患者が救われた
その熱い思いがチェルシーバンズになって
今に伝えられている
ふるさとカナダのお母さんの味

090819

□◆□…優嵐歳時記(1915)…□◆□

  施餓鬼会の玉蜀黍をいただきぬ   優嵐

増位山随願寺では昨日、施餓鬼会がありました。午後、散歩に行ったらお供物の玉蜀黍をお土産にいただきました。ご住職の友人で北海道にお住まいの方が送ってくださったものといいます。甘くておいしかったです。

施餓鬼とは供養されずに餓鬼道にさまよう無縁仏に対して仏恩を施すことで、お寺の重要な年中行事のひとつです。かつては一般の行事として水死人を弔う「川施餓鬼」「海施餓鬼」というものもあったようですが、今はほとんど行われることはなくなっているようです。

<みずみずしく>
お盆明けは野菜がたっぷり
叔父丹精のトマトにきゅうりに茄子
みずみずしくてぱりっ
細胞のひとつひとつがまだ生きている
太陽の匂いが残っている

090818

□◆□…優嵐歳時記(1914)…□◆□

  旅立ちの近き燕の秋空に   優嵐

お盆が過ぎると一段秋が進む気がします。一昨日、お墓参りへ行くのに車で走っていると、「災害復興支援」とのプレートを貼った車に何台も会いました。台風9号の豪雨による洪水のために大勢の方が亡くなった佐用町へ向かう車です。

まだ行方不明の方があり、市街地の中心部が壊滅的な被害を受けているため、復興にはかなり時間がかかるものと思われます。洪水の間接的な原因は、04年に円山川が決壊して同じ兵庫県の豊岡市が大きな被害を受けた台風の時に山間部で発生した倒木のようです。経費がないためどこの山林でも倒木はそのまま放置されています。

今回の一時間80mmという記録的豪雨でこれらの倒木が河川に流出し、それが橋桁にひっかかって水流をせき止めました。水の力に耐えられなかった橋は流されましたが、充分な強度があったところでは、一気に水位があがってあっという間に堤防を水が超えたのです。いったん暴発した自然の力というのはすさまじいものです。

燕が空高く群を作って飛ぶようになりました。あと十日から二十日くらいで彼らは南へ向かって旅立ち始めます。


<水面下>
きみとぼくは正反対
同じコインの裏表
切り離せないひとつの環
ぼくは時間を持っていない
きみはやがてこちらへ戻る
何もかもが往還している
終りは無い
きみがいる世界は海面のようなもの
時に穏かに時に荒れ狂う
水面下のほんとうの世界は
深くはかりしれない

090817

□◆□…優嵐歳時記(1913)…□◆□

  精霊を送る鉦の音盆の川   優嵐

お盆に精霊を迎える作法には各地で微妙な違いがあるようです。季語には精霊を迎えるために門先で火をたく「迎火」、送るための「送火」などがあります。送火の行事の中で最もよく知られているものが京都の大文字の火です。

「灯籠流し」は川や海に灯籠を流し、「精霊舟」は送り盆の行事の最後にお供えものと茄子や胡瓜の馬を麦藁などで作った舟に乗せて流します。私の育った地域では、ここから舟が除かれて馬とお供え物だけになっていました。精霊は馬に乗って帰るのだと聞いていましたが、最近ではさらに馬もなくなってお供え物とお花くらいになっています。

川べりの一画にそうしたお供え物をおく場所があり、十五日の午前中には各家々からのお供え物で埋まります。ナイロンやビニール系統のものは取り除いて、生分解するものだけを置き、自然な流れにまかせて精霊たちはあちらに戻ることになっています。

火と水というのは、人間にとって聖なるものとのつながりに欠かせないものなのだなと思います。その時間帯は河原のあちこちから精霊を送り出す読経の声が聞こえています。


<送迎>
墓参の道をいっしょに歩いていく
叔父や叔母やいとこたち
赤ん坊のころから知られているか
赤ん坊のころから知っている人たち
あちらからやってくるのを迎え迎えられ
あちらへ帰るのを送り送られる人たち
それが親族というもの

090816

□◆□…優嵐歳時記(1912)…□◆□

  飢えという言葉は遠く終戦日   優嵐

よく晴れて空気が澄み、はっきり秋と感じられる一日でした。増位山の山頂からは播磨灘に浮かぶ島々がきれいに見えました。世の中はお盆休みです。通勤の車がほとんど無いおかげか朝も昼も静かでした。

これからお墓参りに行きますが、精霊はお盆には家に戻ってくるということになっています。となると、お墓は留守なんじゃないのか、と妙な疑問を昔から持っていました。まあ、実際にお墓の中に故人がいらっしゃるとは思っていません。あれはひとつの儀式です。肉体を離れた魂は別の次元にいて、墓石とか仏壇とか位牌とかそういう物質的なものにとらわれてはいない、と思います。

お墓や仏壇を必要としているのは現世を生きている人間の方でしょう。それをよすがに自分の気持ちを慰めたり祈ったり…。亡くなった人はもっと自由になってあちらで暮らしている、そんな気がします。何もなくても彼らとは心でつながれると思うのです。


<今日は>
蝉の声に囲まれて
座敷にすわっている
通り抜ける風も
窓からの日差しも
秋めいてきた
今日は
長い戦争が終わった日

090815

□◆□…優嵐歳時記(1911)…□◆□

  今生の命いっぱい盆の蝉   優嵐

毎日早朝から蝉がにぎやかです。梅雨明けが遅かったせいか、まだ主役は夏の蝉です。みんみん蝉というのは、そばで耳にするとまるで浪花節をうなっているようです。「みーん、みんみんみんみん、みーん」最後のみーんが特に効きます。もう命を終えた蝉の身体が道端に転がっていたりするのも目にします。

東名高速道路が地震の影響で通行できなくなっているようですね。最近地震が多いように思います。帰省時期に重なって難儀されている方も多いことでしょう。

<今夜も>
来たぞ今夜も
こうもりのコータロー
くるくるくると部屋を三回り
これからきみたちの時間
ウォーミングアップがすんだら
さあ行こう

090814

□◆□…優嵐歳時記(1910)…□◆□

  風の消え汗迸る残暑のコート   優嵐

先週ナイターでテニスをしたときには、ほどよく風があり、涼しくて爽快でした。しかし、昨夜は風が途中からほとんどなくなってしまい、さらには台風の名残か湿気も高く、非常に汗をかきました。もともとよく汗をかくほうなので、まるで服のままシャワーを浴びたようなありさまです。

家に戻って麦茶やオレンジジュースを飲みました。それでもまだ喉の渇きがおさまりません。珍しく近所の自動販売機で清涼飲料水を買ってしまいました。通常、お茶かスポーツ飲料を選ぶところですが、炭酸飲料が飲みたい気分でした。喉の乾きが強いときは水よりこうした喉に刺激を与えてくれるものが欲しくなります。

「ファンタグレープ」という表示が目に付き、懐かしくなって買ってみました。何年ぶりでしょうか。ペットボトルになったコカコーラは、瓶時代の面影をあのウェストラインのくびれに残していますが、こちらはまったく違う形になっていました。






<ほんとはね>
お弁当を食べ終わると
誰からともなく声があがる
アイスクリームが食べたいなー

さんせい! はいっ
じゃんけんで ほいっ
あいこで ほいっ

なぜかきみは
たいてい負けていたっけ
みんなきみの掌にコインを落としていく

段ボールいっぱいにアイスクリームを入れて
食堂から出てくるきみ
またあんた負けたの?
おばちゃんの声が聞こえてくるみたい
きみは照れくさそうに笑っているだろう

ほんとはね
代ってあげたかったんだよ

□◆□…優嵐歳時記(1909)…□◆□

  初秋の朝くっきりと水鏡   優嵐

台風が去り、朝からしだいに雲が切れ晴れてきました。少し秋が進んだような気がします。お盆の帰省の足に影響は無かったでしょうか?

突然ZARDを聴き始めたのは今年の一月からです。今もほぼ毎日聴いています。彼女が発表している曲は152曲あり、そのうち120曲ほどはもう聴いていると思います。偶然、私の嗜好にぴったりあったからなのですが、駄作がないと感心します。

一生の間に芸術のあらゆる分野において、「これは凄くいい!」と感じるものに出会うのは得がたい瞬間じゃないか、と思います。こういうのは突然に起こる出会いであり、誰かから勧められて、というのはほとんどありません。それぞれ好みが違うためでしょう。これまでの人生でがっちり心を捉えられるほど気に入ったアーティストというのはどのような分野であれ、五人とはいません。その点で、今年は当たり年です。

ZARDの曲の中では、「負けないで」や「永遠」「マイフレンド」などはヒット曲としてよく知られており、私も好きですが、個人的好みを言うならば、あまり知られていないゆったりめのバラード系の曲がいいなあ、と感じます。

坂井泉水さんのボーカルの特徴はメロディから遅れ気味に歌詞を乗せていくことだったそうです。それゆえ歌詞が聴き手にはっきり印象深く伝わります。こうしたゆっくりした静かな曲ではその特徴がより鮮明に感じられます。



注:最初にアップしていた「Boy」の動画が削除されたようなので、比較的似た雰囲気の「hero」に差し替えました。遅れ気味のボーカルの感じはここでもよくわかります。09.08.23

このページのトップヘ