優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2009年09月

□◆□…優嵐歳時記(1958)…□◆□

  爽籟へいま旅立ちの法然像   優嵐

●法然上人・誕生寺を訪ねる(3)
誕生寺の境内には都へ向かって旅立つ15歳の法然の姿が彫像になっています。「爽籟(そうらい)」は秋風のさわやかな響きをさします。籟は三つの穴のある笛、または響きや声といった意もあります。

「月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ」という法然の歌は阿弥陀如来の救いとそれを求める人の心を詠んでいます。月影が阿弥陀如来であり、すべての場所にあまねく到達する月の光に例えられています。しかし、それも求める人の心があってこそです。「わたしの名を呼びなさい、それを縁としてあなたを救いましょう」阿弥陀如来はそう呼びかけておられるのです。

誕生寺を出た後は県道を中心に走りました。交通量の少ない県道を走るのが好きです。信号がほとんどなく、風景が変化に富んでいるところが多いのです。ただ、道路標識が少なく、今回も通行止めで迂回路ができていたりして、そのうちどこを走っているのかわけがわからなくなりました。

しかし、土地の起伏にそって曲がりくねった狭い道路をオートバイで走り抜けていくのは、楽しいものです。信号がないため一定の速度を保って延々と走り続けることができます。エンジン音とバイクの振動とに身を任せて走り続けていると、とても心地よく、一種のフローとかゾーンと言われる状態になります。

その心地よさは、何か大きなものと一緒になっている感じです。そういう状態になるには集中が大事で、難しすぎず、簡単すぎない動作を繰り返すのがよく、さらに気温、体調、天気などがぴたっとはまると、至福感にひたることができます。


<流れ>
流れていくものはなんだろう
わたしか?
わたしが流れそのものになっているのか
流れと溶け合っているのか

それはふるさとへ帰る感覚
はるかかなたに置いてきた
忘れていたあの感覚

ここにいるよずっと
流れはそう告げる
ここに来たときからずっとそばにいて
涙も笑いも怒りも静かに見守っていた存在
知らなかったのはわたしだけ


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□◆□…優嵐歳時記(1957)…□◆□

  銀杏(ぎんなん)を見上げつつ入る誕生寺   優嵐

●法然上人・誕生寺を訪ねる(2)
国道53号沿いのガソリンスタンドを出た後、そのまま北へ向かい誕生寺へ。京都や奈良の大規模寺院と違ってひっそりと田園地帯の中に立つ寺には拝観料すらなく、境内は近所の人の散策場所になっています。法然が勢至丸として誕生した旧邸を寺院に改めたもので、開山は法然上人の直弟子であった法力房蓮生(熊谷次郎直実)です。

蓮生は法然の木像を自ら背負って都からここに辿りついたとき、法然の生誕地を目にして感激のあまり号泣し、そこで念仏を唱え続けました。その場所が誕生寺を望む場所に「念仏橋」として残されています。直情径行型の荒武者であった蓮生の姿が浮んでくるようです。

境内へ入ったところに天然記念物(樹齢約870年)法然上人ゆかりの「逆木のいちょう」があります。いちょうは雌でちょうど小さなギンナンをたくさんつけていました。それにしても870年…、人間なら87年でも長寿です。この木の前を大勢の人が通り過ぎ、生れては死に、生れては死にしていった、そして私もそのひとりです。

境内の一画に宝物館があり、そこに八百屋お七の振袖がありました。当山十五代の通誉上人が江戸深川の回向院に本尊御開帳のために訪れたとき、お七の遺族から位牌とともに托され供養を依頼されたものだといいます。上人は「火」を「花」に、「煙」を「艶」に転じて「花月妙艶信女」との戒名を授けました。


<恋物語>
悲しい一途な恋物語は
人の心をつかんではなさない
悲劇の中へ落ちてゆく男と女

それが人をひきつけてやまないのは
人が理屈だけで生きている
わけじゃないから

抑えがたい何かに
引きずられるように
火の見櫓を登るお七は
誰の心の中にもいる

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□◆□…優嵐歳時記(1956)…□◆□ 
   
  風少し身に入む峠を越えにけり   優嵐

●法然上人・誕生寺を訪ねる(1)
岡山県久米南町にある法然上人の誕生寺へ行ってきました。朝7時前に家をオートバイで出発し、県道5号でたつの市、上郡町を抜け、国道2号へ入って間もなく県境の船坂峠を越えて岡山県備前市へ。このところ暑かったため、近所に出かけるときは半袖のままだったのですが、今日は夏用のジャケットを着ていました。

しかし、朝の空気は冷たく、峠を越える頃にはすっかり身体が冷えていました。ウインドブレーカーを持ってこなかったことを後悔しました。それでも日が高くなってくれば気温が上がるはずと予想して、走り続けました。金剛川に沿って県道96号を山陽本線とからみながら西へ。

吉井川にぶつかって、国道374号に乗り換えます。幅のある川筋に沿って国道は北に向かいます。国道484号に入ったあたりでガソリンのメインタンクが空になり、予備タンクに切り替えました。ガソリンスタンドを探す必要があります。ところが、これがあまりありません。あっても日曜で休みだったり、近道のつもりで道を間違ったり。

予備タンクで走れるのは30kmほどなので、しだいにあせってきました。とうとう道端で農作業中の方に「ガソリンスタンドはありませんか?」とたずねて事なきを得ました。このオートバイに乗り始めた頃、夜中の道でガス欠を起こし、ひどい目にあったことがあるのです。あの頃はまだJAFはオートバイを扱っていませんでしたし。まあ、今となってはあれもなつかしい思い出といいますか…。

旅先ではトラブルほど後になれば鮮明に覚えているのものです。特に見ず知らずの方に親切に助けていただいたことは忘れられない思い出です。渡る世間に鬼はいませんよ。日本だけでなく外国でも。

「身に入む(みにしむ)」とは、痛いほど骨身に透って感じられる、というのが本来の意味です。それが転じてしみじみと感じられる「あわれ」となりました。心情的に詠まれる場合と今日の私のように感覚的な「冷気」として詠む場合があります。

<美しい国>
棚田の黄金色の中
朝日を浴びて走る
コスモスがゆれ
鶏頭がゆれ
カンナがゆれる
峠を越えれば空に鰯雲
うす靄のかかるなだらかな山なみ
ようこそ美しい国へ

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□◆□…優嵐歳時記(1955)…□◆□ 

  幾筋も糸ひく雲よ秋高し   優嵐

ZARDの坂井泉水さんが亡くなったのは、2007年5月27日です。ですから27日は彼女の命日です。広辞苑によれば、故人の亡くなった日に当たる毎月または毎年のその日を命日と呼ぶそうです。一周忌以後のまさに当月当日は「祥月命日」と呼びます。

忌日を季語にするという俳句のならいを持ち込むなら、毎年5月27日を「泉水忌」として季語にできそうです。ZARDファンの俳人の方がいらっしゃったら、詠んでみてください。普通は故人の名に「忌」をつけます。時々変った呼び名があり、太宰治(6月13日)の「桜桃忌」、芥川龍之介(7月24日)の「河童忌」、正岡子規(9月19日)の「獺祭忌」「糸瓜忌」、三島由紀夫(11月25日)の「憂国忌」などがあります。

ZARDの楽曲の魅力は多彩ですが、俳句を詠む視点からみると、さりげない詞の中にある思いがけない言葉の使い方に驚きます。「私は言葉を、詞を大切にしてきました」と言っていた彼女。残されている楽曲のほとんどが彼女自身の作詞ですので、命日には供養を兼ねてそのことを書いてみたいと思います。

まず、最初に意外な一曲を。ZARDといえば、『負けないで』などの励まし系の曲、さらには優しいバラードのイメージが強いでしょう。確かにそれがZARDの魅力の核です。ところが『負けないで』でブレイクするまでには試行錯誤を重ねています。ZARDといえど一日にして成ったわけではなく、さらに、彼女はどんな曲でも見事に歌いこなしています。

汗の中でCRY



初期はかなりダークなイメージのハードロックの曲が多く、コアなファンの方にはこうしたZARDも大好きだという人が少なくないようです。中でもこの『汗の中でCRY』は異色です。聴いていただくとわかるのですが、”むき出しの肉欲歌”と形容される内容で、5thシングル『IN MY ARMS TONIGHT』(92.9.9)のカップリング曲でありながら、アルバムに収録されなかったのは、それゆえでしょうか。

ところが、聴いていると濃厚なエロティシズムはほとんど感じられず、さらりとした印象です。これは彼女の声質の持ち味でしょう。肉食系ではなく、草食系のボーカルだと思います。脂ぎったものやどろどろしいものはすぽっと抜け落ちて、どこまでいっても涼しげです。「アタシ」と言おうが「狂おしく燃え」ようが、です。

この詞の中で、私が凄いなと思ったのは「張り裂ける喜び」という言葉です。「張り裂ける」という形容詞は普通、「悲しみ」につけられると思うのですね。「胸が張り裂けるほど悲しい」という具合です。それがここでは「喜び」を形容するのに使われています。この「喜び」の持つ性格の複雑さがこの形容詞で見事に表現されていると感じられます。彼女の詞にはこういう「え?」と思うような言葉のテクニックが随所にあります。




□◆□…優嵐歳時記(1954)…□◆□

  この夜も静かに木の実降りやまず   優嵐

マイミクの方の日記でPPM(Peter Paul & Marry)のマリーさんが亡くなったということを知りました。現役時代を知らないのですが、彼らの歌というか、あの時代の歌の雰囲気が好きでアンソロジーのCDを持っていました。なんだか郷愁をそそられるのです。

『パフ Puff the Magic Dragon』は、歌詞を聴くと、「少年が海のそばに住むドラゴンと友達になっていっしょに毎日遊びました。ドラゴンは永遠に生きますが少年は少年のままではいられません。そして、ある日少年はやってこなくなりました」という内容です。

子供がいつか子供ではなくなる、すべてのものが移ろっていくという「無常観」を歌った歌詞だと私は解釈していて、今もそう感じますし、だから好きです。ただ、これには時代背景があり、反戦(つまり少年は成長して戦争に行ってしまった、だからもうドラゴンのところへはこられない)という解釈もあるそうです。

ご冥福をお祈りします。


□◆□…優嵐歳時記(1953)…□◆□

  ことごとに刈田となりししじまかな   優嵐

連休の間にまわりのほとんどの田は稲刈りが終わりました。つい先日まで頭を垂れた稲穂が並んでいたのが切り株ばかりとなり、がらんとした印象です。秋分が過ぎたばかりで、今日の昼間の気温は30度前後まであがりましたが、景色はなんだか晩秋の風情です。


<山河>
10代初めのころ
25歳を超えたら
完全に大人だと思っていた

20歳はまだあやしい
でも
25歳を過ぎればもう
悩みも迷いもふっきれて
完全に成熟した人間になるのだと
思っていた

なんてバカだったんだろう

25歳をとっくに超えたわたしは
今でもおろおろと迷っている
確かに10代のころとは違う
けれどそこにあるのはやっぱり
果てしない煩悩の山

50歳になっても
80歳になっても
これはたぶん変るまい
山ひとつ越えれば
またひとつ新たな山
生きていくとはそういうこと
果てしない山河を越えて


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□◆□…優嵐歳時記(1952)…□◆□

  新米をずっしり下げて叔父きたる   優嵐

新米をもらいました。食べるのが楽しみです。それほど味にうるさくはなく、何でもおいしく食べられます。それでもやはり新米の味わいは格別です。全体的にお米の作付け時期が早まり、歳時記に載っているものより早め早めに進んでいきます。早稲が主流になったからでしょうね。

米作りに関する季語はたくさんありますが、半数ほどはもう死語になっています。かつて米作りは一家総出、集落全体でとりかかった人手を必要とする大変な作業でした。今は田植も稲刈りも半日ほど一人で田んぼに出ればすべてすんでしまいます。

農作業だけでなく、家庭内の作業もほんの半世紀ほど前に比べると考えられないほど省力化されています。それなのに、現代人が昔の人に比べてゆとりを感じているかといえば、全くそうじゃないというのは奇妙というか、面白いというべきでしょうか。幸福感というものに関してもそうらしく、寿命も収入もはるかに延びたのに、どうやらそういうものと「幸福」とは別のところにあるようです。


<脱出>
何かに追いかけられて
必死に走る
暗闇の向こう
非常扉の隙間から
あかりがわずかに漏れてくる

何かに邪魔されて扉が開かない
あせるなよ
扉に足をかけ
渾身の力をこめて

蹴り上げてみよう
こじ開けてみよう
わずかに広がった出口から
身体をすべり出させる

転がり出た大地で
ふうと息をつく
笑い出したいのか
泣き出したいのか



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□◆□…優嵐歳時記(1951)…□◆□

  刈られたる田を取り囲む彼岸花   優嵐

秋分です。五連休で何がなにやらという印象ですが。ゴールデンウィークも同様に、連休になると祝日そのものの意味がぼやける気がします。彼岸花が最盛期です。さっきまで稲の波を取り囲んでいたものが、半日もたつとすっかり刈られ、彼岸花の赤さだけが田のあぜに残されています。

花そのものをよく見ると美しいのですが、咲く時期(秋彼岸)や咲き方(葉が出ずに花のみがどっと咲く)から、何となく死とか暗い情念と結びついたイメージがあります。

  
<声>
人はひとりでは生きられない
というのは本当だ
でもそれは
いつも誰かとつながっていなければ
ならないというのじゃない

ひとりの時間がなければ窒息してしまう
寂しくてひとりでいられないなら
それは他者への依存症

自分という人間といっしょにいてあげよう
ずっとそばに居るその人の内面の声を聞こう
一生付き合わなければならないのは
その人なのだから


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□◆□…優嵐歳時記(1950)…□◆□
  
  頂の風はわがもの鬼やんま   優嵐

晴天の中、稲刈りが進んでいます。機械化されたとはいえ、やはり晴天でないと稲を刈ることはできないでしょう。増位山の山頂では、夏の間イワツバメが飛ぶのをよく見かけました。彼らもいまごろは南へむかっているところでしょう。

蝶もよく見ました。活動時間が昼間に限られているようです。今日は一匹のオニヤンマが悠々と飛んでいるのにあいました。トンボとはいえ、身体が大きく風格があります。


<ポケット>
ジーンズのポケットに両手をひっかけて
図書館の棚を見ていた

ポケットから手を出しなさい
後ろでお母さんの優しい声がした

思わず手を出してこっそり振り向くと
小さな男の子が
ジーンズのポケットから手を出すところだった

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□◆□…優嵐歳時記(1949)…□◆□

  雑踏にまぎれていくや秋彼岸   優嵐

昨日は秋の彼岸の入りでした。アートセラピーの第六回目で大阪に行っていました。何かが新しくオープンするのか、長蛇の列が地下道にできていました。昨夜はなんだか家に戻ると何もする気がせず、早々と入浴して軽く夕食をとって9時過ぎには眠りました。人ごみの中へ出て行ったこととセラピーの経験の相乗作用か、と思います。

昨日は色鉛筆を使ったスケッチをやりました。「観察」がテーマです。絵を描くことそのものが目的ではなく、それによって自分の内側で起こっていることに気づいていくのが大切です。意識的になることの重要性。ふだん私たちはほとんどのことを無意識にやっています。無意識におこなっているために何が問題かに気づくこともできず、修正もできません。

だから、何か簡単なことから意識を集中させておこなってみることが大事なのです。家でおこなえる簡単なワークの課題をもらいました。日常生活の中で繰り返していることをひとつ選んで、それに意識を集中させてやってみる、というものです。私は「朝食をとる」というのを選び、別の方は「歯を磨く」という行動を選びました。

さて、今朝さっそくやってみて、そのあとそれを思い出しながら記録をつけてびっくりしました。たかが簡単な朝食の準備と食べることそのものの間に起こっていたことの記録が大判の大学ノート2ページ分にも及ぶのです。ふだんなら忘れ去ってしまう行動の中に含まれているこまかなディテール。これでは、毎日記録することは時間的、体力的に無理ですが、記録してみたからこそ何があるかが解ったともいえます。

俳句を詠み始めて、細やかな季節の変化に初めて気づき、それをとらえられるようになりました。こちらの姿勢が変るから、相手は新しい姿を見せてくれる。それと似ていると感じました。最近書いている自由詩でも、素材は、実は日常の中にいくらでも現れてくるし、これまでの私自身の生活史の中に無尽蔵に埋まっているということに気づきました。

気づきというのは、大事件やイベントによって引き起こされるのではなく、ありふれた日常の中に転がっていて、こちらが見ようと目を凝らすか、聴こうと耳を澄ませば、姿を現してくれるのでしょう。人は特別なことを重視するあまり、本当に大事なことを見失っているのかもしれない、そして、それはあらゆることに及ぶのかもしれないと思い始めています。

<秋>
美しき竪琴抱きて
秋の日の
木もれ日の森歩みゆく

澄みわたる空より風の
降りきたり
その竪琴を奏でてゆかん

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