優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2009年09月

□◆□…優嵐歳時記(1948)…□◆□【団栗】

  靴先へ団栗ころころ山の道   優嵐

風が強く爽快に吹く一日でした。近所の田で稲刈りが始まっています。この五連休で刈田に代わるところが多いものと思います。春のゴールデンウィークに対してシルバーウィークとマスメディアは呼んでいるようです。

以前の職場なら、こういうときを待ちかねて必ずどこかへ出かけていたものですが、仕事を変えてから全くそういう気持ちが起きなくなりました。変ったものだなあと自分でも思います。昔は縛り付けられている感覚が強く、自由になりたくて仕方がなかったのです。

今は違います。今日のような風の強い晴天の日に森を歩くと、木漏れ日が揺れるのが美しく、ずっと見ていても飽きません。そんな山の道を歩くときの幸福感をうまく説明する言葉がありません。森にはさまざまな団栗が転がるようになっています。まだ蝉の鳴声が聞こえますが、今日は鵙の高鳴きも聞こえました。

<どんぐり>
アベマキのどんぐりを
ひとつ部屋に連れてきた
君のお母さんは大きいね
風の中で枝を揺らしていたね

君のきょうだいたちはどうしただろう
まだ山道に座っているものたち
リスが連れて行ったり
こっそり土に埋めたりしたものもいる

ぼくも一匹のリスだと思ってくれ
君に耳をあてると森の音が聞こえるよ


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□◆□…優嵐歳時記(1947)…□◆□

  秋の空たたえて淵の静かなる   優嵐

聞き間違いや読み間違いというのは、時に妙な連想を生み、ひとりで笑ってしまうことがあります。先日、図書館へ行ったときのこと、入口の近くに雑誌コーナーがあり、そこに新刊雑誌が並んでいます。その中に「LEON」という男性むけの雑誌(モテるオヤジという言葉を流行らせたのは、確かこの雑誌でした)があります。

今月号のその表紙に「モテるシャケ」とあるのがふと目に留まり、「え?シャケ?シャケの料理でもするのか、それとも鮭釣りにでもいくのか?」と不思議に思いました。料理雑誌でもアウトドア雑誌でもないからです。あらためてじっと見ると、「モテるジャケ」の間違いでした。ジャケ、つまりジャケットの略だったわけです。

しかし、ほんの一瞬ながら、脳裏に鮭料理をしている場面や鮭釣りの様子などが浮かび、人間の連想の素早さに自分のことながら驚きました。誰もがこういう連想を日々何百何千としながら暮らしているわけです。そのうち認識できるのはほんのわずかで、こういうことでもない限り意識すらできません。

それにしても「ジャケ」という略語はどんなものでしょうか。日本語の省略語のほとんどは四文字です。パソコン、コンビニ、ケータイ、これらはすでに普通の言葉として定着しています。日本語の発音としてしっくりくるのでしょう。日本語の定型詩が五七を基本としているのも日本語の基本単語を乗せて詠うのに丁度いいからだろうと思います。

  
<幸運の星>
右掌にほくろがある
それを見て
きみは「幸運の星」と言った

握れる範囲にあれば
幸運をもたらすという

「幸運の星」をきみの掌に重ねる
そうだね
誰と出会おうと
何が起ころうと

それを「幸運の星」にするのは
すべて
わたししだい


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□◆□…優嵐歳時記(1946)…□◆□ 

  背の伸びし少年秋日の中を来る   優嵐

大きくなったね、などと言われていたのは何歳くらいまでだったでしょうか。いつの間にかこちらがその言葉を口にするようになり、近頃では「変らないね」という言葉をかけていただくようになりました。そのうち「お若いですね」と言われ始めたら、長寿といわれる年齢になってきたということなのでしょう。

モスキート音と呼ばれる若い人にしか聞こえない高音があります。目に老眼があるように耳もしだいに老化して、高音部から聞こえなくなっていくのだとか。それを視聴できるサイトがいくつもあり、「大人には聞こえない音」で試しにやってみました。しだいに音があがっていくのを聴いてみると、13,000Hzまでは確実に聞こえますが、14,000Hzはあやしい…。

年齢を重ねることが必ずしもつらかったり悲しかったりすることばかりではない、と思います。肉体的には確かに衰えるわけですが、精神的には成長が続きます。だからこそ生きているのが面白いといえますし。昔、祖母が「百になったら百色や」と言っていました。つまり、年を重ねればそれだけものの見方に幅も厚味もでるし、知恵もついてくるということでしょう。そうありたいものです。


<解き放つ>
怒りは牢獄
許せなかったのは幼い日
傷つけられたと思い込んでいたこと

けれど
あなたを傷つけられる人など
ほんとうは誰もいない

怨みは足枷
でも
閉じこもっているのはあなた自身
檻の鍵はいつだって
あなたの手の届くところにある

手を伸ばし
思いきって鍵に触れてみよう
檻を開け放ち
自由な大地に立ってみよう

空はあんなにも高く
吹く風は心地よい

大人になるとは
自分を自分自身の牢獄から
解き放つこと

誰だってできる
だからこそ
果てしなく難しい


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□◆□…優嵐歳時記(1945)…□◆□

  つやつやと意志は堅固に椿の実   優嵐

ヤブツバキの実がみのり始めました。初めは緑色で、ピンポン球より一回り小さいくらいの大きさです。日の当たる面は赤く色づいてやがて褐色になっていきます。晩秋になると、完熟した果皮が割れ、大きな種が5,6個顔をのぞかせます。

ヤブツバキは照葉樹林帯を代表する木のひとつで、姫路では森で普通に見られます。広島県から沖縄県まで点々と分布するリンゴツバキ(ヤクシマツバキ)の実はその名のとおりリンゴほどの大きさがあり、赤くなります。本州の日本海側に分布するユキツバキは実が少なく、みのってもできる種子は1,2個しかありません。

この種からとったものが椿油です。食用、頭髪用、灯油、機械油と広く用いられます。頭髪に手軽に用いるにはシャンプーするときに椿油を数滴混ぜて使うといいそうです。


<祈り>
「描くことは祈ること」
と言ったのは東山魁夷

何かをおこなうことが祈りだと
言えるほどの人が
この世にどれほどいるだろう

この世を支えているのは
そういう人たち
有名無名のそんな人々に感謝を

あなたに支えられて
現在過去未来のわたしがいる

願わくば何事かを祈りにできるような
人になれますように



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□◆□…優嵐歳時記(1944)…□◆□

  灌木の陰に露草青き星   優嵐

ツユクサは夏から秋にかけて清楚な青い花を咲かせるツユクサ科の花です。花は夜明けとともに開き昼にはしぼむ半日花です。その短命さが朝露にたとえられました。

『万葉集』にすでに詠まれています。

 つき草に衣は摺らむ朝露にぬれては後に移ろひぬるとも

古名をツキクサといい、染料に用いられました。ただ、色もはかなくすぐ落ちます。そのため友禅染の下絵描きなどに栽培品種のオオボウシバナが今でも利用されています。青草、蛍草とも呼ばれます。この花の青さは本当に美しく、その素朴さとともに春のオオイヌノフグリに匹敵すると思います。

<ゆったりと>
穏かな流れをカヌーで下っていく
ゆったりパドルを動かして
川面から眺める景色は低くゆるやか

きみが待つコテージに寄っていこう
こんな季節には
熱いホットチョコレートがいい

白いシャツの胸に頭をあずける
目を閉じてこうしている時間が好き

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□◆□…優嵐歳時記(1943)…□◆□ 

  稲日ごと黄金深めてうねりけり   優嵐

家の周囲の田が稔ってきました。水田の色の変化は日本の風景に欠かせない彩りを与えてくれます。春先の田植の準備から代田、早苗田、さらには夏の青田となり、秋には黄金色の豪奢な波となります。そして稲刈りを経て、刈田、枯田となって冬に入ります。すべてに季語があり、稲作は日本人にとって農業だけでなく、精神や文化の上でもとても深いつながりがあるものだと感じます。

本を読むのは子どものときから好きです。しかし、同じ傾向の本ばかりをずっと続けて読むというのはどうやら困難です。日曜日に図書館へ行って、さて本を選ぼうか、と思ったら何を読みたいのかはっきりしませんでした。棚をぐるぐる回ってみてもなんだか全く食指が動かず、不思議でした。

読もうと思えば読めるのだけど、読む気になれない、そういう感じです。人の気持ちの(この場合は自分の気持ちですが)動きというのは実に奇妙な側面を持っていると思います。自分の気持ちさえ自分で自由に操れるものではありません。

心というのは私たちを運んでいる馬のようなもので、それはある程度乗り手の意向をきいてはくれますが、全くいうことをきかなくなることもあるのかもしれないと思います。自分の心さえそうなのだから、まして他人の心などどうして自由にできるでしょうか。


<不安>
恋をしていてもときどき凄く不安になる
と、彼女は歌う

恋をしているから不安になるのでは?
恋をしているということは
飛び上がっているということだ
気流をつかんで空へ舞い上がる

舞い上がったら
いつかは降りてこなくちゃならない
上昇気流が強く激しいほど高く遠く
きらめくような大空に飛び立つことができる

だから人は不安になる
風が止まるのではないか
翼が力を失うのではないか
そして
イカロスのように
海に落ちるのではないかと

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□◆□…優嵐歳時記(1942)…□◆□

  深海の秋を詰め込むインク壺   優嵐

パソコンで文書を書くようになってから漢字を書けなくなっているのに気がつき、手書きでもさまざまなものを書くようにしています。このブログは日記のようなものですが、もっと個人的な覚え書きやメモや思いつきは手書きでノートや手帳に記録しています。

その際に万年筆をよく使います。何本か持っていますが、どれにもインクコンバーターをつけています。カートリッジよりはるかに経済的なのです。インクはブルーブラックを使っていて、万年筆らしいのはやはりこの色、と思います。先日、インクを補充しようとインク壺を開けていて、誤ってインクをテーブルの上に大量にこぼしてしまいました。

下にメモ用紙とティッシュペーパーをおいていたおかげで、それらが大半のインクを吸い取ってくれ、床にまでこぼれなかったのが幸いでした。ぶちまけられたブルーブラックのインクは深い海の色を思わせました。詩というのはこうした驚きから生れるものですね。

うまい下手は別にして、驚きを感じられれば誰でも詩を書けるんじゃないかと思いました。誰でもちょっとした驚きを日々の生活の中で感じるのだけれど、すぐに忘れてしまう。詩はそれを文字という形で定着してくれるのです。俳句を始めて、日常のことを細やかに観察できるようになりました。最近始めている自由詩でもまた違う視点で日常や自分の思考を探る機会が増え、詩を書く喜びというのはここにあるのだろう、と思っています。


<秋の扇風機>
ふと気がついた
かたわらに秋の扇風機
あ、そうか
あなたまだそこにいたのね

ばたばたとスイッチを入れた夏は
すでに去り所在なげな風情

人の心はうつろっていく
あんなに好きだったのに
ある日突然何かが終わる
それは仕方のないこと

激しい夏がいつしか秋へと
静まっていくように

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□◆□…優嵐歳時記(1941)…□◆□

  目覚めれば秋雨の音おだやかに   優嵐

久しぶりに雨になり一日しっかり降りました。気温が下がり、短パンでは膝の辺りが寒く、ロングパンツに履き替えました。暑さ寒さも彼岸までといいますが、今年は秋の深まりが早いように思います。こんなお天気の日は気分がゆったりとして部屋の中で過ごすのにぴったりです。

YouTubeのおかげでいろいろな音楽や映像に接することができ、母体のGoogleは決してこのサイトで儲かってはいないようですが、非常にありがたい存在です。今日はこんな音楽を見つけることが出来ました。メキシコ出身の男女アコースティック・ギター・デュオ、RODRIGO Y GABRIELA (ロドリーゴ・イ・ガブリエーラ)です。

ライブ映像の凄さというか、神がかりのようなギターテクニック、さらにギターを打楽器のように使う奏法も独特です。演奏しているふたりの表情が大変魅力的で、三昧とかゾーンとかいうのはこういう感じだろうなあと思いました。




□◆□…優嵐歳時記(1940)…□◆□

  猪の擦りつけたる泥の跡   優嵐

増位山には猪が棲息しています。時々姿を見ることもありますが、むこうが警戒して人の前にはめったに姿を現しません。しかし、森の木々に彼らの痕跡を見ることがあります。牙の跡を見たこともありますが、最近では泥浴びの後に身体をこすりつけたと思われる跡をよく見ます。

先日もアベマキの根元近くが泥で白くなっているのを見ました。泥浴びは多分身体についたダニなどをおとすためにおこなうものなのでしょう。猪の走る様子はかなり機敏です。決して猪突猛進という感じではなく、素早いストップ&ゴーができそうです。秋が深まってくると、やがて猪狩のシーズンに入ります。

<空間>
寝転んで空を見るのが好き
引力でわたしは地面に張り付きながら
果てしない宇宙空間に向かっている

ずっと昔
皆既月食を見たある夜のこと
月は丸い板ではなく球形になって
わたしの前に現れた
月とわたしの間にある空間
その先に広がる空間

あまりにも広大なものを見て
思わず何かにつかまりたくなった


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□◆□…優嵐歳時記(1939)…□◆□

  蓮の実のみんな東を向いている   優嵐

一昨日あたりから急に秋が進んだ気がします。ナイターでテニスをして、先日までは冷房をかけて帰っていたのですが、もう窓をあけていても少し冷えるなと感じました。車の温度計を見ると外気温が21度でしたから、無理もありません。

日中の予想最高気温も30度を越えなくなり、気温の上でも秋が本格的なってきました。朝、窓をあけて一日そのままでしたが、それもそろそろおしまいです。午後になると、日差しが屋内にかなり差し込むようになり、夕方にはカーテンをひく必要がでてきました。冬になると昼間でも部屋の奥まで日が入ります。

増位山の駐車場近くの池で蓮が実をつけています。なぜかすべて東から東南の方向を向いて種をつけています。若い実は生のままでも食べられ甘いそうです。熟してくると蜂の巣のような孔から飛び出し水面に落ちます。

ブログ投稿画面が新システムに変ったため、予約投稿がうまくいかないことが何度か…、やれやれ慣れとは恐ろしいもの。


<悪女>
はっと顔をあげると
橋桁のうえに山吹色の月がいた
冷え始めた秋の空気のなかへ
妖しく昇ってくる
月は人のこころを狂わせるという
今夜の月はそんな顔
謎めいた悪女の視線

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