優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2009年10月

□◆□…優嵐歳時記(1989)…□◆□

  もみいづる空蝉をまだそのままに   優嵐

「もみいづる」とは、紅葉の動詞形です。紅葉とは、草木が寒冷にあって赤や黄色に変ることです。そういう状態になっていくことを「もみいづる」または「もみづる」といいます。

増位山で黄葉を始めている葉の裏に空蝉を見つけました。蝉は地中で長い年月を過ごした後、地上に出て木に登り背中が割れてその皮を脱ぎます。その脱け殻を空蝉といい、夏の季語になっています。

すでに夏は遠く、この空蝉の中にいた蛹は成虫としての寿命を終えています。それでも黄葉した葉の裏にその脱け殻がしっかりとつかまっていて、おそらく落葉するまではこのままでしょう。なんだかしみじみともののあわれを感じてしまいました。


<ジャンベ>
部屋が少しがらんとした
壁にかかっていたジャンベが
いなくなったのだ

彼は今ごろ郵便自動車の中
新しいご主人のところに向かっている

その人の顔も声も知らない
だけどジャンベがその人と
私をつないでいる



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□◆□…優嵐歳時記(1988)…□◆□

  爽やかに何か終わりて始まりぬ   優嵐

「爽やか」は主観的な形容語ですが、秋の季語になっています。これに対する春の形容語は「のどか」になるでしょうか。爽やかとは「さっぱりして気持ちのよいこと、気分のはればれしいこと、すがすがしいこと」をさします。

ヤフーオークションに出品する品物を物色しながら、これはひとつの終りかもしれないなあと感じています。アウトドア系の趣味を楽しんできましたが、かなりがっくりとそれに対する興味が失せてきていることがわかりました。

特にクライミングとかカヤックツーリングとか海外登山といった、本格的な用具がいり、リーダーやガイドに従って行動しなければならないような活動はこの先もうしないだろうと思います。自分の人生である時期ものすごく入れあげてやってきて、それがぱったり「終わった」と感じることがあります。

子どもの頃、マンガが大好きであらゆるマンガ雑誌を買い、将来は漫画家になろうと思うくらい好きだったのですが、あるときぱたっとマンガを読まなくなり、今もめったに読みません。高校生から20歳くらいまでは映画が好きで、公開される映画はすべて見に行ったくらいだったのですが、それもあるときを境にぱったり見なくなり、今はもう何年も映画館へ行ったことがありません。

特にそれから離れてしまう理由はよくわからないのですが、何かが終わるんですね。すべてのものに時期がある、とはこのことかと思います。今、たまたまオークションという機会があったからなのですが、これも「そろそろ終りにして次に行こう」というどこかからのお誘いかもしれません。


<声>
誰かが呼ぶ声
それは内側から
聞こえてくる声
時がきたのを報せる声

川が流れていくように
季節が移っていくように


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□◆□…優嵐歳時記(1987)…□◆□ 

  晩秋の海峡をゆく貨物船   優嵐

先日からヤフーオークションを始めているのですが、これ、のめりこみますね。家の中にあるものでオークションに出せそうなものを物色してしまいます。そして驚いたのは、これほどたくさん不用品を抱え込んでいたのか、ということ。私はアウトドア系の趣味があるため、そういう道具が大量にあります。

アウトドア系といっても、そのときやりたいものは時間とともに変わっていき、カヤックで必要なものはフリークライミングとは違いますし、テレマークスキーに必要なものと自転車ツーリングの道具は全く違うので、道具ばかりが増えました。幸いなのはこうした道具というのは、ある一定期間であれば、それなりの値段で引き取ろうという人が現れるということです。

これから始めようという人にとって新品のいいものというのはかなりのお値段がします。かといって、機能を犠牲にするととても使えず、命の危険に見舞われる場合もあります。ですから、こういうものには中古品市場が以前からありました。それがオークションでさらに活発になっている様子です。


<晩秋>
チョコレートと
珈琲が
うまい季節になった
晩秋だ

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□◆□…優嵐歳時記(1986)…□◆□

  サーフボード立てかけてあり秋深し  優嵐

姫路から大阪へ行くとき、ほとんどの場合はJRに乗って行きます。そのとき、明石から須磨のあたりまで電車は海沿いを走ります。席が空いていれば、だいたい海に面する側に座って、このとき眺められる明石海峡大橋、淡路島、海峡を行く船の姿などを楽しみます。海沿いにはサーフショップや釣具店もあります。


<朝方の夢>
朝方ほんのいっとき目覚めたあと
とても深く眠った
眠りの深いことが
あとで自覚できるほどに

何か夢を見ていた
誰かがやってきて
その夢の中に連れていってくれた

夢の内容はすっかり忘れてしまった
それなのに
確かに誰かがやってきて
連れて行ってくれたという
印象だけは残っている

あれは誰なのか


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□◆□…優嵐歳時記(1985)…□◆□

  りんご手に少女の歩く秋日和   優嵐

今日は27日です。坂井泉水さんの月の命日にあたりますので、彼女の詞について書いてみたいと思います。今日取り上げるのは『私だけ見つめて』です。ZARDの7番目のシングル『君がいない』(93.4.21)のカップリング曲です。ベストアルバム『ZARD BLEND II 〜LEAF & SNOW〜』(01.11.21)に収録されています。

私だけ見つめて



まだダークなハードロックの香りが残っています。10月6日に取り上げた『OH MY LOVE』が、や行のやさしい響きで始まる歌だとしたら、この曲は、か行の激しい挑みかかるような響きを生かしたロックです。こういう曲を両方難なく歌いこなしてしまうというのが、ZARD・坂井泉水のボーカリストとしての非凡さです。

か行の言葉は、かける、かつ、きけん、きびしい、きつい、きめる、くるしい、くやしい、くやむ、こまる、ころす、などという、なにかまなじりを決するようなぐっと迫るような感じを持っています。その激しい音の響きを歌詞の中で効果的に生かしています。

サビの部分で「気分しだいで優しくしないで」「危険なシグナルが点滅してるわ」と歌い、この「き」の音をさらに強調しています。「きっぶんしだーいで」「きっけんなシグナルが」と聴こえるでしょう? さらにカクテル、クール、乾いた喉、駆け引き、と”か行の単語”を散りばめてロックのリズムとビートの中で炸裂させ、その刹那感を強調しています。

ZARDの楽曲の中で一番危ないのは『汗の中でCRY』だという人が多いようですが、私はこの曲の方がきわどい、と思います。男女の危険な火遊びを歌い、『汗の中…』のような直接的な言葉ではなく暗示によってその雰囲気を描いています。あからさまに言うよりも暗示する方が人の想像力を刺激でき、効果的です。

例えば「細い腰のカーブなぞりその気にさせるsweet eyes」というフレーズ。これ、歌詞を読むと、あ、そうかと思うのですが、最初に聴いたとき、私は「細い腰の下部なぞりその気にさせるsweet eyes」ととっさに思いこみ、細い腰の下部とはどこ?と考えました。妄想を呼ぶ歌詞です。ま、カーブでも似たようなものですか。


□◆□…優嵐歳時記(1984)…□◆□

  秋晴れを走り続ける人のいて   優嵐

日曜はアートセラピーで大阪へ行っていました。しだいに前回のアートワークの振り返りやその後一ヶ月の間にあったことや気づきなどについて話す時間が長くなってきました。サインはいっぱいあるのですが、実はそれに気づくまでがなかなかだということがわかります。

あらゆることが恐らくそういうことになっていて、気づきというのは、気づいたときには「なぜこんなことに今まで気がつかなかったのだろう」というようなことがほとんどです。人生とか世の中とかの面白さというか、奇妙さというか、それはこの辺にあるのだろうと思います。

自分で自分の顔を見ることができないと先日書いたように、他の人からは丸見えであっても自分にはわからない、目の前にあっても、目に入っていても見えていないということがいろいろあるのです。そのことにさえ気づいていないのがほとんどで、自分が見ているように他人も世界を見ていると思い込んでいるのが大半の人間でしょう。

人間は顔を鏡に映すことはできても、自分の考え方やものの見方を鏡に映したり、ましてや自分の我を離れて自分を見るということなど、この世に生きている限りは絶対にできません。壁に向かって鎖で縛り付けられているようなものです。


<生きる意味>
自分のことが
本当に理解できるのは
たぶん
この世を去ったあとなのだろう

この肉体を離れて
この自我から自由になったとき
初めて自分という存在を
客観的に見る自由を手にする

だからといって
理解する努力を放棄していいわけじゃない

矛盾しているのだけれど
理解できないからこそ
理解しようとすることが大切

その間のあがきや苦闘や汗が
この世で生きる意味なのだ


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□◆□…優嵐歳時記(1983)…□◆□

  柿の秋ぎっしり空へ実りけり   優嵐

柿の葉は紅葉し、中には落葉も始まっています。その中で柿の色が鮮やかになってきました。熟れて目ざとい野鳥につつかれているものもあります。今年は柿の生り年なのか、多くの柿の木が枝も撓むほどたくさんの実をつけています。

柿はそのままKAKIとして外国に通用するそうです。あの柿色は晩秋の日本を代表する色だなあと思います。なつかしく郷愁を誘うようなそんな色です。ふるさとの色という気がします。

子どものころ家の畑のそばに一本柿の木があり、よくそこへ登っていました。柿は折れやすいので体重が重くなってくると危ないらしいですが、子どもの身には視線が高くなり新鮮な思いができて好きな場所でした。


<ささやかな楽しみ>
オートバイに乗って
ワゴン車の後ろにつけた
リアウインドウ越しに
男の子と女の子が
手を振ってくる

信号で止まったとき
ハンドルから右手を離して
小さく手を振り返した
二人は大きく笑いころげた
フルフェイスのヘルメットの中で
わたしも笑う

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□◆□…優嵐歳時記(1982)…□◆□

  青空は欅黄葉のうえにあり   優嵐

快晴で風はなく真っ青な空が広がって最高の秋日和でした。こんなに美しい日は気持ちが浮き立つと同時にちょっと切ないような悲しいような気持ちになります。日が差し込む森は明るく、赤く色づく木の実があちこちに見え、歩いていてこれほどいい日はそんなにないくらいなのですが。

人の心理状態というのは、単純なようでいて単純ではなく、自分でも把握しきれないところがいろいろあると感じます。


<このまま>
こんなにも空が澄みきった日には
何もかも脱ぎ捨ててしまいたくなる

濁ったものや淀んだものを
すべて置き去りにして
この青空の中に溶け込んでしまえたら

このまま目を閉じて
秋の光の中で透明になる
重い体やわずらわしいあれこれを
ぜんぶ捨て去って

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□◆□…優嵐歳時記(1981)…□◆□

  秋耕の田にある薄き日差しかな   優嵐

秋の収穫が終わった田畑を鋤き起こしておくことを「秋耕(しゅうこう)」といいます。冬の間に風化して土壌が豊かになります。また、裏作として冬の根菜類を育てる場合にも用いられます。稲刈りが終わったあと、ひつじが伸びていた近所の水田がいつの間にか耕されていました。

ヤフーオークションに参加して面白いと感じるのは、落札者の方とコミュニケーションが取れることです。品物を発送して相手の方に届くとその評価が記入されます。単なる数字だけでなく、その方のコメントもいろいろあってこれが意外な楽しさです。できるだけきれいなものを迅速に送りたいと思っていますので、そういう評価をしていただくととてもうれしいですね。

私は本なども含めて品物を丁寧に使う方だと思います。本にラインをひいたりページを折ったりメモを書き込んだりする習慣はありません。逆にそういうことをするとストレスになります。読書のスピードを止められる感じがするのです。気になった場所に付箋を貼るくらいです。これだと図書館の本でも問題なく利用できます。

読書の仕方や手帳の使い方、ノートの取り方などのハウツー本をいくつも読みましたが、こういうことはその本の筆者と違うタイプだと、全くあわないものだとようやくわかるようになりました。


<鰯>
昼の海を泳いでいた鰯は
夜の海も泳いでいる

昼の空を泳いでいた鰯雲は
やっぱり夜の空も泳いでいる


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□◆□…優嵐歳時記(1980)…□◆□

  山歩く静かな今日の秋さやか  優嵐

いいお天気の気持ちよい日が続いています。増位山の頂へ行く途中で自衛隊員の方たちに会いました。ふもとに陸上自衛隊の駐屯地があります。おそらくそこの隊員の方たちだろうと思います。駐車場にいつになく車が多かったので、何か行事があるのだろうかと思っていましたが、自衛隊がボランティアで山の清掃作業をされているようでした。

最近ちょっと気に入って食べているスナック菓子があります。フルタのポテチョコです。ミルクチョコとホワイトチョコがひとくちサイズでいっしょになっていて、その中にポテトチップスのクランチが入っています。チョコレートの甘味とポテトの塩味のコンビネーションが不思議にクセになってしまいます。塩キャラメルなどと同様の刺激でしょうか。

ところが、この製品、夏季限定のようでフルタのホームページに行ってもすでに製品のラインナップから消えています。こういう季節限定商品というのは、日本らしいマーケティングだなあと思います。あらゆる場面で「四季」を意識しつつ生きているのが日本人かもしれません。


<頂にて>
木漏れ日の中を歩いていくと
青空が広がる頂に出る
石のベンチに寝転んで
空を眺めるのが好き

誰もいない
だからわたしはあなたを
感じることができる

目に見えず
声は聞こえず
触れることもできない
だからこそ
そこにいてくれることが
わたしにはわかる

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