優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2009年11月

□◆□…優嵐歳時記(2019)…□◆□ 

  高階の窓にぶつかる冬の風   優嵐

すっかり片づけてしまい、もう逆さに振っても鼻血も出ない雰囲気の部屋になりました。もともとアクセサリーとか部屋を飾りたてるようなものは全く持っていないので、明日引っ越すのかというような殺風景な部屋です。次の粗大ゴミの日に倉庫代わりの部屋に置いているゴミを出してしまえばどれほどすっきりするかと楽しみです。

今ではすべての部屋の隅々まで何があるか把握できています。キャンプのテントみたいですね。遊牧民のパオかな。いくつもあったウエストバッグは「グレゴリーのランバールーム」と思われるものを残してあとは送り出してしまいました。

これが一番シンプルで容量が大きく使い勝手がいいのです。現在は廃盤で同じ大きさのものは無いようです。ウエストではなく斜めがけにすることも可能です。ザックにしてもそうですがなんだかんだとゴムやら紐やらがややこしくついているものよりシンプルな方が結局は使いやすく長持ちします。

グレゴリーはバックパックのメーカーとして有名なブランドですが、ここの大きなザック類は何年か使用するとすっぱいようななんともいえない臭いを発するようになります。このウエストバッグにはそういうものがないので、使っている材質が違うのだろうと思います。


<シンプル>
よけいなものはいらない
基本骨格だけがあればいい
最低限の機能をはたしてくれたら
あとはこちらが工夫する

贅肉とアクセサリーがつけば
わずらわしいだけ
本来の機能が殺がれてしまう
すべてがそうじゃないか



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□◆□…優嵐歳時記(2018)…□◆□

  自転車の荷台に白菜くくりつけ   優嵐

白菜はお漬物に、またこの時期の鍋物に欠かせない野菜です。クセがなく、白菜が嫌いだという人を聞いたことがないように思います。中国北部が原産地といわれています。日本で普及したのは明治以降ということですから、それほど昔ではありません。侍は白菜を知らなかったのだな、と思うと意外です。

今日は少し風がありました。軽めの木枯しという感じです。いつのまにかもう師走が目前なのに驚きます。この二ヶ月、オークションにどっぷりつかっていたためにオートバイの任意保険の期日が迫っているのを忘れ、昨日電話で知らされあわてて手続きをしました。

今日は衣服の整理をしました。2005年から仕事を変えて出勤しなくなったため、そういう類の服はもう不要になっています。どんどん出していったら衣装ケースがごっそり空になってしまいました。どこまで少ないもので暮らせるかしばらくやってみるか、と考えています。

十代のとき隠遁者になりたいと思っていたのですが、どうやら本当にそういう感じになってきました。西行か吉田兼好、鴨長明ですね。芭蕉もそれに近いような気がします。旅に生き漂白の中で句を詠んでいますから。


<自由>
しがらみを振り捨てたいと
思う人は多い
しかし実際にできる人は
ほとんどいない

いつもなにかにからめとられ
よしなしごとのなかで
暮れていく人生

自由を欲しながら
ほんとうの自由のなかで
耐えられる人は
そんなに多くない

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□◆□…優嵐歳時記(2017)…□◆□

  不要物さっぱり捨てて冬構   優嵐

ようやく持ち物の整理が終わりそうです。オークションに出して引き取ってもらえそうなものはすべて出し終わり、買い手がつかなければ処分することにします。思い立って開始したのが十月に入ったころでしたから、ほぼ二ヶ月かかったことになります。

押入れも倉庫代わりに使っていた部屋もタンスも何もかもがらんとしました。あの膨大な品物たちはいったい何だったのか、と思ってしまいます。まだ捨てるものがあるので、さらに部屋はがらんとしていきそうです。

今日、送り出した山用の道具を引き取ってくださった方から「ぴったりで喜んでいます」との連絡をいただき、うれしくなりました。ああ、あれもこれも次の場所で次の人生を始めているんだな、と思うと「楽しんでね」と声をかけてやりたくなります。日本人は品物にも魂を認め、針供養のようにモノの魂を慰める習慣を持っています。自分にもそういう気持ちがあるんだ、と実感しました。

「冬構(ふゆがまえ)」とは、本格的な冬の到来を前に家の内外にいろいろな設備を施して雪や風に備えることです。北国、雪国ではこれらの準備が大掛かりなものになります。不要物の処分が私なりの冬構だったかな、と感じています。


<一言>
誰かのほんのちょっとした一言で
心がふわっと
あたたかくなることがある

特別な人であることも
特別な言葉であることも
特別な場面であることも
必要ない

何気ない
でも誠実なその一言
それが不意にやってきて
心のどこかに触れるとき
なんて人間は素晴らしいんだろうと思う

その人は気がついていないかもしれない
何かお返しするにも
できないことがほとんど
見ず知らずの人の場合もある

だから思う
このバトンを次の人に渡そう
渡したいと思う人でありたい、と


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□◆□…優嵐歳時記(2016)…□◆□ 

  一心にもの片づけて暮早し   優嵐

「暮早し」は「短日」「日短か」などと同じ意味です。語感によって使い分けます。このごろの日の短さはとりわけ午後の短さとして感じます。お昼ごはんを食べてちょっとしたら、もう夕暮れの気配が忍び寄ってきます。

今日は27日、坂井泉水さんの月命日なので、ZARDの楽曲について書きます。今日取り上げるのは『翼を広げて』(08.4.9)です。この曲はZARDの44番目のシングルとして、坂井泉水さんが亡くなった後に発表されました。作詞家として93年にDEENへ歌詞提供していた曲をセルフカバーで歌っています。もし、彼女がこんなに早く亡くならなければCD化されることはなかった作品かもしれません。

その点では、ビジュアルとしての彼女の姿がこれほど外部の人の目に触れるようになったのも亡くなった後のことでした。YouTubeにはほとんどのZARDの楽曲が動画つきでアップされています。しかし、それらの動画を作られた熱心なファンの方たちでさえ、亡くなった後に放映された特別番組や映像で初めて<坂井泉水>のさまざまな姿に触れ、感慨ひとしおだったようです。

「ああ、こんなに楽しそうにしているんだ」「笑うんだね」などというコメントが寄せられているのを読むと、若い女性なんだから、笑いもするし、冗談も言えば楽しそうにもするだろう、と思いますが、それほどメディアからは身を引いていたということでしょう。

翼を広げて



この楽曲は『負けないで』とともに高校の音楽の教科書に採用されています。「翼を広げて旅立つ君にそっとエールを送ろう」と歌う励まし系のバラードです。実はこの曲を最初に聴いたとき、ちょっと違和感がありました。それは、「誰のためじゃなくただ君のため 愛してたよ」というところです。

「私のためじゃなく」とか「あなたのためじゃなく」とは言いますが「誰のためじゃなく」という表現はあるの?と思ったからです。ここは「誰のためでもなく」「誰かのためじゃなく」「誰かのためではなく」などというのが普通でしょう。しかし、普通ではないものを普通以上のものにしてしまうのが特別な才能を持った人です。

彼女は膨大な候補メロディの中から曲を選び、そこに歌詞を乗せてZARDの楽曲を作っていたようです。曲と言葉が響きも含めてぴったりあうところを探していたに違いありません。文法的なことは百も承知の上で、あえて「誰のためじゃなく」という言葉を選んだのでしょう。「誰のためでもなく」では確かに全く印象が違ってしまいます。

似たようなエピソードが『負けないで』にあり、作曲者の織田哲郎さんは最初に歌を聴いたときに「どんなに離れてても」の部分の歌い方に違和感があったといいます。ここは単語の並びからいうと、「どんなに・はなれてても」と切るのが普通です。しかし、坂井泉水さんは「どんなには・なれてても」と歌っています。

「ところが聴いているうちにこれがいいなあと思うようになった」と織田さんが語っているように、この特異なテクニックや方法が、なんともクセになるZARDの音楽の魅力の隠し味になっているのです。

また『翼を広げて』は彼女の一周忌直前に発表されたため、「翼を広げて旅立つ君にそっとエールを送ろう」というサビのフレーズは、生前の坂井泉水さんが自分自身へ呼びかけているようにも聴こえたでしょう。ファンの方にとっては、その声に乗せて、彼女の魂に感謝とエールを送る、そんな気持ちをかきたてたのでは、と思います。

□◆□…優嵐歳時記(2015)…□◆□

  銀杏落葉金色をいま惜しげなく   優嵐

近所の銀杏がいま黄葉の盛りです。黄葉しながら散っていきます。その鮮やかな黄色は冬の空気に最後の華やかな彩を与えています。銀杏が散ってしまうと真冬になります。それを見上げていると、思いがけず車から声をかけられました。学生時代の友人です。

仕事で出張した帰りということでした。車を脇へ寄せて助手席に乗り込みしばらく近況やら何やらひとしきり話し込みました。自分もつい数年前まで同じ仕事をしていたのですが、なんだかもう遠い夢のようです。自分の生活も変わったし、気持ちも変わってしまったなあと思わざるをえません。

人間は変わっていないようでいて、変わらずにはいられないものなのです。この一瞬にも自分が意識していないだけで着実に変わっています。変わっているということがすなわち生きているということなのでしょう。


<久しぶり>
「久しぶり」という言葉を
初めて使ったのは
いつだっただろう

中学までは友だちの
顔ぶれが増える一方で
ばらばらになることなどなかった

別々の高校に進み
違う制服を着て
初めて「久しぶり」という
言葉を使ったような気がする

あれから随分長い時間がたって
友だちに会うともう
「久しぶり」ばかりだ

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□◆□…優嵐歳時記(2014)…□◆□

  湯豆腐にふるふる揺れる角のあり   優嵐

鍋物のおいしい季節になってきました。湯豆腐はなかでも最も手軽であっさりとしており、実に日本的な料理です。夏は冷奴、冬は湯豆腐と寒暑を問わず愛でられているというのも豆腐の特徴です。

明日が粗大ゴミの日で、整理したものをあれこれ出したら倉庫代わりの部屋がどっと空きました。すっきりするなあ。まだしばらく整理は続くので、もっとすっきりするはずです。

オークション商品を発送するのに意外に役に立ってくれたのがさまざまな店でいただいた袋でした。本は紙袋の方がいいですが、衣類や鞄などは形が自由になるビニール袋の方が勝手がいいのです。さらに、大型のものにはゴミ袋が大活躍。


<鍋物>
お鍋の季節だね
何がいい

すき焼き
寄鍋
牡丹鍋
ちり鍋
湯豆腐
おでん
石狩鍋

何だっていいよ
きみといっしょなら


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□◆□…優嵐歳時記(2013)…□◆□

  手袋のゴツゴツあるいはしなやかに   優嵐

手袋は冬の季語ですが、実生活ではいまや四季を問わずにさまざまな手袋が使われています。感染症予防のために医療現場には欠かせませんし、作業、スポーツの効率を高め手を保護するためにも手袋は必要です。

23日は勤労感謝の日でしたが、この辺になるとなんだか祝日として影が薄いという気がします。もともとは、「新嘗祭(にいなめさい)」として今年の初穂を神に奉り宮中で召し上がった儀式に由来します。
現在は勤労と生産を祝い、互いに感謝する日なのだそうですが、子どもの日や敬老の日のように”プレゼント”がらみで騒がれないため、母の日やバレンタインデーよりさらに影が薄いような…。


<手袋>
ずらりと手袋を並べる

ラムスキンのしなやかな黒の手袋
オレンジ色の毛糸の素朴な手袋
最新のテクノロジーを駆使した雪山用手袋
ダイビング用手袋
鹿革の無骨な作業用手袋
フリースの柔らかな手袋
オートバイのハンドルを握るための手袋
自転車用の指先をカットした手袋
雨天用のライディング手袋

手袋をつけると手はひとつの人格を持つ
手袋を変えるたびに人格が変わる
いくつもの手袋を脱ぐとき
そこに現れるのは同じ私の手

私という人格を脱ぐとき
そこにいるのは誰だろう

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□◆□…優嵐歳時記(2012)…□◆□

  冬林檎日差しの甘さ伝えけり   優嵐

冬林檎という種類があるわけではなく、林檎は秋の季語なので、冬になると冬林檎とします。冬紅葉と同じ使い方です。オークション物品がそろそろ終りか、と思っていましたが、十一月いっぱいくらいはかかりそうです。一日三点ほどずつ出していくにしてもそれぞれの商品に説明と写真がいり、そういうことを調べて書いているとそれなりに時間がかかります。

思いがけないものが押入れの奥から出てきて、またまた出品するものが増えたり…。それにしても手袋だけで20セットくらいあります。オートバイに乗るだけで夏用、冬用、雨天用と三種類の手袋があり、同様のものが自転車でもあります。これらは手元においていますが、ウインタースポーツ用の手袋が数種類、日常生活用が数種類、作業用が数種類という具合で、手袋マニアのようなありさまです。


<遊び>
よく遊んだもんだな
自分の中の誰かが苦笑いする

だけどそれはそれでよかったんじゃない?
もうひとりの誰かが言う

楽器を弾いたり絵を描いたり
山に登ったりキャンプしたり

そのときを楽しんで
後悔することなんか
何もなかったよね

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□◆□…優嵐歳時記(2011)…□◆□

  とどまらず残照たたえ紅葉散る   優嵐

今日はまた少し風が冷たく感じられました。喪中葉書が届き始め、気がつくと今年もあと40日ほどで終りです。これから師走半ばごろにかけて紅葉はしだいに散っていきます。桜と並んで紅葉は散りゆくさまが古来から愛でられてきました。

週末にようやく年賀状を買いました。連休中に少し準備をしようと思っています。それにしても、ついこのあいだ丑年の図案を考えたような気がするのですが、この調子だとまたすぐにウサギが跳ね回りそうです。来年のことを言うと鬼が笑う?そうですね、確かに。明日何が起きるか、誰にもわかりません。


<がらん>
押入れががらんとした
がらんとしてしまうと
そこに何があったのか
ほとんど忘れてしまっている

心の押入れもたぶんいま
がらんとしている
そこに何が入ってくるのか
まだわからない

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□◆□…優嵐歳時記(2010)…□◆□

  篠笛を吹く人小春の頂に   優嵐

小春は陰暦十月の異名です。冬に入ってしばらくたった今頃、十一月半ば過ぎから十二月初めごろの穏かな日和を「小春」と呼びます。厳しい冬がやってくる前のひととき、木枯しが吹いたあとに二、三日続く静穏な晴れの日です。小春とは、素敵な呼び方だなと思います。

増位山の頂で眺めを楽しみながら篠笛の練習をされている方に会いました。こんなところで笛を吹いたら実に気持ちがいいでしょう。部屋の中でしていることをたまにアウトドアですると、気分が変わって新鮮です。


<次へ>
ほとんど葉を落としたアベマキから
黄葉が隣り合うコナラに移った
アベマキの落葉を見届けるように
コナラの梢が黄色く変わり始めている
木から木へ黄葉のバトンタッチ

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