優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2010年01月

□◆□…優嵐歳時記(2071)…□◆□ 

  暖かき大寒なれば目瞑りて   優嵐

大寒は風もなく暖かな一日でした。太陽が黄経300度に位置し、寒さが極まる頃ですが、今年の大寒はむしろ「春近し」を強く感じました。増位山の頂のベンチで日差しをあび、目を閉じているとそのままいつまでもそうしていられそうなそんな陽気でした。

昨夜、今年初めてテニスをしました。ザムスト・エルボーバンドという肘を保護するバンドをつけました。打つ時に手首を不用意に使うから肘に負担がかかるとのことで、打球時の手首の使い方にも神経を配りました。バックハンドがシングルなのですが、ダブルの方が肘の負担が軽いとのことです。

試しにダブルで打ってみました。ダブルだと手首の自由が制限されるためテニス肘には有効なのかもしれません。野球のバッティングの要領でバックを打てばいいのかもしれませんが、急にうまく打つのは難しいですね。しかし、急角度で入ってくるサービスに対するリターンが強力になるのは確かです。


<また会おう>
自分の身体を思い通りに
操れる人はいない
自分だけれど自分じゃないからだ

赤ん坊が生まれてすぐに
立ち上がれないのは
この世に降りてきて
その身体の重さに驚いているから

遠心力で壁に貼り付けられたように
赤ん坊は愕然とする
あんなに軽やかだった自分は
どこへ行ってしまったのか

動けないうえに
気持ちも伝えられない
赤ん坊は泣くただひたすらに
ここから出してよ
帰りたいよ

今はそこにいるときなんだ
そっと寄り添う存在が応える
すぐに慣れる
そしてわたしのことも忘れる

忘れないよ

そうだ本当は忘れない
すっかり忘れたと思ったとき
また君の元へくるよ
君はすぐに思い出す

また会おう


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□◆□…優嵐歳時記(2070)…□◆□

  待春の人の心に誰か住む   優嵐

今日は大寒です。俳句を始めるまでは、大寒は冬の真っ最中だと思っていました。しかし、俳句に親しんで何年かたつと、大寒はもう春のすぐ隣にいるとわかるようになりました。気温は厳寒でも光が全く違います。

春を待つ気持ちをそのまま季語にした「春待つ」「春を待つ」という言葉があります。「待春(たいしゅん)」もそれと同様の意味を持っています。冬至が過ぎ、お正月も過ぎたころ、そこはかとなく日脚が伸びてきたのを感じ取れるようになってから使う季語です。

デジカメを新しくしました。電池がついに寿命を迎え、充電してもすぐにレッドマークが点灯するようになったのです。前のカメラで最後に撮影したのが昨日の紅梅の写真です。前はコニカミノルタのものでした。しかし、今やここはデジカメの製造から撤退していますので、キャノン IXY DIGITAL 110 IS にしました。Webで買って、送られてきたその大きさに驚きました。

これまでのものも当時の最小サイズでしたが、今度はそれよりもさらに小さく、携帯電話とほとんど変らない大きさです。しかもお値段は前よりはるかに安く、機能はかなり上です。blogにアップする画像の撮影が主な目的ですので、散歩のときに軽く嵩張らないことが一番のポイントでした。十分過ぎるほどの性能です。


<冬晴れの日に>
やわらかな日差しに包まれて
頂に座っていた
君は隣のベンチにいるね

こんな穏かな冬晴れの日には
にこにこ笑ってそこにいるのが
手に取るようにわかるよ

君はすぐに姿を消すけれど
また風といっしょに戻ってくる


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□◆□…優嵐歳時記(2069)…□◆□ 

  陽に一輪寒の紅梅咲き初めし   優嵐

暖かく風もなく、真昼の気温は10度まで上がりました。随願寺の梅林の紅梅が咲き始めました。まだ一輪だけですが、蕾は次々と膨らんでいます。「寒梅」とは、寒中に花を咲かせた梅をさして呼ぶ季語です。寒気の中に咲く梅には特に凛とした気品を感じます。

日曜日はアートセラピーで大阪に行っていました。今回からは新しく「バイオグラフィー」というワークが始まります。ルドルフ・シュタイナーは人生を7年単位で区切り、それに基づいて人の肉体・魂・精神の発達を考えています。さらに大きく分けて0〜21歳は身体を育てる、21〜42歳は魂を育てる、42〜63歳は精神を育てる時期にあたるのだといいます。63歳以降は、さらなる発展を目指すのでしょう。

これに基づいて今までの人生を色で表していくワークをしたのですが、どうも私の場合、21歳以前は心理的に暗い色になってしまいます。去年、梅が咲く頃ひとつの転機があって、ようやく受け入れられたと思いましたが、まだ残滓はあったのだと思わざるをえません。

多分、一生何らかの形で引きずっていく、というか、それが今生の課題だと思います。誰しもらくらくと生きているわけではありません。たとえ外には見せなくても何かしら背負っているものです。自分が恵まれていることには目を向けず(たとえば私の場合は身体的な健康にはとても恵まれてきました)、つい不足に目をやって愚痴を言ってしまいます。

恵まれていることは「あたり前」で、不足に愚痴を言うというのは随分勝手な話だと理屈ではわかるのですが、ついそうなってしまいます。恵まれていることに感謝して、不足については「与えられた試練」「勉強の機会」と思えたなら世界は逆転する、と思います。

ただ、こうして長い目で人生を見ると、確かにほんの少しずつではあるけれど変化している(進歩している)と言ってよさそうです。子どもの頃の話をしながら「ああ、また愚痴になってしまった」と嫌な気持ちになるというのもある意味では進歩だろうと思います。

話せば手放せる、言えれば癒される、確かにそれはそうなのですが、過去を振り返って、話すたびにそこへ取り込まれてしまっていては愚痴の堂々めぐりです。そこから一歩踏み出せるかどうかが、次に進めるかどうかのターニングポイントかと思います。


<空を見よう>
愚痴と悪口はよく似ている
言っているときは
言うのが当然だと思っている

あいつはとんでもない奴
あんなひどいことを
あんなばかなことを
私は正しくあいつが間違っている

けれどこの後味の悪さ
思いきりしゃべった
自分の馬鹿さ加減
それを一番知っているのは私

いいかげん堂々巡りを
卒業したら
いつまでそんなものに
足をとられているの

私の中のもうひとりの
私がそう言う
顔を上げて空を見よう
泥の中を這い回るのは
もうたくさん


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□◆□…優嵐歳時記(2068)…□◆□

  震災忌空晴れ渡り澄み渡り   優嵐

昨日は阪神淡路大震災から15年の震災忌でした。歳時記にはすでに関東大震災の「震災忌(9月1日)」が季語として載っています。しかし、兵庫県の人間として、さらにあの時代をリアルに身近で体験したものとしては、「震災忌」はこちらで詠みたくなります。

ハイチで大地震がおこり、その地震の様子が阪神淡路大震災のときのものと似ているという記事を読みました。15年前、あれだけの規模の災害であるにもかかわらず、治安が保たれ、略奪行為などがほとんど起きなかったことが外国から驚きの目で見られたことを思い出します。

ハイチでは治安、衛生状態ともに悪化しているとのこと。治安の悪化が長引けば弱い立場の子ども、女性、老人などが犠牲になります。被災された方のもとに救援物資が一日も早く届き、治安が回復されるようお祈りします。


<春の鼓動>
大阪に向かう電車が
明石を過ぎると
すぐに主塔が見えてくる

やがて
ゆるやかにアーチを描いた大橋が姿を現す

大阪湾の連なりまでつづく海峡は水色
冬は確かにそこにいて
けれど春はもうその姿を見せ始めている

雲の色、空の色、海の色
春の鼓動に耳を澄ませている


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□◆□…優嵐歳時記(2067)…□◆□

  青空をくっきり透かせ冬木立   優嵐

冬木立は葉を落として立ち並んだ寒々とした冬木の群れをさします。落葉樹は今、枝のみの姿で冬を耐えています。人間は着込みますが、樹木は脱ぎ捨ててしまいます。逆なのが面白いですね。裸木の向こうには寒の青空がまぶしく光っています。寒暑にも嵐にも身ひとつで耐えている姿、それゆえの美しさがそこにはあります。


<美しい何か>
わたしもかつては樹木だっただろうか
あんな風に黙って美しく青空の下で
立っていた日々があったのだろうか

怒ったり泣いたり
怨んだり悩んだり
うらやんだり妬んだり

樹木はそんな感情を持たない
風が吹けば風に
雨が降れば雨に
日が差せば日に
雪が降れば雪に
身をあわせてただひたむきに生きている

あんなに美しい日々があったというなら
きっともっと美しい何かを
見つけられるはずだ

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□◆□…優嵐歳時記(2066)…□◆□ 

  蝋梅の開くよ日ごとひとつずつ   優嵐

蝋梅は江戸時代の初めに中国から渡来した高さ2〜4mの落葉低木です。大きさ、形ともに梅に似ています。梅はバラ科であるのに対し、こちらはロウバイ科です。寒さの中で蝋細工のような半透明の香り高い花を咲かせます。花の時期は梅より一足早く、梅が満開になる頃にはすっかり終わっています。寒中の貴重な花といえるでしょう。

随願寺にも庫裏と本堂の間に目だたないながら一本の蝋梅があります。日に日に花が開き、まだ蕾がたくさんあるので楽しみです。門松が取り払われ、そこに使われていた葉牡丹が別の場所に植えられていました。梅林の紅梅は開き始めているものの、開花の状態は昨日とほとんど変っていませんでした。


<赤信号>
どんど焼きの後で
寄せ鍋を囲んだ
ガラス越しの冬陽を
背中いっぱいに浴びる

しいたけ、白菜、鯛、海老
くずきり、お餅、春菊

あんたも一杯どうや
おじさんが
焼酎をすすめてくださる

だめですよ〜
車なんですから
ちょっとだけやったら
ダメダメ

すぐに顔が真赤になるから
顔だけでまず赤信号です


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□◆□…優嵐歳時記(2065)…□◆□

  冬深し杉の木立の上の雲   優嵐

14日で関西の松は明けました。すでに世の中はずっと前にお正月気分を脱していますが、松飾は14日まで飾られています。取り外した松や注連飾りを焼くのが「左義長(さぎちょう)」です。この煙に乗って正月様は帰ると考えられています。「とんど」「どんど」などとも言われ、正月の14日の夜、または15日におこなう小正月の火祭りです。

14日は晴れていましたが、風があり寒い一日でした。しかし、随願寺の梅林のうちで最も早く花を開く紅梅の蕾がひとつ咲き始めているのを見つけました。明日か明後日には確実に花開いた紅梅に会えるはずです。


<紅梅>
寒いね
ゆうべは氷点下だったね
池の氷はまだ溶けていないね

でもそろそろ時がきたよ
いつもそう
お日さまが呼ぶの

さあ
蕾を開いて
心を開いて

その声が聞こえたら
握り締めた拳を
ゆるめる時がきたと
わかるの


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□◆□…優嵐歳時記(2064)…□◆□

  蒼空を風渡りゆく寒九かな   優嵐

昨日は寒に入って九日目、季語でこの日を「寒九(かんく)」といいます。四日目が寒四郎、九日目が寒九です。あとは特に呼び名はありません。日ごと日差しの明るさは増していますが、寒さは最も厳しいときであり、真昼でも外気温は3度しかありませんでした。

自然歩道を歩いていると、雪花が舞い始めました。このあたりでは、冬に入ったばかりのころよりも晩冬から早春にかけての方がよく雪が降ります。降り続くということはほとんどなく、積もるのはせいぜい年に一、二度です。


<春の足音>
杉の大樹の上で風が鳴った
霜柱を踏んでさくさくと歩く
水仙が開き始めた

光を纏った雀たちが
ぱっと飛び立った
手水鉢に落ちるかすかな水音
近づく春の足音

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□◆□…優嵐歳時記(2063)…□◆□

  山寺に生姜葛湯をいただきぬ   優嵐

随願寺の庫裏でよく生姜葛湯をだしていただきます。「生姜湯」も「葛湯」もともに冬の季語です。生姜湯はおろし生姜に熱湯を注ぎ砂糖を加えたものです。発汗作用があり、風邪の民間療法として用いられたりもします。葛湯は葛粉を少量の水で溶き、熱湯を注いで攪拌し、糊状になったところを食べます。

不思議な夢を見ました。夢はだいたい奇妙ですが、今朝はさらにおかしなものでした。右の手首のところに2本の糸のようなものが通っているのです。それは動脈の中に通じていて、血が通っているのがわかります。動脈の中を通っている糸が手首の部分だけほんの3cmほど外に出てきている、という感じなのです。

どうもこれは何かの目印のようで、これが手首にある人は私の仲間、グループ、そういうものを示しているようです。右手首の2本の糸は何かのシンボルなのでしょうね。


<仲間>
右の手首を見せてくれないか
ぼくらの紅い糸があるだろう

兄弟より
幼なじみより
もっとずっと遠くから
ぼくらをつないできた

ぼくらは結ばれた仲間
時をこえて
あらゆる障害をこえて
ぼくらは何度でも出会う

君が迷うとき
ぼくが手をさしのべる
ぼくが迷うとき
君が手をさしのべてくれる
ぼくらは結ばれた仲間


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□◆□…優嵐歳時記(2062)…□◆□

  寒林へいま存分に陽のあたる   優嵐

葉の落ちた寒々とした冬の林を「寒林(かんりん)」といいます。十二月いっぱいでほぼ落葉は終わっており、今落葉樹はすっかり裸木となっています。林床に積もった落葉までたっぷりと日が当たり林全体が日向ぼっこをしているように見えます。

今『一億人の俳句入門』という本を読んでいます。俳句や短歌といった五・七・五のリズムを基調とした定型詩がなぜこれほど長く生き続けているのかとの理由について、著者は「やまとことばの音楽に沿っているため」だとしています。

千年前の『源氏物語』を原文で読むことは素人には困難ですが、同時代の和歌であれば、ほぼそのまま意味をくみとって心情に同化することができます。これがやまとことばの音楽のもつ力かな、と思います。


<諸行無常>
日ごと日脚がのびていく
日本の四季はもっと細かく
二十四節気だと思っていた

しかしよく観察してみると
一日として同じ日はない
今日紅梅の蕾はさらに膨らみ
咲いている蝋梅の数は増えていた

諸行無常
同じだと思っているのは
観察力が足りないから
一日一日一刻一刻すべては
移り変わっている


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