優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2010年02月

□◆□…優嵐歳時記(2109)…□◆□

  春荒れの中を小包抱いていく   優嵐

金曜日の昼間は風と雨が強く、こうしたお天気もよく春先には見られます。ほかほかと柔らかい日差しが降り注いでいたかと思うと、翌日は一転して強風と雨、人生の思春期を「疾風怒涛時代」といいますが、まさにそういう感じです。

「春荒れ」とは、春の強風で、前線を伴った低気圧が日本海を通過するときに吹く南よりの暖かい風です。「春疾風」「春嵐」などともいいます。金曜日に気温がぐんとあがったのはそのせいかもしれません。雪崩や洪水、あるいはフェーン現象による大火災を引き起こしたりもするようです。


<自由>
人間には全員自由が与えられている
ただし
それは選択の自由ではない
反応の自由だ

何かが起こるのを止めることはできない
地震が起きるのも
愛する人が死んでしまうのも

起きてしまった何かを元に戻すことはできない
事故にあったことも
病気になったことも

あなたに与えられている選択は
その後どうするか
その出来事に自分がどのように反応するか
その自由だけだ

そしてその自由をあなたから
奪えるものは誰もいない


今日の名言:打ち倒すあなたは強いが、起き上がるあなたはもっと強い。


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□◆□…優嵐歳時記(2108)…□◆□ 

  白梅をわずかに風のそよがせる   優嵐

バンクーバーオリンピックも大詰めです。女子フィギュアスケートの浅田真央選手、銀メダル獲得おめでとうございます。参加された選手のみなさん全員に、「お疲れさまでした」とお礼をいいたいですね。

今日の坂井泉水さんの月命日には、2000年シドニーオリンピックNHK放送テーマ曲としてZARDが制作した32番目のシングル『Get U're Dream』(00.9.6)を取り上げます。YouTubeを渉猟して、3つの異なるバージョンを見つけることができました。制作してくださったみなさん、ありがとうございます。オリンピックバージョンは歌詞そのものが少し異なっています。三つとも甲乙つけがたいですが、私はしいて言えばシングルバージョンが好みかな。


Get U're Dream(アルバムバージョン?)


Get U're Dream(シングルバージョン)



Get U're Dream(オリンピックバージョン)



どうやら、ZARDの多くの楽曲でこうしたバージョン違いのトラックがあるようです。制作にかけた意気込みが伝わってくるようですね。オリンピックバージョンの動画の冒頭には、坂井泉水さんがカメラ目線で話している大変珍しい映像が出てきます。作品制作に徹底的にこだわり、ほとんど公の場に姿を見せなかった彼女の映像の多くが、ヘッドフォンをつけて歌っている姿です。ビジュアルが美しい人であるだけに、そのストイックさがより際立って見えます。

ただこの映像を見ていると、大勢の人や知らない人の前で話すことが、彼女は苦手だったのだろうと感じます。坂井泉水さんが人前で話している映像はWebのコメントやライブのMCまで含めてすべてYouTubeにアップされているのではないかと思います。もともと公開されているものはごくわずかしかないようですから。

そして、その特徴ですが、最初期のテレビ出演時以外、誰かの質問に答えるインタビュー形式で話しているものはありません。あらかじめ自分でこれを話そうと考えていた内容を暗記し、カメラに向かって必死で語りかけている、そういう印象です。そのため、声は緊張した抑揚の少ないものになっています。坂井泉水さん自身が認めているように決して「しゃべり」がうまいとは言えません。

ところがボーカルになると彼女の声の表情が一変します。微妙な発声、息遣い、リズムのほんのわずかなずらし加減などを駆使して、楽曲の細かなニュアンスまで自在に表現しているのです。私は彼女ほど息遣いが魅力的なボーカリストを他に知りません。ここにあるギャップは何なのか、と正直びっくりします。恐らく、パフォーマンスが苦手だったために、表現意欲が濃い密度をもって歌と詞に注ぎこまれたのでしょう。

昨年、三回忌コンサートの翌日に高島屋の『坂井泉水展』で見た彼女の直筆を思い出します。雑誌からの取材に答えた原稿で、彼女自身がここは強調したいと感じたであろう項目は、余白まではみだすほどびっしりと書き込まれていました。さらに消しゴムで消して何度も書き直した跡があり、「ああ、この人はいつも一生懸命に表現しようとしていたんだなあ」と何か胸にしみるような思いでその筆跡を見ました。

ウサギに飛ぶことを、カラスに泳ぐことを、サカナに走ることを教えようとしてはならない、といわれます。その人がそのために生まれてきたといえるほどのものが見つかったならば、すべてを振り捨ててそこに向かうべきです。坂井泉水さんの姿は、それを教えてくれています。歌の中でこそ彼女は翼を思い切り広げ、高く舞い上がることができたのです。


今日の名言:自分で道を見つけよう。さもなくば、自分で道を創ろう。

□◆□…優嵐歳時記(2107)…□◆□

  春めきて檸檬をふたつ絞り飲む   優嵐

ここ数日急激に暖かくなっています。このまま暖かくなってしまうことは恐らくないとは思いますが、花粉症の方にはまた大変な時期ですね。先日の火傷はかなり癒えてきて、痒くなっています。水泡になっていた部分には今も大きめの絆創膏を貼っていますが、その周囲も軽度の火傷になっていて、その部分が痒いのです。

痒いというのがつらいものだということをしみじみ痛感したのは、成人してから水痘を患ったときでした。胸から上に水泡ができて、とくに頭の中が一番ひどく、それが治っていくときの痒みのすさまじさは、眠れないほどでした。アトピー性皮膚炎の方はつらいだろうなあとそのとき初めて思いました。経験してみないと何ごともわからないものです。


<新しい道>
大丈夫かなとたずねた
彼女は微笑んでいるだけ
何も教えてくれないの?

先のことが全部わかってしまったら
おもしろくないでしょ?

前もってすべてがわかっていたら
あなたは何も学べない
わくわくもどきどきもしない

もしすべてがわかっていたら
あなたは退屈してしまう
結果より過程が大事なの
特に人生にとってはね

あなたが一歩を踏み出せば
それを受け止めるように
新しい道ができる

それがどんなものであっても
それはあなたにとって
素晴らしい一歩なの

ためらっても迷っても
悩んでも打ちひしがれても
それも素晴らしい道
だから恐れないで


今日の名言:毎日、今日が最後の日だと思え。毎日、今日が最初の日だと思え。


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□◆□…優嵐歳時記(2106)…□◆□

  誰もみな己が影連れ不器男の忌   優嵐

芝不器男(しば・ふきお)は1903年(明治36年)愛媛県に生まれた俳人です。不器男は本名で、論語の「君子不器」(君子ハ器ナラズ=人間は一つの器にとどまらないで、全人的完成をめざすべきであるの意)から命名されたと言われています。東京帝国大学農学部に入学し、帰省中に関東大震災がおきたため、中退して東北帝国大学工学部に転じました。

そのころより句を作り始め、吉岡禅寺洞の『天の川』、高浜虚子の『ホトトギス』などに投句し、早くから注目を集めました。1928年(昭和3年)伊予電鉄の副社長・太宰孫九の長女・文江と結婚。しかし翌年、睾丸の悪性腫瘍を発病、1930年2月24日、わずか26歳でこの世を去りました。愛媛県松野町にある生家は現在、芝不器男記念館になっており、私は所属する俳句結社のみなさんと訪れて句会をしたことがあります。落ち着いたいい雰囲気の場所です。

・代表句
あなたなる夜雨の葛のあなたかな
永き日のにはとり柵を越えにけり
寒鴉己が影の上におりたちぬ


<春霞>
春は一歩前進した
薄手のフリース一枚で歩く山道
それでも額に汗が浮かぶ

風は無く
頂の西行と業平の歌碑は
春霞の市街を背景に
ゆったりとくつろいでいる

ベンチに寝転がれば枝越しに
やわらかな春の青空が広がる


今日の名言:君がいいと思った事は、どんな小さな事でもするがいい。


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□◆□…優嵐歳時記(2105)…□◆□

  遠山も頂の枝も春きざす   優嵐

随分春らしくなってきました。真昼の気温は18度、山を歩いていると汗ばんできてウインドブレーカーを脱ぎました。増位山の頂は東南方向に開けているため冬でも風がさえぎられ、暖かい場所です。生活用具が揃っているなら、ここに住むのは悪くない、と思います。

「春きざす」は「春浅し」より少し後の時期、春らしさが野山に現れ始めるころにあたります。「春めく」「春動く」などともいわれ、厳しい寒さが過ぎ去って、心情的にものびやかな雰囲気になってきます。梅林には平日にもかかわらず何人もの方が来られていました。開いている梅の花に小さな昆虫が飛んできて受粉を助けています。

<宝石>
あなたの基本性格はと
占いが告げる

意志が強く
やる気まんまんで
率直かつ正直

シンプルでエレガント
直観力に優れ
頭の回転が速い

クリエイティブセンスに恵まれ
芸術感覚があって
何でもうまくできる

ええ?
そんなに立派な人か、私?

そうだ
あなたはそういう人なのだ
裏返しの欠点ばかりを見るな
懐にある宝石を見ろ


今日の名言:逃げるのを恐れたあなたを、人は勇者と呼んだ。


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□◆□…優嵐歳時記(2104)…□◆□

  城包む大霞海まであふれおり   優嵐

三日前、左手首に火傷をしました。左手首というあまり運動にも作業にも影響がないところだったのは幸いでした。すぐに水で冷やしたものの、五百円玉大の水泡ができました。火傷したときは冷水で急激に冷やす必要がありますが、まだ寒いですし、長時間冷水に手をつけてはいられません。

以前、旅先で火傷をしたとき、発熱時に使う冷却ジェルシートを購入して患部に貼りました。ひんやりして火傷の痛みがおさまります。あのときは指だったので、包帯で巻いていました。今回は同様の冷却シートを手首に貼り、ずれないようにテニス用のリストバンドで押さえています。

冷却ジェルシートを販売している会社のHPには、火傷を悪化させることがあるので使用しないでくださいと書いてあります。しかし、火傷の最初期や傷がある場合を除き、持続する痛みの軽減と患部の保護には有効だと思います。どんな使い方をされるかわからないので、会社として有効とは書けないのでしょう。ただ、発熱より火傷に使う回数の方が多いという私は、これでいいのか悪いのか…。

今日は暖かく、真昼の気温は15度まであがりました。増位山から見える姫路市街は霞がかかって春らしいのどかな風景でした。お城も霞にかくれてぼんやりとしか見えません。梅林の梅たちは何かほっと一息ついて枝を伸ばしている風情でした。


<自分>
自分を大きく見せようとしている
自分に気づくとき
自分が小さく見える

ほんとうの自分を見せることが
なぜそれほど恐いのか
ほんとうの自分だと思っている
自分はほんとうの自分なのか

自分が思っているほど自分は
小さな人間じゃない
自分を信頼して
虚勢を張るのはもうやめよう


今日の名言:うつむいてはいけない。頭はいつも上げていなさい。しっかりとまっすぐ世界を見るのです。


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□◆□…優嵐歳時記(2103)…□◆□

  梅林の人影消えて風の音   優嵐

アートセラピーに行ってきました。ワークに入る前にお手玉を自分で投げ上げたり、ペアで投げあったりします。グループ全員が向き合って正面の人とお手玉を投げ合っていたときのこと、「テンポが速すぎますよ」と言われました。相手の人とはうまく投げ合えるのですが、他の人と比べてかなり速いため、全体のリズムを乱してしまうのです。

今日のワークは最初に「フォルメン」をおこないました。四つ切ほどの用紙にパステルで右回りの大きな円を描きます。完全な円にはならず誰でもどこかが歪んでいます。そこで、それを修正するようにその上をなぞってぐるぐると円を描き続けていきます。これは「円を描く」のではなく、「円の形を動く」というのが考え方の基礎になります。

ぐるぐると円の動きを繰り返しているとパステルが用紙の上を滑る音、腕に伝わってくる感覚それらもいっしょになって、何か引き込まれるような、瞑想をやっているようなそんな感じになりました。その後、パステルの色を変えて左回りに円を描き同様にします。円を動くというのはなかなか私にはいい感覚でした。

ただ、ここでも描くスピードが大変速いことを指摘されました。少しスピードを落とすように心がけましたが、実際はもっとぐんぐん速く描きたいくらいでした。私は何でも速くするのが好きです。歩くのも食べるのもテンポが速い。特に盛り上がっていく加速度感覚が好きです。恐らく人間には固有の心地よいリズムというのがあるのでしょう。しかし、それにとらわれてしまうのは望ましいことではありません。

無意識に物事をやっているとどうしても固有のリズムにとらわれてしまうのかもしれません。ワークで目指すのは、「意識的になること」です。ほとんどの人間は日常をほぼ無意識状態で生きており、この瞬間を取り逃がしているのだと思います。このあと、縦の線を上から下へという動作、下から上へという動作、横の線を左から右へ、右から左へ、とそれぞれ一定時間描きました。単純な動作ですが、じっくりそれを感じてみると、微妙な違いがわかってきます。

二つ目のワークは「バイオグラフィー」でした。7年単位でこれまでの人生を色分けし、それぞれの時期を象徴する花を描いていくというものでした。こうした象徴や色を使うことによって、その時期を大きくつかむことができます。前回、幼少時代が暗い色になる、と書いたのですが、今日は少し違っていました。自分がどの位置に立ってどのような気持ちでその時代を振り返るか、によって色彩は変わってきます。

客観的事実はひとつですが、それをどう見るかによって事実の姿は変容します。何があったか、よりも実はそれをどう見るかの方が個人にとっては重要ではないかと思いました。


<変容>
しまったと思う間もなく
熱いスープを手首に浴びた
じんじんして半日
大きな水泡ができていた

ナイフ、包丁、熱湯、火
台所は家中でもっとも凶器が
蓄えられているところ

凶器を使って私たちは
素材を食べものへと変容させる
命を奪えるものを用いて
命を育てるものを整える
台所の錬金術


今日の名言:君はばかげたこともするだろう。そのばかげたことも、熱意を持ってするのだ。


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□◆□…優嵐歳時記(2102)…□◆□

  観梅の人は静かにすれ違う   優嵐

梅は静かさが似合う花だと思います。まだ寒いこともあり、梅を見にきておられる方もみな静かです。桜のように時間ごとに咲き具合が変わっていくということはありませんが、ほぼ毎日梅林へ行っていると、ためらいがちに、それでも少しずつ開いている梅が増えているのがわかります。

YouTubeに"2010年五輪応援歌 「負けないで」ZARD"版がアップされていました。バンクーバーの開会式の模様も入れ、ファンの方が急遽制作されたものと思われます。「NTTドコモのCMで大勢のみなさんが歌われているけれど、肝心のZARDの坂井泉水さんが歌っていない。だから泉水さんver.です。」とのこと。ファンの方というのはありがたいですね。そしてやっぱり彼女の声は素晴らしい。





<明日>
別れてたったひとり
まだ寒い道を帰った
出会ってからの日々を振り返りながら

過ぎてしまえば夢のよう
君がくれた喜びと悲しみ
言葉にしきれないいろいろなこと
それを思う

君に素晴らしい明日があるように


今日の名言:偉大なことを成し遂げるには、行動するだけでなく、夢見ること。計画するだけでなく、信じること。

□◆□…優嵐歳時記(2101)…□◆□ 

  春早しハーモニカで聴く「負けないで」   優嵐

バンクーバーオリンピックは熱戦がつづいています。フィギュア男子での初メダル、高橋大輔選手おめでとうございます。勝敗の行方は確かに注目ですが、集中しきった選手たちの無心の瞳を見られるのはいいものです。それがスポーツをテレビで観戦する醍醐味のひとつだと思います。

YouTubeにはさまざまな『負けないで』がアップされています。すでにNTTdocomoのCMも見られます。もちろん、ZARD・坂井泉水さんの動画は数えきれないほどあります。さらにギター、ピアノ、フルート、オルゴールなどインストゥルメンタルのものも多く、検索すればあっと驚くようなものもあるかもしれません。そんな中、クロマチック・ハーモニカで演奏された『負けないで』を見つけました。プロの方なのか、素晴らしい演奏です。




<ともしび>
あの日あなたが点した
ささやかな灯
風の中でふるえていた
今にも消えそうな灯

あのちいさな灯は
次のろうそくへ
さらにその次へと受け継がれ
広がっていった

ふたつ、みっつ、よっつ
百、二百、三百、何千、何万と

地上はまだ暗い
けれど

あなたが点した灯は
人々のたなごころの中で
輝きつづけるだろう

場所をこえ時代をこえて
人々のこころの中で
輝きつづけるだろう


今日の名言:自分の欠点が気になり出したら、その劣等感を直してくれる人間がこの世に一人だけいる。つまり、自分自身だ。

□◆□…優嵐歳時記(2100)…□◆□ 
 
  雨あがり芽吹きを誘い風の吹く   優嵐

今日は二十四節気の「雨水(うすい)」です。立春の十五日後にあたり、時候では「土脈潤起(どみゃくうるおいおこる)」といわれ、雪が雨に変わり、積もった雪が解けて土が潤い始めるころとされています。

私が俳句を始めたのは2000年からです。インターネットの俳句結社のページに偶然出会い、そこで指導していただいたおかげで俳句らしきものが詠めるようになりました。さらに、俳句のコツをつかむきっかけになったのが俳人・藤田湘子の『新20週俳句入門』でした。この本の最初にまったく初めて俳句を作る人に向けてひとつの秘訣が書いてあります。

1)歳時記を手元に置く。
2)そこから四音でできている季語を選ぶ。今の時期なら「春寒(はるさむ)」「紅梅」などです。
3)選んだ季語に切れ字として「や」をつける。「春寒や」「紅梅や」といった具合です。これが五・七・五の最初の五音になります。
4)残りの七・五を考えますが、これは上の五音とはできる限り関係のない言葉をもってきます。本書では季語に「名月」を選び、「名月や男もすなる手打ちそば」という句が例にあげられていました。

何のためにこんなことをするかというと、「季語、五・七・五、切れ」という俳句の基礎の型を身につけるためです。その後は詠み方を広げながらとにかく千句詠むことを目標にしなさいと湘子はこの本の中で述べていました。習うより慣れろ、です。

俳句は歳時記さえあれば他に特別な道具はいらず、いつでも楽しむことができます。素材は四季の移り変わりです。これほど美しくデリケートで変化に富んだ四季に恵まれているにもかかわらず、俳句を始めるまではそれに気づかなかったな、と自分を振り返って感じます。そういうものを見る視点を与えてくれたということで、俳句に感謝しています。


<出会い>
運命の出会い
それは特別なものではない
それはシルクハットや裃をつけて
あらわれたりはしない

さりげなく隣に座って
ある日あらためてその顔を見たとき
それが「運命の出会い」だったと気づく

ある意味では
この世に運命でない出会いなどない

運命の出会いと運命の別れを繰り返し
人生の図は織り上げられていく


今日の名言:決して夢を人に奪われてはならない。心に描いたものが何であれ、心に素直に従って生きてほしい。


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