優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2010年02月

□◆□…優嵐歳時記(2089)…□◆□

  早春の光は遠き雪嶺に   優嵐

二日続けて雪が積もりました。姫路では珍しいことです。朝にはすでに雪はやみ青空が広がっていました。日曜日、上郡町にある白旗山(440m)へ登ってきました。山頂に南北朝〜戦国時代の山城跡があり、国史跡に指定されています。1336年(建武三年)足利尊氏方の赤松円心により築城され、新田義貞軍の50日に及ぶ城攻めに耐え抜きました。

細野口のそばに車を止め、獣除けの柵を開けて山道に入ります。しばらく平坦な林道を谷川に沿って歩きました。林道の終点からは傾斜が急になり、針葉樹の植林帯の中を登ります。足元は大きな岩がごろごろしており、そこにかつての石段かと思えるようなものが残っています。

近畿自然歩道の一部になっており、野桑口からの道と合流した後は尾根づたいに山頂へ向かいました。山城としてはかなり大規模なもので、全長550mあります。「堀切」の表示が出てから櫛橋丸跡、二の丸跡を経て尾根筋を歩いて行きます。このあたりの傾斜はゆるやかで、コナラの森が続いており、春になったばかりの今は、足元に厚く落葉が積もっています。

落葉が途切れるとヤブツバキの林となり、そこを通り抜けると本丸跡に出ます。本丸跡からは北側の展望が開け、遠く雪化粧をした山が見えました。山城跡の山は例外なく素晴らしい展望に恵まれています。往時には四方をぐるりと睥睨できたでしょう。本丸跡には何本かのヤマザクラの木があり、お花見をするのにもいいだろう、と思いました。


<山城にて>
その昔
この石段を多くの侍が駆け抜けた
甲冑に身を固めた大将から
足軽雑兵まで

暁の光の中を
漆黒の闇の中を
槍を手に
刀を手に

彼らは何を思っていたのだろう
何が彼らを駆り立てたのだろう
はるかに遠い日のときの声

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□◆□…優嵐歳時記(2088)…□◆□

  竹林を騒がせ余寒の風過ぎる   優嵐

六日の朝は姫路でもうっすらと雪が積もっていました。立春寒波とでも言えばいいのでしょうか。二月の上旬は光が非常に明るくなって「光の春」といわれる美しい季節を迎えます。一方、まだまだ気温は低く、そのシーズンの最低気温を更新することもあります。

「余寒」は暦の上で春になってから感じる寒さのことです。初秋の「残暑」に相当します。気分的にも光の上でももう春なのに、まだまだ残っている寒さ。だからこそいっそう強く感じられる、そういう印象です。同様の季語に「春寒」「残る寒さ」があります。それぞれに微妙な感覚の違いがあり、それを句に詠むことも俳句の楽しさです。


<目覚めよ>
ざわざわと
森を揺るがせて
風が通り過ぎていった

春の女神は
清楚で美しい
けれど
ちょっとやんちゃ

大声で歌うし
ときには激しいステップで踊りだす
それは
眠っているものたちを
呼び覚ますため

雲も空も木々も
とりわけ雪の蒲団の下で
ぐっすり眠っている山たちを
目覚めさせるには
高らかな歌声が必要だ


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□◆□…優嵐歳時記(2087)…□◆□ 

  立春大吉梅の小枝はまっすぐに   優嵐

立春は、二十四節気の最初の節にあたります。春がやってくることは朗らかでめでたいことです。「立春大吉」はそれを示した季語です。本格的な春はまだまだ先ですが、薄紙をはがすようにしだいに春の気配が濃くなっていきます。

今日は坂井泉水さんの誕生日です。まったくの偶然ですが、このblog『優嵐歳時記』(04.2.6)の誕生日でもあります。ご縁を感じます。『きっと忘れない』によれば、彼女は1967年2月6日のお昼ごろ、神奈川県下の病院で誕生しています。大雪が降った翌日で、お母さんはお昼近くに病院に行きますが、第一子ということもあり、まだ一時間以上は生まれないといわれます。

念のために分娩台に乗せられたものの、医師も助産師もお昼休みに入ってまわりには誰もいなくなってしまいます。ところが10分もたたないうちに陣痛が起こり、赤ちゃんはお母さんと自分の力だけでこの世に生まれてきます。こうした例は初産では珍しく、安産過ぎるほどの安産だったのだな、と想像できます。

泉水さんが好きだった花は、カラー(海芋)です。彼女の音楽葬では参列者の方たちがクリスタル・ブラッシュという品種を献花しています。カラーは5,6月ごろに咲き、初夏の季語にもなっています。自分の好きな花が咲く頃に亡くなるなんて、西行みたい、と思ったものです。

彼女には誕生のころに咲き始める梅もふさわしい、と私は感じています。まだ余寒の厳しい中、いち早く春の訪れを告げ、まるで暖かさをもたらすように咲き始める梅。香り高く、凛とした気品とけなげさを感じる花です。時には雪や霜にうたれながらも懸命に花を咲かせており、そのさまを見ていると励まされ、思わず姿勢を正したくなります。

今日はZARDの誕生曲『Good-bye MyLoneliness』(91.2.10)を取り上げます。デビュー曲であるこの詞に早くも後の泉水流の特徴が現れているのは興味深いところです。

Good-bye My Loneliness 


何より題名ですが、単純に日本語に訳せば「ひとりぼっちにさようなら」という意味になると思います。英語には孤独を意味する単語として、lonelinessとsolitudeという二つの語があり、意味が少し違います。lonelinessは「ひとりぼっちで寂しい」ということであるのに対し、solitudeは「あえてひとりでいる、ひとりを楽しむ」といった意味があります。

ここではlonelinessを使っているため、「今まではひとりぼっちで寂しかったけど、これからは彼がそばにいる。だからうれしい」というような意味と考えられます。ですから、恋を得た喜びを歌っていると思うのが普通でしょう。ところが、歌詞を聴いてみると違います。

Good-bye My Loneliness 信じていても ふたり Faraway 思い出になる
Good-bye My Loneliness 信じていても きっと Faraway 思い出になる

恋を得てハッピーというのではなく、今恋人がいる、だけど、愛情はうつろい、いつか消えていく…そうした諦念というか無常観とでもいうものが歌われています。いつか消えていくから、今このときを大事にしたい…「夢が消える前に」。この不思議なギャップ。常識を一歩はずして異質な言葉を組み合わせる泉水流はすでにデビュー曲から始まっているのです。

そして、このある種の諦念、無常観はこの後も最後までZARDの詞の底流に流れ続けます。どれほど元気よく人を励ますような歌であったとしても、その背後には「諸行無常の響き」という通奏低音が鳴っており、それが坂井泉水さんの声質とマッチして何ともいえない切ない彩をすべての楽曲に与えています。ここがZARDの最大の魅力のひとつではないでしょうか。

今日使わせていただいた最初のYouTubeの動画の音声はデビュー当時のものではなく、後にボーカルを録り直したものです。デビュー当時は録音の要領がつかめず一週間連続でサビの部分を歌い続けたというエピソードが残っています。その苦労したデビュー当時の声はこちらで聴けます。声と歌い方の変遷がわかります。PVの映像監督は岩井俊二さんです。



□◆□…優嵐歳時記(2086)…□◆□

  青空へ追儺の太鼓こだまする   優嵐

「追儺(ついな)」は「なやらい」「おにやらい」ともいい、禍を追い払うという意味です。中国から伝わり、もともとは大晦日の行事として宮中で行われました。大舎人寮の舎人が鬼の役を、大舎人の一人が仮面をかぶって方相氏(鬼を追い払う役)をつとめました。殿上人は桃の弓・葦の矢で鬼を射たてました。後世、これが宮中から社寺、上流階級に広がり、しだいに節分の行事として定着していきました。

節分の日、広峯神社では四方に轟くように太鼓が打ち鳴らされていました。これも禍を祓う意味があるのでしょう。立春の日はやや風が冷たかったものの、日差しは明るく、今日から春なんだという思いとともに、空を仰ぎました。俳句を詠んでいると、四季それぞれの最初の日が新鮮で喜ばしいものに思われます。


<春の竪琴>
風はまだ冷たく
梢は裸のまま
けれど
まっすぐに伸びた
梅が枝に差す陽は明るい

冬将軍の蹄の音が
遠ざかっていく
やがて
春の女神がかき鳴らす
竪琴の音が聞こえてくるだろう

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□◆□…優嵐歳時記(2085)…□◆□

  火渡りを終えて今年の春が来る   優嵐

立春です。節分の日は増位山と峰続きの広峯山にある広峯神社へ行ってきました。自然歩道を散歩していると、太鼓の音が遠くから流れてきます。何だろうと一瞬考えて、「節分だ」と気がつきました。正式の節分会は午後四時から、さらに立春会は深夜零時からでしたが、それに先立つ護摩焚きと火渡りの儀式が行われるのです。

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神社の境内に着いてみると、火渡りがこれから始まろうとしているところでした。山伏の方たちが火をならし、準備をされています。炭火となったものを中央に敷き、前後に檜の枝を重ねて並べます。そこを裸足で歩いていくわけです。鉢巻を締めた氏子の方たちが渡られるのを見ていました。

「ご希望の方はどうぞ」という声を聞いて、誰でも参加できるのだと知り、列に加わりました。炭火に向かう前に山伏の方が背中に呪文のような文字を書いてくださいます。他の方の作法を真似て合掌して渡りました。特に熱いとも思わず、なんだか不思議な感覚でした。


<二月は忍耐>
「二月は忍耐ね」と
彼女は言った

一月に一生懸命考えた
そして
思い切って一歩踏み出してみた
最後のチャンス
扉が閉まる前に

少し光が見えてきた
だけど
あせってはダメ
積極果敢であると同時に
忍耐強く慎重に

ひるまないこと
怖気づかないこと
我慢すること

きっとあなたならできるはず

□◆□…優嵐歳時記(2084)…□◆□

  口笛を吹いて山路をみ冬尽く   優嵐

今日は節分です。本来は二十四節気の気候が移る立春、立夏、立秋、立冬前日の総称でした。それがしだいに立春の前日を指すようになりました。二十四節気は立春に始まり、大寒に終わります。待ち焦がれた春を迎える喜ばしい気分にあふれています。

この夜、邪気を退散させるために焼いた鰯の頭と柊の枝を差したり、炒った大豆を撒き、自分の年の数だけ豆を食べたりします。このところ、節分の前になると恵方巻というものが姫路などでは盛んに宣伝されます。しかし、歳時記には全く記載されていないところから、地域的な新しい風習であろうと思います。

バレンタインデーのチョコレートに見られるように、本来は何も関係がなかったものをマーケティングのアイディアで結びつけ、イベント好きの日本人の心情をくすぐる商魂は天晴れです。しかし、そろそろ限界でしょうか。


<鬼は…>
鬼を追い出すな
鬼は福の影である
光と影が切っても切り離せないように
鬼は福の表裏一体の双子だ

鬼を追い出すな
鬼を招き入れよ
鬼は恐ろしいものでも
忌み嫌うべきものでもない

鬼を招き入れ
鬼の正面に立って
その顔を見つめてみよう
そのとき
鬼は鬼でなくなる


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□◆□…優嵐歳時記(2083)…□◆□ 

  美しきひと鯛焼を頭より   優嵐

鯛焼は小麦粉を溶いて、鯛形の型に流し込み、餡を包み込んで焼いた和菓子です。明治以降に今川焼から派生したというのが定説となっています。冬の季語になっているのは熱々の鯛焼のイメージからでしょう。鯛焼の焼き型には二種類あり、一匹ずつで焼くものを天然物、複数並べて焼くものを養殖物と呼ぶそうです。なんだか笑ってしまいますね。

鯛焼について一家言持つ人は多いらしく、かつて文学者も巻き込んで「鯛焼論争」がありました。まあ、一種のお遊びでしょうけれど、そこで議論の的になったのは、鯛焼の尻尾まで餡が入っているのが正当かどうかでした。さらには鯛焼の頭から食べるのが正統か尻尾から食べるのが正統かというものもあったそうです。

東京では、麻布十番の「浪花家総本店」(1909年創業)、人形町の「柳屋」(1916年創業)、四谷の「わかば」(1953年創業)が「東京の鯛焼御三家」とされているとか。YouTubeに坂井泉水さんが鯛焼を食べているシーンがアップされていました。彼女は頭から食べる派のようですね。場所は麻布らしく、「浪花家総本店」のものを食べているのでしょうか?





<御座候>
鯛焼?
うん、鯛焼もうまいけど
姫路やったらやっぱり
御座候やな

今川焼のこと?
うーん、世間ではそう言うかな

そやけど
御座候は御座候やねん
姫路でイマガワヤキなんて言うても
誰もわからへんわ
なんちゅうても御座候や

□◆□…優嵐歳時記(2082)…□◆□

  飴色の厚き大根に箸沈め   優嵐

先日、初不動の日に随願寺で味のしみた大根と揚げをいただきました。これはやっぱり日本の味です。大根の原産地にはさまざまな説がありますが、日本には古い時代に中国経由で伝わったといわれています。日本でもっとも親しまれている野菜のひとつです。初秋に種を蒔き、冬に収穫します。冬の料理に欠かせない食材であるところから、冬の季語になっています。

味に癖が無く、切り方や調味料によってどのような味にもなり、煮てよし、生でよし、さらに漬物や切干にすると保存食にもなります。「だいこ」と単音化して詠むこともあり、今日の句もそのように読んでください。日曜の随願寺では2月11日におこなわれる鬼追式のための準備がおこなわれていました。


<ノニをいただく>
「ノニ」という果物がある
健康にいいそうだ

言葉に生ったノニという実を
とったらどうだろう

がんばったノニ
親切にしてあげたノニ
育ててやったノニ

ノニという実をとって
いただいてしまうのだ

がんばらせていただいた
親切にさせていただいた
育てさせていただいた

自分の力だけで
がんばったり
親切にしたり
育てられたと
思っているのは
オモイアガリじゃないのか


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