優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2010年03月

□◆□…優嵐歳時記(2130)…□◆□ 

  お彼岸の山野明るき陽の包む   優嵐

入り彼岸の日とはうって変わって週末は気温があがりました。頬にあたる風も暖かく、春本番、やはり「暑さ寒さも彼岸まで」だと思いました。お彼岸は日本の風習ですが、春分と秋分は全世界的に古代から重要な暦の節目でした。古代の巨石建築物の多くがこの日の太陽の位置を基準に作られています。

5月15日(土)に大阪・堂島リバーフォーラムでおこなわれるZARDのフィルムコンサートのチケットを手に入れました。昨年の三回忌コンサートの大阪の会場でもあったわけですが、昨年はチケットが手に入らず、日本武道館まで足を伸ばしました。来年がデビュー20周年なので、そのプレイベントという位置づけでしょう。東京では命日の5月27日(木)に同様のコンサートが行われます。

坂井泉水さんがアカペラで『揺れる想い』を歌っている動画を見つけました。彼女は熱唱型の歌い手ではありませんが、声量は素晴らしく、録音の計器の針が振り切れるほどだったというスタッフの方の証言があります。ここではその一端がうかがえます。このクリスタルもきれいですね。





<静謐>
誰もいない梅林にすわって
紅梅と白梅を揺らす風を見ていた
まわりを取り囲む竹林も揺れる

かたわらから
ふわりと飛び出た蝶が
花びらにとまった

間もなく芽吹く桜の枝を通して
春の日差しが降り注ぐ

静かで穏かなこのひととき
このまま透明になって
この春の空気の中に溶け込んでいけるなら
それも素晴らしい


今日の名言:ある恋を隠すこともできなければ、ない恋をよそおうこともできない。


□◆□…優嵐歳時記(2129)…□◆□

  昼過ぎの雨少し冷え彼岸入り   優嵐

18日がお彼岸の入りでした。春分と秋分の日を中日として、その前後七日間を彼岸といいます。彼岸は梵語の波羅(ハラ)の漢訳です。生死流転に迷うこの世・此岸(しがん)に対して、生死を超越し、煩悩の流れを渡って超越した悟りの境地を意味します。俳句で単に彼岸といえば、春の彼岸をさします。

彼岸の入りの日を彼岸太郎・入り彼岸・さき彼岸・初手(そて)彼岸といい、彼岸の終りの日を終い彼岸・彼岸ばらいといいます。この間を彼岸会と呼んでお寺やお墓に詣でたり、寺院では読経、法話などをおこないます。この風習は中国、インドにはなく、日本独特のもので、聖徳太子の時代に始まったといわれています。

正岡子規に「毎年よ彼岸の入に寒いのは」という句があります。お母さんがつぶやいた言葉をそのまま句にしたらしいですが、彼岸という何か懐かしさを感じさせる季語が生きていて、好きな句です。今年の入り彼岸、姫路でもやや冷え、ふとこの句のことを思い出しました。


<折れ線グラフ>
春の進みは折れ線グラフ
暖かくなって
ちょっと寒くなって
また暖かくなって
ちょっと寒くなって

そうしているうちに
春は半ばを迎える
人の成長もきっとそうだろう


今日の名言:いつか必ず死ぬと思い知らなければ、 生きているのを実感することもできない。


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□◆□…優嵐歳時記(2128)…□◆□

  朝日はや照らして峰の山桜   優嵐

日本列島に野生しているサクラの種類は約九種です。ヤマザクラは宮城県中部と新潟県北部を結ぶ線がおよその北限で、それより南に四国・九州まで分布しています。これを知ると、「ヤマザクラは東北・北海道や沖縄にはないのか」と今更ながらに驚きます。

俳句を詠んでいて、歳時記や二十四節気の季感がもっともぴったりくるのは近畿から関東あたりまでではないか、と思うことがあります。和歌が発達した京都がある近畿圏と俳諧が発達した江戸のある関東圏、南北に長く連なる列島であるため、かなり季節感や植生に差がでるのは無理のないことです。

今、桜前線の基準となっているソメイヨシノは江戸末期に作られた園芸種です。葉が出る前に花が咲き、その咲き方が華やかなため今では桜というとこの品種を誰もが思い浮かべますが、江戸時代以前の詩歌に詠まれている桜はヤマザクラです。


<今できることを>
その紅梅の一枝の
根元がほぼ半分に折れている
剪定の人が折り取るつもりだったのか
誰かが悪戯で折ったのか

けれどその枝にも
紅梅は花をつけていた
自分が受けたことに
いつまでもかかずらわってはいない

折られたものは折られたもの
それはそれとして
自分ができることをやる
いつも前を向いて進む

静かにそこで咲いている紅梅は
間もなく役割を終える


今日の名言:あなたは、自分が考えるほど不幸でもないし、それほど幸福でもない。


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□◆□…優嵐歳時記(2127)…□◆□

  一陣の風にのけぞる藪椿   優嵐

藪椿の花期は長く、春になる前からすでに咲き始めています。咲いては落ち、咲いては落ちして、そこに藪椿があることは落花からすぐにそれとわかります。桜のように短期間に咲き極め、ぱっと散ってしまう花ではないためあまり注目を集めませんが、ある意味では春の主役かもしれません。

「radiko.jp」---民放ラジオ13局の地上波ラジオ放送をインターネットに配信するサービス---がスタートしたことを、先日マイミクの方の日記で知りました。普段、全くラジオを聴かないのであえてこれを聴くことはないと思うのですが、どんどん新しいサービスが進んでいるのだなあ、と実感しました。

コメント欄に「テレビもラジオもPCに合体するかもしれませんね」と書いたら、別のマイミクさんが、すでにそれらしい製品があるよ、と紹介してくださいました。そのメーカーがオンキョーでした。オンキョーがPCを作っているなんてつい先日まで知らなかったのですが、なんでも「オーディオPC」という新ジャンルを目指して数年前から参入しているとか。

ノートPCのラインナップを見ると、ミニノートのBXシリーズというのは、重さ370g、バッテリー駆動公称7時間というなかなかのものでした。ネットブックがいろいろ出ていますが、重さとバッテリー駆動時間の短さで使う気になれません。モバイルというからには重さ1kg以下、バッテリー駆動10時間以上は欲しいところです。中には駆動2時間などというものもあり、とても外では使えません。

デジタルの発展で、製品の垣根が低くなっており、融合が進んでいます。デジカメでは多くのカメラメーカーが電気機器メーカーに駆逐されてしまいました。音響機器もiPodの登場以来流動化が進んでいます。オンキョーは先手を打っているということなのでしょう。

<花>
梅、桜、椿
いぬふぐり、たんぽぽ

君はどの花だろう
華やかな桜?
地上の星のいぬふぐり?

凛とした梅?
素朴なたんぽぽ?

みんなそれぞれ違ってて
みんなそれぞれ素敵だね

どの花がいなくなっても
僕は寂しいよ


今日の名言:あなたは死の心配によって生を乱し、 生の心配によって死を乱している。



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□◆□…優嵐歳時記(2126)…□◆□

  雨あがる初花を峰に見つけたり   優嵐

「初花」はその春初めて目に触れた桜を指します。「初桜」ともいい、特定の品種を意味するものではありません。増位山の頂から東の山を見ていて、桜色を見つけました。もしやと思って双眼鏡で眺めるとやはりヤマザクラでした。ヤマザクラは花と同時期にレンガ色の若葉が出るのが特徴です。

ソメイヨシノはまだ時期ではありませんが、ヤマザクラは同じ場所にあっても木によって咲く時期にかなり差があります。桜だ…、とやはり心浮き立つ思いでした。増位山の梅林の傍らにあるヤマザクラはまだしばらく咲くまでに時間がありそうです。

本式の炬燵を片づけ、少し冷える時のために足先だけを温めるタイプの炬燵を代わりに出してきました。これも桜のころまででしょう。ゴールデンウイークになるともう暑いくらいになります。


<親友>
人は自分のことが一番好きで
一番かわいいと思っている
というのは大きな誤解だ

自分はどうしてこんなにダメなのか
こんなになさけなくて醜くて
どうしようもない奴なのかと思っている
人は少なくない

自分の外側を飾ることはできる
周りの人を誤魔化すこともできる
外見にもしぐさにも言葉にも
誰もがせいいっぱいお化粧をする

しかし自分の内側は誤魔化せない
自分の醜さ弱さ卑怯さなさけなさを
自分は誰よりもよく知っている

自己嫌悪に陥らずにこの世を
生きていける人なんていない
どれほど能力があり力強く見える人であったとしても
逆にその谷は深いかもしれない

だからこそ自分を認めてやろう
生涯の親友とはすでに出会っている
鏡の中からあなたを見つめる
その瞳の持主だ


今日の名言:未来のことは分らない。 しかし、君には過去が希望を与えてくれるはずである。


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□◆□…優嵐歳時記(2125)…□◆□

  春疾風もっとも騒ぐ竹林   優嵐

日曜は晴天でしたが、変わりやすい春先のお天気は一日で雨になりました。お昼前ごろから風が強くなりはじめ、雨が近いことが予想され、その前に山へ行ってきました。自然の中はいいです。ひとりでゆっくり森の中を歩くのが今の私の一番好きな時間です。

大阪のような人でごったがえす大都会の中へ出て行くとよけいにそう思います。以前は映画やコンサートやさまざまなものによく出かけていたのですが、最近はほとんど出かけなくなりました。人が嫌いというわけではなく、人ごみが苦手なのですね。

三日ばかり来なかった梅林は、先駆けて咲いていた梅の多くがほぼ花の終りを迎えていました。あとは紅梅も白梅も八重の遅咲きのものがこれからしばらく楽しませてくれるでしょう。梅の終りと桜の開花が重なるかもしれません。


<導火線>
幸せとはなにか
問いかけたことのない人はいないだろう
私の幸せの定義は少しずつ変わった

今なら心に火をつけることだと言うだろう
誰もがある燃料を心に抱いて
この世に生まれてくる

その導火線に火をつけて
燃料を赤々と燃え上がらせることが
幸せなのだ

その燃料は人それぞれ
量も種類も異なっている

小さなろうそくかもしれない
それでもいいじゃないか
ダイナマイトでお茶は沸かせない

君に与えられた燃料を燃やし
君の心とこの世の一角を
暖めることができたなら
それに勝る幸せはない


今日の名言:一生の仕事を見出したあなたには、ほかの幸福を探す必要はない。


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□◆□…優嵐歳時記(2124)…□◆□

  春場所や勝者の肌の紅潮す   優嵐

大相撲三月場所の初日、大阪府立体育会館へ観戦に行ってきました。荒れる春場所と言われていますが、今日は珍しく上位陣は安泰でした。館内に入ると鬢付け油の香りが漂っていて、これが生で観戦するときの雰囲気を高めてくれます。

力士の身体を間近で見るのも楽しみです。贅肉の多いだぶだぶした体つきの力士もいますが、ほとんどは筋肉質の肉感に溢れた体格をしており、単に大きいだけでなく分厚いという印象を受けます。人間の身体というのは鍛えるとこんな風になるのだなと感心します。

デパートの地下でお弁当を買い、近くのコンビニでお茶とお菓子を買って三段目の途中辺りから館内に入るのが通例になっています。幕下以下ではまだ観客の数もまばらで、塩もなく、髷も廻しも簡素なもので、淡々と取り組みが進んでいきます。

同じ力士、土俵上では廻しをつけただけの裸の男たちですが、三役以上の上位の関取と幕下以下の力士では全く存在感が違います。どの世界にあってもそうなのでしょうけれど、あれは何なのかと思いますね。


<きらめく>
花道の奥から何かが
やってくるのが感じられた
それは彼の姿が見えてくる
はるか前からのこと

その空気はあたりを圧倒し
王者の登場を伝えていた
絶頂期にあるものだけが持つ
威風堂々たる何かを


塩を取るために背を向けた
彼の背中が輝いていた
四股を踏むためにしなやかに
伸ばされた足の高さ

これから間違いなく頂上へ
駆け上っていくものだけが持つ
特別な光に包まれている
どれほど強くなるか
肌のつやを見ただけでわかった


そして時は過ぎ
あの彼もこの彼も
今は土俵を去った
すべては一陣のきらめく風


今日の名言:君は恋愛を語ることによって恋愛するようになる。


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□◆□…優嵐歳時記(2123)…□◆□

  卒業の絵馬を飾りし神社かな   優嵐

卒業式は二月下旬から三月下旬のほぼ一ヶ月間におこなわれます。土曜日には姫路市と太子町の境にある京見山(216m)に登ってきました。その登山口にある春日神社には氏子の子どもたちが卒業記念に絵馬を掲げる風習が受け継がれているようです。昭和初期のものからつい先日掲げられたばかりというものまで並んでいました。

京見山、標高は低いですが展望は素晴らしく、少し登ると網干の町並みが見えてきます。夢前川、播磨灘、臨海部の工業地帯と見渡せ、クリアに晴れた日なら、家島群島、小豆島、四国までも一望だったでしょう。この山は古墳が多く、あちこちでその表示を見ました。

京見山の山頂でお昼ご飯を食べ、そこから無線中継所がある白毛山(215m)まで足を伸ばしました。雑木林の中、アップダウンを繰り返し、木々が途切れると展望が楽しめます。地元の方たちの毎日登山の山になっているようで、ステッキひとつで歩きにこられている方たちに何人も出会いました。

途中、泣き坂峠という鞍部を通ります。ここは羽柴秀吉の播磨攻めのときに、落城した英賀城の落武者たちが、泣きながら北の原村へと逃れていったことからそう呼ばれるようになったといいます。山を降りたあとは、「あかねの湯」という大規模な銭湯に立ち寄り、汗を流してさっぱりしました。


<よくぞ日本に>
露天風呂に浸かりながら
春の空をぼんやりと眺める
ときおりやわらかな風が
肌を撫でていく

ほどよい疲れとお湯の温かさ
空の下に素っ裸でいることの開放感
サウナもジャグジーもいいけれど
やっぱり露天風呂だ
よくぞ日本に生まれけり


今日の名言:自から苦しむか、もしくは他人を苦しませるか。 そのいずれかなしに恋愛というものは存在しない。


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□◆□…優嵐歳時記(2122)…□◆□

  蛇行して川は朧に河口まで   優嵐

いっときの冷えもおさまって、風の無い春らしいお天気になりました。春は水蒸気が多く、ぼんやりと霞んで見えます。頂から見る周りの山々は空気遠近法の名の通り濃淡をもって連なっています。その下を市川が播磨灘に向かって流れています。平野部に出た川はゆったりと蛇行しています。

山の上から見る景色が素晴らしいのは、人間が普段経験できない鳥瞰の視点を経験できるからでしょう。自然のものには蛇行、フラクタルといった形態や動きがいろいろなところに見られます。血管の走行、樹木の枝分かれ、川の合流の仕方などがその代表です。


<贈りもの>
天国がどこにあるか知っていますか?
遠い空の向こう?
果てしないほどの星の彼方?

いえいえ違います
天国は今ここにあるのです
私たちのすぐそばに

薄い皮膜を隔てただけで
それを見ることはできないけれど
シャツの間の空気のように
感じることはできます

何かに暖かく包まれるような気持ちに
なるときがありませんか?
何かがそばにいて支えてくれるような
感触を覚えたことがありませんか?

忙しく暮らしている日常
けれどふとしたときに
その皮膜からするりと抜け出して
その姿を見せてくれることがあります

それは多分特別なギフト
予期せぬ素晴らしい贈りものです
「ここにいるからね」
それがわかれば
あとはもう何もいらない
そう思いませんか?


今日の名言:あなた自身を愛することは、 一生涯続くロマンスを始めることである。


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□◆□…優嵐歳時記(2121)…□◆□

  春嵐朽木をどうと横たえる   優嵐

先日の夜の風のために自然歩道に木が倒れてきていました。すでに枯死して久しく幹は微生物によって分解され朽ちていたため、強風に耐えられなかったようです。自然の移り変わりのひとつの姿といえます。

鎌倉の鶴岡八幡宮のご神木の大銀杏が春の嵐で根元から折れてしまったそうです。源実朝暗殺のとき、甥の公暁が隠れていたとされる木です。残念なことですが、寿命と考えるしかないでしょう。生き物だけでなく、山脈や海洋、果ては太陽や銀河系、この宇宙そのものまで生死を繰り返しているのですから。


<帰還>
死が恐ろしいとは
あまり思わない

もちろん
往来でナイフを振り回す人に
出会ったならば
反射的に逃げる

けれど死に至る
病や衰えや苦しみが
恐ろしいのであって
死そのものは憩いだ

死後の世界がなかったとしても
完全な無になってしまうのだとしても
それはそれで素晴らしい

自分がやってきたおおもとへ帰る
ほんとうの故郷へ帰る
死とはそういうことだ


今日の名言:死を恐れることは、あなたが賢くもないのに賢いと思うことと同じである。


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