優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2010年04月

□◆□…優嵐歳時記(2160)…□◆□

  春の海沖にきらめくヨットの帆   優嵐

京阪神方面へ出て行くときはJRの新快速電車に乗ります。一番風光明媚なのはやはり明石から須磨にかけての海岸沿いです。明石海峡と大橋、そこを行き交う船を見るのは開放的な気分になり、好きです。

一日森へ行かずにいて今日出かけてみたら、頂のコバノミツバツツジは盛りを過ぎ、モチツツジの蕾が膨らみ始めていました。頂に座っていると、メジロがやってきました。梅林ではエナガに出会いました。エナガは人を恐れずすぐそばで姿を見せてくれる可愛らしい野鳥です。

ヤマザクラに残っていた花は完全に散り、葉は緑に変わろうとしています。境内のソメイヨシノはまだ花を残しており、風に花吹雪となって散るのを楽しみました。八重桜が咲き始めています。梅でも桜でも水仙でも八重のものは開花が遅いようです。


<過程>
人間は進化の極致だという
そうだろうか
そんなはずはない

もし生き残ることだけが
存在の最高最善だとしたら
人間のような知性や感情を持つ必要は無い

もしこれが極致だとしたら
なんと不安定な極致だろうか

知性も感情も生きる助けになると同時に
生きる妨げになる
人間関係は人を助けると同時に
阻害し傷つける

もし生き残ることが至上命令なら
本能だけに従って
餌をとり子孫を増やす
それのみでいいはずだ

多分人間にはその先がある
知性と感情と関係の桎梏を乗り越えて
さらに光り輝く何かへと進化していく

それはあまりに眩しくて
まっすぐには見られない

われわれは極致ではなく
そこへと至る過程
そこへと渡される橋なのだ


今日の名言:不平をこぼすあなたには、同情よりも軽蔑が与えられることが多い。


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□◆□…優嵐歳時記(2159)…□◆□

  プラットホーム歩みゆるめて春風に  優嵐

気温はあまりあがっていませんが、それでも風には晩春を感じます。アートセラピーは新年度に入り、これから三ヶ月のテーマは「コミュニケーション」です。今日は初めてお会いする方が三人来られて、新鮮でした。

コミュニケーションがいかに大きな問題かについて、今朝駅に向かいながら、偶然考えるともなく考えていました。人間関係の問題は、コミュニケーションの問題といってもいいのではないかと思います。なぜ問題が起こるのかといえば、相手と自分が違う人間だからでしょう。

それぞれ内側で考えたり感じたりしていることは、似ているようで微妙に異なります。相手の内側に入り込んでそれを体験することはできないため、自分自身のフィルターを通して推し量るしかありません。そのフィルターが全員違うため、さまざまな問題が起きるのです。

自分の心の癖、考え方のパターンを知っておくのは大事なことだと思います。お互いの発信と受信が双方の癖で歪んでおり、それを認識していないと自分の「あたり前」に振り回されてしまいます。自分はこう感じるから相手もそうだろう、という思い込みが誤解の元です。

今日はマンダラを描くワークをしました。参加者8人で、2m四方ほどの正方形を囲みクレヨン、クレパスを使って、○□△という三つの図形だけを描いていきます。色や大きさは自由でした。

私ともう一人がサクラクレパス、他の六人はシュトックマンのクレヨンでした。クレパスは発色が鮮やかで強く、シュトックマンの淡い色彩とはかなり違っています。私は○で描き始め、それが心地よくて自分の領域を○で埋めていきました。ぐるぐると右回りの円形を描いていくのは一種の快感で、集中できました。

一時間以上そうやって全員描いたあと、壁にそれを貼ってワークでの気づきをシェアしあいました。同じように紙に向かっていると思っていてもそれぞれ感想が随分違っているのに驚きます。シュトックマンのクレヨンの方は、サクラクレパスの色の強さに一種の脅威を感じられたようでした。

クレパスで描いていた私は自分の描く部分にのみ集中していて、あまり周囲を見なかったように思います。これは自分自身がものごとに取り組むときの癖なのかもしれません。自分が問題を感じていなければほとんど周りを見ない傾向があります。前回の粘土のときはうまくいかなかったので周囲を見ましたが、今回はすいすい自分のペースに入っていました。

こうしようと決めて即座にそれに入っていけるときは、周りを見ないというのが自分のやり方なのだと気づきました。それがいいとか悪いとかそれは一概に言えません。うまくいくから良くてうまくいかないから悪いとはいえず、何かがうまくいかないときこそ気づきのチャンスである場合も多いからです。

何人かでこうして同じことに向かっているとき、自分のパターンを作るのが強い人と弱い人がいます。弱い人はまず自分のパターンを作ることを考え、強い人は逆にパターンを壊すことを考えていくことが大事です。パターンが作れないと居心地が悪いですし、パターンにはまってしまうと、発展がないからでしょう。

人によっていま何が課題かというのは異なっており、自分の今の状態を投影させて一歩離れて見て考えることができるというのが絵の強みです。


今日の名言:あなたも人間でありながら、その人間があなたを人間嫌いにする。


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□◆□…優嵐歳時記(2158)…□◆□

  銀色に開き初めにし小楢の芽   優嵐

関東地方で雪が降ったとのこと。姫路は快晴でしたが、その割にあまり気温はあがりませんでした。ソメイヨシノはまだ咲き残っています。それでも植物の芽吹きは進んでいます。芽吹いてしばらくの間のコナラの若葉はやや緑がかったシルバーという不思議な色をしています。

ほとんどの芽は高いところで芽吹きますが、幼木の芽吹きを近くで見るとその芽の色合は植物というよりも、何か銀の装飾品のような雰囲気さえあります。やがて普通の緑色になってしまうのですが、ほんのわずかの期間のこの色、春を象徴する色です。

ヤマザクラは木によって花がまだ残っているものもあります。増位山梅林にある大樹のひとつに半分ほど花が残っており、その下に立つとレンガ色の若葉を透かして日差しが降り、そこをときおり花びらがひらひらと散るさまを楽しむことができます。

地面にはほとんど白色に近いヤマザクラの花びらが散り敷いています。花びらには微妙な色合の差があり、時々かなり濃い桜色のものも混じっています。この微妙な色合があの花の陰影のある美しさを形づくっているのだろうか、と思いながら歩きました。

梅はくしゃくしゃっとした若葉を広げ始めています。梅の種類によって、最初はレンガ色をしているものもあれば柔らかな緑色をしているものもあります。アラカシやシラカシ、クスノキといった常緑広葉樹も若葉をつけ、それと交代させるように古い葉を落としています。常緑樹の落葉は晩春から初夏です。


<春の頂>
薄紫色のつつじの花道を
抜ければ頂
目の前に広がるのは
幾百種類もの若葉の彩りに満ちた前山

その優しい緑を映して川は海に向かう
ひときわ鮮やかなのは一画の菜の花
播磨灘は浅葱色
沖の小島はやや朧
淡路はさらに霞んでいる

すいっと岩燕が横切る
はしゃぎまわる子どものように
蝶が戯れつつ飛んでいく


今日の名言:負けないのは、失うものが何もないからだ。


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□◆□…優嵐歳時記(2157)…□◆□

   暁を覚えてしばし春睡に  優嵐

孟浩然の詩「春眠暁を覚えず、処々に啼鳥を聞く、夜来風雨の声、花落つること知んぬ多少ぞ」の起句に由来した季語が「春眠」です。「春睡」とも詠まれます。朝方目覚めてそれから再びちょっと眠る、それがまたいいものです。

その間に夢を見ていました。久しぶりに自分とは別の人になった夢だったので新鮮でした。私はヴェネツィアかどこかの商人のようです。長い交易の旅から戻り、今わが家へ向かっています。交易はうまくいき、何もかも首尾よく終わりました。私は海からの風を背に受けて妻の待つ家に向かっているのです。

中村草田男に「妻抱かな春昼の砂踏みて帰る」という句があります。夢の中の私はちょうどそんな思いを胸にわくわくしていたような気がします。誰の言葉だったか忘れましたが「この世で恐ろしいことが二つある。夢がかなわないことと夢がかなってしまうことだ」というのがあります。

人間が一番幸せだと感じるのは、何か素晴らしいことを予見し期待に満ちてその訪れを待っているとき、ではないかと思います。「恋の醍醐味は片思いにあるのですよ」と高校時代の古文の先生が授業中におっしゃいました。

人間が最も幸福を感じられるのは実体験よりもイメージの中であり、体験であればほんの一刹那、あるいは、時間を超越した<ゾーン>や<三昧>の領域においてです。実際に何かが実現してしまったら、あとはそこからそのことに関しては落ちていくだけです。恋が実現してしまったら、その先は恋から醒めるしかありません。

金メダルをとろうが、億万長者になろうがそれは同じことでしょう。実現してしまったら、それはもう現実であり、過去です。退屈や重荷と同義語になってしまうのかもしれません。だから恋だろうがなんだろうが、新鮮なものにしておきたいと思ったら、常に刷新し成長を促し何かへと変容させていく工夫をしなければいけません。

「留まることは死ぬこと」というのは、過酷な競争社会を表す言葉のようですが、実はこの世のすべてにあてはまるのだと思います。無常とはそういうことであり、すべてはうつろうのであり、それを<そのまま>にとどめようとしたり、安住しようとすると、そこにある<何か>が死んでしまうのです。


<願い事>
ただひとつ願いがかなうなら
ずっと成長を続けたい

成長とは
新しいことを学び
恐れずに変わっていくこと

執着せずに手放して
新しいものを受け入れること


今日の名言:あなた自身を好きになったほうがいい。長く付き合うんだから。


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□◆□…優嵐歳時記(2156)…□◆□

  春の闇山の丸さを包みおり   優嵐

十四日が新月でした。「春の闇」とは月の出ていない春の夜の暗さをさします。「闇」が季語になっているのは、春だけです。この闇は単なる真っ暗闇というのではなく、ほのかな明るさと水分を含んだ潤んだやわらかさを持つ闇です。

木々の芽吹きや花の香りなどさまざまな命の息吹の匂いもそこに交じり、どことなくなまめかしい情感が漂います。ふわりと柔らかいものに包まれるような、神秘的なそういう感覚です。

木曜日は曇り空で肌寒いお天気でした。森を歩くと晴天の日のように陰影が濃くないため、逆に若葉の色をはっきり感じました。増位山にはコナラ、アベマキ、タカノツメ、アラカシ、ヒサカキ、ソヨゴ、コバノミツバツツジ、ヤブツバキなどが生えています。落葉樹と常緑広葉樹が混ざっている森です。

最初から新鮮な緑色をしているものもありますが、赤っぽいものもあります。ヤマザクラの葉はその典型でしょうか。若葉に毛虫がいるのを見つけました。落葉樹だけでなく常緑樹も新芽を出しています。それぞれの若葉の出方に特徴があり、それらを観察しながら歩くのも楽しいものです。


<泳ぐ>
若葉が萌え出す森
明るい緑の底を歩く私は
フレッシュグリーンの
海を泳ぐ魚


今日の名言:君にとって何が大切か考えること。それで君の生き方が決まる。


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□◆□…優嵐歳時記(2155)…□◆□

  つつじ続々と咲き山の陽高し   優嵐

コバノミツバツツジが花盛りです。漢字で書くと「小葉三葉躑躅」となんだかいかめしい雰囲気になります。ヤマザクラやヤブツバキと異なり、ちょうど人間の視線の高さくらいに咲くので特に目に付きます。同じ場所に生える花であっても、高さ、時期、期間を微妙に変えることによって彼らはうまく棲み分けています。

名前のとおり小さな三つの若葉が花とともに出てきています。最初は縦に向いて出てきた葉がしだいに広がって光を受け止める形になります。自然界のデザインというのは見事です。

どの時期の自然も微妙に移り変わっているのですが、春は特にその変化がはっきりわかり、山を歩くのが楽しい時期です。山頂から見える周囲の山々はさまざまな若葉色に彩られています。山頂のコナラも芽吹き始めました。芽吹きのときのコナラの色合は独特で遠くから見るとその個性がいっそう際だちます。

カエデも芽吹き、葉を広げ始めています。カエデの若葉もまた素晴らしいのです。高木の枝から芽吹いた葉が広がってくるに従って、空間に緑の薄いカーテンがかかるようになります。カエデの若葉の持つ透明感と重なりあいが生み出すグラデーションの美しさは、他に例えようがないほどです。


<人間であるということ>
人工知能はいつか人間の知能を超える
そう言いきる人たちがいる
多分そんな日はこない
似ていてもふたつは全く違う

人工知能は
人間の知能の機能的側面を高度化させていったもの
「何かをする」ことを先鋭化させたもの
機械とはすべてそういうものだ

けれど人間が真に人間らしくあるのは
その内側で起こる現象的側面だ
内側で何を感じているか
私が私であるとはそういうこと

私が感じる色・音・形・匂い・感触
えもいわれぬ何か
それらが混じり合って生み出されるもの
そこからの飛躍・連想・回顧

それは私だけのものであり
誰も本当のところはわからない
外からはうかがいしれない
内側で閉じているもの

ところが内側へ深く入っていけば
真の源へ通じる道が開けている
そこを潜っていくことができるのは
何かを超えられる人間精神だけ


今日の名言:あなたは素晴らしい。大量生産するべきだ。


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□◆□…優嵐歳時記(2154)…□◆□

  花屑が埋めし坂道登りけり   優嵐

増位山の梅林の周りにあるヤマザクラはほぼ散りました。境内にあるソメイヨシノもかなり散り、花びらがあらゆるところに散り敷いています。歩くにも花を踏まないわけにはいきません。もったいないような気分になりながら桜色の上を歩いていきます。

梅林は竹林と隣あわせており、この時期になると筍が生えてきます。霧雨のなかで筍を掘っていらっしゃる方に会いました。去年、随願寺の実相院さまの護摩焚きに初めて参加させていただいたとき、筍づくしのお料理をいただいたことを思い出しました。春の筍は柔らかくて美味しいのです。

今日はゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの命日です。1759年4月14日、75歳で亡くなっています。ドイツに生まれましたが後にイギリスに帰化し、英語読みではジョージ・フレデリック・ハンデルとなります。ちなみにバッハとは同い年です。





<まもなく>
低く垂れ込めた雲の下に
天守の影が見えた

かたわらに大きなクレーンが
座るようになってもう何ヶ月
間もなく天守は修理用のテントに覆われる

天守が見えなくなったら
きっと寂しいだろう

どこか遠くへ出かけたとき
車窓に天守が見えてくると
ああ帰ってきたと思ったものだ
しばらくはそれがなくなる


今日の名言:やり方は三つしかない。正しいやり方。間違ったやり方。君のやり方だ。

□◆□…優嵐歳時記(2153)…□◆□

  散る桜送りし雨の窓を打つ   優嵐

一日しっかりと雨が降り、家の前のソメイヨシノはほとんど散りました。桜の種類によってはまだ咲いているものもあり、ソメイヨシノでも標高によっては残っているでしょう。今年はヤマザクラの開花が早く、その後に花冷えと雪がありました。

ソメイヨシノが咲き出したころは春霖になり、満開近くなって暖かい日が続きました。お花見には比較的恵まれた天候だったと感じます。雨があがればまだ咲き残っている桜を愛でつつ、新緑へと向かう山の若葉も楽しみたいと思います。


<パレット>
雨に煙る川べりで
銀杏や柳が芽吹いている
桜の若葉もそれに続く

春の女神のパレット
最後に残っているのは
数限りないほどのやさしい緑


今日の名言:君の全てが失われようとも、まだ未来が残っている


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□◆□…優嵐歳時記(2152)…□◆□

  春の空飛行機雲を溶かしゆく   優嵐

予想より早く日曜から雨模様になりました。これで今年の桜のシーズンはほぼ終了です。遠めにみる山からはすでに山桜の色はほとんど消え、変わって萌え出したさまざまな若葉の色に彩られ始めています。

これからゴールデンウイークあたりまでの山は、緑の饗宴です。陽光が強くなり、お天気も安定してくるようになり、青空の下で見上げる山は緑にこれほどの種類があったのか、と毎年驚きます。その色合の美しさは若葉の「百花繚乱」といっていいほどです。


<若葉へ>
雨が降る
山から里から
桜色を洗い流していく

かわってそこに塗られていくのは
初々しい若葉色
淡さから清冽な躍動へ

夏を連れた美しい青年の
目覚めはもうすぐ


今日の名言:あなたがいつか出会う災いは、あなたがおろそかにしたある時間の報いだ。


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□◆□…優嵐歳時記(2151)…□◆□

  陽をすべてその身に集め夕桜   優嵐

昼間の気温は22度まであがり、山道を歩いて車に戻ると思わず窓を開けました。桜は山も里も落花さかんという状態になっています。月曜が雨模様なので、この週末は最後のお花見でしょう。山を歩いていると、どこからともなく山桜の花びらが流れてきます。意外なところに大きな木があったりしてうれしい驚きです。

山肌は桜色にかわってコバノミツバツツジの薄紫色が目立つようになってきました。コバノミツバツツジは本州中部から九州のアカマツやコナラを主体とした森林に生えます。増位山は典型的なこうした森です。例年桜とほぼ同時に咲き始め、コバノミツバツツジが終わるともう少し花が大きく桃色がかったモチツツジの時期になります。


<花吹雪>
山桜の大樹が盛んに花を散らし始めた
枝を離れた無数の花びらは
日の光を浴びながら
地上までの旅をする

きらきらきらきら
あとからあとから
音も無く舞い落ちる花びら

竹林へ梅の若葉へ森へ
花吹雪となって散ってゆく

ひよどりが飛び立ってはきらきら
風がさっと吹き抜けてはきらきら
惜しげもなく


今日の名言:君はしばしば恋に欺かれ、恋に傷つき、不幸にもなる。それでも人に恋するのだ。


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