優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2010年04月

□◆□…優嵐歳時記(2150)…□◆□

  たんぽぽや青空と陽を見ておりぬ   優嵐

桜の時期は春の花が咲きそろう頃です。花にもいろいろ個性があり、桜や薔薇、百合のように高貴な雰囲気をたたえているものがある一方、たんぽぽ、いぬふぐり、菜の花といった庶民的なものもあります。そして、たんぽぽにもよく見ると異なる種類があります。

セイヨウタンポポとニホンタンポポです。外来種のセイヨウタンポポの方が乾燥に強く、アスファルトの路面のかたわらに咲いたりしています。在来種のニホンタンポポは寒暖の差に強いそうです。雑種も生まれているので見分け方はわかりにくいかもしれません。

身近なものではカラスにも二種類あります。ハシボソガラスとハシブトガラスです。これは一度認識するとだいたい見分けられるようになります。ハシボソガラスは顔から嘴にかけてすらっとした印象、ハシブトガラスは嘴が太く、頭が盛り上がっている印象です。都会に多いのはハシブトガラスで、私の家の周辺で見かけるのはほとんどがハシボソガラスです。


<桜いろいろ>
桜には香りがないと思っていた

境内に大山桜の若木がいる
ほんの数年前に植えられたもの
染井吉野や山桜より花の色はずっと濃い

花に顔を近づけてみると
意外にも甘い香りがした

サクラニモイロイロアルンダヨ


今日の名言:君が普段茶色だろうが灰色だろうが構やしない。いざって時に黄金色に輝けば。


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□◆□…優嵐歳時記(2149)…□◆□ 

  花陰の明るさに入りて立ち止まる   優嵐

毎日お花見を楽しんでいます。通勤して組織の中で働くのを辞めたことで一番良かったのが、こうした自由時間の存在です。いいお天気だ、桜がきれいだ、お花見に行きたい、そう思えばいつでも好きな時に出かけられます。これに代わる報酬なんてあるだろうか、と思います。

以前は休みを待ちかねて海外に出かけたりしていましたが、今は日本の自然がいいなあと思います。毎日見ているとその移り変わりがわかって、それも心躍ることです。こういうことは、ある程度の年齢にならないと実感できないものかもしれません。

子どものころは夏と冬しかはっきりした印象がなく、もちろん二十四節気なんて全く知りませんでした。そして、いったんこれらの細やかな美しさに気づくと、人工的なアトラクションや催しものよりもずっと魅力を感じるようになりました。





<とどめることは>
清明のヒロインは桜
その圧倒的な存在感は春の女王
朝は清楚に昼は可憐に
夕べは華麗に夜は妖艶に

誰もが桜を見上げずにはいられない
人を陶然とさせてしまう
人を酔わせてしまう
そんな魔力が桜にはある

幾多の詩人が魅せられ桜を詠んだ
どれほどの賛辞をもってしても
桜をとどめることはできない

美しくきまぐれではかない
誰かを狂わせてしまうには
これで十分だ


今日の名言:こんなことをしたら嫌われるのではないかと、何もしないあなたが一番嫌われる。


□◆□…優嵐歳時記(2148)…□◆□

  椿寿忌や花鳥風詠どこまでも    優嵐

4月8日は高浜虚子の忌日です。1959年(昭和34)に85歳で亡くなりました。虚子が椿を愛したことにちなんで、「椿寿忌(ちんじゅき)」と呼ばれています。1877年(明治7)2月22日愛媛県松山市に生まれ、一歳年上の河東碧梧桐とともに正岡子規のもとで俳句を学びました。虚子の号は本名の清から子規がつけたものです。

子規が亡くなったあと、しばらく俳句から遠ざかっていましたが、碧梧桐の俳句がしだいに新傾向になっていくのに反対し、「俳句は有季定型」との確信をかかげて俳句に復活しました。虚子は、それを外れるならばもはや俳句ではないと言っています。十七文字で詠むという制約があるからこそ生きてくるものがあります。そしてそれを広げるのが季語の役割です。

「俳句はこころでつくってこころを消す」という言葉があります。うれしいとか悲しいとか、そういう感情表現を入れるにはあまりに短い詩形であり、あえてそれを入れず季語の持つイメージによってあらゆることを語らせるのです。

一茶が幼い娘を失ったときに詠んだ「露の世は露の世ながらさりながら」という句があります。季語は露(秋)です。悲しいともつらいとも書いてありませんが、露というはかないイメージを呼び起こす季語を通して、娘を失った一茶の慟哭が伝わってきます。さらにそれを痛切なものにしているのが「さりながら」という最後の五文字です。

わが子を失った親であるなら、いくら書いても書ききれないほどの悲しみがあったでしょう。しかし、一茶はそれをこの五文字にすべて託して言っており、それがこちらの心を揺さぶります。これが十七文字の制約と季語が持つ力だと思います。

●高浜虚子・代表句
遠山に日の当たりたる枯野かな
春風や闘志抱きて丘に立つ
去年今年貫く棒の如きもの


今日の名言:結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。



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□◆□…優嵐歳時記(2147)…□◆□

  雲に手を差し伸べている楓の芽    優嵐

自然歩道のあちこちで春がクライマックスを迎えようとしています。ヤマザクラは今が盛り、コバノミツバツツジがその下で薄紫色の花を開いています。さらに、カエデの葉が芽吹きだしました。高木の枝先に明るい紅色の若芽が出てきています。やがてほぐれた芽は新鮮な若楓の色に変わります。

Twitterを始めました。ただし、「いまどうしてる」かをつぶやくためではありません。140字という字数制限に興味を持ったからです。これで詩を書いてみようと思いました。すでに140字で小説を書くTwitter小説なるものがあるときき驚きました。それで「物語」ができるものなのだろうか、と。

試しにこれまで自分がいくつか書いた詩を140字の制限枠に入れてみると、微妙な字数だということがわかりました。題名と括弧、切れを示す部分を一字明けとして字数に数えた場合、1日の<おぼろ月>は71字でほぼ半分、3日の<桜よ>は150字を超えてしまい、制限オーバーです。最も適度だったのが4日の<猪>の114字でした。

何か制限があるというのは、不自由というよりもむしろ創作のきっかけになってくれる気がします。さっそく140字制限の詩というのをいくつか作ることができました。これはなかなか面白いと思っています。俳句のような最小の定型詩でもなく、完全な自由詩でもない、半自由詩ですね。


<リュック>
大きなリュックを背負った少年たちに会った
山桜が満開の道を登っていく

少年よ
君のリュックには
いっぱいの夢と希望が詰まっているだろう

でも忘れるな
それと同じくらい
いやそれの何倍もの
苦悩と悲しみも詰まっていることを

それを背負って歩いていく
上り坂が続く道を
あえぎながら
汗を拭きながら


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□◆□…優嵐歳時記(2146)…□◆□ 

  信号を待つ空のうえ初燕   優嵐

ようやくツバメが姿を見せてくれました。視界の端を影がよぎって、もしやと思い空を仰ぐと、電柱の上に二羽のツバメがいました。あの空気をひらりとすくっていくような軽やかな飛翔は、ツバメにしかできないものです。今年も来てくれたんだな、と顔がほころびました。これから九月初旬から中旬あたりまで、ツバメは日本で雛を育て、再び南へ帰っていきます。

6日、坂井泉水さんの誕生の「日」です。本日は『カナリヤ』を取り上げます。ZARDの9番目のシングル『もう少し、あと少し』(93.9.4)のカップリング曲です。楽曲の中での人称代名詞の変化に注目していただきたいと思います。

歌の最初は三人称の<彼女>で始まり、英語のフレーズをはさんで<あなた>に変わります。最初に<彼女>が使われていたのと同じ旋律で歌う「外は月の砂漠」以下の節には人称代名詞が使われていません。つまり、<あなた>の視点がそのまま継続されていると考えられ、楽曲の最後で再び<彼女>に戻ります。

ここで使われている<あなた>は二人称代名詞ではあるものの、主人公が自分自身に言い聞かせている二人称ととれます。「お前はよくやった、がんばった」などと呟くときに使う自分に向かって言う二人称です。日本語では面と向かって<あなた>を使うことはほとんどありません。もちろん、第三者からの<あなた>とも取れますが、その場合でもそれを主人公が内在化させているのです。

カナリヤ 



もしかしたら日本語の人称代名詞の特徴をもっとも活かして使った作詞家が坂井泉水かもしれない、と思いました。この楽曲全体が短編映画のような趣を持っています。冒頭、<彼女>で描かれる部分ではカメラはひいていて、この歌のヒロインであるボーカリストの誕生日に起きた思いがけない悲しい別れを映し出します。最小限の言葉で状況を簡潔に語り、薔薇の花束という劇的で絵画的なものを配しているのに感心します。

その後、人称代名詞が<あなた>に変化した後は、ヒロインが自分を励ましているところへと変わっていきます。カメラはより彼女に近くなり、寄り添うように彼女の悲しみと苦悩と決意を映し出します。「あなたをみんな待ってる」「歌ってよ自分のために」…。最後に再び人称代名詞が<彼女>に変わります。まだ恋を失った傷を癒せないままの彼女、けれど彼女は新しく歩き出すだろう…その姿をカメラは映して余韻をもって終わります。

また、ここでは「12時のシンデレラ」と「歌を忘れたカナリヤ」という印象的なフレーズが使われています。俳句で言えば<季語>にあたる言葉です。その背後に多くの人が了解している有名な物語や歌があり、その共有イメージを歌の中に取り入れて楽曲の世界を広げています。伴奏はほぼピアノのみであり、そのシンプルさがさらに詞の世界を聴き手の心にしみいらせます。

□◆□…優嵐歳時記(2145)…□◆□

  絶え間なく雲ゆく桜咲く上を   優嵐

週末はお天気が回復し絶好のお花見日和になりました。桜の名所はどこも大変な人出だったのではないでしょうか。おそらく姫路城もいっぱいの人だっただろうと想像します。同じように桜は見ごろですが、増位山は静かでゆったりとお花見ができました。

梅林の周りのヤマザクラが花開き、梅林に残っていた八重の紅梅との花の二重奏を楽しみました。山頂からは東側に広がる山々が見渡せ、どこの山もヤマザクラが咲きそろい華やかです。自然歩道を歩いていると、谷越しに思いがけないほど見事なヤマザクラが目に入ってきました。

ウグイスの囀りでもそうですが、もし人間がいなかったら、これほどに美しい花を咲かせる必要があっただろうか、と感じます。美を美として鑑賞できるのは人間だけだと思うからです。自然は人間の登場を予定してあらかじめこれらの動植物を用意しておいてくれた、そんな気がします。


<山桜>
梅林の中央にそびえる山桜が
花を開き始めた

女の子を連れたご夫婦が
梅林の真ん中でお弁当を食べている

梅と桜のお花見
日差しも風もやわらかい

山桜は長寿
江戸の昔からこの桜はここにいた
何人の人がこの桜を見上げただろう

お母さんの腕に抱かれていた赤ん坊が
やがて
杖をついてお花見にきたかもしれない
出征兵士を見送ったかも

山桜は何も語らずただ花を咲かせる


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□◆□…優嵐歳時記(2144)…□◆□ 

  花咲けば人は集いて花の下   優嵐

ただ一言「花」といえば桜を意味します。しかし桜という単独の花だけでなく、その周りを彩るさまざまな花のイメージも重なります。「花」は桜であると同時にそこを超えた春の花全体の華やぎを持っています。桜が咲き始めるころは、百花繚乱の季節の始まりでもあります。

菜の花、白木蓮、タムシバ、連翹、コバノミツバツツジ、黄水仙、雪柳、チューリップといった野山や里の花がさまざま色と形を競って咲き出します。季語は背景の広がりを与えるものであり、十七音の短さの中で、あえて言葉として書かれていないそのイメージを楽しむのが俳句のおもしろさだと思います。

桜の季節となると、やはりこの歌を思い出します。滝廉太郎作曲の『花』です。明治の西洋音楽黎明期を代表する彼は、1903年、わずか23歳で肺結核のために亡くなりました。すでに100年以上になりますが、桜がある限り、この曲は歌い継がれていくでしょう。他にも『荒城の月』『お正月』といった名曲を残しています。





<猪>
山の上のお寺の境内で
猪に出会った

桜は今が見ごろ
けれどあたりには誰もいなくて
閑静な時間が流れていた

猪は静かにたたずみ
私も同じようにたたずみ
お互い見つめ合っていた

やがて
猪はゆっくり目の前を横切って
森に消えた

□◆□…優嵐歳時記(2143)…□◆□

  霧流れくる鶯の谷渡り   優嵐

雨があがった森を散歩していると、鶯の囀りが聞こえてきました。森には霧が流れ、その中をホーホケキョ、ケキョ、ケキョケキョケキョケキョと長く尾を引く鳴声が響いていきます。これを「鶯の谷渡り」といいます。縄張り宣言や警戒の鳴声と言われているそうですが、澄んだその美しい声には聞きほれて足を止めてしまします。

それにしても、これを「鶯の谷渡り」と名づけた日本人の感性は素晴らしいと思います。鶯の縄張りがどれほどのものかは知りませんが、鳴きながら谷を渡っていく、あるいは、囀りそのものが深い谷にこだましていく、そういう情景を髣髴とさせる言葉です。

午後からお天気が回復してきました。桜は開花を急ぐでしょう。4月6日は「しろの日」で、姫路城ではさまざまなイベントがおこなわれます。桜が満開になる時期であり、しゃれとはいえ、うまい日に設定できたものだと感心します。間もなく天守全体が修理のために覆われてしまいますから、桜の雲の上、青空に映える天守閣を望むのは数年おあずけになります。


<桜よ>
桜の満開が近い
時間単位で花開いていく様子は
朝と午後でさえ違っているほどだ

ヘッドライトに照らされる桜は
どこか妖艶で街をほろ酔い気分にさせる
都会の街路も年に一度のあでやかな装い

華やかな桜の姿は
その一方で言いようのない
ある種の哀しみを呼び起こす

桜よ急ぐなよ
そんなに咲き急ぐなよ


今日の名言:なるほど、あの娘は美しい。しかし、美しいと思うのは君の心なのだよ。


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□◆□…優嵐歳時記(2142)…□◆□

  降る雨も華やかなりし桜時   優嵐

夜の間に雨は時雨から本降りに変わりました。一日雨になりましたが、空は明るく周囲の山に咲きそろったヤマザクラの色が風景を優しくしています。窓から見える川岸が緑と黄色に彩られ、部屋にいてもときどきウグイスの囀りが聞こえます。野山は春の色に満たされてきました。気温があがり、昼間は17度ありました。お天気が回復すれば一気に桜の開花が進むでしょう。

最近、チョコレートウエハースが気に入って毎日食べています。いわゆるキットカットタイプのお菓子です。食べているのはもっぱらイオンのプライベートブランドですが。あの食感がくせになります。ホワイトチョコ、きなこ、抹茶などいろいろなタイプがあり、焼き芋味などというものもありましたが、やはり普通のチョコレートが私は一番好きです。


<もう少し>
もう少しで手が届きそう
はっきり目に見えていて
すぐにでもつかみとることができそう

それでいてそれがかなわない
じれったくて
いらだたしくて
なさけなくて

だけどそこにあることは
はっきりわかっているから
目をそらすことはできない

きっとできる
きっとかなう
あせるな
あきらめるな
そう自分に言い聞かせ

そんな日々こそが
一番素晴らしいのかもしれない


今日の名言:あなたが天から心を授かっているのは、人を愛するためである。


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□◆□…優嵐歳時記(2141)…□◆□

  桜咲く峰に降り来る宵の雪   優嵐

桜と雪の取り合わせを見られるとは考えてもいませんでした。ヤマザクラの開花が早かったため、今年はすぐに暖かくなるものと思っていましたが、四月近くなっての雪です。今日の季語「桜」と「雪」のふたつを組み合わせると「春の雪」ということになります。

奥山は雪の幕の向こうに隠れ、ヤマザクラの淡い桜色に雪が降る景色は美しいものでした。贅沢なお花見だったといえるかもしれません。花の下で騒ぐのはあまり好きではなく、桜は一人で見るのがいちばんいいと思っています。

のんびりと誰もいないところで眺めるヤマザクラ。増位山の梅林の周囲にある三本のヤマザクラの大樹がそろそろ開花し始めており、ソメイヨシノと同時に楽しめそうです。


<おぼろ月>
夜に入ってしぐれた
月の影が時雨雲ごしに見える
明日から四月

お正月とは一味違うけれど
新しいスタートのとき
それを見守るおぼろ月


今日の名言:あなたが懸命に試している限り、失敗しても良い。でも、後悔するのは最低だ。



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