優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2010年06月

□◆□…優嵐歳時記(2231)…□◆□

  花くちなし香れば始まる夜の雨   優嵐

家の前のクチナシが一週間ほど前から咲き始め、続々と花を咲かせています。咲き始めは真っ白ですが、すぐに黄色く変色します。甘い香りが特徴で、湿度の高さもあって、濃厚に香ります。遠くからでも、夜でもクチナシが咲いているとその香りでわかります。

温室栽培のものは別にして、花はその季節の空気や温度、光といったものと切り離せません。梅雨といえばアジサイですが、ハナショウブ、ユリ、クチナシといった花たちの風情も梅雨の時期ならではのものです。


<思い込み>
人間にとって一番難しいのは
思い込みを排除することかもしれない

思い込みによって
情報を重複して取り入れる手間を省き
処理を容易にしているのだろう

しかし
そのために視点が固定されやすく
いったんかけたサングラスを外すことが困難になる

「自分のものの見方」にしか過ぎないのに
唯一絶対の真実と思い込んでしまう


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□◆□…優嵐歳時記(2230)…□◆□

  青空の色を集めし額の花   優嵐

増位山の梅林周辺でガクアジサイが咲いています。額の花とは、ガクアジサイのことで、アジサイの原種です。アジサイはこのガクアジサイとヤマアジサイの二種を親としてできあがっています。枝先につく大きな花序の中心部に小さな両性花がたくさん咲き、その周辺を数個の大型の装飾花が取り巻きます。これが額縁のように見えるのが名前の由来です。

装飾花はがく片が変化したもので、四枚あり、淡紫色から青紫色の柔らかい優しい色をしています。もともと海岸近くの樹林に生えることから、ハマアジサイとの別名があります。古くから庭などに植えられてきました。枝からは白色の髄がとれ、かつては灯心に使われたので、ズイノキとの方言名もあります。

森で鹿を見かけました。腰からうしろが茂みの間に見えただけでしたが。湿気が高く、晴天でも播磨灘の沖は霞んでいました。風がないとさすがに木陰でも蒸し暑く、汗が流れてきます。しかし、汗をかくのは気持ちがいいものです。いつの間にか六月ももうすぐ終り、今年の前半終了です。後半、気分を一新していきたいと思います。


<蜻蛉>
建物のなかに迷い込んだ蜻蛉が
窓ガラスに向かって突進し
翌朝冷たくなっているのを
見つけることがよくあった

池の上では優雅に軽やかに飛んでいた蜻蛉
一旦うしろへ下がり窓ガラスから離れれば
すぐに出口が見つかったものを

大きな複眼を持っているのに思考の視野は狭い
同じことになっていないか
よく考えてみよう


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□◆□…優嵐歳時記(2229)…□◆□ 

  梅雨の川今日広々と流れおり   優嵐

土曜日は一日しっかりと雨が降りました。今年はこれまでのところ、例年になく梅雨らしい梅雨になっているという印象です。今週も雨マークが並んでいます。

最近、「ブルーソーラーウォーター」というものを作っています。作っているといっても大層なものではなく、ブルーのガラスの瓶に水道水を入れて太陽光の下(曇りでも雨でもOK)に15分〜60分ほどさらし、それを飲料や料理に使う、それだけです。

なんでも『ホ・オポノポノ』で勧められている方法だそうで、友人から教わりました。ブルーのボトルはガラスであれば何でもよく、私はピュアブルーという麒麟の麦焼酎のボトルを使っています。ただし、蓋が金属製ではいけないので、蓋代わりにラップを輪ゴムで止めています。

一定時間太陽光の下におけば、あとはペットボトルで保存してもよく、500mmlのもの数本に入れて順次冷蔵庫に保管し、飲んでいます。またお茶、コーヒー、スープの水としても使っています。私はもともと体調がいいので、「こんな凄い効果がありましたっ!」とは言えないのですが、簡単で費用もかかりませんし、この時期に毎年作っていた麦茶を買う必要もなく、重宝しています。


<誰も知らない>
お互い日本語を話しているから
言葉のやりとりで理解しあえると思っている
そんなことは簡単だと
それはとても危険な考え方だ
言葉は弾丸になり槍になり爆弾になる

私たちは言葉を扱う人類として生を受けながら
言葉を用いたコミュニケーションの方法を
誰からも教えられずに育つ

これほど大切なことなのに
誰も本気で教えようとはしない
親も教師も誰も教えられないのだ
もし知っていれば世の中に
これほど多くの揉め事はない

愛しているといいながら
親子が夫婦がどれほど傷つけあっているだろう
愛だけでは理解はできない
愛を伝える方法を知っていなければならない
それは忍耐がいる学びだ


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□◆□…優嵐歳時記(2228)…□◆□ 

  あめんぼや空と雲とをつなぎゆく   優嵐

漢字で「水馬」と書くアメンボはアメンボ科の水生昆虫です。三対の肢のうち、後の二対が特に長く、池沼の水面を滑走して小昆虫を捕食します。体長5mmから30mm程度、黒くて細長く、水の上を軽やかに動きます。体から飴のような匂いがすることが名前の由来です。

さて、今日の坂井泉水さんの月命日には、14番目のシングル『Just belive in love』(95.2.1)を取り上げます。私は、歌詞に彼女の実体験がそのまま歌われていることは、それほど多くないと思っています。もちろん、体験を核にしてはいるでしょう。しかし、そこから経験していない世界までイメージを拡げ、聴き手が楽しめる詞をアレンジして提供するのが作詞家だと思います。

ただ、全体を通してみるとやはり作詞家・坂井泉水の世界観が浮かんできます。個性というのはそういうもので、意識的にこうしようとか、こういうキャラクターを出そうというのではなく、にじみ出てしまうもの、そこはかとなく感じられるものです。

ZARDの楽曲に登場する男性像は比較的よく似ています。不器用でパフォーマンスは苦手だけれど信頼でき、少年のような感性を持っている。彼女の心の中の男性像でしょう。この人物像は男性であると同時に坂井泉水さん自身の象徴のように思えます。いくつかの楽曲で”自分と似ている”という表現を使っています。

---でもあなたを見ていると 私と似ていてもどかしい 『心を開いて
---負けず嫌いの二人だからほっとしたの 『Don't you see
---どうでもいいこと気にするところ 二人よく似てるね 『息もできない

『Just belive in love』の中にも「そんなとこ 二人はよく似ているね」というフレーズが出てきます。

Just belive in love  



この楽曲の特徴はさらに二つある、と思います。ひとつは「あんなに熱く焦がした想いが揺れている」というフレーズです。この歌は全体としては、ようやく恋がかなった喜びを歌っていると考えられます。それにもかかわらず、このフレーズは主人公が迷っている、揺れているという印象を与えます。

『揺れる想い』のように、ここの「揺れる」は彼女ならではの恋愛の心情を表現する言葉なのかもしれませんが。こういう微妙な、「あれ? 二人の関係はどうなっているんですか」と一瞬不思議を呼び起こすような言葉の用い方は、他の楽曲にもいくつか出てきます。これが坂井泉水流の独特の世界を形づくっているとも言えます。

さらに楽曲の最後は、「微笑みも忘れたくなるこの都会(まち)で つまづくことさえも明日への希望へと変えてゆこう」としめくくられます。恋愛を歌いながらそこにさりげなく励ましのフレーズを入れている、恋愛の物語に託しながら、彼女が伝えたかったのはむしろこちらなのではないか、と思わせる余韻がある、これがZARDの世界ですね。

□◆□…優嵐歳時記(2227)…□◆□

  河骨に近く軽鴨着水す   優嵐

コウホネは浅い沼や池、湖の岸辺に自生するスイレン科の多年草です。水中の葉は細長く膜質、水上の葉は濃緑色で分厚くサトイモの葉に似た長卵形をしています。梅雨のころ、水面に直径3cmほどの黄色い可愛らしい花を咲かせます。花弁に見えるのはがく片です。根茎は白色で肥大し、白骨に似ているということからこの奇妙な名前がつきました。

随願寺境内の放生池にコウホネが咲いています。ここの水面は今、コウホネとヒシにほとんど覆いつくされています。冬から春先にかけては水面には何も見えませんでしたから、特にヒシの繁茂の様子には目を見張ります。


<孤独>
孤独には二種類ある
創造的で楽しく充実したsolitudeと
誰かといても満たされず余計に寂しいlonelinessだ

solitudeを味わえないとそこから逃げ出したくなる
表面的に誰かとつながって
「孤独じゃない」と思い込もうとする
違うね
そんなとき心が一番寂しがっている


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□◆□…優嵐歳時記(2226)…□◆□

  山法師ひらと燕の飛びにけり   優嵐

増位山の駐車場横でヤマボウシが咲いているのに気がつきました。高さ5〜10mになるミズキ科の落葉高木です。花と見えるのは花序の苞で、その中心に頭状の花のかたまりがあります。花期は五月から七月です。苞は最初緑色ですが、葉とともに開いたあと白色になります。近年街路樹としてあちこちに植えられるようになったハナミズキはヤマボウシの仲間です。

日中の日向の気温は高いですが、森の中に入ると空気はひんやりとしています。昨年も一年通して山を歩きましたが、盛夏の日中には歩くのを控えていました。しかし、木陰がこれほど涼しいなら、真夏でも十分歩けるのでは、と思っています。直射日光に照らされるところでは熱射病の危険がありますが、森は全く違います。樹木の力にあらためて感服です。


<どうでもいいこと>
ケーブルテレビをやめ
テレビそのものを捨て
ラジオを捨て
新聞をやめ
少しずつマスメディアを断ってきた

インターネットで見ていたニュースさえ
近頃では全く開かない
そういうものにどっぷり浸って成長してきた
それなしではいられない時期もあった
社会情勢に詳しくなければと思い込んでいた時期もあった

ようやくわかった
そんなことはみんなどうでもいいことだ
他人がどこで何をしているかなんて

一番大事なのは内側の声をきくこと
自己の内側にいる人と対話すること



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□◆□…優嵐歳時記(2225)…□◆□ 

  白百合のさらに輝く雨あがり   優嵐

夏は春以上に花の多い時期かもしれません。ご近所の庭にもさまざまな花が溢れ句を詠む材料がたっぷりあってうれしいことです。やはり、冬が一番自然の句材が少なくなります。そこでいろいろ探すのもまた別の意味で楽しいことではありますが、次々咲く花を見るのはいいものです。

ユリはユリ科の多年生球根草の総称です。『古事記』の神武天皇の条にすでに「山由里草」として登場しています。『万葉集』には十首詠まれており、大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)は「夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ」と詠い、片思いを姫百合の可憐さに託しています。

姫百合といえば、6月23日は沖縄忌でした。第二次世界大戦で日米最後の地上戦がおこなわれ、県民の四分の一が犠牲になったという沖縄戦が終結した日です。ひめゆり学徒隊として、沖縄陸軍病院の看護要員に動員された沖縄県女子師範学校と沖縄県立第一高等女学校の教師と生徒240人のうち、136人が犠牲になりました。


<祈り>
学生時代の同級生が療養中だときいた
家に帰ってコーヒーをいれながら
不意にお祈りをしようと思った

手をあわせて目を閉じて
神棚でも仏壇でもない
シンクの前で祈った

彼女が試練を耐え抜いていけますように
その力が与えられますように
支えが得られますように


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□◆□…優嵐歳時記(2224)…□◆□

  須磨明石夏至の海辺に灯の点る   優嵐

21日が夏至でした。すでに日中の時間は少しずつ短くなっています。これから冬至までの半年、また振り子は一方に向かって振れていくわけです。自然界のすべてのものは呼吸と同じ陰陽を繰り返しています。満ち引き、昼と夜…。春分、秋分、夏至、冬至が特別な時間なのはそういう陰陽の転換点だからかもしれません。

扇風機を出しました。昼間は風の通りが素晴らしい部屋で、南北の窓を開けていれば扇風機さえいらないほどです。愛用のラフマのデッキチェアも出しました。ここに寝転んで窓からの風を受けながら本を読んだり転寝をしたりするのがこれからの季節の極楽です。


<蓮華>
君の胸の奥に美しい蓮華が咲いている
それが愛の源泉

その蓮華を通して
すべてのものに向かってごらん

君の前にたち現れるすべてもの
君が出会うすべての人

楽しいこと嬉しいこと
苦しいこと悲しいこと
好きな人嫌いな人
家族友だち行きずりの人
ありとあらゆるものを
君の蓮華を通して経験するんだ

蓮華に心を向けるだけで
君は愛することがわかるだろう
難しい理屈や言葉はいらない
そこを通して湧きあがって来るもの
それが愛

憎しみや怒りや不平不満
妬みや貪りや退屈が
心を覆いそうになるとき
その蓮華を心に思い浮かべよう

蓮華は君によって美しく花開き
君を支え助けてくれるだろう


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□◆□…優嵐歳時記(2223)…□◆□

  夏蜜柑ジャムのせぱりっとクラッカー  優嵐

日曜日のアートセラピーで、参加者のうちのおひとりが手製の夏蜜柑ジャム(厳密に言うとマーマレード)を持ってきてくださいました。黒砂糖と夏蜜柑を使って作られたもので、その微妙な苦味の混じった味わいがなんともおいしく、いくらでも食べられてしまいます。クラッカーにのせたり、ヨーグルトにいれたりしてたくさんいただいてしまいました。

ナツミカンについてはこんな話が残っています。江戸時代半ばの十八世紀初め、大きなミカンが波にのって、現在の山口県長門市の青海島の海岸にたどり着きました。その種子を播いて育てた木には巨大で酸っぱいミカンがなりました。その原木とされる木は今でも国の天然記念物として残っているそうです。

最初はこの巨大なミカンは子どものおもちゃになっているだけでしたが、皮をむくときの香りや、酸っぱさが暑さの中で清涼感を呼ぶところから食用として見直されました。ナツミカンの花は五月に咲き、果実は秋に熟しますが、風味が十分でないため、樹上で冬を越し、翌年の春から初夏に収穫します。

「甘夏」は昭和の初めに大分県で、ナツミカンの中から見つけられたものです。ナツミカンよりも酸の含有量が低く、春先から食べやすくなります。その後、甘夏の中からよい品種が見つけられ、今ではナツミカンといえばほとんどが甘夏になっています。


<パイプ>
いろいろ思いを巡らせているよりも
眠った方がいいと言われる

これは誰もが実感のあるところだろう
朝目が覚めた瞬間にあるアイデアが閃いたり
うとうとした直後に突然思いつきが浮かんだりする

人間は自分で考えたり創作したりしていると
思っているけれど
実はそうではないような気がする

アイデアの源泉は私たちが眠っているときに
戻っている世界なのだ
私たちはそれを通すパイプであり
それを実行する手足だ


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□◆□…優嵐歳時記(2222)…□◆□ 

  大橋をすっぽり隠し夏の霧   優嵐

霧は単独では秋の季語です。日曜日にはアートセラピーのために大阪へ行ってきました。梅雨の播磨灘は濃霧に包まれており、明石海峡大橋が全く見えませんでした。このところ、お昼は近くのイタリア料理店のランチを食べるようになりました。前菜、パスタにパン、デザート、ドリンクがついて千円というお値段が魅力です。そのせいか小さな店内はいつもお客さんでいっぱいです。

四月から「コミュニケーション」をテーマに絵を描いてきました。この日は参加者九人で二畳ほどの広さの紙を囲み、「自分と家を入れた夏の風景」というテーマでそれぞれがそれぞれの風景を自分の前に描いていきました。最初に自分にとって紙の一番手前の部分に土を描き、そこから中央部に向かって風景を描いていきます。

単純な同じ課題ですが、それぞれに解釈が異なっていて、できあがってくる絵が違っているのは面白いものです。私自身はまず夏の風景を象徴するものは何かと考え、入道雲を描こうと最初に決めました。緑濃い山の上に高く白く輝く入道雲です。

その次は自分の存在をはっきりさせたかったので、キャラクター的な似顔絵を描きました。家に関してはそれほど深く考えず、家らしく見えればそれでいいだろうと考え、切妻屋根の日本家屋を描きました。三つの言葉のうち一番比重が軽かったのが「家」だったかもしれません。

描きあがった後、どちらを下にするか決めて壁に貼り、感じたことをシェアしあいました。二ヶ月前に描いたマンダラを思い出してそれとの比較で語られる人が何人かありました。マンダラのような幾何学模様ではなかったため、今回の方が隣の人と接する位置がスムーズに融合できたという方が多かったようです。手前の部分に「土」があり、それが全体をまとめていて、それが描き易さの土台になっていたというところもあるでしょう。

私自身は、マンダラのときも今回も他の人の絵はあまり気にならなかったし、接するところも「まあ適当に」という感じで自分が描きたいように描きました。あまり周りを見ないというのは変わっていません。好きなようにさっさと自分のペースで描いてしまうというのが私のやり方のようです。

家と自分との関係はいろいろでした。家の中にいる人、外にいる人、意外だったのは、ほぼ全員が絵のどこかに木を描いていることでした。講師の方は一言も「木を描いてください」とは言われていませんが、なぜか目だつ位置に木があるのです。これは何か心理的な理由があるのかもしれません。


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