優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2010年09月

□◆□…優嵐歳時記(2323)…□◆□

  ジグザグに秋の野をゆく蝶の道   優嵐

新しいブログを作りました。同じアカウントで別のブログを作ることができるとのこと、さらにライブドアのブログが容量無制限に移行したとのことで、これを機会に絵のブログを立ち上げてみました。目標は毎日一枚の絵をアップすることです。

もしよろしければ、こちらをお尋ねください。
優嵐スケッチブック

もともと絵を描くのは好きでした。九月に入ってから突然絵を描きたくなり、描きまくっていました。といっても油絵とか水彩画とかいうものではなく、耐水性の顔料インクを万年筆に入れ、それでペン画を描いて、サクラクーピーペンシルで彩色していくというものです。

絵の材料は身近な品物です。変哲もないものばかりなのですが、あらためて絵を描くべくそれらをじっと見ると、新しい観察があって驚きます。なんと自分は何も見ていなかったのだろう、と愕然とします。違う目で見れば身近なものもすべて新鮮になるもんだなあと、感動しています。

絵をブログにアップするためには、スキャナが必要だろうか、と思っていたのですが、デジカメとフォトショップで十分見られる画像を得ることができました。こちらもやってみるものだな、と納得しました。

去年、アウトドア関係のさまざまな物品を大量に処分する前なら、さらに描くものがいろいろあっただろう、と思います。しかし、すっきりきれいにならなければ絵を描く気分にもならなかったと思います。何がどうなってどういうものとつながるかわからないものです。


<頂の死>
頂で野鼠の死骸に会った
何に襲われたか背中の肉が割れている

スズメバチが一匹そこへとりついて
盛んに肉を齧っている
カシカシカシカシ、カシカシカシカシ
静かな頂に
スズメバチの顎をかみ合わせる音が響く

蝿が数匹やってきた
スズメバチの食事の邪魔をしないよう
遠巻きにしている
すでに微生物も活動を始めているだろう

一匹の命が終り
次の命へと受け継がれてゆく
秋の明るい風と光の中でそれは続く


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□◆□…優嵐歳時記(2322)…□◆□

  澄む秋の朝の空気がそこにある   優嵐

秋になると、大陸からやってきた移動性高気圧が列島を覆い、空気が澄んできます。この澄んだ大気の清澄さを示す季語が「澄む秋」です。「秋澄む」「清秋」「秋気澄む」などと使われます。光をまぶしく感じるのもそのせいでしょう。見えるものだけでなく、物音も澄んでよく聞こえ、それを指す「物の音澄む」という季語もあります。

インターネットでは、次々いろいろなサービスが生まれています。近頃のヒットはSNSとツイッターでしょうか。最近、「drawTwit(どろつい)」なるものを知りました。140ストロークで絵を描き、それをツイッター経由で公開するというものです。試しにやってみましたが、いやはや、「へのへのもへじ」程度しか描けません。

HPに掲載されているような絵を描くにはそれなりのコツがあるのでしょう。かつてのアスキーアートのようなもので、制限を逆手にとって表現手段に活かせれば、いいのかもしれません。


<猪>
自然歩道を歩いていると
猪が向こうからやってきた
いつも会う彼女
木の実を探しにいく途中らしい

おとなしい淑女だから
何もしないだろうけれど
ここは野生に道を譲ることにして
迂回路へ逸れた

彼女も多分ほっとしているはず
後姿を見送った


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□◆□…優嵐歳時記(2321)…□◆□ 

  玉入れを数える声や天高し  優嵐

お昼過ぎから雨が降り出しました。日曜日は快晴で、近所の小学校では運動会が行われ、その放送が風に乗って聞こえてきました。お天気が変わりやすいのは秋空の特徴ですから、ようやく空も秋らしくなったのかと感じながら雨音を聞いています。

玉入れといえば、運動会の定番で、いくつ入れたかを数えますが、公式の玉入れというものも出来ており、全日本玉入れ協会というところがルールを制定しています。公式ルールでは、100個のお手玉をいかに速く籠に入れるかを競います。このルールで行われた玉入れを見たことはまだないのですが、運動会の玉入れの後、玉を片づけるパターンに似ているかもしれない、と思いました。


<凡夫>
秋彼岸の間
六波羅蜜について考えた
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧
いずれも特別なことではない

大昔から言われてきて
難しくもないはずのことなのに
未だに私たちはそれができない

宇宙空間へロケットを飛ばし
他人同士の臓器のやりとりまで
できるようになっているのに

けれど
もし容易にこれらのことができるなら
ここに来る必要はないのかもしれない

特別なことができない者が凡夫なのではなく
あたりまえのことができない者が凡夫
わが身を振り返りつくづくそう思う


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□◆□…優嵐歳時記(2320)…□◆□ 

  蝶軽やか秋の光を滑空す  優嵐

森の散歩にはいい季節になりました。少し開けたところでは、蝶、バッタ、トンボなどに会います。猪が木の実を探しているのにも出会いました。もう猪にはすっかり慣れて、まるで近所の犬を見るような感覚です。

今日の坂井泉水さんの月命日には、『リセット』を取り上げます。ZARDの37番目のシングル『もっと近くで君の横顔見ていたい』(03.11.12)のカップリング曲です。この曲を今日取り上げたのは、先日友人から「リセット」したとの言葉を聞いたからです。

細かい事情を聞いていたわけではありません。しかし、その方がかなりの時間苦しみ悩み考えた末の決断だったことは、よくわかりました。人はそれぞれ他の人にはわからない何かを背負って生きています。徳川家康は「人の一生は重き荷を負うて遠き道をゆくが如し」と言いました。

それは誰にもあてはまっています。どれほど恵まれているように見えている人でもです。誰がどのような荷物を背負っているかは、その人になってみなければわかりません。

ネイティブアメリカンの諺に「他人を批判してはいけない。その人のモカシンを履いて1マイル歩いてみるまでは」というものがあります。自分のつらさと誰かのつらさは、全く質の異なるものである可能性が高いのです。みなそれぞれ荷を分け合って背負っていると思えばいいのかもしれません。その方も荷物を背負っていますし、つらい時期はまだしばらく続くかもしれないけれど、どうか負けないで欲しい。

リセット



この楽曲の中で坂井泉水さんは「誰だっていつかは決断するときが来る」「きっとガンバっテる君を誰かが見てるよ」と歌っています。これはラブソングではなく、純粋に励ましの歌、それも彼女が自分自身を励まそうとした歌ではないか、と思えます。それぞれに転機があり、その人にしかわからない決断のときがあります。それを見守っていてくれる存在もきっとあるはずなのです。





□◆□…優嵐歳時記(2319)…□◆□ 

  風の音ばかりとなりぬ秋の森   優嵐

秋分の日を境に気温がまるっきり変わりました。本来はこれくらいでいいのでしょうが、あまりに残暑が厳しかったため、極端な変化のように思えてしまいます。真夏の衣服を片付け、寝具なども秋冬のものを少し出しました。

料理も秋冬のものが食べたくなります。野外料理の本でみつけた簡単な料理を試してみました。用意するのはベーコン、ジャガイモ、タマネギです。ベーコンを細かく切って鍋の底に敷き、その上にスライスしたジャガイモとくし型に切ったタマネギをいれ、ひたひたになる程度の牛乳とコンソメスープを入れて煮込むだけです。

保温調理器を持っているので、材料を入れて沸騰させ、そこに鍋ごと入れておけば全く手間なくできあがります。これはこの先レパートリーとして重宝しそうです。


<静寂へ>
森が静かになった
蝉は完全に姿を消した
秋の深まりを感じる風が森を渡っていく

夕焼けは
夏と同じように空を染めているが
その色は淡く時間も短い

やがて晩秋
実りの時期を終えた大地は
休息のときを迎える


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□◆□…優嵐歳時記(2318)…□◆□ 

  稲妻を連れおり貨物列車過ぐ   優嵐

秋分の日の朝は雷雨になりました。雷や雷雨、雷鳴といったものは夏の季語ですが、稲妻はなぜか秋の季語です。稲穂の稔りを連想するからでしょうか。この辺の感覚は面白いと思います。アートセラピーに参加するため大阪へ行ってきました。線路沿いの田は八割がた稲刈りが終わっています。すでにひつじが伸びている田もあります。

七月から「観る」というテーマでやってきた三ヶ月シリーズの最終回です。いつも、ワークが終わった後の振り返りのレポートを書いてきました。これまでは自由に書きたいように書くというパターンでしたが、これからはこの「観る」のワークを通して、学んだ次の四つのパターンでレポートを書いていきます。

1)現象:そこでおこなわれていた事実
2)印象:そこの雰囲気
3)対象:感想、〜をやってどう思ったか
4)具象:気づき

今日は前回描いた花の絵を思い出して描くことから始まりました。観察して描いたはずですが、忘れてしまうものです。思い出そうとする努力さえ諦めておぼろげな印象をもとに描きました。私はだいたいなんでも速く、絵を描くのもあっという間です。思い出すのに時間をかけてじっくりゆっくり描いている参加者の方もあります。

かなり克明に覚えていて丁寧に描いておられる方、全く違う花を描いた方など、思い出して描くといっても人それぞれです。自分自身のそのときの感想はといえば、ワークとしてはあんまり面白くないなと思っていました。

なぜか。私は振り返るということが苦手なのだと思います。「前回に描いた花? なんやつまらんな」というのが正直なところ。次々新しいことをやって先に進みたいというのが自分の性格なのです。素早く突っ走るように先へ進んでいく。反省が無いんですね。

良いか悪いかはコインの裏表だと思います。根本から矯正することは難しいと思いますし、その必要もないでしょう。そういう自分の型を知って、それを生かしていくことが大事かと思います。

次に、この花をシンボルマークのようなものに変換して描き、言葉でも一言でそれを表すというワークをやりました。やっているときはあまりぴんとこなかったのですが、終わって全員のものを見ながら振り返りをやっていると、これは複雑なものを含む事象からポイントとなる要素をひとつ抽出してくることなんだな、とわかりました。

俳句との類似点に気がつきました。俳句は十七音でこれをやっているのです。季節という大きな事象の中で起こる出来事を、季語というシンボルを使って取り出し、十七音に凝縮させて詩にしています。季節の中にある要素は数限りないほど膨大ですが、どこに切り口をもってきて的確に切り取るかによって、俳句が生きるかどうかが決まります。

あれもこれもと盛り込んだら俳句の焦点がぶれてしまいます。十七音で何が言えるのか、と思いますが、詩というのは、その切り口によって長い説明文では言い切れないような、独特の何かを表現して、忘れ難い印象を与えます。名句として長く残っていくような句は、実に深く的確に「観て」いるのです。


<夜長>
ふくらはぎに冷え始めた空気を感じる
秋分の扉を開けて
ほんとうの秋が入ってくる
夜が長くなる


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□◆□…優嵐歳時記(2317)…□◆□ 

  秋分の朝雷鳴に目覚めけり  優嵐

名月の夜は夜半から雨になりました。秋分の日の朝は雷雨となり、そのまま午前中はぐずついたお天気でした。しかし、夕方からは晴れ、十六夜の月が明るく輝いています。「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉どおり、雨があがったあとは一段秋が進みました。

秋分は二十四節気のひとつで、太陽が真東から昇り真西に沈みます。昼と夜の長さが同じになり、このあとしだいに夜の方が長くなります。宗教的には秋の彼岸の中日です。国民の祝日であり、「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日です。


<十六夜>
駅のホームに立ってふと夜空を見上げると
ビルの間に十六夜の月がかかっている
澄んだ静かな光を放ちながら

誰か月に気づいているだろうか
周りの人たちは
携帯電話の画面を見るのに忙しい

ねえあんなに月がきれいだよ
ちまちましたケータイの画面をしばし置いて
夜空を見上げてみませんか


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□◆□…優嵐歳時記(2316)…□◆□

  群雲に見え隠れして月今宵   優嵐

朝方は晴天でしたが、お昼前から雲が出始め午後はにわか雨があったりして、変わりやすいお天気でした。天気予報では雨になりそうでした。しかし、雲は多いものの、ちらほらと月は顔を見せ、こういう名月もまたいいものです。

名月の夜に曇って月が見えない様子を「無月」、雨が降ったら「雨月」と季語では言います。名月は一大イベントだったので、こういう季語もきちんと用意されていたのですね。

先日から掃除のコツを悟ったと何度か書いています。まずはものを置かないことが一番のポイントです。部屋にある不要なものを処分して、さらに部屋がガラガラになりました。いいものです。いかにモノを持たずにやっていけるか、これも面白そうです。

そして、掃除用具をすぐに手に取れるところに置いておくこと、さらに、汚れを感じるより先に掃除をしてしまうことが大事だと気づきました。換気扇やレンジの汚れは、目立ちはじめるようになると掃除が大変で億劫になります。使ったらその都度さっと拭いておけば、汚れが定着せず、簡単に掃除できます。


<カマキリの身に何が>
蓮の葉の上を一匹のカマキリが歩いていた
カマキリは葉からはみ出して
どんどん水の中へと歩みだしていく

身体が水に浸かり
カマキリの周りにアメンボがやってきた
すいすいと水の上をきって走るアメンボ
しかしカマキリは沈んでいく

アメンボが跳ね回る中でカマキリは
やがて水中に首も突っ込み動かなくなった

カマキリは間違って水に落ちたわけではない
自ら水の中に入っていったのだ
カマキリが人間の身体をしていれば
あれは間違いなく入水だ
そんなことがあるのだろうか



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□◆□…優嵐歳時記(2315)…□◆□ 

   劇場を出れば神戸の小望月   優嵐

今宵が名月、葉月十五日の月です。その前日である十四日の宵を「待宵」といい、その夜の月を「小望月(こもちづき)」と呼びます。21日の夜は神戸の神戸新聞・松方ホールで行われた「ZARD Screen Harmony」に再び行ってきました。やっぱり♪思い出の神戸の街(もう少し、あと少し…)ですからね。昔、気に入った映画を何度も見に行った、そういうのを思い出しました。

五月に行った堂島リバーフォーラムはフラットな床に椅子を並べたものでしたが、松方ホールは階段状の客席で、いい感じでした。内容はほとんど同じでしょうが、細かな手直しがされているように感じます。坂井泉水さん、前回もレコーディング中の姿が一番幸せそうと書きましたが、今回もやはりそのように思いました。

特に、もの凄く細やかな一語のニュアンス、わずかな音程のずれにもこだわって作りこんでいく様子、それを彼女自身が楽しんでいるのが伝わってきました。レコーディングに熱中するあまり、ヘアスタイルも何もぼさぼさで(まあ、それでもやっぱり美しい人ですが)ヘッドフォンから流れてくる音楽に集中し、夢中になっています。こっちも微笑んでしまいました。

ZARDの楽曲の魅力のひとつに、坂井泉水さんの息遣いがあります。それがはっきり聴こえる曲のひとつが『マイ フレンド』です。アニメ『スラムダンク』の主題歌として使われたZARDの代表曲のひとつです。アレンジによって違って聴こえるものも出ているようですが、オリジナルバージョンで収録されているものは、イントロから歌詞の歌いだしの部分---「あなたを想うだけで」と入っていく部分です---で、彼女がはっと息を吸う息遣いが見事に収録されています。

人間が歌っている、緊張と集中と意欲と熱意と、そういうものをすべて内側に持った生身の人間が歌っている、ということを、この吸い込まれる息の音が伝えてくれるのです。

マイ フレンド



あと、ライブの映像ですが、バンドのみなさんの演奏を再度じっくり聴かせていただき本当に見事だと感心しました。ZARDはもちろん、坂井泉水さんが中心ですが、彼女がピラミッドの頂点だとしたら、それを支えるバンドやスタッフのみなさん、ありとあらゆる存在が非常にうまくかみ合って、絶妙なものを生み出したのだということが、よくわかりました。


<無心>
現し世は無常の風が吹き続ける荒野
すべては風の前の塵に同じ

自分以外の誰かも
なにかの物も
あなたを幸せにしてくれることはない

時間に縛られたそれらはすべて
風の前の塵だから

幸せはあなたの内にある
あなたの内の時間を超越した場所

自らがやってきた根源へと続く
その場所を見出したとき
あなたは幸せへの道を見出す



□◆□…優嵐歳時記(2314)…□◆□

  花筒を洗い清めて秋彼岸  優嵐

20日は彼岸の入りでした。季語では春の彼岸を「彼岸」といい、秋の彼岸は「秋彼岸」「後の彼岸」といいます。近所の墓地にも人影がありました。彼岸は雑節のひとつで、春分・秋分を中日とした前後七日間をさします。この期間におこなわれる仏事を彼岸会といいます。

彼岸とは煩悩を脱した悟りの境地を意味し、煩悩や迷いに満ちたこの世を此岸(しがん)というのに対し、それを乗り越えた向こう岸という意味があります。ということは、やはり真ん中を川が流れているのでしょうか?

彼岸の中日には先祖に感謝し、残りの六日間は彼岸に達するために必要な徳目である六波羅蜜を一日にひとつずつ修めることとされています。六波羅蜜を要約すると、利他:布施・持戒、自利:忍辱・精進、解脱:禅定・智慧です。せめて一日なりとこれらに思いをはせることが大事なのでしょうね。


<ゆらぎ>
お彼岸になったのに
彼岸花が全く咲いていない
今年の残暑の激しさをあらためて知る
梨は六割しか収穫がなかったという

毎年同じようでありながら
そこに微妙なゆらぎがあることが
自然というものなのだろう


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