優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2010年09月

□◆□…優嵐歳時記(2313)…□◆□

  月の輪のほどよき雲を連れてあり   優嵐

明後日の22日が名月です。買物に行こうと外へ出たら、中空に葉月十三日の月がかかっていました。少し雲があり、そこに月の光が差して微妙な味わいを生み出しています。

十三日の夜なら、「十三夜」といってよさそうなものですが、十三夜は「後の月」といわれる陰暦九月十三夜の月をさし、名月の前には原則として用いません。葉月十五夜と長月十三夜の月をあわせて鑑賞するのが、古来から正式の月見とされています。

葉月の十五夜には芋を供えるところから「芋名月」、長月の十三夜には枝豆を供えるので「豆名月」と呼ばれます。中秋の名月を賞でる習慣は中国から伝わったものですが、長月十三夜のお月見は日本独特のものです。


<秋の蝶>
森から出るところで一匹の蝶に出会った
黒い翅に白い筋がくっきりと出ている
広場へ出た蝶を視線の先で追っていると
ふっと輝いて消えてしまった

見失ったのかと辺りを見回したが
蝶の姿はどこにもない
まるで秋の日差しの中へ溶けてしまったよう


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□◆□…優嵐歳時記(2312)…□◆□

  一面に黄金の色や豊の秋  優嵐

姫路周辺では、この週末から来週にかけてが稲刈りの最盛期です。あちこちで道路を行くコンバインの姿を見ました。今年は梅雨に十分な雨が降り、その後猛暑となったため、稲は豊作とか。新米が食卓に上る日は間近です。

水田が一年の間に色彩も含めて劇的に姿を変えるため、日本の田園地帯の風景は変化に富んで美しいものになっています。今は黄金色に稔った稲穂が頭を垂れ、揺れています。それが次々と刈り取られてゆき、切り株の並ぶ刈田となります。

昔は稲を乾燥させるために稲架にかける風景がありましたが、今は刈り取った稲藁は刻まれてしまいます。やがて切株から青い「ひつじ」がひょろひょろと伸び、それも冬になるころには枯れて一面の枯田となります。


<稔りの秋に>
一面に稔った稲穂が揺れる田の起伏の中
車を走らせていると
なんて美しい国に生まれたのだろうかと思う

日本にすでに原生自然はない
私たちを育んでいるのは
先人が築き上げ心を尽くして
守り育ててきた風景

人の手と自然の力が組み合わされて
できあがった独特の景観
その穏かな優しさが私たちを包む


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□◆□…優嵐歳時記(2311)…□◆□

  曇り初めなおも鶏頭燃え残る  優嵐

鶏頭はヒユ科春蒔きの一年草です。熱帯アジア原産といわれ、奈良時代にはすでに中国経由で渡来していました。鶏のとさかのような赤い花序に特色があります。これは品種改良によって、ひとつのとさかが非常に大型になったものです。原種は細長い直立形をしています。

九月半ばとなり、夕暮れが早くなっているのを感じます「秋の日は釣瓶落とし」と言われますが、井戸が生活圏から姿を消し、今や「釣瓶」が比喩としてなりたたなくなっています。昔に成立した言葉が、そのものは失われてもなお、言葉として残っていくというのは面白いですね。


<目的>
思春期のころ
人は何のために生まれてくるのだろうかと考えた
無邪気な子ども時代の扉は
すでに背後で閉まっている

考えた末
幸せになるためだろうと結論付けた
今ならそれが間違いだということがわかる

幸せになるためなら
四苦八苦に満ちたこの世へ
わざわざ生まれてくる必要は無い

ものごとがうまくいかず
楽しいことよりつらいことの方がずっと多い
家庭に人間関係に仕事に健康にお金に
すべてに恵まれている人などひとりもあるまい

それでもなおこの世にやってくるのは
あえて重荷を背負うためだ
幸せになるためなどではない

ままならないことに直面し
そこで悩み考え試行錯誤して何かをつかみとる
そのために生まれてくる

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□◆□…優嵐歳時記(2310)…□◆□

  夕月夜にわかに風の心地良し   優嵐

夕方、にわか雨がありました。夏の夕立を思わせるような降り方でした。季節の進みが半月くらい遅い感じですが、それでも随分涼しくなりました。パソコンからディスプレイを外して良かったことがすでにひとつありました。部屋の中での座る位置です。

これまでディスプレイとつないでいたために、いつも同じ方向を向いて座っていました。しかし、今日ふと思いついて違う方向を向いて座ってみました。部屋の中央にテーブルを置いているため、その気になれば四方どこにでも座ることができます。住み慣れた部屋であるにもかかわらず、これだけで気分が一新されました。

視点を変えるというのは、こういうことなんじゃないか、と思いました。別に誰に指示されたわけでもないのに、惰性で同じ方向を向いて座っていたのです。違う場所に座るだけで、違うものが見えます。視点を固定してものを見ていないか考えさせられました。


<カブトムシ>
小さな男の子がお父さんお母さんといっしょに
桜の根方にしゃがんでいた

お母さんがスコップで穴を掘っている
「何かいるんですか?」
「カブトムシなんです」
「え?ここに?」
「いえ、飼っていたのが死んでしまったから」

男の子が持っているプラスティックの飼育箱には
確かにもう動かなくなったカブトムシがいた

「お墓なんですね」
「ええ」
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
私はそう唱えて手を合わせた
「ありがとうございます」
お母さんが笑顔で言った

桜はカブトムシをそっと包んでくれるだろう
おつかれさま
そして
カブトムシは桜の根元で眠るだろう



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□◆□…優嵐歳時記(2309)…□◆□ 

  月の舟ゆくや宇宙の風受けて  優嵐

「月の舟」とは、弓張月を意味します。上弦は陰暦の七日、八日ごろ、下弦は二十二日、二十三日ごろです。火曜日の夜は陰暦七日の月でした。少し雲があり、月の下半分が雲に隠れ、ちょうど風を受けた帆のように見えました。

掃除を隅々までやってみると、これまでそれなりに掃除をしてはいましたが、きっちりとはやっていなかったんだなあとあらためて気づきました。部屋全体が、くっきりピントがあった写真のような雰囲気になっています。


<カラフル>
60色のクーピーペンシルが届いた
蓋を開けて思わずにっこり

単に色の違うペンシルが
二段に並んでいるだけなのに
このうれしさは何だろう

色彩がこんなにも人の心を
うきうきさせるのはなぜ?


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□◆□…優嵐歳時記(2308)…□◆□ 

  ぽつぽつと刈田現る播磨の野   優嵐

姫路周辺でも稲刈りが始まりました。辻に秋祭りの幟が立っています。播磨地方は秋祭りの盛んな地域ですので、「祭り足袋あります」などという広告が貼られていたりもします。

厳しい残暑が続いていましたが、火曜日は雲が多く、お昼過ぎにはにわか雨もあり、気温が下がりました。窓から入る風が秋らしいものとなり、夕方には窓を閉めて過ごせるほどになっていました。いよいよ本格的な秋です。

読書の秋、スポーツの秋、芸術の秋、などと言われますが、日本の場合は、夏が余りにも暑く過ごしにくいため、何をするにも意欲が失せるのだろうと思います。この盛夏から初秋にかけては、掃除すらする気が失せていました。この秋は私にとっては「掃除の秋」です。


<整える>
本物の職人は道具を大切にし手入れを怠らない

「掃除なんかせんでも死なへん」と
うそぶいていたが
それは違う

きれいに整頓し磨き上げられた道具は
ケアレスミスをなくす
何がどこにどのようにあるか把握され
いつでも使えるようにしてあってこその道具

自分を支えてくれる道具を
美しく整えることはすべての基本
道具に魂が宿ると日本人は信じている
美しく整えられた魂は美しい力を発揮する


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□◆□…優嵐歳時記(2307)…□◆□

   悠然と風をまたいで鬼やんま   優嵐

久しぶりに「悪夢」を見ました。交通事故を起こす夢でした。日常生活と何ら異なったところはなく、ただ少年野球のチームが載ったバスと衝突して大変なことになるという夢です。夢を見ている間は夢だという意識はありませんから、とんでもないことになったと頭の中でさまざまな想念が浮かんできます。

幸いこれまで大きな人身事故の経験はありません。今朝の夢では、友人から借りた車を運転していて、そのバスとの事故を起こします。大破したバスのサイドが見え、バスに乗っていた少年たち、近所の人たちも出てきます。警察が来て、事情聴取のために車に乗せられます。

この間頭の中では、「なんでこんなことになったんだろう」「車壊してしまって友達に迷惑をかけるなあ」「保険、どうなるんだろう」なんていう想念が回っていました。そのうち、誰かが危篤だなんていう声が聞こえてきて、「え?そんな凄いことになっているのか」と驚きに拍車がかかります。

取調官の間にいる私を報道陣が取り囲み、大事故なのだということがおぼろげながらわかってきました。「うわぁ…」と思っているところで目が覚め、久しぶりに目が覚めてほっとした夢でした。考えてみたら、大事故のわりに自分は夢の中では全く怪我をしておらず、事故の前の記憶もなく、妙なのですが、夢の中では全くリアルなものでした。

荘子に「胡蝶の夢」という説話があります。「荘周が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める。果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか」というものなのですが、それを思い出していました。あまりにもリアルな夢なので、目覚めていると思っている私というものも、何かの夢ではないか、と思えるのです。

この世を夢に例える話は昔から数多くあり、これは現代の映画などでも『トータルリコール』や『マトリックス』などで物語の背景を支えるものになっています。リアルだと思っていることが本当はどこまでリアルか、というのは面白くもあり恐ろしくもある話です。一方では絶対的に価値があるものなどない(全ては夢)という、ある種の救いとも懐疑とも言える考え方のベースでもあるなあ、と思ったりしていました。


<一炊の夢>
一期は夢よ ただ狂へ
と、閑吟集は詠い
化天のうちを比ぶれば夢幻のごとくなり
と、信長は舞った

人の一生
長いようで実は一瞬の夢
邯鄲一炊の夢


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□◆□…優嵐歳時記(2306)…□◆□

  桃色の雲を従え三日の月   優嵐

10日が葉月の三日月でした。この月が太っていくと名月になります。台風が去った後、ぐんと涼しくなるかと思いましたが、今日の気温は35度ありました。猛暑のお月見になるかもしれません。次はお彼岸に期待しましょう。

掃除が面白くてちまちまとやっています。自分の中に「これで掃除の初歩の極意をつかんだ」という感覚があり、えもいわれず楽しい気分です。何かに突然開眼して自分のものにしたという経験は、小学校のころに一度あります。

低学年のころ、学校給食を食べるのがとても遅く、いつも最後を争っていました。子どもながら、これじゃいかん、と一念発起し、どうしたら速く食べられるかといろいろ研究しました。その結果、見事に食べる速さがパワーアップし、高学年のころには、クラスで最速を争うくらいになりました。

そこそこできたことがさらに上達した、というような経験はこれまでもいくつかありますが、このように苦手だったことが、ある日突然悟りを得て大躍進を遂げたというのは、あのとき以来ではないか、と思っています。食べる速さと掃除なんて、ツマラナイことのようですが、何であれこういう思いを持てるというのはありがたいものです。


<鳶>
頂に出るとすぐ足元から一羽の鳶が舞い上がった
ゆっくりと輪を描きながら高度をあげていく
見えない螺旋階段を昇っていくように

サーマルをとらえ秋空に吸い込まれていくように
わずかに翼をふるわせ方向を調整するだけで
上昇気流を我が物にしている
もうあんなに小さな点になってしまった

憧れという言葉が心をよぎる
人が鳥になりたいと願うのは
なにものにも囚われない自由をそこに見るから


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□◆□…優嵐歳時記(2305)…□◆□

  秋空の色して川の流れゆく   優嵐

液晶ディスプレイが突然映らなくなってしまいました。普段はパナソニックのレッツノートを液晶ディスプレイに接続して使っています。昨夜までは特に問題なかったのですが、今朝パソコンを立ち上げたら、反応がありません。仕方なく、接続を外してノートの画面に戻りました。

そろそろ買い替え時かなあなどと思いながら、ふとこれは啓示かもしれないとひらめきました。フットワークが重くなっていたのです。もともとノートしか買ったことがないのは、部屋を狭くしたくなかったことと持ち出しの容易さゆえでした。それがいつの間にかディスプレイをつなぎ、トラックボールをつなぎ、キーボードをつなぎして、すっかり機動力が無くなっていました。

ノートに戻ろうと思い、外付けの機械を全部外してノートで打ち込んでみると、このキータッチがやっぱり好きだと思い出しました。デスクトップの深く沈み込むキータッチより、ノートの浅いキータッチが軽快で好きです。

ディスプレイを接続していたために、部屋から部屋への移動さえままならない状態でしたが、それらを全部外すとスリムになったレッツノートが戻ってきました。スペースはこれだけで良かったんだと気がつくと、机の周りにあったいろいろなものが不要な贅肉に思え、これを機会にサイドテーブルなどを片付けてしまいました。

部屋がさらに広くなりました。こんなに広々と暮らせるんじゃないか、今まで何をやってたんだ、という思いです。フットワークを軽く、おまえは"You Run"じゃないか、と導き手が伝えてくれているのです。こういう思わぬ出来事は大事にすべきだ、とこれまでの経験から思います。

人が自分の意志や都合でなんとかできることは、実はほんのわずかのことだけで、もっと大きな何かの力の前ではささいなものです。その何かが指し示してくれる方向に従った方が結果的にはうまく運びます。たとえ、そのときそれが自分では不満なことであってもです。


<耳を澄ます>
導き手が語ることに耳を傾けよう
彼らは言葉では語らない
思いがけない出来事
偶然の一致
シンクロニシティ

彼らが使うのは象徴
だからこちらも耳を澄まし
感覚を敏感にし
伝えられようとしていることを
受けとらなければならない

サインは何度もやってくる
それを受け止めようとする心さえあれば
惜しみなくそれは与えられる


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□◆□…優嵐歳時記(2304)…□◆□

  秋晴れに今朝拭きあげる窓ガラス   優嵐

すっかり掃除が趣味になっています。これまで掃除なんて面倒で決して好きではなかったのですが、こんなに面白いものとは思いませんでした。単純なようでいて奥が深いです。しかもきれいになるとやっぱり気持ちがいいですし。

今までさぼっていてあまり掃除をしていなかったため、汚れがたまっている部分があり、反省しつつやっています。ちょっとした工夫で汚れの取れ方が違います。視点を変えるのにぴったりではなかろうか、と思いつつ今日も窓を拭きました。


<人工知能>
掃除をしながら
人工知能と人間の知能の違いに
思いを馳せた

家の掃除のような一見単純なことを
人工知能が完璧にこなせるようになる日は
まだまだ来ないだろう

なぜなら
臨機応変に類推しながら
進めていく必要があるから
人工知能はこういうことが一番苦手

人間は燕のように小さくても
自在に空を飛べる知能を持っているが
人工知能はどんなに速く走っても
レールが必要で空を飛べない新幹線


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