優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2011年01月

□◆□…優嵐歳時記(2436)…□◆□

  大寒の川は夜明けを映しおり  優嵐

この時期の川は水量が減っています。日本海側では積雪となって川には入らず、太平洋側では晴天が続いて雨量が少ないためです。市川の河原を三日続けて散歩していると、いつも同じような場所からアオサギが飛び立つのに会います。おそらくそのアオサギの決まった餌場なのでしょう。

アオサギは日本にいる野鳥の中では最も大きな部類に入りますが、気配を消しているため、すぐ近くまでいることに気づきません。そのまま通り過ぎれば何ごともなく過ぎるのですが、あちらが警戒して逃げて行きます。ばさばさっと大きな鳥がすぐ近くから飛び立つので、びっくりします。


<美>
絵を描き始めて
「美しい」とされるものだけが
「美しい」わけではないことに気がついた

「美しさ」はそこにあるのではなく
私が発見するものだ

その「美しさ」は誰かに向かって
提示できるものであると同時に
私の内側にしかないものでもある


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□◆□…優嵐歳時記(2435)…□◆□ 

  枝先を光らせ木々の春を待つ   優嵐

今日は大寒です。寒さは厳しいですが、光が日ごとに明るく夕暮れも遅くなり、春の足音を身近に感じます。やはり来るのが最も待たれるのが春という季節、生き物全てがそれを待っています。今年は近年には稀な寒い冬になり、雪も多く、「春を待つ」という季語が実感されます。

先日の雪はほぼ溶けていますが、気温が低いため、影になっている場所では氷になって残っています。増位山のドライブウェイも山影の部分の雪が凍っているため、河原の散歩を楽しんでいます。野鳥や畑の作物などを眺めながら歩くのは、また森とは異なる趣があります。


<椋鳥>
工場跡地のフェンスに
二十数羽の椋鳥が
身を寄せ合ってとまっていた
人の気配に
ばらばらっと飛び立って柿の木へ

もう少し近づくと
零れ落ちるようにむこうの畑に移る
まるで
ひとつのリズムを持った水の流れのように


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□◆□…優嵐歳時記(2434)…□◆□

  踏みしめる靴を鳴らして深雪晴   優嵐

雪が降りやんだ朝は、まぶしく太陽が輝き、積もった雪に反射して明るく美しい景色が広がります。雪はあらゆるものを覆いつくし、鋭い角度をもったものもすべて丸く包み込んでいます。清浄で優しい風景です。

明日が大寒です。冬はあと二週間ほどで終わります。山には雪が残っているため河原へ散歩に行きました。川の堤に早くもオオイヌノフグリが咲き始めており、タンポポも一輪見つけました。綿毛を飛ばすころになると、背伸びをするタンポポですが、今はまだぴったり地面に張りついて咲いています。


<爆発>
ガムテープで絵を描くアーティストがいる
ものを貼りあわせる道具を使って
わざわざ絵を描く

人間の創造性というのは
なんでも自由にできるときではなく
一定の制約があるほうが
羽ばたけるのではないか
圧縮されたガスが爆発するように

思うままにならないことを
何とかしようと創意工夫を重ねる
そこに創造性の飛躍の瞬間が訪れる

Mark Khaisman(ガムテープアーティスト)


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□◆□…優嵐歳時記(2433)…□◆□

  橋凍てて車の列を長くする   優嵐

朝の積雪は数センチ程度だったか、と思います。それでも周囲の道路は大渋滞でした。特に、橋に向かって道路が高くなっている坂の部分を上りきれない車が続出し、渋滞をいっそうひどくしていました。ふだんほとんど雪の降らない地域であるため、雪に対する備えをしている人が少ないのです。

「凍つ」とは凍ることです。ここでは道路上の水分が凍っていることを詠んでいますが、季語ではこうした物理現象だけでなく、もっと広い意味での寒気として詠まれます。光、音、ものみなすべてが寒気の中で冷たく凍っているように感じられ、「鐘凍つ」「月凍つ」などと使われています。

今年は冬らしい厳しい寒さを詠んだ季語を使うことができます。暖冬だと、姫路のように暖かいところでは、「厳寒」とか「凍つ」などという季語を使う機会がありません。雪がたびたび降るのは困りますが、俳句を詠むには新鮮です。


<空に満ちる光>
雪が降ったので
河原へ散歩に出かけた
さくさくと残る雪を踏んで
堤を登っていく

冬の川は水量が減り
ほそぼそと流れている
その中ほどに
ぽつんとダイサギがたたずんでいた

葦も薄も枯れ果てて
いっそ明るい
広々とした空に満ちる光は
冬の終りが近いことを
知らせている


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□◆□…優嵐歳時記(2432)…□◆□

  屋根に雪積んで列車のすれ違う  優嵐

雪の朝でした。アートワーク(今回からアートセラピーにかえてこの語を使います)に参加するために大阪へ向かいました。傘をさして家を出ましたが、大阪に着くころは雪の気配は全く消えていました。しかし、夜になって姫路まで戻ると再び雪になっていました。細かな雪がさらさらと降っており、かなり積もりそうな気配です。

今回からの三ヶ月はこの一年の課題の総仕上げであるバイオグラフィーの発表に入ります。これは、それぞれの人がすでに故人となっているアーティストをひとり選び、その生涯について調べ、発表します。単に生涯の年譜を追うだけでなく、そのアーティストから見えてきたもの、自分との関連性などあらゆることに意識を向けます。そのアーティストを鏡にして自分の生涯を見つめなおすのです。

今日は三人の方の発表があり、取り上げられたアーティストは美空ひばり(52歳没)、足立幸子(画家・47歳没)、エゴン・シーレ(28歳没)でした。発表された方はみなさんそれぞれにアーティストの生涯について詳しく調べ、年表や図表、立体作品などにしてひとり40分間で発表されました。

三人の人生の長さは異なるのですが、発表を聞いていると、どの人生も長さではなく、それぞれにひとつの完結を見て終わっているということが実感されました。また、時代とのかかわりというものも見逃せない点でした。

美空ひばりは戦後の昭和という時代を支えた重要人物であったし、エゴン・シーレは世紀末のオーストリアのウィーン近郊に生まれ、オーストリア・ハンガリー帝国が第一次世界大戦で敗退し瓦解する直前に亡くなっています。その個人は単独で偶然そこに生れているのではなく、間違いなくそこのその時代に生れるべくして生れて来ているという気がします。


<雪の朝と夜>
降りしきる雪の中を駅へと急いだ
電車は東へ
田畑が消えるころには雪が消え
冬の低い雲の下に
明石海峡大橋が姿を現した

雲間からさす光が沖に降り注いでいる
大阪は冷たく乾いた空気の中にあった

そして夜
大阪からの電車を降りると
駅のホームは再び雪化粧して私を迎えた

北へ向かう電車に乗り換える
窓の外の雪は一駅ごとに深くなった
しんとした夜空から粉雪が降り続ける

行き交う車の姿はいつになく少なく
積もった雪に足跡を残して
家路を急ぐ


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□◆□…優嵐歳時記(2431)…□◆□

  寒波くる気配竹林騒がせる   優嵐

週末は気温が下がっています。戸外では風の音がして、明日は雪が積もるかもしれません。日曜も予報では寒く、日中もあまり気温があがらないようです。年末年始の寒波から二週間ですから、そろそろ次の寒波がきてもいい時期です。この調子でいくと、立春前にもう一度くらいぐっと冷えそうなこの冬です。


<寒波>
午後から風が出た
北から南へ空を走る寒波の雲
輪郭が茫洋としてそれだけに寒い

森を歩く
手袋の指先がしんしんと冷えてくる
森を出ると雪が舞っていた

猪も梅も山茶花も
そのままの姿で
この冷たい夜を過ごす


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□◆□…優嵐歳時記(2430)…□◆□

   本堂の門松消えて風わたる   優嵐

随願寺の本堂前の門松が取られていました。関東では六日の夕方が松納めですが、関西の松もこれで明けます。とはいえ、すでにスーパーでは節分の恵方巻を売るアナウンスがずっと流れており、松の内とはいいながらお正月の気分はとうに消えています。生活習慣というのはこうして少しずつ変わっていくものなのかもしれない、と思います。

バレンタインデーも母の日も父の日もクリスマスも江戸時代の人にはない習慣でした。この先どんな新しい習慣があらわれ、何が廃れていくのか。新年を祝うことは続くでしょうが、その祝い方も時代とともに変わっていくはずです。


<猪>
梅林をくだっていくと
だだっと走り去るものがあった
猪だ

あの人に慣れた彼女ではなく
最近ここにあらわれたらしい小さな猪
彼女よりひとまわり小さく
まだ人に慣れていない

野生動物の敏捷な動きは心地よい
できるならば人に慣れず
その機敏な動きを保って欲しい


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□◆□…優嵐歳時記(2429)…□◆□

  寒林は日差しの中で揺れている   優嵐

葉の落ちた冬の林を「寒林」といいます。この時期の落葉樹は完全に裸であり、枝の姿をはっきり見せてくれます。空は青く風は冷たく、寒々としている一方、来る春に向けて、すっきりとした明るさを感じます。

絵の下描きを描くのに、今まで0.9mmのシャープペンを使ってきましたが、先日新しく 1.3mmシャープペンシル(ぺんてる)を手に入れました。マークシート用に開発されたもので、「マークシートシャープ」と銘打ってあります。考えるものだなあと感心しました。

マークシートセットとして消しゴムと芯がセットになって売られています。消しゴムはともかく、1.3mmの芯はあまり見かけないので、これは便利だと思いました。絵を描いてみると、0.9mmのものより柔らかく描けます。0.9mmでもBや2Bの芯を入れると同じようになるのかもしれませんが、1.3mmのHBでなかなかいい感じです。


<織物>
あまり楽しくないことをするとき
できるだけそのことを考えまいとする
何か別の楽しいこと好きなことを考えて
気持ちを紛らわそうとする

けれどそれは間違いだ
楽しくないことも
楽しいことと同じように十分味わう
どちらもかけがえのない一瞬だから

楽しいことだけで
人生が構成されているわけではない

楽しいこととそうでないことは
人生という織物の縦糸と横糸
どちらか一方だけでは
織りあげられない

あらゆる瞬間を同じように観察し
同じように味わう
それが人生の達人


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□◆□…優嵐歳時記(2428)…□◆□

  霜柱踏みゆく幼き日のように   優嵐

この冬は寒くなるという予報どおりの冬になっています。随願寺の境内へ行くとお昼でも影になっているところには霜柱が残っており、それをさくさくと踏んで感触を楽しみます。子どもの頃、冬の登校時には霜柱を踏んで遊んだものでした。それを思い出します。

霜柱は地中の水分が地表に染み出て、寒さのために凍結し、柱状の結晶になったものです。庭石や燈篭が霜柱で持ち上げられていることもあります。寒中で気温は低いのですが、周囲の山や森の木々を見ていると、なんとなく春の準備をしているという気配を感じます。陰の極は陽に転じる、という言葉そのままです。


<仲間たちと>
小学校のときの一番の思い出は
学校の勉強でも遠足でも運動会でもない
五年生か六年生のとき
クラスの仲間十人ほどで
近所の千メートルほどの山に登ったことだ

行きはバスで登山口までいった
ところが帰りのバスがなく
十数キロの道のりを歩いて帰った
仲間がいたからできたこと

しんどかったというよりも
思いがけない冒険をしたという記憶
頂に立ったそのことよりも
仲間たちと歩いて帰ったことの方が
鮮明に残っている


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□◆□…優嵐歳時記(2427)…□◆□

  厳寒の森は静かに明るくて   優嵐

連休明けの朝は冷え込みました。姫路でも氷点下になっていたようです。快晴で日が高くなるにつれて気温はあがりましたが、お昼に増位山へ行ってみると、山上の池は蛇ヶ池も放生池もまだ氷が張っていました。風はほとんどなく、森を歩いていると鳥の声さえ聞こえず、しーんとしていました。寒さに生きものがみな身を潜めている、そんな感じです。

夜、今年初めてテニスをしました。気温は低かったのですが風はなく、コートで気持ちよく動くことができました。家でパンを焼いて持ってきてくださった方があり、焼きたてほかほかの美味しいパンをいただきました。皮がぱりっとしており、香ばしさが印象に残りました。


<遊びをせんとや>
ボールを追ってコートを走る
ラケットとボールという道具を使って
ルールの中でやりとりをする
その面白さ

ボールを使ったスポーツは
散歩や登山とはまた一味違う楽しさを
与えてくれる

ボールはゲームのため
遊ぶためだけに考え出された
なんてすばらしい道具

遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけん…


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