優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2011年03月

□◆□…優嵐歳時記(2495)…□◆□

  紅白梅咲くを次々車窓より   優嵐

大阪へ行っていました。今年度最後のアートワークに参加するためでした。東での震災の影は全く感じられず、大阪は通常と同じ姿でした。しかし、自分自身が街や人々を見る目が変わっているということに気がつきました。

今回はバイオグラフィーの最終回で、私も発表を行いました。私が取り上げたのは、ZARDの坂井泉水さん(40歳没)でした。まとめをおこなってみて、アーティストを取り上げることのみに視点が行っていて、自分と対照させるのをおろそかにしていたな、と気がつきました。

これまでのアーティストの生涯を見ていて、その誰もがふさわしい時代に生まれその時代に必要とされたことを行っているという印象を受けました。そういう切り口で「バブル崩壊からの復興」という視点で彼女の活動を考えてみたのですが、それはあくまで公式のことでした。

公式のことよりも、自分との共通点を見出し、そこから課題を見つけるのがこのワークの目的なのです。自分のバイオグラフィーは以前に作成していて、そこからそれなりの気づきを得ていたこと、あまり何度も自分の成育歴について話したくないこと、などからそれを発表には入れませんでした。家庭環境のことを話しだすとつい嫌な感情が蘇ってくるからです。さらに、何度か話しているので、「もうわかってもらっているだろう」と思ったのが間違いだったようです。

また、彼女の生涯と現時点までの自分の生涯に共通点があるようには思えなかったということもあります。いくつかの記述や歌詞から類推する限り、坂井泉水さんは生育家庭環境には恵まれていたのではないか、と感じます。家庭不和の中で育った自分とは全く違います。

さらに彼女自身の弱点と思える、人前で緊張しぎこちなくなってしまうという部分ですが、これも私とは反対です。私は初対面の大勢の人の前でも平気で話すことができます。YouTubeなどの動画に残るテレビ出演中の彼女を見て驚いたのは、これだけの容姿と能力に恵まれていながら、なぜそのように緊張するのか、ということでした。怖いものなど何もないではないか、と。

ただ、他人が外から見て感じることと、その人自身が感じることは、随分食い違っていることが珍しくありません。今日の発表ではオードリー・ヘップバーン(64歳没)を取り上げられた方がありました。オードリーが自分の容姿にコンプレックスを持っていたというのには驚きました。そして、この弱い部分を裏返せば、他にはない強みに変化するのもひとつの真実です。

私が坂井泉水さんを取り上げようと思ったのは、自分自身の生育家庭環境に対する負のこだわり、ずっと引きずっていたものを、なぜかはわかりませんが、突然、逆の視点から眺められるようになった2009年の2月から3月にかけての変化、そのきっかけにZARDの音楽があったということだけでした。それだけで彼女は私にとって特別な存在なのです。

しかし、自分との共通点や学ぶものがなければ、バイオグラフィーに取り上げようとは思わない、その人を選ぶということ自身にすでに何らかの意味がある、ということでしたので、自分なりに帰宅しながら考えるともなく考えていました。まだ少し時間がかかりそうなので、今日はここでいったん置きます。


<素晴らしいスタッフ>
彼女は素晴らしいスタッフに恵まれた
確かにそうだ
視点を変えてみよう
誰もが素晴らしいスタッフに恵まれている

きみがここに来て学ぶべきことを
サポートしてくれるスタッフ
それはきみが日々接している人々だ

どうしようもない
救いようが無い
なんだってこんなやつと

そう思う人こそが
最高のサポートスタッフなのだ
その人を鏡に自分を見ている
その人が課題を見せてくれている



IMG_0511

□◆□…優嵐歳時記(2494)…□◆□

  七色のマーカーで書く春の詩  優嵐

1995年の今日、地下鉄サリン事件が起こりました。阪神・淡路大震災で被災した神戸の街に行っていて、テレビから流れてくる映像に釘付けになったのを覚えています。あの年は震災とサリン事件という稀に見る悲惨な出来事が続いた年でした。そして、あれからわずか16年しかたっていないのに…、と思わざるをえません。

その間も毎年のようにどこかで地震が起こり、2007年の中越沖地震では柏崎刈羽原発が放射能漏れ事故を起こしています。原子力発電をこれまではある程度仕方のないことだと思っていました。車を運転すれば交通事故が起こって、毎年何人かは命を落とす、それと同じことだ、と。しかし、根本的にリスクの性質が違うことに気がつきました。

原子力発電のリスクは、めったに起こらないけれど、ひとたび負の連鎖が始まってしまうと止めようがないスパイラル状態になるという無限大のリスクです。今回の地震は史上最大規模で、誰も予測すらしていませんでした。専門家が大丈夫と保証したところで、起こってしまうときは起こります。だから無限大のリスクはとってはならないのです。


<震災忌>
「震災忌」という季語がある
歳時記では1923年9月1日に起こった
関東大震災の日を示している

しかし
兵庫県に住む私にとって
震災忌はどうしても1月17日だ

東北・北関東の方にとって
これからは
3月11日が震災忌になるだろう

一世紀とたたない間に
三つの震災忌
こういう国土に住んでいることを
忘れてはならない


IMG_0502

□◆□…優嵐歳時記(2493)…□◆□

  うっすらと雪を被りて入り彼岸   優嵐

彼岸の入りの朝は屋根や地面が雪化粧をしていました。正岡子規の句に「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」があります。彼のお母さんがつぶやいた言葉がそのまま句になったそうです。今年は気温の上だけでなく、日本という国にとって大変過酷な彼岸の入りになっています。国の運命を、祈るような気持ちで見守る日が来るなどと想像したこともありませんでした。

誰が悪いとか誰の責任とか、今はそういうことに気持ちを向けたくありません。原発事故がなんとか治まってくれること、被災された方の救援が速やかに進むこと、それらに対してポジティブな祈りの気持ちを持ちながら、日々を暮らしたいと思います。


<卒業のきみへ>
卒業おめでとう
地震のために在校生の見送りはなかったけれど
きみの晴れの日
こんなときの卒業式だから
一番印象に残るものになるだろう

二十年後、三十年後
成長し社会の中核を担っているきみが
この日を振り返って

あの年は大変だったな
でもあれから日本は変わったんだよ
そう胸を張って言えるような国になるといい

日本は大きく変わるだろう
明治維新、敗戦
それに次ぐ革命の時代にいる
新しく生まれる社会を担っていくのが
きみたちなんだ


IMG_0508

□◆□…優嵐歳時記(2492)…□◆□ 

  白線をくっきりと引く春寒し   優嵐

今日は彼岸の入りです。しかし、寒いですね。昨日はお昼に雪が降りました。真冬なみの寒さです。姫路ですらこの寒さですから、被災地はどれほど寒いか、本当にお気の毒です。ニュースを見るたびに犠牲者の数が増加し、さらに、避難している方の数を見ると30万人とあり、これは大津市の人口に匹敵します。

想像を絶する災害なのだということが、こうして離れている身にもじわじわと理解できるようになってきました。ライフラインはそう簡単にもとには戻らないでしょうし…。親戚や知人を頼るのも難しいでしょう。

挙国一致などという戦時中のような言葉が出ていてぎょっとしましたが、確かに「有事」といえば、今が「有事」かもしれない、と思います。ずっと北朝鮮や中国やロシアが攻めてくるといったストーリーがあったかもしれませんが、はるかに強力で容赦ない存在がすぐそこにいたのです。


<日常>
暖かいふとんを出て服を着替え
朝食の準備をするために
冷蔵庫をあける
ケトルに水をいれガスをひねる

今朝は寒い
電気炬燵のスイッチをいれ
パソコンも起動させる
日常生活が始まる

被災地では
これらの「日常」がすべて奪われている
暖かいふとんも着替える服も
電気も水道もガスも暖房も
プライバシーも

なんていうこともないありふれた日常
そう思っていたけれど
これがいかに精緻に組み上げられた
現代社会の産物なのかがわかる

現代文明という繭の中に
すっぽり包まれていればこそ実現する日常


IMG_0449

□◆□…優嵐歳時記(2491)…□◆□ 

  春北風(はるきた)の激しく吹いて列島に   優嵐

16日は北風が強く、時おり霰が舞う天気でした。春に一時的に西高東低の冬型の気圧配置に戻る場合があり、俳句ではこのときに吹く北風を「春北風」と呼びます。17日朝にかけては非常に冷え込む予報になっており、姫路でも雪のマークが出ています。

テレビを持っていないのですが、原発事故が気になってネットのニュースを見て、つい時間が過ぎてしまいます。そして、こういうものをだらだら見ていると良くないと気づきました。状況をある程度知ることは大事ですが、あちこちクリックして見続けてしまうことはよくありません。テレビをやめたのもそれゆえだったのに、同じ事をしてしまっています。

幸いにして今は日常生活を滞りなく送れる場所にいるのですから、自分の生活に集中し、そちらを通常通りきちんと送っていくことが大切です。だらだら見続けたところで、自分にできることは今はないのがはっきりしています。切り替えが大事でしょう。


<今を生きる>
一週間前の今頃
来週どんなことが待っているか
予測していた人は誰もいないだろう

わずか一週間の内に
これほど大勢の日本人の運命が劇的に
変わってしまったことは一度もあるまい

先の敗戦ですらうすうす予感があったはず
ところが今回は
史上最大の地震と津波
さらに原発事故

被災された方の心身の苦痛は想像に余りある
そして
被災しなかった者たちも
何か大きなものをぐううっと飲み込まされた
そんな気がする

明日のことは誰にもわからない
だから今を精いっぱい生きよ


IMG_0498

□◆□…優嵐歳時記(2490)…□◆□

    花巡る虻は手を擦り頭擦り   優嵐

地震の被害状況も痛ましいものですが、その後の原子力発電所の事故から目が離せない状態になっています。国と関係機関の担当者のみなさんが、全力で事態の収拾にあたられているのがわかります。それでも、周辺の住民の方々の心労と不安を思うと、言葉がありません。

今回の事故に関して国と東京電力を責めるのは酷だという話を読みました。確かに一理はあるかもしれません。福島原発の周囲には7mの防波堤が巡らされていましたが、今回の津波は14mの高さでした。こんなことは何千年、何万年に一度あるかないか、というような想定不可能な「ブラック・スワン」だそうです。

ブラック・スワン』を読みましたが、あの中で著者のナシーム・ニコラス・タレブは、金融危機を引き起こす想定外の出来事を「ブラック・スワン」と呼び、こういうものは「果ての国」からやってくるので、通常の統計は何の役にも立たない、と述べています。そして、もっとおおざっぱな「何となく危ない」という感覚を大事にしろ、と言っています。

今回の原発事故は原子力発電という「金融工学」が引き起こしたリーマンショックです。危険物の原子力を細切れにして安全のレッテルを貼って売る「サブプライムローン」だといえます。コンピュータで危険度を計算して、科学技術の粋を結集して強度を計算して、うんぬん、ですが、自然は容易にそれを超えるようなものを生み出してしまいます。

実際、人間の存在自体が自然の産物であると同時に、統計をはるかに超えた「ブラック・スワン」なのですから。統計的に危険を予測することが無意味だとわかった以上、原子力発電所はもはや建設が難しくなるでしょう。電力をどう供給するのか、安全性やコストを考えつつ、真剣に考え直す時期に来たのだと思います。


<愛国心>
愛国心
そういう言葉を誰かからきかされると
何を言っているんだと思っていた
今も強制されるとそう感じるだろう

しかし
津波になぎ払われた街
追い討ちをかける原発事故
災害の中で規律と忍耐を持って行動する人々
それらを見ていると
心に何ともいえない感情が生まれる

負けないで
きっと立ち直れる

地震と津波と台風と豪雪にくり返し襲われる
この火山列島の上で
創意と工夫と勇気でずっと生き抜いてきた
それが私たちだ


IMG_0492

□◆□…優嵐歳時記(2489)…□◆□ 

  穴を出し蜥蜴の胸の鼓動かな   優嵐

蜥蜴(とかげ)は変温動物であるため、冬は体温が下がり動作が鈍くなって冬眠します。春になって気温が上昇すると、体温が上がり外へ出てきます。それが「蜥蜴穴を出づ」として春の季語になっています。同様に「蛇穴を出づ」「蟇(ひき)穴を出づ」というものもあります。

梅林を散歩していたら、ころんと山の斜面を転がり落ちてくるものがありました。近づいてみると、蜥蜴です。まだ冬眠から覚めたばかりなのか動作が鈍くほとんど動きません。身体は土や枯葉と似た保護色で、動かなければ気づかなかったでしょう。

Twitterに写真をアップできるTwitpic という機能があることを知りました。Twitterにはすでに二つのアカウントを持っていて、ひとつには140文字の詩を投稿していたのですが、もうひとつのアカウントの投稿がいまいち手詰まり状態でした。そこで、これに気づきTwitterに『優嵐スケッチブック』の絵をつぶやいてみようと思いさっそくやってみました。114字までメッセージもつけられるようですね。

追記:よく考えてみれば、ブログを書いているなら直接Twitterに知らせることができるのでした(^^ゞ


<シカタガナイ>
シカタガナイという言葉を
消極的なものだと思っていた
もっとポジティブな心の持ちようがあるはず

そうではないのだ
科学技術を結集し築きあげたさまざまのもの
ある日地球が身じろぎをして
海が揺れたらひとたまりもなかった

家々や田畑をひとのみにして
黒い水がごうごうと押し寄せる
誰もがあの映像に呆然としてしまったのは
人間の小ささを痛いほど知らされたからではないか
木っ端のように流されていく家々や車

シカタガナイとは
逃げている言葉ではない
起きてしまったことを受け入れ
もう一度前に進むための言葉
今度もまたそうするのみ


IMG_0486

□◆□…優嵐歳時記(2488)…□◆□

  春光をロードレーサー下りけり   優嵐

真昼は16℃まで気温があがりました。寒い日が続いていましたが、ようやく春らしいお天気です。日差しがまた一段強くなり、風が心地よく思えます。ドライブウェイをロードレーサーで下ってくるグループに会いました。

デジカメ写真の整理用に先日DVD-RAMを購入したのですが、ふとブログのファイルとして保存すればいいのでは、と気がつきました。記事としてアップする必要は無く、単にブログに割り当てられている容量を映像のオンラインストレージとして使えばいいのです。

今、三つのブログをほぼコンスタントに更新していますが、他にいくつも放置状態になっているものがあり、そこのファイル容量は丸ごと使えます。試しに休止状態のライブドアブログのひとつでやってみました。ファイルは100枚まで同時アップロードできますから、それほど手間はかかりません。

CDであれDVDであれ、手元に形として持っていると経年劣化が起こり、読み出せなくなる可能性があります。また記録媒体そのものが進化によって消えていくことも十分考えられます。無料ブログなら、ブログをひとつのファイルとして扱い、倉庫代わりに使えるのではないでしょうか。

ライブドアの場合、ひとりのユーザーで最高10個までブログを持つことが可能です。メインのブログに倉庫が9個附属してくると考えれば、その都度暗証番号を書き込む必要もなく、メインページですべて管理できます。一日平均数枚程度の撮影なら、一年でも2,000枚以下ですので、これで十分「オンラインストレージ」です。


<与えられたものと与えるもの>
鶯が鳴き梅の花が香りを運んでくる
頂から見る播磨灘は春霞のなか
気温があがり
尾根を歩くと肌にあたる風が心地よい

日本列島の東は
地震と津波に鷲づかみにされた
大切な人を失って悲嘆にくれる人
着の身着のままで避難民となっている人

その痛ましい体験に思いを馳せると
のどかな春の景色を楽しんでいるのが
申し訳ない思いがする

けれど
日常生活をいつもどおり続けることが
まず一番の支援だろう

未曾有の災害の中で支えあう人たちの姿
各国から寄せられる支援と連帯の申し出
何ごともなく日常を送れる私たちも
そこから大きな何かをいただいている

私たちはできる
人々は助け合える
どんなときにも

そして
長期に及ぶ復興を支えるのは
傷ついていない部分が蓄えていた力だ


IMG_0480

□◆□…優嵐歳時記(2487)…□◆□

  春炬燵東の空を思いつつ   優嵐

昨日の朝一番にインターネットで地震の映像を見ました。都心のもの凄い揺れにも驚きましたが、心底びっくりしたのは津波の姿でした。空港の滑走路に押し寄せる波、駐車している車をまるで塵芥のように吹き飛ばしながら流れていく波、言葉にもならないその破壊力のすさまじさに、呆然としました。

被害の全体像もまだ確実にはつかめない状況なのかもしれません。津波の被害にあった東北地方の映像では雪が舞っており、電気もガスも止ってこの寒さでは、さらに体調を崩される方もたくさん出るのではないか、と案じられます。


<祈り>
インターネットが伝える大地震の惨状
押し寄せる津波に
車が木の葉のように流される
爆発炎上を続ける石油化学コンビナート
根こそぎにされた街並み

地震は地球の鼓動だ
地球は生きている
それにしても…
そのあまりに大きな力を前にして
自分の無力さを知らされる

何ができるだろうか
力があれば力をかし
時間があれば時間を与え
お金があればお金を提供すればよい

もしそれらすべてを持たなかったとしても
きみは祈ることができる

助けに向かう人々が迅速に行動できるよう
傷ついた人々の心が癒されるよう
亡くなった方々の魂が平安であるよう
祈ろう


IMG_0457

□◆□…優嵐歳時記(2486)…□◆□

  梅林に真昼の雲の往来す   優嵐

三陸沖地震、関東から東北にかけてはかなりの震度だったようですね。mixiで東京在住の方の日記を見たら、余震が凄いようで、びっくりしました。姫路はほとんど揺れませんでした。テレビを持っていないため、ネットで初めて地震を知りました。被害にあわれた方にはお見舞い申し上げます。

金曜日も風が強く寒い一日でした。風が冷たく、三月半ばとは思えないと感じながら歩きました。雲が広がっては離れ、翳っていた梅林に日が差したかと思うと再び翳ります。日の光がめまぐるしく変わるさまは、独得の味わいがあります。

デジカメで撮影した映像を保存するためにDVD-RAMを購入しました。SDカードが512MBなので、CDでもよかったのですが、レビューを読んでいて「もうDVDの時代なんだ」と悟り、DVDを買おうと考えました。ところが、このDVDというもの、流通している規格品だけで何種類もあるのに驚いてしまいました。CDも似たところがありましたが、それ以上です。

いったいどれを買えばいいものやらとあちこち検索して情報を集め、あらためて自分のパソコンについているDVDの表示を見て、どれが使えるのかを考えました。DVD MULTI RECORDERのマークがついていますから、DVD-ROM、DVD-R、DVD-RW、DVD-RAMに対応しています。どうしてこんなややこしいことになっているのか。開発したからには売りたいという気持ちはわかりますが、消費者は迷いますね。


<思い出>
卒業アルバムを最後に開いたのはいつだろうか
結婚式のビデオを最後に見たのはいつ?
初めて我が子が生まれたら
若い父は夢中になって山のように写真を撮る
それらの写真は何度見られただろう

思い出を永遠に残したい
そう願って撮影される映像や動画
そこにほんとうの思い出は残っていない

くり返しよみがえるのは
なんでもない友人のしぐさだったり
新婚生活のふとした驚きだったり
赤ん坊の体温だったりする

思い出は風のようなもの
つかまえて縛り付けておくことはできない
それなのにふとやってきて
心を切なくしてゆく


IMG_0466

このページのトップヘ