優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2011年04月

□◆□…優嵐歳時記(2535)…□◆□ 

  青柳の明るささらに驟雨あと   優嵐

ゴールデンウィーク初日はいいお天気でした。「青柳」とは、新葉を出し始めた柳を意味します。万葉の昔から柳は晩春を象徴する景物でした。平城京にも平安京にも街路樹として柳が植えられており、『古今集』の素性法師の歌、「見わたせば柳さくらをこきまぜて 宮こぞ春の錦なりける」などを見ると、往時の様子がしのばれます。

八重桜、霞桜は咲いていますが、山々は完全に新緑へと移りつつあり、萌え出した木々の新葉が青空に映えてきらめくようです。増位山の頂近くにウツギ(卯の花)らしい木が白い花をいっぱいに咲かせています。『夏は来ぬ』で歌われているように卯の花は初夏を告げる花であり、山のあちこちにそれらしい白い花が見えます。

シャガはどんどん咲きだし、フジも開き始めています。フジは他の木々をよじ登りその枝先に花をぶら下げます。花は咲く前は小さく固めたソーセージのような形をしています。それが開きはじめると甘い香りを放ち、あのように見事な藤房になります。

<新緑へ>
広がり始めた楓の新葉
紅い小さな花をしたがえて
春の日差しをかえしている

萌黄色のその一枚に手を伸ばす
こんなにやわらかなものが
無造作にここにあってよいものか

指先に触れるその感触を
楓は高い幹の上の枝の葉のすべてに
いま持っているのだ

見上げれば重なり合って
小さな新葉たちがさざめきあうように
青空を向いている

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□◆□…優嵐歳時記(2534)…□◆□

  雨近き午後となりたり花楓   優嵐

不安定なお天気でした。午前中に一度驟雨があり、いったん晴れたあと再びにわか雨になりました。あと一週間で春は終りです。夏が近づいている、そういう感じの雨の降り方でした。しかし、気温はあまり上がっていません。この春は震災のこともあり、心理的にも春爛漫という感覚にはなれませんでした。このまま突如として暑くなるのだろうか、と思ったりします。

花楓とは、楓の花のことです。新葉とともに開く小さな紅い花です。花といわれなければ花には見えないかもしれません。楓の若葉は「若楓」といい、夏の季語になります。もう十分に開いていますが、ここは夏になるのを待って詠みたいと思います。

<ノマド>
身辺の不要物を捨て
部屋のすっきり感を持続している

ダイエットと同じで
その状態を維持することが大切
半年以上たち
これが平常のものになった

ものを増やさないことに加え
ものを出して使ったら
それをすぐにもとの場所に戻す

部屋はがらん
明日にでも引っ越せます


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□◆□…優嵐歳時記(2533)…□◆□

  濃き影を成し八重桜満開に   優嵐

ようやく八重桜が咲く頃にふさわしい気温になってきたと感じます。増位山へのドライブウェイの入口に八重桜が数本植えられており、それが今ほぼ満開です。八重桜は五弁以上の花びらを持つ桜の総称です。この花は色がかなり濃く、豊満で重そうに咲いています。

坂井泉水さんの肖像画第14作です。これは4枚目のシングル『眠れない夜を抱いて』(92.8.5)のジャケット撮影時の一枚を参考にしています。カットキャンバスF8(520×450mm)に描きました。線描にはプラチナの筆ぺん静雅と三菱uniプロッキーを併用し、彩色はPILOTクレオロールとサクラクレパスです。


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キャンバスに描くことの利点は、クレパスなどのオイルパステルで描いても彩色をやり直すことができるということかもしれない、と思います。紙の場合は、クレパスで描いたら修正はききません。しかし、キャンバスだと練りゴムで色を修正できます。ただ、キャンバスでオイルパステルを使いこなすにはまだいろいろ工夫の必要がありそうです。


<揺れる>
午後からの雨を予感させる強い風が吹いていた
梅林の東屋に座って周囲の竹林を見ていた
風に身をよじり竹は四方に揺れる

風を受け風を流し風と戯れ
揺れ続ける竹の動きを見ていると
いつの間にか自分も揺れているような気がしてくる

本当は揺れている
すべてのものが
この世のすべてはエネルギーの振動であり
竹も私も空も大地も揺れている

□◆□…優嵐歳時記(2532)…□◆□ 

  熊蜂のホバリングしてゆるゆると  優嵐

昼間は暖かくなってきました。増位山の頂に行くとさまざまな蝶、蜂、虻などが飛び交っています。特に蝶は温度と日差しに敏感です。熊蜂は目にもとまらぬ速さで翅を回転させながら丸い身体を運んでいきます。あの体型であのように自在に飛びまわれるというのは、不思議です。

今日は坂井泉水さんの月命日です。今日も、やっぱり『負けないで』です。YouTubeで探すといくらでもあるといっていいくらい動画があります。




『負けないで』と同様のいわゆる「励ましの歌」はいくつもあります。ただ、この楽曲の歌詞は、やはり別格だと思わざるをえません。ラブソングとしての体裁を持っていますが、サビの部分の歌詞「どんなに 離れてても 心は そばにいるわ」というのは、今になってみると特別な意味が加わっているかもしれない、と思います。

「どんなに 離れてても」は単に物理的に離れているだけではなく、たとえばこの世界とあちらの世界という風にわかれても、と解釈することが可能です。どれほど障害があろうとも、たとえ目に見えない世界に行ったとしても「心はそばにいる」という意味です。

先日、元キャンディーズで女優の田中好子さんが亡くなりました。告別式で、彼女が生前に病床で残した最後の肉声が公開されていました。驚いたのは、彼女がすでに瀕死の状態でありながら、自分のことよりも先に今回の震災の犠牲者・被災者の方たちを気遣われていたことでした。

「私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもそのときは必ず天国で被災された方のお役に立ちたい。それが私の務めだと思います」

テープの声は弱々しいものでしたが、そこには彼女の強い意志、一種の「ノブレス・オブリージュ」とでもいえそうなものが込められていて、感動しました。この世で人々の支持を得て芸能界の第一線で活躍することができた、それを当然のことと彼女は考えず、感謝し、ご恩返しがしたいと思われたのですね。人の心、死を越えてなお生き続ける絆や意志、願い、そういうものを感じました。

「どんなに 離れてても 心は そばにいるわ」というのは、すべての人にあてはまる言葉ではないかと思います。キャンディーズや田中好子さんのファンの方にとって、これからもずっと田中さんはそばにいる存在だし、ZARDのファンの方にとっては坂井泉水さんが同様の存在でしょう。

そして、今回の震災でご家族、恋人、友人、知人など大切な人を亡くされたすべての方にとってもそれは同じではないでしょうか。大切な人は、たとえ目に見えなくても必ずそばにいてくれる、そういう存在になっておられる、そう思います。

□◆□…優嵐歳時記(2531)…□◆□

  時雨去る丘を登れば遅桜   優嵐

車のタイヤを替えました。車の保険の切り替えの時期ですし、もうすぐ税金の時期でもあります。自家用車を持っているとやむをえませんが、一時期に重なると結構な出費です。最近はガソリンも高騰しています。しかし、大都会に住むのでない限り、やはり車は必需品です。

「遅桜(おそざくら)」とは、花時に遅れて咲いている桜を意味します。花見も終り、大方の桜が散ってしまった頃にまだ咲いている桜に、人々はいろいろな思いをこめたものらしく、古くから歌の題材にもなってきました。

ここで詠んでいるのはカスミザクラです。この桜はもともと花期が遅いため、この桜自身では遅れて咲いているつもりは全くないでしょうが、人間の目から見れば、「遅桜」ということになりますね。


<霞桜>
霞桜が咲きそろってきた
細身の枝にぽつぽつと霞のような花が咲く
ぎっしり花を咲かせる染井吉野などとは
随分おもむきが違う

世間はお花見のシーズンを過ぎ
野山も新緑へと向かう
そんなとき人知れず山の中で
清楚な白い花をつける桜

控えめで内気な印象
どことなく寂しげな気配すらある
けれど
霞桜の紅葉は桜の中でもひときわ美しい


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□◆□…優嵐歳時記(2530)…□◆□ 

  ひと雨の去りて鮮やか木の芽山   優嵐

日曜の午前中は雷雨があり、午後もまたにわか雨があって、なんだかおかしな天気でした。桜が終わる頃にはもう暑さを覚えることが珍しくないのですが、今年はなかなか寒さの気配が退かない感じがします。あまり寒がりではないのに、ひざ掛けが欲しいような気温です。それでも山は萌え出した新緑で目の覚めるような色になっています。

このところ毎日絵を描いています。こんなに絵を描くのは子どものとき以来です。いろいろな画材を組みあわせて使うのが面白く、今は筆ぺんで描くのが気に入っています。筆ぺんとひとくちに言っても、非常に多くの種類があり、製品によって書き味が大きく違います。私が今使っているのは、100円ショップで偶然見つけたプラチナの筆ぺん静雅です。

あまり筆ぺんらしくないところが逆に私にとってはよくて、これで線描きし、そこに彩色しています。これは顔料インクなので、乾くと水に溶けません。文房具店で他のメーカーの筆ぺんも試してみましたが、今のところこれがベストです。


<狩人の末裔>
人間は狩猟採集から農耕へ進化したのではなく
やむをえず農耕へ落ち込んだのだそうだ
だから人は今も狩猟採集を志向する

集中力は長く続かず
くり返し同じことをすると飽きてしまう
目新しいことが好きで刺激を求め続ける

豊かになった人類は農耕をはずれ
はるか昔の祖先の行動に戻ろうとする
旅行、スポーツ、ゲーム、ショッピング、ギャンブル…
娯楽のほとんどは擬似的な狩猟採集行動だ

獲物を狩り焚火の周りで歌い踊り
物語に聞き入って目を輝かせた
それが人類の遺伝子に組み込まれた駆動力だとしたら

眉間にしわを寄せることなんてやめよう
おもしろいことを求めて走り出せ


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□◆□…優嵐歳時記(2529)…□◆□

  雨風の強き夜明けの残花かな   優嵐

桜の時期の終りにはいつもこういう少し荒れた天気の日があります。昨日は午前いっぱい強い雨が降りました。こちらの桜はこれで終りですが、岩手県の被災地で桜が満開になっている様子をインターネットで見ました。瓦礫の中でそこだけぱっと光が当たったように華やかです。被災地はまだ復興とは程遠い状態でしょうけれど、桜はきっと現地の方たちに励ましを届けてくれているものと思います。


<千秋楽>
風雨の強い朝
桜は花を散らし続けた
雨の舗道に花びらと蘂が降りしきる

これで本当に終りだな
そう思って桜を見上げる
桜はすでに緑の葉を茂らせて
嬉々として雨を受けているように見えた

一年に一度の晴れのステージを無事終えて
楽屋に戻った大スター

夜来の雨のシャワーを浴び
清々しい表情でくつろぐ
安堵の表情がそこにある


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□◆□…優嵐歳時記(2528)…□◆□

  春落葉降る音森に続きおり   優嵐

落葉樹は晩秋から初冬にかけて葉を落としますが、椎、樫、檜、楠などの常緑樹は晩春に葉を落とします。落葉樹は今が芽吹きの時期であり、森は鮮やかな若い緑の色に染まっています。その中でひっそり常緑樹の葉が交代しています。初冬のように木枯しが吹いておびただしい落葉というわけではありませんが、これはこれでまた風情があるものです。

随願寺の境内でシャガが咲き始めたのをみつけました。アヤメ科の花で、ちょっと日影になった森の端や竹林のそばなどで咲いています。あまりメジャーではないものの、清楚な雰囲気を持っていて、私は好きです。


<若楓>
雨が降り始めた森へ出かけた
萌え出した緑が雨に映えみずみずしい

梅林のかたわらで
楓が若葉を広げはじめていた
日差しがないのに
はっとするほど広場が明るい

太陽の光をいっぱいに浴びるため
楓は枝を伸ばし
もっとも光を浴びやすい位置へ
その葉を並べていく

枝はこんなに下にあっただろうか
それとも
葉の重みでしだいに下がってきているのか

ふふふ、気がついた?
楓がそう言って笑っているかもしれない


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□◆□…優嵐歳時記(2527)…□◆□ 

  正面に散る桜見て座りおり   優嵐

桜といってもいろいろあります。園芸品種には二百以上の種類があるようですが、注意してみているとヤマザクラ以外にも野生の桜が周囲にあることに気がつきます。オオシマザクラよりもさらに咲くのが遅いカスミザクラらしい樹を見つけました。

以前からその樹のかたわらを通りながら、樹の肌は桜のようなのにヤマザクラが咲くころになっても全く咲く気配がないので不思議に思っていました。種類が違ったのです。最も遅咲きのもので、四月終りから五月初めにかけて咲くと図鑑にはありました。花は小さく、こじんまりしています。随願寺の庫裏の前には冬中咲いていて今も花をつけている桜があります。正式名称はなんというのかわかりませんが。


<揺り籠>
視界全体を覆うほどの桜の前に座って
桜が花びらを散らし続けるのを見ていた

風というほどの風もないけれど
空気の流れに乗って
ゆらゆらとゆれるように花吹雪が降り注ぐ
それをずっと見ていると
不思議な境地に誘われる

これと似ているのが
竹林の動き
打ち寄せる波
ゆらめく炎

規則的でありながら
機械的な規則性ではなく
ゆるやかにたゆたうように
くり返しくり返し

人の生理的なリズムはこういうもの
自然が持っているリズムがそうなのであり
ヒトも自然の中から生まれたものであれば
それが心地よい揺り籠になる


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□◆□…優嵐歳時記(2526)…□◆□ 

  山の色溌剌として穀雨かな   優嵐

穀雨の昨日は少し気温が低かったものの、まずまずのお天気でした。森を散歩しているとオオルリらしい野鳥を見ました。瑠璃色をした美しい鳥で、夏鳥として日本にやってきます。森では野鳥の囀りがさかんに聞こえます。しかし、今年はあまりウグイスの声を聞かない気がします。

デジカメの画像をDVD-RAMに保存しました。CD-RWのように書き込み用のソフトがいらず大変簡単でした。こういうもの、どんどん大容量で、価格が安く、使い勝手がいいものが出てきますね。


<梅をめぐる季節>
梅林のまわりの山桜は
一本を残してほぼ葉桜になった
それでも最も遅く咲き始めた八重の紅梅は
まだ花を咲かせている

一番初めに咲いたのは別の八重の紅梅だった
その樹のそば近くよって見上げると
花の跡に小さな梅が生まれていた

まだりんごの種ほどのもの
梅雨を迎えるころにはこの梅が丸々と太る

収穫を終えた梅は
真夏の太陽の下で花を咲かせる準備をする
花は次の早春に香り高く開き始める


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