優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2011年04月

□◆□…優嵐歳時記(2525)…□◆□ 【春の海】

  釣り人を並べて光る春の海   優嵐

今日は二十四節気の「穀雨」です。昨日はお昼ごろから雨が降ったりやんだり、気温も低くちょっと遅めの花冷えという感じになりました。周囲の山からはほぼ桜の色が消えました。これからゴールデンウィークごろまでの山は日ごと萌え出した若葉の色でめざましく変わっていきます。生命のエネルギーに溢れたその色を見るのが好きです。

今日の句は日曜日に見た須磨海岸の様子を詠んだものです。JR線は明石から須磨にかけて海沿いを走ります。日曜日は暖かくいいお天気で、大勢の釣り人の姿が見えました。明石海峡大橋、淡路島、沖をゆく船などいつ見ても何度見ても飽きない光景です。


<リスク>
原子力発電と火力発電を
航空機事故と自動車事故のようなものだと
言った人がいる

ひとたび事故が起こると
航空機事故は大ニュースになる
しかし世界中で亡くなる人の数は
圧倒的に自動車事故が多い

二つの発電方法も同じだ
原子力発電には放射能というリスクがある
火力発電をおこなうためには
地下資源を掘り出す必要があり
その過程で多くのリスクがある

炭鉱の落盤事故、原油流出事故
環境汚染、化学物質による疾病の危険性
それらを総合して原子力発電と比較したら
果たして人類にとってどちらが危険か

これを判断できる基準は無い
客観的な数字というものは無いからだ
科学的根拠も結局現時点での推察にすぎない
何をより「危険」とみなすかは人それぞれ

発電は安定したものでなければならない
私たちは電気によって生きているのだから
もし発電が不安定になれば日本列島で
一億二千万もの人間が暮らしていくことはできない

電気によってものを作り
それを売って食糧を買っている
電気によって公衆衛生を保ち
医療・福祉・教育をおこなっている

福島原発の事故によって喉元に
つきつけられているのはこの事実だ
リスクのない発電は無く
発電の無い現代社会は無い

原子力発電に封印をすることによって
私たちは次にどのようなリスクをとるのかを
考えなければならない
その道はとても細く険しい
しかし後戻りは出来ない


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□◆□…優嵐歳時記(2524)…□◆□

  山の端に朧月ある家路かな  優嵐

日曜日は満月でした。家に向かって歩いていると、東の山から満月が昇ってきました。大気は水蒸気を多く含んでおり、満月の輪郭はぼおっと霞んでいました。こういう月を朧月と言います。日が長くなり、まだ少し明るさの余韻が残る中に昇る朧月、春の宵らしい景色でした。

月曜はお昼ごろから雨がぱらつき始めました。午後はしっかり降って、これで桜は完全に終りです。大阪では造幣局の桜の通り抜けが始まっていました。姫路でも間もなく八重桜が咲きだします。そして、新緑が萌える季節が始まり、ゴールデンウィークがあければ暦のうえではもう夏です。


<筆ペン>
筆ペンという筆記用具を発明したのは
もちろん日本のメーカーだ
まるであんぱんかカレーうどんである

筆ペン誕生の背後には
日本人の「毛筆好き」ではなく「毛筆離れ」があった
ペンのように手軽に筆文字が書けるものはないか

万年筆の先に筆を取り付けるという発想から
筆ペンは誕生した
この世に新しいものはなく
あるのは新しい組み合わせだけ

組み合わせられるものは常に
見つけられることを待っている


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□◆□…優嵐歳時記(2523)…□◆□ 

  快晴が残る桜に広がりぬ   優嵐

日曜は快晴でした。山々から桜色が徐々に少なくなっており、変わって芽吹いた若葉の色が目立つようになりました。その上に広がる真っ青な空、気持ちのいい朝でした。アートワークのために大阪へ行っていました。四月から新年度になり、新しいテーマが始まります。

午前中は昨年度の最後の三ヶ月におこなったバイオグラフィについてお互いの経験をシェアしあいました。私は先月が発表だったので、その振り返りもおこないました。他の方の振り返りも聞きながら、人はいろいろなんだなあとあらためて思いました。

今更そんなこと、と思いますが、こういうことは何度もくり返し落とし込んでいかないと、つい忘れます。いえ、忘れない人もあるのかもしれません。そんなことは自明の理である、とわかっていて日々行動に反映させているという人も。しかし、私の場合は違います。

人間(私)は自分の視点というものしか持てません。そして、ついそれがあたり前のことになってしまうのです。「自分はこう思う、こう感じる」、そこから「だから他の人もこう思い、こう感じるだろう」、と飛躍してしまうのです。そして誤解が生まれます。

思春期のころ、人間は結局一人一人が別の金魚鉢に閉じ込められているようなもので、他の人のことは決して理解できないのだ、と気づいて驚いたことがあります。どれほど愛し合っている、無二の親友である、といっても、相手の頭脳で考え、相手の心で感じることはできません。

また人は常に変化しています。だから常にすべての場合にあてはまる公式などというものはなく、それは自分自身にさえ言えることです。3年前の自分と今の自分は違うし、3年後の自分ともまた違っています。

これからの三ヶ月は「ステップワーク」として、エリザベス・キューブラー=ロスが提唱した「死の受容の五段階」についてアートワークを行います。これは、不治の病を宣告された患者が辿るといわれている心理過程を「否定→怒り→取引→鬱→受容」で表したもので、これは死に限らず、あらゆる喪失を受け入れる過程で人が辿る心理状態だと言われています。

日曜はこのうちの否定と怒りについて絵を描きました。まず、「否定」ですが、私は赤と黒の二色で塗り分けた観音開きの扉がぴしゃっと音を立てて閉まっているところを描きました。とりあえず今直面している大変なことをシャットアウトしたい、落ち着いたら扉を開けて向こうをのぞいてみよう、というわけです。

次の「怒り」の方が描くのはやや難しい感じでした。本当に怒りを感じると、私の場合、怒りに燃える、というよりはしーんと冷える感じです。そこで、青い水面の上に赤い稲妻のようなものが出ている絵を描きました。しかし、この稲妻に関しては、「怒りとはこういうものだろう」というイメージが勝っていたように思います。

また、最近はあまり怒りを感じることがなくなっているという事実もあります。これは2009年の春以来劇的に変わりました。怒りを覚える人は、外から何らかの力によって自分は怒らされていると思いこんでいるのですが、実は違います。その人は怒りたいから怒っているのです。

ブッダはその教えの中で「怒らないこと」を最重要項目にあげています。私は別に熱心な仏教徒ではありませんが、これは何かわかるような気がします。怒りは相手に向くだけでなく、自分自身をも焼き尽くす煩悩の炎です。怒りという馬車の手綱をしっかりと握り、それを制御しなさい、とブッダは言っています。大半の人はただ馬車に乗せられて、それが好きなように走るままにしているのです。


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□◆□…優嵐歳時記(2522)…□◆□ 【花屑】

  散り敷ける花屑踏んで山路ゆく   優嵐

里のソメイヨシノは葉が目立ってきました。増位山梅林にあるヤマザクラの大樹の一本は今が満開です。もう一本は落花さかんという時期で、巨大な張り出し屋根のような枝から絶え間なく花びらが降ってきます。ヤマザクラの花びらはソメイヨシノより小さく、色もほぼ白であるため、「花吹雪」という言葉がいっそうぴったりします。

そろそろ満開になろうとしている桜にオオシマザクラがあります。こちらは花と同時に緑の葉が出ます。花が白いため、桜色というよりは緑色の印象が強い桜です。


<花>
山桜の大樹はいま満開の頂点にいる
ときおり野鳥を出入りさせながら
真昼の日差しを全身に浴びている

春風がかすかに枝を揺らしていく
山桜はただ静かに
花をつけているだけなのだが
真正面に座って花を見上げていると
どこか遠いところへ誘われる

そこはすばらしいところ
かつて自分が後にしてきたところ
やがて戻るところ
そうに違いない


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□◆□…優嵐歳時記(2521)…□◆□ 

  快晴の空へ小楢の芽吹きける   優嵐

コナラが芽吹き始めました。芽吹いてしばらくの間、若葉は銀色を帯び、遠くからでもそれとはっきりわかります。この渋い色合が好きです。すぐに普通の若葉の色になってしまいますが、このほんのひとときの銀色は見逃せません。

カエデも芽吹き、小さな葉を広げ始めました。最初からあの形をしており、カエデの場合は完全に広がった後の若葉の色の美しさが格別です。花では、コバノミツバツツジがぞくぞくと咲きだしています。頂のまわりもこの赤紫色に彩られています。


<サヨウナラ>
昼前から雨になった
強い降りではなかったけれど
桜は落花を急いだ

駐車場も車もあらゆるものが
散った花びらをつけている
花びらは花屑という風雅な名前を持つ

二週間の華やかな桜の季節は終わる
また来年
それまでサヨウナラ


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□◆□…優嵐歳時記(2520)…□◆□ 

  のどけしや亀ゆっくりと浮かびおり   優嵐

春もたけなわのころののんびりと穏かな感じを表した季語に「長閑(のどか)」「のどけし」「のどやか」「駘蕩(たいとう)」などがあります。桜は満開、風も穏か、昨日はそんな一日でした。

震災から一ヶ月がたちましたが、アメリカでは「鶴を折る」という支援活動が広がっているそうです。プリンストン大学に通う日本人の女子学生が100万羽の鶴を折ることを目標に活動を続けているとか。彼女は四歳でアメリカに渡り心理的にはアメリカ人とほぼ変わりません。

この活動、多くのアメリカ人の心を動かしているようです。なぜまた鶴なのか、食べものでもお金でももっと「役に立つ」ものがあるだろうに、と疑問に思った在米日本人ジャーナリストが取材した記事を読みました。

アメリカ人よ、なぜ鶴を折る(日経ビジネス)

この背景には「原爆の子」として知られる佐々木禎子さんのお話があります。彼女は2歳のときに広島で被爆し、11歳のときに白血病を発症。元気になって退院できることを夢見て、千羽鶴を折り続けましたが、1年後に亡くなりました。このエピソードをアメリカ人作家のエレノア・コア氏が「Sadako and the thousand paper cranes(禎子と千羽鶴)」という物語にしました。本の中で彼女は644羽を折ったところで息を引き取り、友人たちがその思いを引き継いで残る356羽を折りあげます。

このお話は全米の多くの小学校で副読本になり、読まれ続けています。ここから折鶴は「困難に立ち向かう姿」「信じる力」「友との支えあい」といったイメージに結びつくものとなっています。日本という国だからこそ折鶴と考えられたのかもしれません。鶴を自らの手で折ることによって「何か行動で祈りを届けたい」というアメリカの方たちの心も表れているようです。

お金や食べものも確かに有効ですが、こうした「気持ち」の援助も、とてもうれしいものですね。こうした心があってこそ、その先に通じるものがある、と思いますから。


<春の日>
山桜の大樹が満開になった
足元にはまだ紅梅が花を咲かせている
桜色と紅色の上に
浅葱色の春の空が広がっている

みんなやさしく淡い
明るく健やかなのだけれど
強く自分を主張する色はない

その真ん中に座って
しばし
あるかなきかの春風に吹かれている


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□◆□…優嵐歳時記(2519)…□◆□ 

  本堂は開け放たれて桜かな   優嵐

今回の震災で日経平均が暴落し、オプションの売りポジションをとっていた人が数億円単位の損失を出したという話を以前書きました。オプションの売りというのは、利益限定、損失無限大です。それなのになぜそんなポジションを取るかというと、ほとんどの場合利益になり、損失は滅多にないという性格にあります。

この話、なんだか原子力発電に似ていると気がつきました。クリーンなエネルギーで、二酸化炭素を出さず、経済的にも見合う、というのが原子力発電をPRするときの決まり文句でした。「ほとんどの場合利益」ですね。しかし、今回の震災のようなことになると、「滅多にないが損失無限大」です。

福島原発の廃炉に今後長ければ100年かかるという試算が出されていました。今生きている人の大半がもうこの世の人ではない時代まで、この原発の負の遺産が残り続けるのです。被災地周辺の方は故郷に戻ることさえできず、物心両面の損失は数字にできないほど大きなものだと言えます。

今回の事故を見ていて、原発はいったん大事故になれば、一民間企業どころか一国の信用さえ吹き飛ばしてしまいかねない存在だということを痛感しました。長い時間をかけて培った「安心・安全・高品質」という日本ブランドが、この事故でどれほど傷ついたでしょう。


<暗黙知>
韓国のスーパーで
アサヒスーパードライは
韓国製ビールの倍の値段にもかかわらず
とてもよく売れているという
なぜ売れるのか誰も理由がわからない

その違いは「形式知」ではない
形式知は数字や文章ではっきり示せるものだから
機械ならば形式知だけで差を出せる
ところが人間はそうではない

人間には「暗黙知」がある
本当の差は暗黙知が生み出すものだ
震災の直後日本人の示したモラルが
世界の人々に驚きをもって迎えられた
なぜそんなことができるのか

日本人ならそれを尋ねられても答えに困る
そういうものだからそうなってしまう
そうとしか言えない

そうとしか言えないところが
日本人の暗黙知であり
誰にも真似できない日本人の強み


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□◆□…優嵐歳時記(2518)…□◆□

  花吹雪浴びつつ山路歩きけり  優嵐

今週に入って少し気温が下がり、風も冷たく、花冷えになっています。それでも桜は場所によってはもう散り始めています。山道を歩いていると白い花びらが降ってきて、見上げるとその先にヤマザクラがあったりします。花がなければなかなかそれと気づかないものですが、この時期は毎年こんなに桜が山にあったのかと驚きます。

梅林の周囲にある数本のヤマザクラの大木も徐々に花を開いており、山頂から下ってくると、樹間に白い小山のような花が見えます。これはなかなか圧巻です。ソメイヨシノは花の色や咲く様子は華麗ですが、寿命が短いため、こういう圧倒的な大きさにまでは成長しません。各地で「○○桜」と名がつくほどの大樹はほとんどがヤマザクラだと思います。


<春宵>
満開の桜が薄墨色に染まるころ
西の空も宵の桜の色になる

朝の桜はすがすがしく
昼の桜ははつらつと
夕の桜はなまめかしい

桜の花満つ夕暮れ時
空に上弦の月が輝きはじめる


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□◆□…優嵐歳時記(2517)…□◆□

  陽を受けて森に鮮やか藪椿   優嵐

増位山ではヤブツバキがたくさん見られます。代表的な照葉樹のひとつで、この時期は鈴なりになるほど紅の花をつけています。光を反射する濃い緑の葉と花の色のコントラストが鮮やかで、梅や桜とはまた一味違う花の魅力をみせてくれます。

昨日は午後に雷が鳴り、少し雨が降りました。夏の雷雨のような激しいものではなく、雷鳴は二度ほど控えめに鳴っておさまりました。雨も地面がしっとり濡れた程度で、満開の桜を散らすほどには降りませんでした。ソメイヨシノは花吹雪になりはじめており、今度本格的な雨が降ったら花は終りだろうと思います。


<生きること>
小学生のころの僕は心臓に難病を抱えていた
両親も友だちもみんな
誰もが僕を恐る恐る扱った
僕自身すらそうだった

心臓がどきどきするんじゃないか
息があがって苦しくなるんじゃないか
死んでしまうのじゃないか

けれどあのとき出会った先生は違った
---死んだら死んだでええやないか
---お前がやりたいことをやりたいようにやって
それで死んだらそれはそれで仕方ないことや
先生はそう言った

そのとおりだった
僕は階段をのぼった
恐ろしいと思って逃げるから
それがさらに恐ろしいものになる

成人することは難しいといわれた僕が
もう三十歳を超えた
やりたいことをやれ
そう言ってくれた先生

僕は今日花束を持って先生のところを訪ねる
先生は今日で定年退職だから
僕に生きることを教えてくれた先生
ありがとうと伝えたい


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□◆□…優嵐歳時記(2516)…□◆□ 

  花満ちて風を含みて揺れにけり   優嵐

桜がほぼ満開です。単に花といえば桜を意味します。もったいないほど山にも里にも桜が咲き誇っています。少し咲き始めるのが遅かったので、開花の進みは早く、散るのは例年と同じくらいの時期になりそうです。このあっという間に咲いて散るというのが桜ならではの魅力でしょう。惜しむ心をかきたてます。

震災から今日でちょうど一ヶ月です。まだ避難されている方が十五万人あり、原発事故も長期化しそうです。そろそろ福島では桜が咲き始めているでしょうか。無人となった避難地域で、それでも桜は咲き始めているのだろう、と思うと、なんともいえない気持ちです。

YouTubeでこんな動画が出ていました。スウェーデンのアーティストの方が日本語でラップを歌い、義援金を集めてくださったようです。日本語がちょっとぎこちないところがなんとも微笑ましくありがたく感じられます。





世界中の人が大変な額の義援金を寄せてくださっていますが、中でも台湾からの義援金は100億円を超えていて、人口規模からいうと桁外れです。金額の多寡だけではなく、その気持ちがとてもありがたい、と日本人のひとりとして思います。何とか原発事故が収拾し、復興に向けて一歩踏み出せるよう祈りたいですね。


<芸術>
その作曲家は
二重合唱のためのラテン語のミサ曲を作ろうとしていた
ところがどうしても音楽が浮かんでこない
悩んだ彼はフランスの片田舎を旅することにした

八月のうだるような夕べ
宿のベッドに横になった彼の耳に
夕方の礼拝を告げる教会の鐘の音が聞こえてきた

やがて別の教会の鐘も鳴り始め
さらに谷向こうの教会からも鐘が聞こえてきた
重なりあい響きあう鐘の音に彼は耳を傾けた

鐘が鳴りやんだとき
彼はミサ曲ができあがっていることに気がついた
そっくりそのまま
あとは楽譜として書き取るだけ

彼は村の小さなレストランにかけこんで
ワインと料理を注文し五時間半楽譜を書き続けた

芸術とは創作だと思われている
しかし実はそうではないのかもしれない
真の芸術は作り出すものではなく
何かに耳を傾けることなのだ

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