優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2011年04月

□◆□…優嵐歳時記(2515)…□◆□

  終日の雨に煙りて嶺桜   優嵐

姫路ではヤマザクラが最盛期です。周りの山々は山肌のあちこちで桜が花開き、華やかです。ヤマザクラはソメイヨシノよりさらに花の色が淡く、そばで見るとほとんど白に見えます。それなのに、遠目に見るとあの桜色。花と同時に出る葉が最初は濃いレンガ色をしているせいか、とも思います。

ソメイヨシノのように一斉にわっと咲くわけではなく、同じ場所にある木でも微妙に時期がずれるため、遠くから見るとそれが桜色のグラデーションを作っていて、独得の趣があります。増位山梅林にあるヤマザクラの大木も花を開き始めています。梅はまだ満開のものがいくらかあり、梅と桜の競演が楽しめそうです。

桜が咲き始めて急激に気温があがり、暖房器具はすべて片づけました。すぐに半袖の季節になりそうです。立って生活するという試みもこたつがなくなりましたので、これから本格化します。


<カオス>
金融学では市場は正規分布に基づくとして
急騰や暴落を「異常値」として捨て
ベルカーブの中でリスクコントロールを行う

それはどうやら間違っている
その間違いはたまにしかおこらないが
起きたら最後市場はひっくり返る
「異常値」はベルカーブの外側に潜んでいて
ある日突然巨大な姿を現す

市場の振る舞いはベルカーブではなく
ベキ法則によって動く
バブルや恐慌はその落とし子
そこを支配するのは予測不可能性
静穏な海が一瞬にして津波へと変わる

ベキ法則が支配する場所では
細かな計算は通用しない
そこに姿を現すのはカオスだから

先端技術の粋を集めた原発が
機能不全を起こして暴れ始めた時
登場したのは放水と新聞紙とオガ屑と入浴剤
最初からそのレベルで考えておくことだ

原発の安全性はベルカーブでは保証できない
ベキ法則の中でリスクコントロールは不可能
別の道を探るときだ


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□◆□…優嵐歳時記(2514)…□◆□ 

  ゆらゆらと黄蝶おのが影を連れ   優嵐

大きな余震がありましたね。また犠牲者がでたほどの余震に驚きました。本震があれだけ大きかったわけですから、余震も巨大なものになるのでしょう。東北では原発が緊急停止したとか冷却が中断したとか、読むだけでどきっとするようなニュースが並んでいました。

日本列島は現在地震が活発化する時期に入っているそうです。阪神淡路大震災と今回の震災との間に16年の間があったことは、不幸中の幸いとすら言えるように思います。この先、東海大地震、東南海大地震、南海大地震など、巨大津波を引き起こしそうな地震として専門家が指摘しているものがいくつもあります。

さらにこれらが続いてほぼ同時に起こる連動型震災も、1605年の慶長地震、1707年の宝永地震のような例があり、いずれも二万人前後の死者が出ています。今回の震災は日本を根底から変えるだろうと思いましたが、原発事故が加わったことにより世界史、人類史の上からも、とても大きな出来事になりそうです。

原発の事故は単に一国のことに留まりません。日本のような地震多発地域に原発を建設する危険性に世界中の人が気づいたでしょう。ドイツが脱原発を目指してエネルギー政策を転換しました。フランスのように原発依存度の高い国や、これから原発をどっさり作って経済成長に間に合わせようとしている中国やインドといった国はどうするのでしょうか。


<新しいドア>
現生人類はすべて
大昔に人類発祥の地である東アフリカを出た
一握りのグループの子孫だという

彼らはなぜ生まれ故郷の地を捨てたのか
希望に燃えて新天地を目指したとは思えない
何かがあったのだろう
その土地にいられなくなるような何かが

天変地異か
争いに敗れたか
いったいこれからどうなるのか
不安にかられながら新しい土地へと
逃れたのではないか

彼らの脱アフリカがなければ
人類は地球のすみずみまで広がり
これだけの多様性を獲得することは
なかったかもしれない

そのとき最悪に思えたことが
大きな飛躍への扉であることは珍しくない

新しいドアは開いている
どれほど困難に思えようとも
後戻りすることはもうできない



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□◆□…優嵐歳時記(2513)…□◆□  

  西行の歌碑に吹き来る桜東風   優嵐

昼間の気温は20℃を超え、桜の開花が進んでいます。このころに吹く春風を桜東風(さくらごち)といいます。風まで桜色をしているような、いい言葉です。気温があがると蝶が活発に飛び交うようになりました。随願寺の本堂前のソメイヨシノも咲き始めています。梅林のまわりのヤマザクラも咲く寸前という風情です。

震災の犠牲者で身元が判明した方の名前をネットで見ました。ぎっしりと名前が書かれたページをスクロールして、あらためて、こんなにも大勢の人が一瞬にして亡くなったのか、とその数の凄さに驚きました。単に数字として聞いていたのと、実際に名前を見るのとでは実感が違います。ご冥福をお祈りします。


<豆苗(とうみょう)>
豆苗を買って炒めて食べた
水を張った器に切り落とした根の塊を入れた
翌朝そろって切り口に水滴
一日で器の水が半分になった

二日目
一本の豆苗が頭をもたげてきた
午後にはぐんと首を伸ばし
隣からもう一本も様子をうかがう

三日目、四日目
小さな芽がぞくぞくと出てきた
一日一度水を入れ替えるだけで
最初の豆苗はもう10cmほどの背丈になった

根があって種があって水があれば
何度でもよみがえる


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□◆□…優嵐歳時記(2512)…□◆□  

  さわさわと竹の触れ合う春の昼   優嵐

桜が咲き始めて気温が上がってきました。晴天が続き、日差しが強くなっているのも感じます。今年の桜は一気に開いてさっと散りそうな気がします。桜は一日の間でさえ開き具合が変わっていくのがわかります。その素早さが桜の魅力でもあるのですが。

坂井泉水さんの肖像画第13作です。これは2枚目のシングル『不思議ね…』(91.6.21)のジャケット写真を元にしています。ボーカルブース内で歌詞をチェックしているところを撮影されたようです。


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マルマン画用紙厚口F6(407×320mm)を使用。今回も線描の主なところにプラチナの筆ぺん静雅を使いました。花を描いたり、こうして肖像画を描いたりしているうちに影の部分にはできるだけ黒を使わない方がよさそうだと気がつきました。色彩の濃淡で影を印象付けることを心がけて描いています。彩色はクレオロールとクーピーペンシルです。


<物語>
福島原発の事故の後
メディアに流れる人々の反応を見て気づいた
人は「科学的事実」に基づいて行動するわけではない

完璧に客観的な「科学的事実」というものは無い
人は物語を生き
物語に基づいて行動する

数字をあげようと統計を使おうと
客観的事実というものを人間は見ることができず
その人が事実だと思っているものは
その人が見ているひとつの物語だ

宗教や思想は物語そのものであり
科学は物語の脚注
大勢の共感を得られる物語は
世論を動かし世界を動かしていく

□◆□…優嵐歳時記(2511)…□◆□ 

  夕空に清明の月細くあり   優嵐

昨日は二十四節気の清明でした。旧暦三月三日にあたり、夕暮れ時に西の空を見ると、三日月が細い姿を見せて浮かんでいました。咲き始めたソメイヨシノと月、美しい情景です。被災地にもこの月が出ているのだな、と思いました。

晴天が続き桜が開いています。山も里も桜色に染まる季節です。今日は「城の日」で、姫路城では例年さまざまなイベントが開かれます。しかし、今年は修理中であることと、震災の影響もあって人出は少ないかもしれません。

今日は坂井泉水さんの誕生の「日」です。今日取り上げるのもやはりZARDの『負けないで』です。昨年のバンクーバーオリンピックでNTTドコモの応援ソングとして使われましたが、それを編集して『負けないで チームJAPAN』として動画にまとめておられる作品を見つけました。著作権の関係から動画はすぐに削除されてしまうかもしれませんが、いただきました。





今のこの状況でこれを見ると、バンクーバーオリンピックの時とはまた全く違う感じになります。大勢の人が集まってきて歌ってくれるというのが、まるで世界中から日本に寄せられている声をそのままあらわしているようで、不思議な感覚を覚えます。

今回の震災は、地震、津波、原発事故という未曾有の出来事です。あの日からいろいろ考えたり思ったりしていることは、まだまだ言葉にはしきれません。日常生活にほとんど影響を受けていない私のような人間でさえこうですから、被災地のみなさんの衝撃の深さ、大きさはとても想像できません。

原発事故はまだ収束していませんし、その近辺では遺体の収容もままならないとの報道には心が痛みます。亡くなられた方はもとより、ご遺族の心中はいかばかりでしょうか。失ったものの大きさはまだ測りかねるほど大きいのですが、今はやっぱり『負けないで』です。そして、その中から少しずつ新しい日本が姿を見せてくれることを願っています。

□◆□…優嵐歳時記(2510)…□◆□ 

   頂の三角点に蝶降りぬ   優嵐

快晴でした。開き始めた桜に日差しが明るく、気温があがりました。蝶や野鳥の動きも活発になり、薄手のフリース一枚で散歩をしても平気でした。昨日、風があったせいか空気が澄み、増位山の頂からは淡路島と四国を見渡すことができました。周囲のヤマザクラがぽつぽつと花開き、薄紅色に山肌を染めています。

麓ではソメイヨシノがちらほら咲きです。山上の随願寺境内では、蕾がいっぱいに膨らんで木全体がほんのり紅潮しているように見えます。何か初々しい雰囲気でいいものです。梅林の周囲のヤマザクラはまだ咲いていません。ソメイヨシノと異なり、木によって開花に少し遅速があります。


<いつかは>
その日一番大事だと思うことから
一日を始めるようにしている
津波が押し寄せる映像を見て
この世の営みのはかなさをあらためて知った

明日も明後日も三年後も十年後も
あなたは生きていると思っている
だからなんだかわけのわからないことに
日々を費やしてしまう

いつかはここから去らねばならない
そしてそれがいつかは誰にもわからない
そのことを肝に銘じていたい


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□◆□…優嵐歳時記(2509)…□◆□

  青空を斜めに切って初燕   優嵐

四月になって、桜が咲き始めたと同時にツバメも姿を見せてくれました。どちらもそろそろ来る、と思って毎日心待ちにしていました。ツバメはこれからほぼ五ヶ月間日本にいて、雛を育てます。あの軽やかな颯爽とした飛翔はツバメならでは、です。

今年は震災のことがあり、彼らの姿を特に感慨深く見ました。人はさまざまなことで喜んだり悲しんだりするわけですが、季節は同じように移り変わっていきます。自然は何も言いません。しかし、何も言わないからこそ、それに人間は癒され励まされるものだ、と思います。


<発電所>
今あなたは幸せかとたずねられて
今の日本人なら幸せだと答える人の数が多いだろう
「ええ幸せだと思いますよ」
「被災地の方に比べたらありがたいと思わないと」

これが幸せというものだとしたら
幸せになるのが難しいということがわかる
そこには常に誰かとの比較があるから

もし夢が叶ったら幸せだというならば
夢を叶えた人は幸せなはずだ
けれど
それは最大瞬間風速のようなもので
持続的な幸せのエネルギーとはなりえない

比較や夢に頼らず
継続的に安定したエネルギーを供給する
幸せの発電所を
人は心の内に建設しなければならない


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□◆□…優嵐歳時記(2508)…□◆□ 

  咲き初めし大き一樹の山桜   優嵐

四月に入ってヤマザクラが開花を始めました。家の前のソメイヨシノも咲き始めました。ツバメも姿を見せてくれ、春が一気に進んだ気がします。桜が咲き始めると花盛りの春のクライマックスです。蝶をあこちで見かけるようになり、野鳥の囀りも複雑で美しいものになっています。

ヤマザクラは日本列島に野生しているサクラ九種のうちのひとつです。花びらがほぼ白色で花と同時にレンガ色の葉が出ます。ご近所の庭で一週間ほど前からエドヒガンらしいサクラが咲いており、こちらも見事です。ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラの交配によって生まれた園芸種です。花が葉より先に出るというのは、エドヒガンと共通しています。


<桜前線>
家の前のソメイヨシノが開花を始めた
桜前線はあと二週間ほどで
福島にたどり着くだろう
そしてさらに二週間かけて
震災の地を北上してゆく

桜よ
あの人たちに伝えて欲しい
私たちはともにいると
通常の暮らしを送りながら
何か申し訳なく思いながら
毎日を暮らしていると

できることはまだほとんど何もない
せめて心を伝えて欲しい
ともにいると


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□◆□…優嵐歳時記(2507)…□◆□ 

  はくれんや日ごと飛び立つ用意して   優嵐

「はくれん」とは、ハクモクレンのことです。サクラが咲き始める少し前に満開になります。枝先全体に乳白色の大きな花をつけます。葉が出る前に花が咲くところがシモクレンとの違いです。近所の庭にハクモクレンがあり、散歩の途中にそれを見ていました。

ここ二、三日暖かくなり、一気に花が開いてきました。まだそれほど大きな木ではありませんが、白い灯りがともったような華やかさがあります。大木になると高さ15mにもなり、遠くからでも白い炎が舞い上がるような姿がよく目だちます。花はコブシに似ています。コブシの方が小さくやや青みがかっています。

中国中部原産で、日本にいつ渡来したかははっきりわかりませんが、元禄時代の十七世紀末には文書に出てきます。日本の自然の森や林では育たず、庭や公園などでしか見ることはできません。


<津波てんでんこ>
津波のときは
自分で自分の命を守ることを心がけ
地震と同時に素早く行動し避難せよ
その教えが三陸地方に伝わる
「津波てんでんこ」という言葉

悠長に誰かの指示を待っていては
津波に飲み込まれてしまう
自分で考え自分で判断し
自分で行動する

考えてみれば
これは生きていくことの基本ではないか
誰かがやってくれる
誰かが面倒をみてくれる
誰かが助けてくれる
誰かが教えてくれる

それでは津波に飲み込まれる
自分で考え自分で判断し
自分で行動する
誰かの助けをあてにするのはその後


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□◆□…優嵐歳時記(2506)…□◆□ 

  春の川のぞけば静かに鯉の群れ   優嵐

3月23日に、津波の教訓が活かしきれていないことを『失敗は伝わらない』という動画でご紹介しました。しかし、今回の津波では、動画に出ていた「此処より下に家を建てるな」という石碑の文言に従って、住居を高台に建てていた集落・宮古市姉吉地区では犠牲者が出ませんでした。石碑より50m手前で津波は止まったとか。先人の教え偉大なりです。





この動画に登場している津波の語り部・山下文男さんは、今回の津波にも遭遇し病院の四階で九死に一生を得られたようです。少年時代に昭和三陸大津波を経験されており、二度そこからサバイバルされたというのは、凄いことです。

この動画の中で「津波てんでんこ」という言葉が出てきます。津波のとき、家族を助けようとして全滅した一家が多かったことから、「津波のときは各人それぞれで自分の命を守ることを心がけよ」という意味の言葉です。今回の震災でも別の誰かを助けようとして犠牲になった方がたくさんいらっしゃいます。

人情として捨て置けないというのはわかります。しかし、津波のときはそうではないと肝に銘じておくべきなのかもしれません。エゴイズムというのではなく、それほど津波は速く恐ろしいものであり、自分ひとりの命を救えるかどうかの瀬戸際なのであり、自分の命を救うことが結果的に犠牲者の数を減らすことにつながるのです。

この教えに基づいて日頃から防災教育・訓練を行っていた岩手県釜石市では、小中学生三千人近くが地震発生と同時に自主的に素早く避難しました。授業中だった校舎が津波に飲みこまれたにもかかわらず、犠牲・行方不明者はわずか五人だといいます。


<陰陽>
被災地での自衛隊と米軍の活躍が伝えられる
戦争を放棄したこの国で
いらぬお荷物と考えられていた存在が
この「有事」になくてはならないものになっている

戦争は放棄できても
自然災害を放棄することはできない

インターネット誕生の背後には冷戦下の核の恐怖があった
中心を持たない情報網
核戦争に備えた産物が
今では人類にとって欠かせない道具になっている

核兵器も化学兵器ももちろん要らない
戦争には反対だ
けれどこの世は光だけでは成り立たない
光と影は双子であり
善と悪も双子である

毒の成分がなければ有効な薬にはならない
薬も処方を誤れば毒になる
陰陽は常に変転し定まることはない


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