優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2011年05月

□◆□…優嵐歳時記(2566)…□◆□ 

  ライブとて梅雨の嵐の中をゆく  優嵐

日曜日には、大阪国際会議場グランキューブ大阪メインホールでおこなわれた、ZARDの二十周年ライブ『What a beautiful memory 〜forever you〜』に行ってきました。台風2号の強い風のため、一時JRが運転を見合わせるというひやりとした時間もありましたが、ライブは素晴らしいものでした。ZARDは私だけのものではない、と坂井泉水さんが生前から言っていたことの意味がよく理解できました。

ライブの中での一番のサプライズは、ZARDとしてデビューする前、彼女がビーイングのオーディションで歌った『六本木心中』の原音にあわせて、モデル時代の映像が流されたことでした。これらの映像はすでにYouTubeにはいくつもありますから、知っている人は少なくないと思います。それでもZARDのライブでこれが流されたということが大きい、と感じました。ZARD以前の彼女を正式にZARDの中に組み込んだからです。

また、今回はカメラ目線の彼女の姿がいくつか流れました。特に最後、手書きのメッセージとともに映されたのは、彼女のこちらを見るまなざしのアップでした。坂井泉水をずっと支えたスタッフの力の凄さを見た気がしました。定番のZARDで終わらせず、かなり長い時間こちらを見つめる彼女の視線でフィナーレ。

この全体の映像の組み立てが見事だと思ったと同時に、もし、彼女がカメラ目線を多用していたら、随分イメージが違っていたことだろう、とも思いました。視線には力があり、クリエイターとしての強い意志を彼女が常に持ち続けていたということを教えてくれます。

坂井泉水さんが持っていたその時代における”強さ”と”弱さ”をスタッフは見極め、的確にサポートしました。もしほんの数年前、バブル全盛期にデビューしていればZARDを象徴する<視線を外したポートレイト>は生まれなかったのでは、と思います。

ZARDとかかわりのあった作曲家、アレンジャーなどの五人の方がゲストとして参加されていました。そのうち、葉山たけしさんが、命日の27日に東京でおこなわれたライブを振り返って、「ずっと楽屋で声だけを聴いていて、ある瞬間に『あれ、坂井さんは実はここにいて歌っているんじゃないか』と思った事がありました」と言われていました。

同じことを私も感じました。舞台中央には彼女が2004年の生前唯一のライブで使用したマイクと椅子などがセットされ、その周囲でバンドが演奏し、映像が流れる形で進みました。ほんの一瞬、私の場合は『マイ フレンド』でしたが、冒頭の「あなたを想うだけで 心は強くなれる ずっと見つめてるから 走り続けて」という部分で、「あ、泉水さんはここにいるじゃないか」と思いました。会場に来られていたファンにも、そういう感触を持たれた方は、きっと多かったと思います。





コンサートグッズというものをほとんど買わないのですが、パンフレットだけは手に入れます。今回のパンフレットは写真がとても素敵です。そこに彼女の言葉が添えられています。今の自分にぴったりくる言葉に出会いました。

---「強さ」は「弱さ」の裏返しで、「弱さ」は「強さ」の源でもあると思います---

これはそのまま彼女にあてはまることです。

□◆□…優嵐歳時記(2565)…□◆□ 【麦】

  麦熟るる中へ嵐の近づける  優嵐

麦は初夏の季語です。大麦、小麦、裸麦、燕麦、ライ麦などいずれもイネ科で、日本では主に稲の裏作として栽培されてきました。秋に蒔いた麦は五月には花穂をつけ、やがて黄金色に熟れてきます。まっすぐに立って風に揺れているさまは美しい風景です。

MDFボードが近所で手に入らないと昨日書いた後、それにこだわることはないと気がつきました。チョークアートは基本的に「黒板に絵を描く」アートですから、黒板状のものを作れるのであれば、シナベニヤなどの合板でも問題はないでしょう。

チョークアートがMDFボードを使うのは、ボードの上でオイルパステルを指で直接ブレンドしながら描くためではないか、と思いました。私はチョークアートをやるわけでも、指を使って描きたいわけでもないので、MDFボードにこだわる必要はないのです。

シナベニヤなら、近所のホームセンターにいろいろな種類があります。木管を塞ぐために、とのこを塗る必要がありますが、「水性カラーとのこ」を使えば簡単そうです。MDFボードであっても、白の場合は三度重ね塗りをしましたから、その最初の部分を白のカラーとのこで代用すればいいのです。


<やわらかく>
問題にぶつかったら
必死に押し続けるだけでなく
その手をゆるめて
一歩下がってみるといい

押し続けていた壁のすぐ横に
抜け道があるかもしれない

一途に思い込んで
ひたすらに何かをやる

そういうのは
あるときは素晴らしいことかもしれないが
単に愚かしいだけのこともある

柔軟であること
心も身体も
ものの見方も


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□◆□…優嵐歳時記(2564)…□◆□

  雨音を聞きつつ薔薇を描きおり  優嵐

台風が接近しています。梅雨前線を刺激して今夜はかなりの雨量になりそうです。昨日も一日中雨で、部屋で薔薇を描いていました。MDFボードに描く方法を続けて試してみたいところなのですが、MDFボードの適当なものが近所で手に入りません。インターネットで取り寄せるしかないか、と考えています。

先日、増位山の梅林にある池の縁にモリアオガエルの卵を見つけました。泡状のものに包まれて、木の枝などに産み付けられます。ここは池というよりも水たまりといったほうがいいくらいの大きさで、冬場は水量が減って猪のぬた場(猪が泥浴びをすることろ)になっています。モリアオガエルは随願寺の境内一帯に棲息しているらしく、放生池の周辺でも毎年卵を見ます。

<句読点>
子どものころ日記を書いていた
いまブログを書いている
読み返すことはあまりない

それでも書いているのは
それによって生活に句読点をつけられるから

流れていく時間の中に小さな杭をたて
今自分がどこにいるのかを振り返る


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□◆□…優嵐歳時記(2563)…□◆□ 

  会う人にはや梅雨入りと聞きし午後  優嵐

近畿地方は26日に梅雨入りしていました。テレビ、ラジオ、新聞と無縁の生活をしており、最近ではインターネットのニュースも見ていませんでしたから、人に聞くまで知りませんでした。ネットの天気予報で随分傘マークが並んでいるから、梅雨の走りだろうか、と思っていましたが、走るもなにもいきなりの梅雨入りとなりました。

このところ家でもっぱら絵を描いています。<追悼>ということで坂井泉水さんの肖像画を描いてきましたが、昨日、自分の中ではひとつコーナーを曲がった、という感覚がありました。これで16作目、一ヶ月に二枚ずつ描いてきましたので、描き始めて八ヶ月です。

前作(5月7日)のときに、「そうか、この人は顔というよりそのたたずまいがいいんだ、と気がつきました」と書いて顔のほとんど見えない半身像を描きました。ところが今回、また「顔」を描こうとしていたんですね。描こうと試みるうちに、「あ、この人の魅力は顔ではない」と決定的に気がつきました。

顔もスタイルも確かに美しい人です。しかし、そこに彼女の”よさ”があるわけではありません。彼女のビジュアルとしてのユニークなよさは、やっぱりその”たたずまい”、なのです。顔を描こうとする限り、彼女らしさは描けないと思いました。そして今回はこれを描きました。


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MDFボード(450mm×310mm)、アサヒペン水性多用途つや消し白、三菱uniプロッキー、万年筆ペリカーノ(M)&プラチナカーボンブラック、サクラクレパス、ぺんてるくれよん

初めてMDFボードに描き、それなりに感触をつかむことができました。紙でもキャンバスでもない、水性塗料で地塗りをしたボードに描いたのです。自分で考えて自分で組み合わせた方法で描くことができたと思っています。だから、とてもうれしかった。

まだ細かな試行錯誤の必要はいろいろありますが、優嵐流といえる描き方の第一歩を踏み出せたと思っています。この方法を『優嵐スケッチブック』のスケッチでも試してみるつもりです。

□◆□…優嵐歳時記(2562)…□◆□ 

  青条揚羽そら色をきらめかせ   優嵐

アオスジアゲハは黒い翅にブルーの帯が特徴の美しい蝶です。飛ぶ力が強く敏捷に劇的に飛びます。雌雄の姿がよく似ているため、求愛や縄張り争いもまるで集団で空間の輪舞をしているような華麗な姿です。

坂井泉水さんの命日です。今日はZARDの10枚目のオリジナルアルバム『止まっていた時計が今動き出した』(04.1.28)に収録されている『出逢いそして別れ』を取り上げます。あまり目だつ楽曲ではありませんが、中近東風のメロディやアレンジが不思議な雰囲気を持っており、私は好きな一曲です。

出逢いそして別れ



歌のベースはラブソングです。しかし、キャリアの後半になってくると、詞の内容が単なるラブソングを超えた何かを含むようになってきます。この歌も詞の背後にもっと大きな何かが流れている、思索的、哲学的とでも言えるようなものを感じます。

前回の誕生の「日」(5月6日)に『夏を待つセイル(帆)のように』を取り上げ、彼女の言葉の使い方、題名の不思議な言葉の組み合わせについて書きました。歌詞のもうひとつの特徴として、単語や文節の切れとメロディの切れとが一致しないことが珍しくない点があげられます。

よく知られているのが『負けないで』の「どんなに離れてても 心は側にいるわ」です。ここは「どんなに・はなれてても」と切るのが自然です。ところが彼女は「どんなには・なれてても」と歌います。それとよく似ているのがこの楽曲の中での「出逢いそして別れ」の歌い方です。

言葉の流れでは「であい・そして・わかれ」と歌うのが普通です。しかし、「であいそ・してわかれ」と彼女は歌っています。普通ではない歌い方なのに、それが独得の何ともいえない魅力になっているのです。

J-POPでは曲が先にあり、そこへ詞を載せていくというパターンで楽曲を作ることがほとんどだそうです。ZARDの場合もそうだったようです。メロディが先にあり、そこへ詞をあてはめていったから、こういう歌詞になった、と言うこともできるでしょう。しかし、それならなおさら凡庸な作詞家なら言葉をセオリーどおりにはめ込んでいってしまうはずです。

坂井泉水さんのボーカルの特徴のひとつは、リズムから微妙に遅れた歌い方だといわれています。リズムを追いかけて歌うのではなく、いっぱいのところまで間を持たせ、これ以上は外れるというギリギリの線で歌を載せていくというボーカルなのです。そのため歌詞が説得力をもって聴き手に伝わります。さらに、この変則的な言葉の配列が加わるのですから、その効果のほどが知れます。

決して奇を衒ったり、人をぎょっとさせるような手を使ったりはせず、あくまで正攻法で、それでいて誰も真似ができないような歌詞の組み立て、ボーカルワークを行った、やはり凄いアーティストだと思わずにいられません。


□◆□…優嵐歳時記(2561)…□◆□ 

  薫風や沖まで青き播磨灘   優嵐 

火曜日は雨あがりの晴天が広がり、初夏のこれ以上ないほどのいいお天気でした。そのシーズンに稀にある最高の一日、そう思いながら散歩を楽しみました。薫風とは、青葉を吹く風が緑の香りを運ぶとみた言葉で、初夏の風の爽やかさを示しています。頂で蝶の乱舞を見ていると、そこへイワツバメがさーっと飛んできました。その彼方へ視線をやると淡路島、さらに大鳴門橋も双眼鏡で見えました。

最近、煮物にめんつゆを使って、意外に簡単でおいしくできるのに驚いています。めんつゆだけでほかは何もいりません。水で薄めるくらいのことです。デジタルの新製品がどんどん出ますが、意外に料理や洗濯、掃除といったものの分野でも発想を変えれば便利なものがいくつもあるのかもしれません。


<動き続ける>
断捨離をおこなって
これは一度で済むというものではなく
生きている限り続けるものだと思った

断捨離とは
固定観念を削ぎ落としていくこと

何かが生活の中で一定の場所を占めると
それがそこにあることが
あたり前になってしまう

アタリマエとは
視点が固定してしまうこと
固定してしまったら
あとは腐敗が始まる


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□◆□…優嵐歳時記(2560)…□◆□

  若葉雨降りてもやみても明るかり   優嵐

若葉のころに降る雨を「若葉雨」といいます。晴れていれば日差しが強くなり、若葉に照り映えて輝きます。雨が降っても雨に濡れた若葉は明るく、五月の太陽の余韻がそこに残っているようです。「若葉雨」を変換したら、「若葉飴」と最初に出て、ここが日本語のおもしろいところだと感じました。

同音異義語が多くて意味を散り違えやすいという問題があるのですが、その一方で、それゆえに思わぬ発想の拡大やつながりが生まれます。「若葉飴」なんて、季節モノの新製品の名前にできるのでは、と思いました。淡いグリーンの飴です。ミントの味でも、新茶の味でもいいような。

日本語は私たちが使っている道具である一方、日本語によって私たちは考え方や発想の仕方をはじめ、想像もできないほど大きな影響を受けています。それは言葉というあまりにも日常的なものであるため普段意識することはありません。しかし、「飴」と「雨」が即座に繋がる文化風土を持っているのはとてもユニークであり、ユニークさこそグローバル社会では最も大事にしていくべきものだと思います。


<アゲハたち>
頂に出ると蝶が乱舞していた
クロアゲハとモンキアゲハは
優雅に影から日向を縫ってゆらゆらと飛ぶ

アオスジアゲハたちは集団で
飽きずに追いかけっこを続ける
目にもとまらぬ速さで
三次元を縦横に入れ替わる複雑なチェイス

翅のスカイブルーのストライプが
五月の日差しに透けて輝く
あんなに激しく自在に空間を飛び回れたら
どんなに楽しいことだろう


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□◆□…優嵐歳時記(2559)…□◆□

  不如帰遠く近くに木の間より  優嵐

月曜は一日雨模様で、夕方になってからは風交じりの強い雨になりました。日曜に森へ行くと不如帰(ほととぎす)のさえずりがよく聞こえました。ホトトギスは夏鳥として九州以北の日本にやってきます。姫路周辺ではよく声を聞くことができますが、地域によってはあまり来ないところもあるようです。

囀りは「特許許可局」とか「テッペンカケタカ」とききなされますが、やはり一度聞かないとわからないと思います。夜にも鳴声を聞くことがあり、これを忍音(しのびね)といいます。『夏はきぬ』で「ホトトギス はやもきなきて しのびねもらす」と歌われています。先日は朝のまだ暗い内に鳴いている声を夢うつつで聞いていました。

<if>
「もしあのときこうだったら」
そう考えて人は自分の人生を振り返る

もしあの人と出会っていなければ
もしあの仕事を選んでいなければ
もしあの道を通らなければ

それは無い
偶然は必然であり
あなたがいまそこにそのように存在しているのは
その道を通ってきたからだ

他の道を通っていれば
あなたはあなたではなくなる


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□◆□…優嵐歳時記(2558)…□◆□

  椎の花近づく雨に匂いけり    優嵐

土曜日はこの時期としては珍しいほどの蒸し暑い一日でした。夜から日曜の朝にかけて雨が降り、その後は平年並みに戻ったように思います。山では椎の花がいま盛りです。椎はスダジイ、ツブラジイの総称です。暖かい地方を代表するブナ科の落葉高木で、25m以上にもなります。

五月後半ごろ、5〜12cmほどの淡黄色の雄花序と雌花序を出して一斉に開花します。遠くからでも雲が盛り上がるように見え壮大です。雄花は強い香りを出し、湿気が高くなると特に匂います。


<詐欺師>
詐欺師が成功するのは
騙されたいと思っている人がいるからだ
詐欺師がすべきことは
騙されたいと思っている人を探し出すことだけ

そして
その人が聴きたい話
その人が見たい事実
それを提供すればいい

騙されるのは愚かだという君よ
この世の誰もが
何かを信じたいと願い
何かを信じて生きている


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□◆□…優嵐歳時記(2557)…□◆□

   黒揚羽蒼き光を引いて飛び   優嵐

小満の昨日は蒸し暑い一日でした。雨が降りそうで降らず湿度が高く、夜になっても室内の温度計は27℃を示していました。来週は傘マークがちらほらと出ており、梅雨の走りのようなお天気になりそうです。

蝶は春の季語です。春になってひらひらと姿を見せてくれるのが、いかにも春の暖かさを連れてきてくれたように思えることから、春らしさとして春の季語になっているのでしょう。それ以外の季節は「秋の蝶」「冬の蝶」と総称的に詠みます。

「夏の蝶」とも詠みますが、夏は最もたくさんの蝶が見られる時期であり、その代表格が大きなアゲハ蝶たちです。頂で木陰から木陰へ飛び回る黒アゲハを見ました。翅の表裏とも黒色ですが、光の当たり具合からか微妙に色が変化して見えます。それが蝶の美しさをいっそう引き立てています。


<アシスト>
電動アシスト自転車の販売台数が
原付バイクの販売台数を上回ったという

ママチャリの延長のイメージだったが
今ではロードバイクのようなものもある

24段変速つきの電動アシスト自転車
それなりに走れる脚力と
多段ギアを組み合わせれば
200km以上走ることも可能

自転車旅行の日々が思い出される
この自転車で日本一周
なかなかいい考えかもしれない


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