優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2011年05月

□◆□…優嵐歳時記(2556)…□◆□ 

  新緑へ翼をたたみ鳶降下   優嵐

今日は二十四節気の小満です。「陽気盛んにして万物長じ、草木茂りて天地に満つ」という意味だそうです。緑の勢いが増してくるころです。増位山の頂に行くと、谷からの上昇気流を受けてゆったりと空を舞っている鳶を目にすることがよくあります。決して遊んでいるわけではないのは、急降下する姿を見て気がつきました。あれだけの高みから獲物になりそうなものを見つけたのでしょう。

ブログのサイドバーの表示を少し変えました。細かな文字を出すのをやめて、絵のブログパーツを貼り付けました。このブログパーツを他のブログで見て、「フォト蔵」に登録しようと考えました。フォト蔵とは、ウェブ上で写真や動画を共有するフリーのSNSです。インターネット上にいろいろなサービスが生まれています。ひとつだけでなくそれらを組み合わせることによって、自分なりの面白い使い方ができます。


<お好み人生>
最近お好み焼きに凝っている
お好み焼き粉に卵と水
あとは何を入れてもかまわない

店でよく見るものではなく
好き勝手に具を考え
次々と変えている

店で食べたことのないものが
意外なほど美味しい

好みの具を好きなように入れていい
だから「お好み焼き」
なんだか人生に似ていないか


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□◆□…優嵐歳時記(2555)…□◆□

  頂に数多集いし夏の蝶   優嵐

夏は動物の活動が最も活発になる時期です。ホトトギスの声を聞くようになりました。あの特徴的な声を聞くと夏です。ウグイスの囀りもよく聞こえ、このうちのどこかに托卵しているのかしら、などと思いながら歩いていました。

頂の周辺部は木陰になっています。正午前後に頂にいくと、蝶や蜂がいくつも飛び回っています。蝶は特に日差しに敏感な気がします。ちょっと日がかげると姿が消えます。蜂では熊蜂をよく見ます。目にもとまらないほどの速さで動かしている小さな翅の下に丸っこい身体をぶら下げて自在に飛びます。


<閃く>
ネットサーフィンをしていてあるページに至った時
全く関係のないことについて
ふと考えが浮かんだ

人間は論理的に階段を登るように
アイデアに到達することは無い

たとえダ・ヴィンチだろうがアインシュタインだろうが
同じだったと思う

太平洋をひとまたぎするようなアイデアも
近所の溝を跳び越す程度のものも
メカニズムは同じ

それは瞬間的にやってくる
「閃き」とは的を射た言葉


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□◆□…優嵐歳時記(2554)…□◆□ 

   夏はじめ風に機材を空輸する   優嵐

早春のころから始まった増位山東西尾根の高圧線鉄塔工事が続いています。工事機材はすべてヘリコプターで麓から運ばれています。北アルプスの山小屋で荷揚げ用のヘリコプターが活動しているのを身近で見たことがあります。車が近づけない場所へも行けるというのはヘリコプターの強みです。

クレーンがまず運ばれ、それを組みたててから鉄塔を組み上げていくようです。バリバリとヘリコプターが立てる騒音が山に響き渡っていました。ショベルカーなども荷揚げしていましたから、かなりの重量を持ち上げることができるのでしょう。


<タケコプター>
震災の津波の映像を見ていて
ああいうとき
空へ逃げることができたらと思った

地上50mほどに浮揚して数キロ移動できれば
津波から逃れることができたはず

自転車みたいなヘリコプターがないだろうか
誰でも容易に操縦できほんのちょっと移動する
ドラえもんのタケコプターのような


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□◆□…優嵐歳時記(2553)…□◆□

  満月のくっきり昇る若葉寒   優嵐

昨日の午前中は初夏の心地よいお天気でした。しかし、お昼過ぎから急に風がでて曇ってきました。北西の空から暗くなり、やがて雷鳴も聞こえ、雷雨になりました。真夏ほど激しい雷雨ではありませんでしたが、雨がやむと随分気温が下がっていました。

夜はナイターテニスに出かけました。コートに出ると肌寒いくらいでした。この時期のこうした寒さを「若葉寒」といいます。昨夜は満月で、ゲームをしているうちにコートの正面から満月が昇ってきました。


<月に願いを>
満月に願いをかけると叶うという
叶うもんか
そういってふくれるそこのキミ
考えてもごらん

人は勝手な願いをたくさん持っている
それがすべてそのとおりに叶ったら?
世界は大混乱

だから
月にかけられた願いは
ほどよくマイルドにブレンドされて叶えられる



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□◆□…優嵐歳時記(2552)…□◆□ 【芍薬】

  芍薬のふくよかに咲く朝(あした)かな   優嵐

シャクヤクの花盛りです。「立てば芍薬、坐れば牡丹」というたとえどおり、このふたつはよく似ていて、どちらかわからない場合も少なくありません。どちらもボタン科ボタン属で、シャクヤクは多年草であり、ボタンは低木という違いがあります。もともとどちらも漢方薬として平安時代に中国から渡来し、しだいに花の美しさから観賞用になりました。

日曜日に大阪の東急ハンズでMDFボードを買いました。MDFとは、ミッド・デンシティ・ファイバー(中密度圧縮合板)の略です。木屑をプレスで固めたような板です。加工がしやすくDIYなどでよく使われます。これを知ったのは、チョークアートの本からでした。

チョークアートとは、特殊な塗料を塗った黒板にオイルパステルを主に使って、消えない絵や文字を描くものです。その基底材としてMDFボードに水性ツヤなし塗料を塗ったものを使います。これにチョークアートではなく、普通の絵が描けないものかと考えたのです。黒い塗料ではなく、白い塗料を塗れば線を生かした絵を描けるベースができます。


<ロッキングチェア>
人生とは
背中に担ぐ荷物ではなく
その上に腰をおろして
くつろぐための椅子だ

誰が荷物にしているのだろう
それを担いでどこへ行くのだろう
行き先もわからないというのに

その荷物をおろして
そこの木陰で休まないか

素敵なロッキングチェアじゃないか
ロッキングチェアを背負って
君はどこへ行くつもりなのか


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□◆□…優嵐歳時記(2551)…□◆□ 

  海青し白く輝くヨットの帆   優嵐

アートワークのために大阪へ行っていました。よく晴れた明石海峡をヨットが帆走していました。「ヨット」は夏の季語です。今日は参加者が少なかったのですが、逆に自分自身にとっては気づくことの多い一日でした。

流れで午前中の話の時間が長くなり、午後に、先月から始まっているライフレッスンの<否定→怒り→取引→うつ→受容>という五段階のうち、<取引>と<うつ>について絵を描きました。<取引>というのは、「○○をもらえるなら□□をします」ということです。

<受容>の段階に至るには<取引>の段階から次へ進まなければいけません。<取引>はかなり普遍的に見られる感情かもしれない、と思いました。誰かとの関係において「あなたがナントカをしてくれたら私はナントカをしましょう」というのはすべて<取引>です。

自分自身、かなりこの<取引>に染まっているかも、と気がつきました。どうして世界は、他人はこんな状態なんだ、とつい思いがちですが、そう思っても外の世界は変わりません。それは理屈ではわかるのですが、実際にそれが腑に落ちて、自分を変えることができるまでには、果てしないギャップがあります。

まず、外しか見ていないから自分の中心軸がわからない。だから、視点の定めようもないし、変えようもない。外が悪いと言っている方が楽なので、そう主張し続けます。そしてその主張はいかにももっともな、理屈にあったことだから、さらに自分の内側を見ることを困難にします。

<否定>や<怒り>の段階では、まだ理不尽な感じがありますが、<取引>はかなり巧妙な罠かもしれません。「あの人が○○してくれたら私は□□するのに」という言葉は、<取引>でしょう。自分がそれとそっくり同じ言葉を口にしていることに気がつきました。

午前中からの流れですが、自分自身の問題もこだわりも何もかものルーツが私の場合は自分が育った家庭環境にあります。スピリチュアル的な言い方をすれば「この人生で学ぶべきことの課題がそこにある」ということです。

家庭の不和、経済問題、そういうことに関して「あの人たちが悪くて私は被害者だ」と主張し、父や祖母を非難し続けたのは母でした。確かに父や祖母に問題はありました。しかし、子どもとしての私の立場から見れば、双方に原因があります。自分を省みず、「自分だけが正しくて被害者で、なんて可哀想なアタシ」と愚痴を言い続ける母は苛立ちと腹立ちの対象でしかありませんでした。

自分のことしか見えていなくて、子どもの感情が全くわかっていない。「一番の被害者は子どもである私ではないか。そのことがどうして理解できないのか」、私はそう感じ、「母がひとこと『すまなかった、あなたたちにも迷惑をかけた』とあやまってくれたら…」と思い続けていました。これを正当な要求だと思い込んでいましたが、これは考えてみれば<取引>ですね。「あなたが○○してくれたら私は□□するのに」の文脈にすっぽり当てはまりますから。

これは、母が父や祖母に対して要求していたことをそのまま踏襲しています。母は自分は正当なことを言っている、それをなぜ認めない、被害者は私だ、と主張し続けました。祖母や父が亡くなって何年もたってさえ、そのことを子どもにいい続けてやみませんでした。「そんなことを言い続けて何になるのか、もうすんでしまったことじゃないか」、私は苛立ち、母に「二度とそんな話は聞きたくない」と言いました。

ただ、そう言うならば、自分も自分の子ども時代のすんでしまったことに関してあれこれ反芻して被害者になるのはやめなければいけません。誰のためにでもなく自分のためにです。「可哀想なアタシ」と思っている限り、そこから踏み出す自由がありません。

理屈ではそのことは随分前から解っていました。また「今生の課題」という意味で腑に落ちたのも、すでに2009年に経験しています。今回はそこをさらに一歩先へ進む時期なのです。


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□◆□…優嵐歳時記(2550)…□◆□

  若楓開山堂の屋根光る   優嵐

「若楓」とは、楓の若葉をさす季語です。若葉のなかでも特に明るく美しく単独で季語になっています。新葉の色が初々しいのは五月半ばあたりまでで、その後は日増しに緑の色が濃くなっていきます。増位山の頂のベンチも冬は日があたっていましたが、今は周りの木々が茂り、木陰になっています。

落葉樹にとっては一刻も早く葉を展開し、光合成をおこなって成長しなければいけません。考えてみれば、落葉するというのは、動物で言えば冬眠するのと同じ状態だといえるわけですね。増位山の蛇ヶ池周辺ではタンポポに変わってヒメジョオンがいっぱい咲いています。なんだかわからない茸も育っていますし、枇杷の実が少しずつ大きくなっています。


<つもり>
写生によって絵を描くようになって
つくづく思うのは
人はほとんど何も見ていないのかもしれない
ということだ

描いてみて初めて
ほんとうに見ることができたものがいくつもある
子どもの時も写生をした
あれは何だったのか

見ているようで見ていない
見てはいるが観てはいない
単に見たつもりになっているだけ

与えられている五感のすべて
私たちはどこまでそれを使えているだろう


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□◆□…優嵐歳時記(2549)…□◆□

  頂の雨あがりたり夏燕   優嵐

燕は春の季語ですので、夏に入ると「夏燕」といいます。頂で数羽の燕が群れ飛んでいるのに出会いました。里で見かける種類ではなく、イワツバメではないかと思います。金曜日は雨があがっていましたが、景色がぼんやりと霞み、黄砂がまだ続いているようです。

緑は濃さを増しています。フジとシャガは最盛期を越えた印象です。アヤメ科の花が咲いてきました。近所にシャクヤクを販売している畑があります。これから販売のピークのようで、隣を通ると開き始めた花がずらりと並んでいるのが目に入りました。


<一人あること>
ものごとを自分の思い通りに運びたくて
人は力を欲しがる
ところが
この世に力で得られる安寧はない

あなたを苦しめているのは他の誰でもなく
ものごとを思い通りにしたいという
自分の未熟な性質だ

偽りの堂々巡り
十分な力がありさえすれば
自分の人生をコントロールできるはず
そう思って悪戦苦闘する

そんなことはやめてしまおう
力などどこにもない
誰も持ってはいない

それがあるはずだと思っている
幻想から目をさまし
一人静かに立っていよう


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□◆□…優嵐歳時記(2548)…□◆□ 

  卯の花腐しノンフィクションを読みふける   優嵐

陰暦四月を別名「卯の花月」といい、この頃降り続く雨を「卯の花腐し(うのはなくたし)」といいます。降り続く雨が卯の花を朽ち果てさせるというので、この名がつきました。三日降り続いた雨がようやくあがりそうです。

雨が降り続いた間、絵を描くと同時に『消えたカラヴァッジョ』というノンフィクションを読んでいました。カラヴァッジョはイタリア・バロック時代の天才画家です。四百年間行方不明だった彼の『キリストの捕縛』がアイルランドで1990年に発見された事件をめぐる読み物で、これがその辺のミステリーなどより数段面白く、久しぶりに読書を堪能しました。

まだ最後まで完全に読了してはいませんが、人物描写が素晴らしい。また、このカラヴァッジョという画家自身は、いわゆる「破滅型の天才」です。ローマで若くして画家として大成功をおさめながら、暴力沙汰を好み、最後は殺人を犯して逃亡中に39歳で亡くなるという人生を送っています。

それほどの才能に恵まれながら…なのですが、逆にそれほどの才能に恵まれていたからこそ破滅から逃れられなかった、そういう天分を持っていたからこそああいう絵が描けたのだ、と思います。光と闇は表裏一体、強みと弱みは双子です。


<新緑>
雨がやんだのを見計らって
自然歩道へ出かけた
薄暗く感じるのは
お天気が悪いせいだけではない

ほんの二日来なかっただけで
この緑の茂り具合はどうだろう

雨を含んだ楓の枝は重く垂れ
下を通り抜けることも難しい
葉桜はぐんぐん緑を濃くし
奔放に枝を伸ばしている

りんごの種ほどだった梅が
もうビー球ほどに太っている
命がぐんぐん充実していく季節


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□◆□…優嵐歳時記(2547)…□◆□

  緑さす中に始まる地鎮祭   優嵐

新緑がものに映えるさまを「緑さす」といいます。10日は大安でした。ご近所で昨年末に大きな御屋敷が取り壊され、その跡地が区分けされて売り出されています。その一画が売れたのか、10日に地鎮祭が行われていました。雨もようで、テントをたてた中に神主さんの姿が見えました。

水曜日も予報どおり一日中雨で、散歩には行きませんでした。その分、部屋で絵を描いていました。インターネット上には、フリーの写真素材がいろいろあります。風景、建物、植物、動物、夜景、スポーツ、行事などほんとうにさまざまなものが素材として出ています。

これを使ってスケッチができる、と気がつきました。今もデジカメで撮影した写真を利用していますが、自分が撮影できるものというのは題材がどうしても限られます。フリー素材集はいろいろなものを描くのに使えそうです。


<地鎮祭>
ジーンズ姿の若い夫婦が
幼い女の子を連れて地鎮祭に望んでいた
彼らの新居がここに建てられる

アナタハカミヲシンジマスカ
とたずねられたら
彼らは恐らく戸惑うだろう

では何に祈っているのか
何を鎮めているのか

それは言葉で表しようのないもの
論理や教理で説明しようのないもの
「かみさま」とは本来そういうもの


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