優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2011年06月

□◆□…優嵐歳時記(2576)…□◆□

  花菖蒲真昼の水の匂いかな   優嵐

IMG_1035日曜日には、宍粟市一宮町の黒尾山(1,025m)に登っていました。兵庫県ではもっとも南に位置する千メートル峰で、晴れていれば頂上からは展望が素晴らしいのですが、曇りがちの日で景色はほとんど見えませんでした。

国道29号線から林道黒尾線に入り、終点近くで車を停めました。先日の台風の影響で林道に杉の若木が倒れており、終点の駐車場までは行けませんでした。終点まで歩く道すがら、道路脇にウツギの一種が咲いており、甘い香りがしていました。

IMG_1037もうひとつ黄色い花がたくさん咲いており、よく目だちました。増位山周辺では見た記憶がありません。TAK.ECHOさん、この花はなんでしょう?→
---ジャケツイバラ(蛇結茨)とのことでした。ありがとうございます。

IMG_1041終点から登山道は三つに分かれており、不動滝コースをとって登り始めました。渓流と滝が楽しめるのですが、今日の山行では思わぬものに難儀しました。山ヒルです。今までいくつも山に登ってきましたが、山ヒルに遭遇したのは初めてです。私はほとんど被害にあいませんでしたが、いっしょに行った友人たちは脚に吸い付かれていました。


IMG_1043分かれていた登山道は虚空蔵菩薩の祠前で合流します。これは自然の岩を祠代わりにしたもので、大岩が庇のように張り出した下に虚空蔵菩薩の祠を安置してあります。ここから自然林の中を登っていくと、頂上です。麓の集落がちらほら見える程度の展望でしたが、山は登るのが楽しいのです。

IMG_1044下山は左股コースをたどりましたが、こちらにも山ヒルがいたのには驚きました。梅雨時だからでしょうか。下山後は「よい温泉」へ行きました。「よい」は与位と書き、地名です。





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<絵を描くということ>
絵を描くことは考えることだ
たぶん音楽を奏でることも
スポーツをすることも
基盤には考えることがある

子どもは絵を描くことによって
世界を把握する
描くことで考え理解し
外界に自分を適応させてゆく

適応し成長のある段階に達すれば
絵は最初の目的を達成する
その先
大人が自分なりの絵を描くには
考えることが必要だ

自分とは何か
自分に世界はどのように見えるのか
それを世界に向かってどのように伝えるのか
それが自分の絵を描くということ




□◆□…優嵐歳時記(2575)…□◆□ 

  野茨や風のそよぎを身に受けて   優嵐

野茨(のいばら)はノイバラという種の名であると同時に、山野に自生するバラ科の落葉低木の総称でもあります。高さは2mほど、蔓性の細い枝に鋭い刺があります。初夏のころ、白い五弁の花がたくさん開き、芳しい香りがします。

坂井泉水さんの肖像画をきっかけに、絵に描かれた人物とそれを見る人のものの見方について昨日は考えました。絵巻物について、もうひとつ連想が働きましたので、今日はそれについて書きます。『平治物語絵巻』のような激しい動きを描く絵巻物とは対照的な作品が『源氏物語絵巻』です。

源氏物語の場面を絵巻物にしたもので、「引目鉤鼻」と言われているように、登場人物は、顔だけでは個人の特定ができないような描き方がされています。坂井泉水さんの「顔」を描こうとして、戸惑ったのは、視線がこちらを向いた顔が少ないだけでなく、目のまわりがはっきりしないものが多いことでした。

これまで人を描く時のポイントは目でしたし、実際、目の部分を黒く塗りつぶすと写真は匿名状態になります。はっきりとしたきれいな目元の人なのに、なぜこんな写真を使っているのだろうと不思議でした。わざわざピントが外れているような写真を使ったりもしています。

その理由を考えたとき、単に彼女が緊張しやすいというだけではなかろう、と思い、ふと『源氏物語絵巻』に思い至りました。あの絵巻物の中で人物はどんな場面でも同じ顔をしています。これは不親切なようでいて、逆に見る側の想像にまかせるという利点があります。

彼女のポートレイトは現代版の引目鉤鼻かもしれない、と思いました。顔立ちがきれいな人だということはわかります。それをあえてはっきり出さず、微妙な角度の写真でその「雰囲気」を見る側に想像してもらう、それがあの写真なのでしょう。

いまのカメラは非常に進んでいますから、明るさやピントをぴたっとあわせてきれいに撮影することは素人でも簡単です。しかし、そうしてしまうと何かが消えてしまうのです。くっきりはっきり描いたカラヴァッジョの油絵から「動き」が消えている、それと似たことが写真で起こるのではないかと思います。

油絵に動きを与えるためにその後の画家、特に印象派以後の画家がさまざまな試みをしたように、ZARDのポートレイトというのは、くっきりはっきり写真によって消えてしまう何か、「坂井泉水が持っているたたずまい、雰囲気、空気」そういうものを写真で表現しようとした結果なのだろう、と思いました。


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□◆□…優嵐歳時記(2574)…□◆□

  卯の花に晴れず降らずの空があり  優嵐

卯の花とは、ウツギの花のことです。ウツギ(空木)は、枝が成長すると髄が中空になることに由来しています。夏の到来を告げる花として、古くからホトトギスとのとりあわせで詩歌に詠まれてきました。いま、増位山梅林の一画で卯の花が満開になっています。

昨日、坂井泉水さんの肖像画を載せて、ふと人間のものの見方(考え方という意味ではなく、純粋に見え方)というのは、大昔から変わらないと思っていたけれど実はかなり変化しているものなのかもしれない、と思いました。

現在残っている最古の絵画はラスコーの洞窟壁画です。その後、西洋美術に限定して見て行けば、中世のころの教会のモザイク画などは随分硬直した印象を受けます。動きの感覚をとらえるということに関して言えば、同時代の日本の絵巻物の方がはるかに躍動感に富んでいます。

実際、あの時代(13世紀)の『平治物語絵巻』や『伴大納言絵詞』に匹敵する躍動感を持った絵は西洋ではもっと時代が下がらないと出てきません。激しい動きを表現するという点では、西洋絵画はバロックよりさらに後の時代でも数少ないのではないか、と思います。

先日からカラヴァッジョの絵をいくつかネットで見ているのですが、彼はバロックの先駆者であり、ダ・ヴィンチより130年ほど後の時代の人です。激しい光と影の表現が印象的です。しかし、彼の代表作である『エマオの晩餐』や『聖パウロの改心』を初めて見たとき、どうも違和感がありました。

それが何かといえば、「登場している人間が動いていない」ということです。『エマオの晩餐』で、驚いている弟子が両手を横に伸ばしていますが、これを見ると、びっくりしているというより、体操の最後のポーズのように見えます。また、落馬した聖パウロはそこで手をあげて寝ているように見えます。

バロック絵画の先駆者にして最大の巨匠の絵になんという不遜なことをと言われるかもしれませんが、これはバロック絵画だから、偉大なのです。劇的な場面構成、写真の無い時代にこれだけの表現ができたのは、天才だからこそです。そして、写真も動画も知らなかった同時代の人にとっては、まさに「動きの場面を描いた絵画」として大人気を得たのではないか、と思います。

しかし、現代人は写真、さらに動く映像に慣れています。光と影がいかに劇的であろうとも、カラヴァッジョの絵には止まってポーズをとっているような奇妙な静けさがあります。輪郭をくっきりかっちり描いてしまうと、描かれた像は動きを止めます。とりわけ、油絵ではそのように見えます。高速撮影されたミルククラウンや滝を考えてみてください。

日本の絵巻物に動きがあるのは、それが線描の絵画だからであり、流れていく絵巻という構成の賜物だろうと思います。印象派は光を描いたといわれますが、むしろ「動き」を描こうとしたのではないか、と思いました。動けば光が動き、輪郭も何も微妙に揺れる…

印象派が起こったのは19世紀後半です。これは写真、さらに映画の発明が影響を与えているのではないでしょうか。動きとは何かを画家が考えた結果であり、さらにそれに加えて、その時代に生きている人間のものの見え方に写真と映画(動画)が影響を与え、変化が起こった結果ではないでしょうか。


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□◆□…優嵐歳時記(2573)…□◆□

  郭公や森の深さを鳴きにけり  優嵐

カッコウはカッコウ科の渡り鳥です。日本へは夏鳥としてやってきます。ホトトギスと並んで昔から日本人に親しまれ、詩歌にも多く取り上げられています。また、ホトトギス同様に托卵の性質を持っています。閑古鳥とはカッコウの古名です。

坂井泉水さんの肖像画第17作です。今までと趣を変えてみました。描き始めたころは、はっきり顔が映った写真が極端に少なく、戸惑いました。そして、前々回あたりから、顔ではなく、たたずまいを描こうと試みてきました。

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マルマン画用紙並口A4 S131(287×202mm)、万年筆SAILORハイエースネオ(F)&プラチナ顔料ブランセピア

今回は先日から使い始めたプラチナの顔料ブランセピア一色で描きました。元になった写真は99年に豪華客船パシフィックビーナス船上で行われたシークレットライブ時のものです。今日は一本の線で描くのではなく、線を遊ばせながら、ライブの躍動感そのものを描いてみようと思いました。

□◆□…優嵐歳時記(2572)…□◆□ 

  花さびた甘く匂いし坂登る  優嵐

「花さびた」とは、ノリウツギの花のことです。山野に自生するユキノシタ科の落葉低木で、ガクアジサイに似た白い花をつけて群がり咲きます。日曜は山へ行っていました。その登山道の両脇に咲いていました。山行についてはまた後日詳しく書きます。今日はちょっと特別なことがありましたので。

一ヶ月ほど前に絵を測り売りするというサイト「ART-Meter」に登録しました。こんなおもしろいことを考えて、システムを作っている人たちがいるなら、参加してみるのは楽しいかなと考えたのです。Amazonマーケットプレイスが生まれたころも「へぇ〜」と感動して参加しました。何か新しいシステムを作る人というのは、世界を変えると思います。

しかし、登録はしたものの、特に反応はないままでした。ところが、昨日、突然に絵が売れ、びっくりしました。私の絵を買ってくださった方があるのか〜!と。これまで公募で文章に懸賞金をいただいたりしたことはありましたが、自分の絵が売れたというのは初めての経験で、やっぱり、感激しましたね。誰かに認めていただく、というのはうれしいものです。

さて、坂井泉水さんの誕生の「日」です。先日の最後のライブの感激の余韻がまだ残っています。今日取り上げるのはZARDの10枚目のシングル『きっと忘れない』(93.11.3)です。ZARDの音楽に突然惹かれるようになったのは2009年の冒頭からですが、この楽曲は比較的早い段階から聴いて心に残りました。

きっと忘れない



アカペラで始まり、坂井泉水さんの透き通るように響く高音の歌声が印象的です。この題名は、亡くなった後に出版されたオフィシャル・ブックの題名にもなっています。彼女の詞は発表された当時は当然のことながら通常のポピュラーソングとして歌われています。ところが、亡くなった後にいろいろ聴いていると、それらの詞の多くが不思議な掛け言葉のように聞こえてきます。

歌の中で恋人に対して歌っているものが、聴き手への励ましになったり、この楽曲のように聴き手が彼女に対して返す言葉へと変わるという変則的な転換をしていくものもあります。詞の言葉がさまざまな色合を反射するミラーボールのようになるのです。

これは日本語の特性ゆえかもしれません。主体がはっきり限定されにくい言語であるため、聴き手は歌詞の語り手を組み替え、入れ替え、自由にその歌詞の中で自分のイメージを変えていくことが可能です。彼女は「文法」としてそのことを知っていたというのではなく、本能的にそれを感じ取り、言葉として駆使できたのではないか、と思います。


□◆□…優嵐歳時記(2571)…□◆□

  田植え機の音遠近の田に響く  優嵐

蒸し暑くなってきました。窓を開けて過ごすシーズンの始まりです。まだ扇風機を出してはいませんが、そろそろその時期です。梅雨入りが早かったので、梅雨明けも同様に早ければ、長い盛夏になります。被災地のことを考えると、できるだけマイルドな夏であってもらいたい、と願います。

さて、断捨離です。断捨離は継続してやるもの、と考えていますが、捨てれば新しいものが入ってくるというのは本当だなと思います。アウトドア関連のいろいろな品物が山積みになっていた部屋を片付けて、しばらくがらんとしていました。このところ、ベニヤ板へ塗料を塗るのにその部屋を使っています。

床にブルーシートを敷き、そこにベニヤ板を並べて塗装し、乾燥させます。唐突にアウトドア関連のものを処分しようと思い立ったのですが、それなりの理由はあったのだ、と今は思っています。いろいろ理屈で考えるより、そのときの直観が「こうしたら」とささやくことに従うと、思いがけないおもしろいところへ行けるような気がします。

<四次元>
ちょっと前まで
何か自分に不都合なことが起こると
腹を立てたものだった

なんだってこんなことになるんだ
まったくもう
責任者出て来い
そういう世界だった

今は少し変わった
今ここでは不都合に見えることが
違う視点から見たら
実は万事うまくいっているのかもしれない

ここで「不都合」に出会うことこそが
自分にとっては「好都合」
そういうことがあるんじゃないか

昔はものごとをタテとヨコの
二次元でしか見られなかった
高さという三次元目があると気がついた

もう少しすると
四次元目を意識できるように
なるかもしれない


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□◆□…優嵐歳時記(2570)…□◆□ 

  夏草に踏み入れし足濡れにけり   優嵐

草の勢いが増しています。増位山梅林の通路も草が茂るようになってきました。それほど高さはありませんが、雨あがりに散歩をすると、そこに入っただけですぐにジョギングシューズから水が染みてきます。

近所の文房具店へサンドペーパーを買いに行きました。ベニヤ板に塗った水性塗料のバリをならすためです。4mm程度の厚さであるため、片側のみの塗装では板が歪みます。そのため、表裏ともに塗装します。二度目の塗装で、描く面は後から塗った方がよさそうだ、とわかりました。ローラーから垂れた余分な塗料が裏側へ伝ってくるからです。

レジの隣に「Bun2」という文房具を紹介したフリーマガジンがあったので、いただいてきました。文房具をいろいろ見るのは好きです。ローテクのガシェットといいますか、見ていると楽しくなります。限られた機能の中で、おもしろい新製品が次々出ており、開発者の発想にも驚きます。

このマガジンの名前がまたいい。Bunは文房具の文でしょう。2は通信の通だと思います。そして「ぶんつう」と読ませて、「文通」というなつかしくほんわかしたイメージも纏わせています。ここが日本語だなあと思います。

文房具のネーミングだって楽しいです。コクヨの背幅が変わるクリヤーブックの名前は「NOViTA(ノビータ)」。「伸びた」をアルファベットで書けばまるでイタリア語です。さらに、のび太のイメージも重なりませんか? ひとつのものから瞬時にイメージを重複させ、飛躍させていける、それが日本語の強みです。そして、日本語ネイティブは誰でもこういう遊びが難なくできるのです。


<ケアレスミス>
ホームセンターで
「水性つや消し白」の二缶目を買った
家へ戻って缶を見て驚いた
「水性ツヤありクリーム」だったから

ホームセンターへ交換に行き
棚から缶を取ってきた
レジで手続きをしてもらいながら
はっと気がついた
「水性つや消し黒」ではないか

今度は注意深く棚の缶の表示を見て
「水性つや消し白」の缶を両手で抱えた

ケアレスミス
子どもの頃から同じだ
これは私の弱み
注意しているはずなのに
何かがぽっかりと抜けている

弱みは強みの源とか
ではこれは
どのような強みになっているのだろうか…


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□◆□…優嵐歳時記(2569)…□◆□

  桜の実くちに含めばノスタルジア   優嵐

昨日、TAK.ECHOさんから教えていただいて、あの桜の実をさっそく食べてみました。熟れて今はアメリカンチェリーのような暗赤色になっています。ほのかに甘く、野趣に富んだ味です。集めてジャムを作ったりしたらいいかも、と思いました。

いいお天気だったので、午後からベニヤ板にとのこを塗る作業をしました。最初はアサヒペンの「水性カラーとのこ」を買うつもりだったのですが、ふと見ると普通のとのこの中にも「白色とのこ」というものがあります。値段がかなり違うので、こちらを試してみることにしました。

結果、やはり次回からは水性カラーとのこを使おうと思いました。普通のとのこは粉状で売られています。これを水で溶いてベニヤの表面に塗り、半乾きのときに擦り込んで、乾いたら余分なとのこをもう一度拭き落とします。これが面倒なうえにもともと岩石の粉ですから、あちこちが粉まみれになります。

水性カラーとのこだと、ただ擦り込むだけのようですから、手間と周辺の汚れが全然違うでしょう。値段だけのことはあるのです。とはいえ、何ごとも経験ですし、とのこを塗ったり擦り込んだりするのもおもしろい作業でした。


<途中経過>
途中経過がおもしろいのは
旅もスポーツも人生も同じ

結果がすべてというけれど
結果だけがすべてだったら
何もしない方がいい

誰がなんと言ったって
結果だけがすべてではない
結果がすべてだというなら
こう問いかけてみよう

どうせ最後は死んでしまうのに
どうして生まれてくるのかと

簡単な答えはニヒリズム
すべてが虚しくすべてに価値はない
けれどそうじゃないと
なぜか私たちは知っている

目的は結果ではない
目的は途中経過を経験すること


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□◆□…優嵐歳時記(2568)…□◆□

  奔放にどの木も青葉ひるがえし  優嵐

台風の余波が残っていた月曜の朝、家の前のソメイヨシノが随分茂っているのに気がつきました。のびのびと葉を広げ、台風がいってしまった解放感を木も味わっているように見えます。よく見ると葉の多くの部分が虫に食われて穴だらけになっています。

近所のホームセンターでシナベニヤの4mmのものを買いました。合板というのは、三尺x六尺(長さ1820mmx巾910mm)というサイズが基本だということを知りました。これをもとにどのようにカットするかを考えます。それを店にある木材切断器でそのとおりに切ってもらいます。

合板のサイズや塗料やいろいろなことをこの機会に知りました。ベニヤに絵を描こうと考えなければ、一生合板の基本サイズを知らないままに終わっていたかもしれません。知らなくても済みますが、知ったらそれだけ自分の世界が広がって楽しいと思います。

DIY関連の売り場をうろついていたら、1.3mmのシャープペンを売っていました。私が持っているぺんてるのものではありませんが、デザインは全く同じです。また、ノックしてシャープペンのようになった細いクレヨンを見つけました。資材に印をつけるためのもののようです。建築関連のところを見ていると、案外思いもかけない画材に出会えるかもしれません。


<訪問者>
頂のベンチに座って
膝を抱えた私のジョギングシューズに
ヒョウモンチョウがやってきてとまった

翅の細かな模様のひとつひとつが
はっきり見分けられるほどの距離で
蝶はじっとしていた

蝶は魂の象徴だという
蝶よ
きみは誰の魂の象徴なのか
何を伝えにここにきてくれたのか

言葉はない
言葉を超えた何かを伝えるために
きみはここにきたのだ


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□◆□…優嵐歳時記(2567)…□◆□

  万緑にさざめき残し嵐去る   優嵐

新葉の色がしだいに濃くなり、盛夏の緑色になった状態を「万緑」といいます。日曜日の台風は風台風だったようで、月曜日に増位山へ行ってみると、あちこちで木が倒れていました。ほとんどが枯木でしたが、中には若木もありました。自然歩道には木から叩き落とされたらしい朽ちた枝、もぎとられた青い葉のついた小枝などが散乱して、風の威力を知らされました。

動物はどこかへ行くことができますが、植物はその環境で耐えるしかありません。激しい嵐に耐えられないものは根こそぎにされる。森は穏かに見えますが、それはそれなりに植物たちが必死に生きている場所なんだな、と新たな目で森を見ました。


<自転>
世界を変えようとする人がいる
この世界は困った場所で
なんとかしなければいけないと
そういう人たちは叫ぶ

それは違う
もし世界を変えたければ
あなたが変わることだ

世界が怒りと憎しみで溢れていると
あなたが考えているならば
それはあなたの心が
怒りと憎しみで溢れているからだ

太陽を昇らせようとしてはならない
太陽が昇るのは
地球が自転するからだ

まずあなたが自転しよう
怒りと憎しみから感謝へと


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