□◆□…優嵐歳時記(2607)…□◆□
渓流を渡り涼しさ渡りけり 優嵐
三濃山登山では、ずっと渓流に沿った道を歩いていきました。渓流は体感温度を下げてくれるだけでなく、流れは目に涼しく、音は耳に涼しさを与えてくれます。涼しさというのは、ずっと同じように涼しいよりも、波があって、いっときすっと涼しくなる、という方が感じる度合いが大きいように思います。
自然の風が涼しく感じられるのも空気の動きに強弱があるからでしょう。人間はどんなものであれ、同じ状態が続くと慣れて感度が鈍くなります。ずっと幸せだったらいい、なんて言いますが、同じ状態が続くと人は慣れて飽きてしまいます。不老不死は人間の究極の願いだそうですが、もしそれが実現したら、実際は耐えられないのではないでしょうか。
全員が不老不死だったら、何も変化が起こりません。同じ状態が続き、永遠に同じ事を続けていかなければならないとしたら、ある種の地獄かもしれません。人生が有限で、人は老い衰え、ままならぬことがあるから、「幸福」を感じられるのではないか、と思います。
<燃える季節へ>
梅雨明け三日目
洗濯をし布団を干した
梅雨の湿りをこれですっきりさせ
炎暑を迎える
すべての窓を開け放って
梅雨から真夏へと気持ちを切り替える
午後四時の山の上には
積乱雲が四本
めまいがしそうな日差しの中で
炎熱の季節の始まり
渓流を渡り涼しさ渡りけり 優嵐
三濃山登山では、ずっと渓流に沿った道を歩いていきました。渓流は体感温度を下げてくれるだけでなく、流れは目に涼しく、音は耳に涼しさを与えてくれます。涼しさというのは、ずっと同じように涼しいよりも、波があって、いっときすっと涼しくなる、という方が感じる度合いが大きいように思います。
自然の風が涼しく感じられるのも空気の動きに強弱があるからでしょう。人間はどんなものであれ、同じ状態が続くと慣れて感度が鈍くなります。ずっと幸せだったらいい、なんて言いますが、同じ状態が続くと人は慣れて飽きてしまいます。不老不死は人間の究極の願いだそうですが、もしそれが実現したら、実際は耐えられないのではないでしょうか。
全員が不老不死だったら、何も変化が起こりません。同じ状態が続き、永遠に同じ事を続けていかなければならないとしたら、ある種の地獄かもしれません。人生が有限で、人は老い衰え、ままならぬことがあるから、「幸福」を感じられるのではないか、と思います。
<燃える季節へ>
梅雨明け三日目
洗濯をし布団を干した
梅雨の湿りをこれですっきりさせ
炎暑を迎える
すべての窓を開け放って
梅雨から真夏へと気持ちを切り替える
午後四時の山の上には
積乱雲が四本
めまいがしそうな日差しの中で
炎熱の季節の始まり