優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

2011年08月

□◆□…優嵐歳時記(2658)…□◆□

  準備よしよーしよーしと法師蝉   優嵐

蝉の声が随分下火になってきました。八月の上旬のころは夜が明けるやいなやけたたましいといっていいくらいの勢いで鳴いていました。ところが、昨日の朝は日が昇ってかなりたってから、ミンミンゼミの声がわずかに「みーん」と聞こえてきただけでした。

山に行くとそれでもまだたくさん鳴いています。主役はホウシゼミになっており、ツクツクオーシオーシオーシと鳴いているのが、よーしよーしとふと聞こえました。夏休みが終り、八月も終り、本格的な秋の始まりです。

IMG_1830<脇役たち>
大工のヨセフは
いいなずけのマリアから
突然みごもったことを告げられた
彼の子ではない
ヨセフは衝撃に打ちのめされただろう

その子は後に神の子イエスと呼ばれ
マリアは「聖母」となる

皇太子妃ヤショーダラーは
世継ぎの王子を生んだ夜
夫である皇太子シッダッダが
自分たちを捨てて
王城を脱け出したことを知らされた
ヤショーダラーも衝撃に打ちのめされただろう

皇太子シッダッダは後にブッダとなる


□◆□…優嵐歳時記(2657)…□◆□

  えのころのころころ光り道の辺に   優嵐

月曜日は残暑がぶりかえし、体温なみの暑さになりました。暑さ寒さも彼岸までですから、あと二十日ほどはこういう暑さが何日か戻ってくる日があるでしょう。ただ、昨年のような長期にわたる厳しい残暑はないだろうと思ってはいます。

残暑とはいえ、日差しは正直ですし、植物の歩みも的確です。稲は黄色く色づき、稲穂が垂れる田が増えてきました。えのころはエノコログサのことで、日本全土の道端や畑地、荒地に生える代表的な雑草です。ユーラシア大陸原産で、稲作の伝来とともに日本に入ったと考えられています。

高さ20〜70cmほどの一年草です。八月から十月にかけて茎の先に円柱形の穂が出ます。この様子が子犬の尻尾を連想させエノコログサと呼ばれます。また猫がたわむれるので、ネコジャラシとの別名もあります。

IMG_1795<傍観者>
子どものころからずっと私たちは
「何かをしなさい」と言われて成長する
傍観者であってはならない
積極的に目標を立てて
それに向かって努力しなさい

それが望ましき人間のあり方だと思ってきた
這えば立て、立てば歩めの頃はそれでいい
しかしある時期を過ぎると
傍観者を呼び覚ますことが大事ではないか

いつの間にか人生の流れに飲み込まれて
目標や努力、さらにそこから生み出される
失望や苦悩、煩悶、不安、恐怖に取り込まれている
その濁流から岸辺にあがりじっと流れを見る
そういう傍観者だ

流れは流されるものがどうであろうと
流れるように流れていく
そのことがわかれば
流れに沿って身をまかせることができるだろう

□◆□…優嵐歳時記(2656)…□◆□

  雷の去り虫の音に包まれる    優嵐

土曜日の夕方から激しい雷雨になりました。真夏の間もこれほどの雷雨はなかったと思いながら、窓の外を見ていました。夜まで雨は残っていましたが、雷がおさまると、さっそく虫が鳴き始め、秋だなあと思いました。

最近、なぜか日の出のころに目が覚めます。窓の外は白んでいるので、空の様子を見ようと外へ出てみます。日の出が近いことは空の変化でわかりますが、待っていると涼しくて、Tシャツだけでは肌寒いくらいです。

TAK.ECHOさんに教えていただいたキツネノカミソリを見に行ってきました。ヒガンバナ科ですから、ヒガンバナに似ています。ヒガンバナが咲ききらずにいる、そんな雰囲気を持っています。花の色が狐色だからキツネノカミソリというそうです。

IMG_1803<自画像>
写実的な絵は見たものを描くが
見たものをそのまま描くわけではない

描かれた絵は
私が見た世界の反映である
私というフィルターを通って
再び外に出た別のもの

そこに描かれたものは私だ
人だろうと花だろうと雲だろうと
ある意味で絵はすべて自画像

□◆□…優嵐歳時記(2655)…□◆□
 
  見ゆるものみな新涼の影を持つ   優嵐

最近、『美人画―描き方と鑑賞』という本を読みました。美人画というのは、広い意味では美しい女性の容姿を描いた絵ということですが、「美人画」という言葉は日本で生まれたもので、浮世絵の流れを汲んでいます。明治に入って以降の美人画の代表画家といえば、鏑木清方、上村松園、伊東深水などがあげられます。

これらの浮世絵をふくめた日本の「美人画」を見ていて、あることに気がつきました。それは、こちらを見つめている美人というのは描かれていない、ということです。『美人画口絵歳時記』という本も読みましたが、ここに登場する美人たちもすべてそうでした。なぜ美人画の美人は視線を外しているのか、誰か研究された人はないでしょうか。人物画における視線というのは、文化的な意味合いが結構あるのかもしれません。

坂井泉水さんの肖像画第22作です。珍しくはっきりと目が写っている写真をもとにして描きました。彼女の写真の特徴は視線を外しているということであり、一種の「美人画」なのかもしれません。この絵のもとになった写真でも彼女は別の方向を見ています。絵に描くとカメラ目線のように見えてしまったのですが、写真では向かって斜め右を見ているのがわかります。

IMG_1787
MDFボード(448×300mm)、アサヒペン水性アクリルつや消し白、カンペハピオ水性アクリルこげ茶、サクラクレパス、ぺんてるくれよん

『美人画』の作例を参考に、今回は線描に黒ではなくこげ茶を使っています。『美人画』の描法は日本画であり、使っている用具は全く違うのですが、読めばいろいろ参考になることがありました。人物画の線描には黒よりもこげ茶の方がいいかもしれません。黒というのは、ちょっと強すぎる感じがします。今回は髪も万年筆ではなくこげ茶色のペンキの線描とクレパスを組み合わせています。全体の色調を淡いピンクとこげ茶色で統一するようにしました。

□◆□…優嵐歳時記(2654)…□◆□ 

  秋空へ再び雲の奔騰す   優嵐

明け方、アシカを二頭私がどこかへ連れてゆくという夢を見ていました。なぜアシカなのか、夢は理屈を超えたおもしろさがあります。午前中雨が降りました。いわゆる天気雨というもので、周囲の空は晴れて白い雲が出ているのに自分の上だけ雨が降っていました。

雨があがると、数日ぶりでからりと晴れた青空を見ました。空気が秋の澄んだ感覚を帯び、季節が一歩進んだと感じました。それでも雨の後にすぐ陽が差したせいか、午後は内陸部の空にみるみる入道雲が立ち上がり、その動きがダイナミックでした。

坂井泉水さんの月命日です。今日はZARDの5枚目のオリジナルアルバム『OH MY LOVE』(94.6.4)に収録されている『I still remember』を取り上げます。前回取り上げた『来年の夏も』もピアノが印象的な楽曲ですが、私はピアノというと、こちらの方が印象に残っています。

I still remember



ピアノの伴奏のみで始まり、やがてドラムが入り、しだいに伴奏楽器が増えていきます。間奏に見事なギターソロが入りますが、最初から最後まで楽曲を引っ張っていくのはピアノです。それにしても、じっくり伴奏を聴くと、あらためて素晴らしいと感じます。

ZARD唯一の2004年ライブツアー"What a beautiful moment"では、ステージ上に17名のサポートメンバーが揃っていたといいます。ギターだけで5人という大所帯。いったいそれほどの大人数で演奏するような曲があっただろうか…、とこの記事を書かれた方は不思議に思われたようです。

しかし、よく聴いてみるとZARDのサウンドというのは非常に分厚いのです。さまざまな楽器が多層的に使われ、隅々まで凝った創りになっています。こうしていろいろな楽曲を伴奏に注意を向けながら聴いていると、そのことがわかります。それがなぜピンと来ないかというと、それはもう坂井泉水さんのボーカル、さらにその声質がなせるワザだと思います。

どんな楽曲を歌おうと決して重く暑苦しいものにならない。技巧的なうまさも感じさせることがない。この歌も歌詞だけを聞くと未練たっぷりの、情念歌になってもおかしくないような内容です。ところが、彼女の声で歌われるとそういうドロドロしいものが全部抜け落ちてしまい、心地よい清涼感で「ん?ん?あれ?」という雰囲気になってしまいます。

歌詞やボーカルに説得力が無いというのではありません。歌心は十二分に伝わってきます。それでいながら、常に軽やかで、重く粘っこくはならない、そういう天性の声を彼女は持っていたのです。

□◆□…優嵐歳時記(2653)…□◆□ 

  秋の蓮最後の花となりにけり   優嵐

増位山の蛇ヶ池の白蓮がそろそろ花の時期を終えようとしています。すでにほとんどが花托になっており、残っているのは数個の蕾です。蓮の花は夏の季語ですので、秋に入ると「秋の蓮」として詠みます。花が終わるとこの花托で種子が黒く熟してきます。これも「蓮の実」として季語になっています。さらに晩秋になれば葉が枯れ、茎も折れ、無残な姿になります。これを「敗荷・破蓮(やれはす)」といいます。

山では早くから桜が色を変えていましたが、里でもソメイヨシノが盛んに葉を散らしています。散った葉は必ずどこかが虫に食われています。八月は秋なのだと散るソメイヨシノを見ながらまた思いました。ツバメはもう去ったようです。あの高く飛んでいた日に渡りを始めたのかもしれません。

IMG_1619<味付け>
人生でイイコトだけが起こるとしたら
そういう人生は果たして生きるに値するだろうか
それは砂糖だけで味付けされた料理のようなものだ
とても食べられたものではない

たとえ汁粉や善哉でさえ
甘さを引き立たせるには塩がいる
まして複雑なレシピになれば
苦味、辛味、それらを総合し火加減を調整して
絶品の料理ができあがる

それは自分しか味わえないご馳走

□◆□…優嵐歳時記(2652)…□◆□ 

  高空を帰る日近き燕飛ぶ   優嵐

ふと空を見上げると、ツバメが何羽も集団で飛んでいました。ビルの十階あたりの高さで、普段のツバメはそういう高度を飛びません。そろそろ南へ帰る時期です。渡りの時期になると、彼らは集団を作って上空高く飛ぶようになります。いつもそれを見ると、南へ渡してくれる風を探しているのだろうか、と思います。

ずっと前、ヒマラヤ山脈を越えて渡りをするアネハヅルを紹介した番組を見たことがあります。彼らはヒマラヤを越える風を探し、それに乗って渡って行きます。自然の力を最大限に活かし、長い距離を無事に旅する術を知っているのです。

今年は震災からしばらくたったあと、ツバメの姿を見ました。その彼らが南へ戻ります。秋の深まりが早い東北地方からはもう姿を消しているかもしれません。やってくるとき、去っていくとき、どちらも何かしら感慨を覚える野鳥です。

IMG_1728<おまかせコース>
おいしいと評判の店へ行って
「シェフのおまかせコース」を頼む
その後は出てくる料理を味わうことに専念する
人生もそれと同じように生きればよい

私たちはテーブルに坐っている
次に何が出てくるかとあれこれ注文をつけたり
何度もメニューをひっくり返したりはしない
まして厨房を覗きにいったりはしないだろう

明日を思い煩うな
前菜の次にいきなりデザートになったりはしない
出される料理を楽しみシェフの腕前を堪能すればよい

イタリア料理店と和食の店では出される料理が違うだろう
だから周りの人と比べても無駄だ
違うコースを注文しているかもしれないのだから


□◆□…優嵐歳時記(2651)…□◆□

  美人画を見ている処暑の午後の雨   優嵐

昨日は、二十四節気の「処暑」でした。このころから残暑が衰え、朝夕から秋の気配がしだいにはっきりしてくる、と言われています。今年はまさのそのとおりの展開になっています。まだ残暑がぶりかえすことはあるでしょうが、もうそれははっきり秋に入ったあとの「秋暑」といえるものです。

午前中から曇りがちでしたが、お昼を過ぎてから雨になり、夕方前まで降っていました。窓を開けていると少し涼しすぎるくらいでした。こうあっけなく涼しくなると、なんだか寂しくなるから人間心理というのは不思議です。

IMG_1731<視点を変える>
絵をブログにアップするために撮影すると
どうしても四隅が暗くなった
背景が白いままだとそれがよく目だつ

なんとかできないものかと
撮影方法を工夫したが
丸いレンズで四角い紙を撮影するのだから
どうあがいても無理な相談だった

ところが
フォトショップを使って
画像の背景を紙に近い色で塗れば
四隅の影を消せることに気づいた
気づいてみればなんでもないこと

多くの「難問」がこういう性格を持っている
あるひとつの方法に凝り固まっているうちは
解決策が見えてこない



□◆□…優嵐歳時記(2650)…□◆□ 

  ピーマンを運転席に置いてます   優嵐

友人が家で採れた茄子、ピーマン、胡瓜を持ってきてくれました。留守にしていたので、開いていた車の運転席に入れ、メールをくれました。それをそのまま俳句にいただきました。自家製の野菜をいただくのはうれしいものです。

ピーマン(唐辛子)は熱帯アメリカ原産で、コロンブスがスペインに持ち帰り、その後百年ほどの間に欧州、東洋に広がりました。日本への渡来について、ポルトガル人が持ってきた、秀吉の朝鮮出兵の際に持ち帰った、などさまざまな説がありはっきりとはしていないようです。唐辛子は香辛料としての名前で、野菜としてはピーマンの名前で通っています。

IMG_1643<失敗>
失敗はいけないことではない
見方によっては
素晴らしい示唆である

その方向に進まない方がいい
それをやらない方がいい
あなたには別の道がある
失敗はそういうお告げ

自分という人間の小さな視野で
失敗だ成功だと大騒ぎせずに
大きな存在が示してくれるものに
心を向けてみよう

□◆□…優嵐歳時記(2649)…□◆□ 

  細やかな雨が秋めく海峡に   優嵐

アートワークに参加するために大阪へ行っていました。土曜の午後から雨が降ったりやんだりしながら、日曜の朝まで残っていました。アートワークに行ったあとはその振り返りのレポートを書くのですが、ここ二回ばかりはこのブログに書かなかったために、一ヶ月たっていざ書こうとしたら、内容をすっかり忘れているのに愕然としました。

人が何を記憶しているかは、その人によって随分違うものです。友人と昔の話になったとき、「あの人はこのとき何をした、何を言った」などということを、とても細かく覚えている人がいるものです。私はそういう種類の記憶は素早く抜け落ちてしまいます。

覚え書きとしてブログに書いておくのはやはり必要かもしれない、と思いました。アートワークを講師として提供する模擬授業のようなものをこの一月に実施します。それに関する説明を午前中にききました。あらためてアートワークとは何かを振り返る機会になったと思います。

午後からは透明水彩の三原色(赤・黄・青)を使って虹のグラデーションを作るワークをやりました。水彩紙をたっぷり水で濡らし、そこへ薄く溶いた絵具を徐々に重ねていきます。平筆で左から右へのストロークを繰り返します。しだいに色を濃くし、境目を消してなだらかなグラデーションを作ることを目指します。

これが簡単そうに見えて難しいのです。色がなかなか濃くならなかったり、中間色がうまくできなかったり…。また、平筆で同じ動きを繰り返し続けることを窮屈に感じる人もあります。私の場合は、色の境目がなかなかうまく溶け合わず、グラデーションというよりストライプという感じになってしまいました。

境目をなんとかしようとあれこれやったおかげで、真ん中にある黄色があちこちに顔を出す結果になりました。境目は「関係性」に関連しているとか。一方、グラデーションはなめらかに移行しているのだけれどなかなか色が濃くなっていかないという人もありました。色を濃くしていくということの背後には、この世の物質的なこと、この世界にしっかりつながっているという意味があります。

いろいろな人の話を聞いていると、この世界にしっかり繋がっていない人というのは想像以上に多いのかもしれない、と思います。そういう感覚を持っている人の話を聞き、そういう視点から考えるという試みをすると、新たな気づきを与えてもらうことができます。そういう機会が得られるということもグループでアートワークをやることの大きな意味のひとつです。


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